第1824話

 模擬戦が終わった日の夜、本来ならケレベル公爵邸ではレイの勝利を祝って盛大に……とまではいかないが、普段よりも豪華な食事が出ていた。

 もっとも、盛大にではないというのは、あくまでもケレベル公爵邸の面々にとっての話であって、一般人にすれば紛れもない豪華な食事だったのだが。

 ともあれ、そんな食事をしながら、リベルテが口を開く。


「それで、結局その相手の正体は分からなかったのかね?」

「はい。騎士団とか警備兵とかにも話を聞いてみたんですが、結局は何も」


 そう言い、レイは首を横に振る。

 あの、セトにすら察知させずに姿を現し、姿を消した男。

 間違いなく強いと、そう思える程の相手については、結局何の情報を得ることも出来なかった。


(まぁ、強いからといって勝てないとは限らないけどな。問題なのは、結局どうやってこっちに気が付かれないで姿を現したり消したりしたかだが……)


 そちらについては、今のところ全く見当がつかない。

 あの男と戦っても、レイは負けるつもりはない。

 だが、それはあくまでも普通に戦うことが出来ればの話であって、今日のように唐突に姿を現して奇襲を仕掛ける……といった真似をされれば、レイであっても対処出来るかどうかは微妙なところだった。

 レイよりも五感の鋭いセトですら、あの男の姿を確認出来なかったのだ。

 そういう意味では、非常に厄介な相手であるのは間違いない。


「……そうか。恐らくだが、その後ろにいるのは……」


 リベルテは途中で言葉を濁すが、その先に何を言いたいのかは、それこそこの場にいる者であれば、誰であろうとも理解していた。

 だからこそ、レイはその先を何も言わせずに別の話題に移る。


「とにかく、その件が終わった後でセトと一緒に色々な屋台に顔を出してみたんですけどね。結構美味しい料理が多くて驚きました」

「……そうか」


 リベルテの口から出たのは、少し前と同じ言葉。

 だが、そこにあるのは悩んでいる様子ではなく、嬉しそうな笑み。

 このアネシスを治めるリベルテにとって、やはり自分の住んでいる場所を褒められるのは嬉しいのだろう。

 レイも、別にその件に関してはお世辞を言っている訳ではない。

 実際にあの騒動の後に寄った屋台の料理は、どれもが相応に美味だったのだ。

 ……勿論、屋台の中には不味い店もあったので、全ての屋台が最高の味だった、という訳ではないのだが。


「私は生憎とそういう店で出される料理を食べるといったことは殆どないのだが……具体的に、どのような料理があるのだ?」

「私もその辺は知りたいわね。美味しい料理なら、是非食べてみたいし」


 アルカディアが興味津々といった様子で尋ねる。

 基本的にアネシスで政務を行っているリベルテと違い、アルカディアは様々な村や街、場合によっては村にすらなっていないような小さな集落にすら足を運ぶことがある。

 それだけに、レイが美味いと言った料理がどのようなものなのか気になったのだろう。


「そうですね。例えば……ああ、肉と豆をたっぷりとパンの中に詰めこんで焼き上げていたパンとか、美味しかったですよ」


 挽肉とは言えないくらいの大きさに切った肉と豆がパンの中に入っているのだが、パンを齧ると口の中一杯に肉汁が広がるのだ。

 挽肉と呼べるくらいまで細かく切っていないおかげで、しっかりとした肉の噛み応えがあり、そこから溢れ出る肉汁が豆の味を一段と引き上げる。

 この手の総菜パンとでも呼ぶべきパンはそれなりにあるし、レイも好んで食べるのだが、その中でもレイが今日食べたパンは今まで食べた中でもかなり上位にくるだろう味だった。

 レイがその美味さについて説明していると、食事中であるにも関わらず、皆が思わず唾を飲み込む。

 それだけ、レイの説明が上手かったということなのだろう。

 それから暫くの間、ケレベル公爵一家とレイは、屋台で食べた料理について話し合う。

 十分程は料理についての話題が続き、その話も一段落したところで、リベルテが改めて口を開く。


「さて、屋台の話はその辺にしておいて……今日行われた、模擬戦のことだ」


 一口食べたパンを皿に戻しつつ告げるリベルテに、レイだけではなく、エレーナやアルカディアも視線を向ける。

 特にアルカディアは、現在アネシスに集まってきている貴族の妻達の相手をするのに忙しく、模擬戦に関しては最後まで見ていない。

 それでも、模擬戦が終わった後で色々な者達から情報を聞くことは出来たし、レイが圧倒的な強さで全勝したという話も知ってはいる。

 特にアネシスにも少数しかいない異名持ちを倒したのだから、聞いた時は戦ったのがレイだと知っていても、驚いた。

 ……いや、もしかしたら戦ったのがレイだからこそ、驚いたのかもしれない。

 アルカディアも、レイが異名持ちに相応しい実力があるということは知っている。

 だが、それではあくまでも知識として知っているだけであって、実際にレイが戦う光景を見たことはないのだ。

 アルカディアが知っているレイは、こうして一緒に食事をする時のレイで、そんなレイがそれだけの活躍をしたと言われれば、知ってはいても驚く。

 アルカディアの感心した視線に若干居心地が悪くなりつつも、レイはリベルテに視線を向ける。


「模擬戦を提案してきた貴族達は、満足していましたか?」


 そう言いながらも、レイは恐らくそこまで満足するようなことはないだろうと思っていた。

 今回の一件は、元々貴族達がレイの実力を信用出来ないとして、行われたものだ。

 本来なら受ける必要がなかった模擬戦だったのだが、風魔鉱石という報酬を貰うということで引け受けたのだ。

 全員がそのように思っているのかどうかは、レイにも分からない。分からないが……それでもガイスカのような存在がいる以上、全員が今日の模擬戦を見て本当に納得するとは、レイにも思わなかった。


(まぁ、模擬戦に満足したら満足したで、今度はこっちに接触してくる可能性があるんだけどな。……それはそれで、結構面倒だけど)


 貴族達にしてみれば、レイのような異名持ちの冒険者とは面識を得たい……そして可能であれば自分の部下にしたいと、そう思うのは当然だった。

 とはいえ、レイは貴族に仕えるなどということは、一切考えていない。

 寧ろ、そのような相手が近づいてこないという点では、怪しまれていた方がまだ楽だという思いすらある。


「そうだな。満足していた者の方が多かったと思う。ベスティア帝国との戦争で実際にレイの強さをその目で見た者が多ければ、あのような真似をしなくても済んだのだがな」

「あー……それはしょうがないかと。そもそも、貴族の身分で戦争に好んでいくような物好きはそう多くないでしょうし」


 とはいえ、実際には貴族の三男、四男といった者達は、戦争で手柄を挙げてどこかの騎士団に所属したいと、戦場に出てくることも多かったのだが。……そして上手くいけば、どこかの貴族の家に養子として迎えられたりする可能性すらある。

 貴族とはいえ、自分の立場をしっかりと理解している者であれば、戦場に出るのは珍しい話ではない。

 ……もっとも、それはあくまでも現在の自分の立場に危機感を持っている者だけであって、ガイスカのような者はそのような真似はしないだろうが。

 もっとも、ガイスカはセイソール侯爵家の血を引く者だ。

 侯爵家ともなれば、それこそ家の影響力だけでとりあえず食うに困るといったことはないような仕事を見つけるのは容易なのだろうが。


「物好き、か。……その一人と今日は一緒に行動していたらしいな」


 物好きという言葉を聞いて、そう言ってくるリベルテ。

 それが誰を意味しているのかというのは、それこそレイにとっては考えるまでもなく明らかなことだった。


「ブルーイットですか。……面倒に巻き込んでしまいましたけど、仲良くはやれそうです」


 基本的に貴族という存在は嫌いなレイだったが、それでも中にはブルーイットのような気の合う者も多い。

 貴族でない者であっても、気に入らない者は決して少なくはない。

 結局のところ、貴族であるなしに関わらず、気に食わない相手はいるということなのだろう。

 ……育ってきた環境からか、貴族の方に性格の合わない者が多いのも、否定出来ない事実だったが。


「あの男は、貴族としては少し変わり種ではあるが……だからこそ、レイとは気が合ったのであろうな」

「だと思います。今まで何人もの貴族と出会っては来ましたけど、ダスカー様にかなり近い雰囲気を感じましたし」

「ダスカー、か。……正直なところ、あれ程出来る男が勿体ないという思いはあるな。いや、ダスカーだからこそ中立派をあそこまで纏め上げることが出来ているのだろうが」


 そう呟くリベルテの表情が、心の底からダスカーの存在を惜しいと思っているのがレイにも理解できた。

 実際、リベルテが言ってるようにダスカーがいるからこそ、あのように中立派が纏め上げられているというのは、紛れもない事実なのだ。

 レイもこれまでダスカーと接してきて、それは分かっている。

 だが、だからといってダスカーがリベルテの望んでいるように、中立派を解散するなり、もしくはそのまま貴族派の下につくような真似をするとは、到底思えない。


「ダスカー様も、色々と自分の考えがあるんだと思います。今のように貴族派と協力は出来るかもしれませんが、その下につくというのは、まず無理かと」

「……そうだろうな。私もダスカーとは何度か会ったことはあるが、しっかりとした考えを持っているように思えた。だからこそ、余計に惜しいと思うのだが」

「貴方、その辺にしておいたら。幾ら貴方が惜しがっても、ダスカー殿が貴方の下につくことはないと思うわよ」


 そう告げる妻の言葉に、リベルテは残念そうにしながらも、それ以上は何も言わない。


(リベルテはダスカー様を呼び捨てだったけど、アルカディアの方は殿をつけるんだな。……まぁ、そんなにおかしな話でもないか?)


 そんな風に思いつつ、レイはスープを口に運び……


「え?」


 口の中に広がった味に、少しだけ驚きの表情を浮かべる。

 そんなレイの様子に、エレーナを含めて食卓にいた者達が視線を向けるが……レイは、再びじっくりとスープを味わう。

 一口、二口、三口……口の中に広がる魚の旨味を感じさせてくれるそのスープをレイが味わっているのを見たエレーナ達は、不思議そうな表情を浮かべる。

 有り得ないことだったが、もしスープに毒か何かが入っていて、レイがそれを飲んで異変に気が付いた……というのであれば、それこそこうまでスープを味わうといった行為を行うことはないだろう。

 だが、エレーナ、リベルテ、アルカディアの三人がスープを飲んでも、そこには特にこれといった様子はない。

 いつもと若干味が違うが、それは間違いなく美味いスープなのだ。


「レイ、どうしたのだ? このスープは特に何かあるとは思えないが。いや、美味いとは思うが」


 スープを味わっていたレイは、エレーナの言葉で我に返ったように口を開く。


「このスープ、凄い美味いと思って」


 本来であれば、そんな言葉ですまされるものではない。

 何故なら、レイが飲んだこのスープはレイにとっても覚えのある味だったのだから。

 もっとも、覚えのある味とはいっても、レイの記憶にある味そのままという訳ではない。

 レイが知っている味とは微妙……いや、結構違うが、その向いている方向性は間違いなく同じ筈だった。

 それは、魚を塩漬けにして出たエキスを使った調味料。

 レイにとっては冬にいつも食べている魚の鍋物……いわゆる、しょっつる鍋で使う、ハタハタから作った、しょっつるという魚醤。

 世界的――あくまでも地球での話だが――に見ても、魚醤というのはそれなりにメジャーな調味料だ。

 日本では、レイの知っているしょっつるが有名だし、タイのナンプラーやベトナムのヌクナム、ラオスのナンパーといった魚醤が有名だろう。

 勿論、それらの魚醤は作られている場所が違うだけに、作り方や材料、熟成期間といったものも色々と違う。

 実際、レイがこうして飲んでいるスープは、しょっつるよりもナンプラーに近い味だったのだが……残念ながら、レイは日本にいた時にナンプラーを使った料理を食べたことがない。

 レイにとって、魚醤とはしょっつるとイコールの存在だったのだ。

 それだけに、微妙な違和感がありながらも、レイはスープの味を楽しむ。

 同時に、恐らくこのスープはゲオルギマがラーメンのスープの為に作ったものなのだろうという想像も出来た。

 それは、レイがラーメン屋でしょっつるを使ったラーメンを食べたことがあったからこその予想だろう。

 ともあれ、魚醤であっても醤油の一種には違いない以上、ある意味ではこれも醤油ラーメンと言えるのではないか。

 そんな風に思いつつも、レイはスープ味を楽しみ、昼間の嫌なことは忘れるのだった。

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