第1810話

 レイが模擬戦を受けたという話は、翌日には貴族達に知らされた。

 貴族達の中には、もしかしたらレイは模擬戦を受けないのではないか……それこそ、世の中に広まっている噂というのはレイが自分の功績を大袈裟に言っているからではないのかとすら、思っていた者がいる。

 だが、レイが模擬戦を受けたことで自然とそのような噂は消えていき、次に問題になったのは、レイの模擬戦の相手として誰がどれだけの者達を集められるかということだ。

 貧乏貴族であれば、それこそ数人……場合によっては、自分の力に自信があるので自分が出ると言っている者もいる。

 もしくは、冒険者で冬越えの資金を貯めることが出来なかった者達を雇う者もいる。

 特に後者は、どれだけ人数を集められるか……そして有名な腕利きを集めることが出来るかということで、貴族同士の競争ともなる。

 冒険者の方も、深紅の異名を持つレイと模擬戦が出来ると知らされれば、その実力を自分で試してみたいと考える者も多く、意外なことに乗り気の者も多い。

 そんな中、ガイスカはデオトレスと共に自分の屋敷でとある人物と会っていた。

 もっとも、ガイスカは椅子に座っているのに対して、男は椅子に座ることも許されずに立たされたままなのだが。


「では、金に糸目はつけないと?」

「そうだ。お前達のような暗殺者にとっては、勿体ないくらいの報酬をやる。だから、可能な限り腕の立つ暗殺者を集めろ。ただし、数だけの雑魚はいらん。あくまでも腕利きの数人だけだ」


 傲慢に告げるガイスカの言葉に、男は媚びた笑みを浮かべる。


「へい。それは勿論でさぁ。こちとら、アネシスの中で長い間暗躍してきた実績がありやすからね。貰えるものさえ貰えれば、幾らでも腕の良い奴を用意出来ますよ。けど……具体的に、どのくらいの腕を持つ者をお望みで?」

「言っただろう。金に糸目を付けないから、可能な限り腕の立つ者を、と」

「いや、ですが……その、本当に腕の立つ者ってのは、それこそ雇うのに貴族様でも支払うのが難しいくらいの金額が必要になりやすが……」


 暗殺者……いや、暗殺者ですらなく、その斡旋をするしか能のない男に金のことで侮られた。

 目の前の男の言葉をそう理解したガイスカは、半ば反射的に男を睨み付ける。


「貴様、俺を侮辱するか!」


 苛立ちと共に叫ぶガイスカに、男はとんでもないと首を横に振る。


「まさか。あっしが貴族様を相手に、そんなことをする訳がないじゃないですか。ですが……その、こう言っては何ですが、暗殺者というのは非常に高度な技術者なんです。当然そうなれば、高い技術を持っている者であればある程に高額な料金が必要となります。それこそ現在雇うことが出来る最高の者であれば……」


 そう言い、男は勿体ぶるようにガイスカに視線を向ける。

 口調では媚びるようなことを言っているが、それでも男は仕事に忠実だった。

 現在の状況で雇える最も高額な者の値段を、口にする。


「光金貨八枚。……用意出来やすか?」

「馬鹿なっ!」


 男の言葉に、考えるまでもなくガイスカは叫ぶ。

 だが、それも無理はない。光金貨八枚ともなれば、到底ガイスカが自由に出来る金額ではないのだから。

 ……いや、ガイスカだけではなく、現在セイソール侯爵家の当主を勤めているガイスカの父親ですら、そう易々と出せる金額ではない。

 自分を騙してぼったくる気か。

 そんな思いで視線を向けるガイスカだったが、目の前の男はその視線を気にした様子もなく受け止める。

 先程までのガイスカにおもねる態度が嘘のような行為。


(これが、この男の本質なんだろうな。坊ちゃんには、ちょっと荷が重いな)


 デオトレスが、無言で睨み合っている――正確には、睨んでいるのはガイスカだけだが――二人を見ながら思う。

 交渉の為にやって来たこの男は、外見や態度こそへりくだっているように見えるが、実際に大事な場所でそれを譲るつもりはないのだろうと。

 そのような相手との交渉をするとなると、やはりガイスカだけでは荷が重い。

 デオトレスの立場としても、ここでガイスカが癇癪を起こして使用人達にやっているように苛立ちをぶつけるといった真似をされると、非常に困る。


「坊ちゃん」

「……分かっている」


 ガイスカも光金貨ということで一瞬頭に血が上っていたが、それでもデオトレスの言葉で我に返る程度にはまだ冷静さが残っていた。


「光金貨を出すのは、俺の立場では到底無理だ」

「そうですか。まぁ、光金貨八枚というのは、あくまでも現在用意出来る最高の腕利きの暗殺者を雇う金額となってますので、しょうがないでしょうね」

「ちなみにだが……」


 最高の腕利きと聞き、ふと興味を抱かれたデオトレスが口を開く。

 もっとも、話し掛けた中には少しでもガイスカを落ち着かせようというつもりがなかった訳でもないのだが。


「光金貨八枚で雇うという、最高の腕利きの暗殺者ってのは、具体的にどれくらいの腕利きなんだ? 参考までに教えてくれないか?」

「……ふむ、そうですね。具体的に誰を殺したことがあるというのはこちらも言えませんが、小国の王族、異名持ちの冒険者、高ランク冒険者……周辺諸国に名前が広がっていた騎士団の団長。そんなところです」


 言葉通り具体名は口にしなかった男だったが、それでももし言ってることが事実であれば、とてつもない腕利きというのは間違いなかった。

 小国とはいえ王族を殺すなどという真似はそう簡単に出来るものではないし、それが異名持ちの冒険者ともなれば尚更だ。


「それだけの実績があるのなら、光金貨八枚という値段も理解出来ない訳ではないか。……ともあれ、坊ちゃん。その暗殺者を雇うのが資金的に無理なのであれば……」

「待て」


 別の暗殺者を雇いましょう。

 そう告げようとしたデオトレスの言葉を、ガイスカが遮る。

 ガイスカの視線は真剣な……それこそ、視線に圧力があれば、暗殺者の仲介をしている男の顔に穴が開くのではないかという程に、強い視線を向ける。

 当初は、レイに自分に対して行った無礼の報復を出来ればそれでいいと、それで思っていた。

 レイという存在に苛立ちを覚えるガイスカだったが、当然のようにレイの情報については集めている。

 その情報の全てが真実ではなく半分だけが真実だとしても、レイという存在の持つ力――権力や財力ではなく、単純に物理的な武力――は、ガイスカにとっても容易に対処出来る代物ではない。

 そうである以上、出来るのは精々が本当に嫌がらせ程度のものだと判断していたのだが……そこに、異名持ちの冒険者すら殺した経験のある暗殺者の話が出て来たのだ。

 それで真剣になるなという方が無理だった。

 もしかしたら、本当にそれだけの腕を持つ奴がいるのであれば、レイを殺すことが出来るかもしれない。

 そうなれば暗殺者に命じてレイの持つマジックアイテム……特にアイテムボックスを入手出来る可能性もある。

 アイテムボックス……ミスティリングは、レイ以外の者は使えないようになっているし、それはレイも公言しているのだが……もしかしたらそれが嘘で他の者でも普通に使えるのでは? と思う者もいる。

 もしくは、本当にレイしか使えなくても、将来的には使えるようになるかもしれないと。そして何より……


(レイが消えれば、エレーナは俺の物になる。そうなれば、将来的に俺はケレベル公爵家の当主となることも可能だろう。俺が……俺こそが、その地位に相応しいんだからな)


 一度思いつけば、自分にとって最善の未来に意識を奪われてしまう。

 実際には取らぬ狸の皮算用にすらなっていないのだが、生憎とガイスカは自分に都合の良い未来から目を背けるような真似は出来なかった。

 何かあっても、それこそ自分の力であればどうにかなると、本気でそう思ってしまったのだ。


「光金貨八枚の暗殺者……本当にそれだけの腕なのだな?」

「……へい。それは間違いありやせんが……」


 仲介役の男も、まさかガイスカが本気でそれだけの暗殺者を雇うかどうかを検討するとは思わなかったのか、一瞬だけ驚きの表情を浮かべる。

 海千山千と呼ぶべき男にそれだけの驚きをもたらしたのだから、ガイスカの言葉がどれだけの衝撃を与えたのかを表していた。

 だが、最高の技量を持つ暗殺者を雇うにしても、当然光金貨八枚という金額が問題になってくる。

 ガイスカの父親のセイソール侯爵家の当主ですら、それだけの金額をすぐに出すような真似をすることは出来ない。

 それを次期当主でも何でもない、次男という予備にすらなれないガイスカが用意出来るのかと言われれば……はっきりと無理だと誰もが断言するだろう。


「坊ちゃん、光金貨八枚なんて金、一体どうするんです?」

「これは、俺にとっても一世一代の賭けだ。そして、勝率は限りなく高い」


 異名持ちの冒険者を殺した実績があるというのを、ガイスカは過剰なまでに信頼していた。一度経験があるのなら、二度目も大丈夫だと。

 だが……異名持ちの冒険者は強者が多いが、その強者の中でも歴然とした差は存在する。

 ガイスカは冒険者についてそこまで詳しい訳ではなかったので、その辺に知識が及んでいない。

 デオトレスは当然のようにそのことを知っていたが、自分の目的の為にはガイスカを止めない方がいいと思うので、口を出さない。

 仲介役の男も、光金貨八枚という暗殺者をガイスカに雇わせることが出来れば、手数料として貰える金額が大きな利益となる。

 結果として、デオトレスも仲介役の男も、二人揃ってガイスカを止めるような真似はしなかった。


「ですが……その、いいんですかい? こっちとしちゃあ、黒狼を呼ぶのは問題ないですが、実際にその金額を揃えられなかった場合……」


 こちらとしても、色々と保証は出来ませんよ、と。仲介役の男は告げる。


「黒狼ってのが今回の依頼で頼むべき相手なんですが、その実力は間違いない分、支払いに関してはかなり厳しいです。それこそ、もし料金を値切ろうとしようものなら、雇い主にでも牙を向けるかのように」


 実際に以前似たようなことがあったのか、仲介役の言葉に宿るのは恐怖だ。

 今までガイスカと……侯爵家の血を引く者と会話をしていても、表面上はともかく、心の底から怯えた様子は見せたことがなかった仲介役が恐怖を表情に出したのだから、その黒狼と呼ばれた暗殺者をどれだけ恐れているのかが分かるだろう。

 そして仲介役の男が感じた恐怖は、当然のようにガイスカにも伝わる。

 ごくり、と。ガイスカは思わず息を呑む。

 光金貨八枚を出すと、半ば反射的に口には出したのだが、当然のようにそれをどうにか出来るだけの考えがある訳ではない。

 それでも、レイを殺してレイが持つマジックアイテムを自分の物にし、エレーナを自分の物にし、ケレベル公爵家を継ぐという欲望はガイスカにとって一世一代の賭けに出るには十分な勝算があった。

 ……実際には勝算ではなく、そうなって欲しいという希望的観測だったのだが、それを理解しているデオトレスは自分の都合の為に何も言わず、仲介役の男はガイスカが侯爵家の人間なのだから、光金貨を用意すると言ったら、後で出来ないですとはとてもではないが言えないだろうと判断する。


「構わん。その黒狼だったか。そいつを呼んでくれ。ただし、料金が高額である以上、最初に渡せる金額は……そうだな。光金貨二枚。残り六枚が仕事が終わった後の成功報酬ということでどうだ?」

「言いたいことは分かりますが、少し難しいかと。料金の方は一応話してみますが……今までは全て全額前払いで払っていますし」

「……幾ら俺でも、光金貨を八枚もそう簡単に用意出来る訳ではない。用意するにも時間が掛かるし、それを集める為にも時間が掛かる。そうである以上、どうしても一括で前払いという訳にはいかない」

「報酬を用意出来てから呼んで貰えれば……」

「それでは、間に合わんのだ!」


 苛立たしげに叫ぶガイスカ。

 今の状況で光金貨八枚という報酬を用意するには、それこそ危ない道を渡る必要がある。

 それこそ、現在自分が住んでいる屋敷やセイソール侯爵家の持っている鉱山の類を売るという方法が必要だった。

 それらを担保に借りる……という方法も考えはしたが、それらを担保にしても借金では光金貨八枚は到底借りることが出来ないというのが、ガイスカの予想だ。

 ガイスカに睨まれている仲介役の男は、頭の中で素早く計算する。

 ここでどうしても駄目だと断ることも出来る。

 だがそうなれば、自分は間違いなく目の前にいる男から恨みを買うだろうし、何よりそうなれば自分の儲けがない。

 であれば、多少は譲歩すべきか。

 そう判断し……やがて、不承不承な態度を見せつつ妥協するのだった。

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