第1823話

 いつの間にか視線の先に姿を現したその男に、レイは一瞬唖然とする。

 出て来いと声に出して言ったものの、それでもどこかその辺……隠れている場所から姿を現すのだと、そう思っていたからだ。

 だが実際には、呼んだ瞬間にいきなりレイとセトの前に姿を現した。

 それこそ、今までは透明になっていたのが、突然その能力を使うのを止めたかのように……もしくは、転移でもしてきたかのように。

 正直なところ、レイは男が何をどうやったのかは分からない。分からないが……それだけに、今日感じている感情のない視線の持ち主が目の前の男だということは、容易に予想出来た。


「お前が今日俺にずっと妙な視線を向けていた奴だな?」


 そう尋ねるレイだったが、男はそれに反応しない。

 ただ黙ってレイを見るだけだ。

 そうなれば、自然とレイも男の姿を観察することになる。

 年齢としては二十代半ば程。

 黒い髪は背中まで伸びており、それこそ女と見間違ってもおかしくはない。……が、それでもこの男を見て女だと思うような者はいないだろうとレイには思える。

 身体は決して筋骨隆々と呼ぶことは出来ず、ブルーイットと比べると体重は半分くらいしかないのではないかと思える。

 身長はレイよりも高いが、それでも百七十cm半ばといったところか。

 ブルーイットを始めとして二mを超える身長の持ち主がかなり多いこの世界においては、小柄とは言わないまでも、決して長身とは呼べないだろう背の高さ。

 顔立ちは、若干目つきが鋭いが一般的に見れば整っていると表現してもいいだろう。

 本人にその気があれば、女に困るようなことはないと思えるだけの顔立ちはしている。


「グルルルルゥ」


 レイの隣で、セトは警戒に喉を鳴らす。

 目の前にいるのが、決して侮っていいような相手ではないと理解している為だろう。

 そんなセトを前にしても、男は特に動揺した様子は見せない。


(本当に、何だこいつ? セトを前にして、何の反応も見せないってのは……いったい、どういうことなんだ?)


 レイは手に持っていた棍棒を地面に落とし……どす、という棍棒が地面に落ちる音が周囲に響いた瞬間、男は何の前兆もなく姿を消した。

 それこそ、ほんの数秒前までそこに男がいたのが幻だったかのように。


「セト! 臭いを追え!」

「グルゥ!」


 レイの言葉に、セトは即座に嗅覚上昇のスキルを使用する。

 だが……十秒程周囲の臭いを嗅いでいたセトは、やがて申し訳なさそうにレイに視線を向けた。

 そんなセトの様子を見れば、レイもセトが何を言いたいのか分かる。


「光学迷彩の類だと思ったんだが……違ったのか?」


 セトの持つスキルの一つに、自分を透明にして相手に見えなくする光学迷彩というものがある。

 だが、そのスキルは姿は見えなくするが、現実にそこにいるというのは変わらない。つまり、臭いの類は消すことが出来ないのだ。

 にも関わらず、セトは今の男の臭いを嗅ぎ取ることが出来なかった。


「グルゥ……」


 ごめんなさい、と小さく喉を鳴らすセト。

 そんなセトの頭を撫でつつ、レイは今の男の行動に疑問を抱く。


(セトの持つ光学迷彩なら、臭いは消えない。これは間違いない。つまり……光学迷彩の上位互換的なスキル、もしくは魔法やマジックアイテムか、それとは全く関係のない何か。……可能性としては、どっちだ? いや、どっちでもあまり嬉しくないけど。考えられるのは転移、か)


 転移のマジックアイテムそのものは、皆無という訳ではない。

 実際、ベスティア帝国では少ないながら量産されており、ベスティア帝国の戦争前、そして戦争中にも厄介な目に遭ったことがある。

 だが、転移というのも好きな時に自由に使える訳ではない。

 少なくても、レイが知っている限りでは色々と制限があった。


(となると、それ以外の何かの可能性が高いんだが……)


 セトを撫でながら先程の男のことを考えていると、やがてブルーイットが何人かの警備兵と騎士を連れて戻ってくるのが見えた。

 警備兵や騎士が若干遠慮しているように見えるのは、恐らくブルーイットが貴族であると理解しているからだろう。

 もっとも、ここがケレベル公爵領である以上、もし貴族が何らかの犯罪を犯そうものなら、容赦なく捕らえられるだろうが。


「うわ……これは……」


 警備兵の一人が、地面に倒れている男の何人かが既に呼吸をしていないのを見て、思わずといった様子で漏らす。

 実際、地面に転がっている光景は、荒事に慣れている者であっても驚くだけのものがある。

 せめてもの救いは、レイにしろ、ブルーイットにしろ、刃のある武器を使わなかったことで、血が周囲にそこまで散らばっていないことだろう。

 ……代わりに、棍棒で殴られた男達の歯が幾つも地面に転がっていたりするのだが。


「レイ、取りあえず無事でよかった。しかし、いきなり妙な奴に狙われたな」


 レイにそう声を掛けてきたのは、模擬戦で何度か戦ったことのある騎士だ。

 騎士ではあるのだが、レイと気軽に話すことが出来る相手として、それなりに仲の良い相手だった。


「ああ。まさか、模擬戦が終わってからすぐにこんな連中に襲われるとは、ちょっと予想外だったな」

「あー……まぁ、そうだろうな。レイの能力を考えれば、こいつらの行動は自殺行為以外のなにものでもないし。そういう意味では、自業自得に等しいか。……ただ、薬をやってるって?」


 ブルーイットからその辺は聞いているのだろう。騎士が不愉快そうにしながらレイに尋ねてくる。


「ああ。腕の関節を砕かれても、本人は全く痛みを感じた様子もなくこっちに攻撃を仕掛けてきた。一人くらいなら、気合いとか、生まれつきの体質とか、そう思わないでもないけど……全員となると、ちょっとな」


 レイの言葉に、騎士もだろうなと頷く。

 そうしてレイと騎士が話している間にも、警備兵達はもう一人の騎士の指示に従い、呻いている男達を連れて去っていく。

 死体の方はここに残っているが、今はまず事情を聞くべきだと、そう判断しているのだろう。


「ラディナス、俺はこの連中を連れて行くから、少しその死体を見張ってくれ。すぐに警備兵を追加で呼んでくる!」


 レイと話していた、ラディナスと呼ばれた騎士は、もう一人の騎士の言葉に小さく手を挙げて返事をする。

 ブルーイットも、そちらの騎士と何か用事があるのか、レイに軽く手を挙げてから、その場を去っていった。


「で、どうする?」

「いや、どうするって聞かれても、ここにいるように頼まれたのはお前だろ? なら、俺は別にここにいる必要はないんじゃないか?」

「そうだけど、一応レイにも事情を聞いておきたいんだよ」

「……ブルーイットから聞いたんじゃないのか?」


 ブルーイットと一緒に来た事から、恐らくそうなのではないかと思って尋ねたレイの言葉に、騎士は頷きながらも口を開く。


「向こうは向こう。レイはレイだ。正直なところ、何人もから聞けば新しい事実とかが浮かび上がってくるのも珍しい話じゃないしな」


 そう言われれば、レイとしても騎士の話を断ることは出来ない。

 ミスティリングの中から焼きたてのパンを取り出し、セトとラディナスに一つずつ渡す。


「話をするにしても、何か食いながらの方がいいだろ」

「おう、悪いな」


 そう言いながらパンを受け取るラディナスを見て、ふとレイは日本にいた時に見た刑事ドラマネタの漫画を思い出す。

 刑事ドラマと言われて、思い出しやすいのが取調室でカツ丼を食べるシーンだろう。

 だが、実際には取調室でカツ丼を食べる時は、容疑者がその代金を払っているのだという、そんな漫画のネタを。

 もっとも、今回のレイは別に容疑者という訳ではなく……寧ろ被害者だ。

 ……現在レイとラディナスの目の前に広がっている光景を見て、そう認識出来る者がどれだけいるのかは不明だろうが。

 そうしてパンを食べながら、ラディナスは口を開く。


「それで、何で襲われたのかの心当たりは……あるみたいだな」

「ああ、それこそ貴族に嫌われて襲われるって意味だと、幾らでも心当たりがある」


 今回アネシスに来た件だけでも心当たりはあるが、それ以外にもレイがこれまで接してきた貴族達で、レイに恨みを抱いている者が多いのは間違いない。

 とはいえ、結局のところ自分を襲った者達の後ろにいるのは先程の男だというのは、レイの中で半ば決まっていたのだが。

 もしかしたら違う可能性もあったが、あれだけ意味深に姿を現しておいて、それでいながら実は今回の件の黒幕ではありませんでした、というのはちょっとレイには信じられない。


(結局あいつは何なんだ? あいつが誰か――恐らく貴族だろうが――に雇われて俺を狙っているって可能性はほぼ間違いないんだろうが)


 そこまで考えたレイは、ふと自分の前にいるラディナスが騎士なのだということを改めて認識する。

 警備兵とは別組織ではあるが、それでも間違いなくこのアネシスの治安を守る戦力なのだ。

 であれば、もしかしたら先程自分に視線を向けていた男がどのような人物なのか、分かるのではないか。

 ふとそんな風に思い、レイはラディナスに対して口を開く。


「実は、この一件を起こした……かもしれない人物を知っている」

「……何?」


 ピクリ、と。ラディナスはパンを食べる手を止め、レイに視線を向けてくる。


「本当か、それは?」

「ああ。ただし、決定的な証拠はない。あくまでも状況証拠でしかないけどな」

「それでも、何も手がかりがないよりはいいさ。それで? 具体的にはどんな相手だったんだ?」

「あー……それよりは、まずその男を認識した経緯から説明した方がいいか?」


 男の特徴だけを言うよりも、あの視線について説明した方が納得しやすいのではないか。

 そう思いながら尋ねるレイに、ラディナスは少し考えてから、頷きを返す。

 今回の一件は、ただ薬物中毒者が暴れただけということではない。

 そもそもの話、今回の騒動は祭りの……これだけ多くの人が集まっている中で起きたのだ。

 とてもではないが、軽く流していいようなものではない。

 地面に倒れている男達は、レイ達がいたから特に大きな騒動の類もなく鎮圧――というにはかなり乱暴だったが――することが出来た。

 だが、もしこの男達が祭りをしている中で暴れていれば……間違いなく、大勢の怪我人や死人が出ただろう。

 男達が持っていた武器を見ても、それは明らかだった。

 そうしてレイが自分の感じた視線について……そして、模擬戦が終わった後にもその視線はずっと自分についてきて、そんな中で何故かレイ、セト、ブルーイットを尾行していた相手に気が付き、ここまで連れて来て、襲われたと。そう説明する。

 そんなレイの説明に、ラディナスは納得しながらも若干呆れの視線を向ける。


「あのな。なんでそこでお前が解決しようとするんだ? 大人しく警備兵とかに知らせるって選択肢もあっただろうに」

「そう言われてもな。最初は俺を狙ってる奴だとは思いもしなかったし。ブルーイットが狙われていると思ってたくらいだぞ?」


 レイの口からブルーイットの名前が出ると、ラディナスも何も言えなくなる。

 ここに来るまでの間に、ブルーイットが貴族であるというのは聞かされていたからだ。

 ラディナスの正直な気持ちを言わせて貰えば、何だって貴族があんな格好で、しかも護衛の一人もつけずに出歩いているのかと、そう思ってしまう。

 それでも直接その不満を口に出さないのは、ブルーイットが困った相手であるのと同時に、貴族にしては珍しいくらい気さくな人物だったからだろう。


「あー……取りあえず大体の事情は分かった。で? 結局レイにずっと視線を向けていた相手が、こいつらの裏にいると?」

「だと思う。でないと、わざわざこの連中を倒した後で自分から出てくるような真似はしないだろうし」

「つっても、レイが出て来いとか、そんな風に言ったんだろ? なら、違う可能性もあるんじゃないか?」

「その可能性もあるかもな。ただ、どっちの方が有り得るか……と考えれば、それは考えるまでもなく明らかだと思うけど?」


 そう言われれば、ラディナスもレイの言葉に異を唱えることは出来ない。

 そこまで状況が揃っているのであれば、自分の意見よりもレイの意見の方が可能性が高いと、そう言わざるを得ないのだから。


「取りあえず事情は分かった。それで、結局そいつはどういう奴だったんだ? 容姿とか、それ以外にも何か気になるところがあったら教えてくれ」

「容姿はともかく、かなり腕利き……もしくは、よく分からない能力を持っているのは間違いないな。姿を現した時も、全く前兆なく姿を現したし、消えた時もいつの間にか消えていて、セトでもその臭いを追うことができなかったからな」


 そう告げ、レイは改めて男の容姿について話すのだった。

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