第1809話

 ゲオルギマが作った料理を十分に楽しんでいたレイは、最初リベルテが何を言ったのか分からなかった。

 何度か食卓を一緒にした結果、レイはケレベル公爵夫妻と一緒に食事をしていても特に気にしなくなっている。

 いや、元々そこまで気にするようなことはなかったのだが、今ではかなりリラックスして、しっかりと料理の味を楽しめるようになっていた、というのが正しい。

 そんな夕食を楽しんでいた時、唐突にリベルテの口から出た言葉だった。

 取りあえずと、口の中にある白身の魚を柔らかく煮込んだ料理を飲み込んだレイは、リベルテに言われた言葉をそのまま返す。


「えっと、模擬戦ですか?」

「うむ。私のところに、新年のパーティーを前にして既にアネシスに入っている貴族達から揃ってレイの模擬戦が見たいと要望があった」

「……何でまた?」

「そうね。私も不思議に思うわ。勿論、レイがアネシスに来ているのは、ある程度情報を集めていれば知っていてもおかしくはないけど……でも、普通そんなことを言うかしら」


 アルカディアの口からも、疑問の声が出る。

 普通に考えれば、自分達の派閥を率いている人間――中には国王派の貴族もいたが――の客人たるレイに、模擬戦をしてみないかといった風に提案してくるのは、礼を失する行為でもある。

 とはいえ、レイはケレベル公爵家の客人であると同時に、中立派を率いているダスカーの懐刀と目されている人物でもあった。

 そうである以上、当然ながら貴族派や国王派の貴族がレイの力を見たいと思っても、不思議ではない。


「元々は、貴族達の集まりの中でレイの話題が出たのが、今回の模擬戦の理由らしい。その……こう言ってはなんだが、レイはとても強そうな外見はしていないからな」


 リベルテは若干言いにくそうにしながら、レイの顔を見る。

 ドラゴンローブを着てはいるが、当然このような場所だけにフードは脱いでいる。

 それだけに、リベルテからもしっかりとレイの顔を見ることが出来た。

 女顔と表現するのが相応しいような、そんなレイの顔を。

 そしてフィルマを始めとした騎士団の者達と比べても、レイの身体は華奢だ。

 何も知らない者がレイの外見だけで判断すれば、とてもではないが異名持ちの腕利き冒険者であると判断は出来ないだろう。

 ……その判断した者が相手の力を見抜くだけの力があれば、また話は別だったが。


「父上、別にレイの強さを見抜くことが出来ない者の戯れ言であれば、わざわざ聞く必要もないのでは? もしくは、最近レイはフィルマ達と模擬戦をしているので、そちらを見せてもいいでしょう」


 エレーナにしてみれば、レイがどれだけの強さを持っているのかというのは、これ以上ない程に知っている。

 そうである以上、わざわざ父に模擬戦の話を持って来たような相手の話に乗る必要はないと、そう思ったのだ。

 リベルテもそんな娘の話は理解出来る。

 だが、今回は予想していたよりも多くの者がレイの実力を不安視しており、レイとエレーナの関係を黙認しているリベルテにとっても、そのまま放っておく訳にもいかない。

 特に大きいのは、このことを放っておけば貴族達の間でレイに対する疑念が広がり、問題が起きるのではないかということ。

 そうして問題が起きれば、貴族の中にはやはりレイは実力的に問題があるという者が出て来て、何らかの騒動を起こす可能性も否定出来なかった。

 ……これで、もしその対象がレイでなければ、リベルテもそこまで気にするようなことはなかっただろう。

 だが、レイの場合は相手が貴族であっても一切容赦しないという性格をしている。

 場合によっては、アネシスにて貴族の大虐殺が起きるかもしれず、その可能性を考えればリベルテとしても貴族からの要望を黙って握り潰す訳にはいかない。

 もしレイが模擬戦を断るのだとしても、そういう理由で貴族達から疑念の声が上がっていると、そう前もって伝えておく必要があった。


「もしこの件を無条件にこちらで却下すれば、貴族達がどう反応するか……エレーナにも分かるだろう?」

「それは……」


 貴族とそこまで深く付き合っていないエレーナであっても、父親が何を言いたいのかは理解出来た。

 もしここでレイに何も言わずにリベルテが貴族達の要望を却下するような真似をしても、貴族達はリベルテに向かって何か不満を言うようなことはないだろう。

 とはいえ、あくまでもそれは直接文句を言ってこないというだけであって、実際には不満を抱く。

 そうして積もりに積もった不満は、やがて溢れ出す。

 そのようなことになる以上、どうしてもそういう話があったとレイに伝えておく必要があった。

 エレーナが納得したと判断したリベルテは、レイに視線を向ける。


「それで、どうする? この判断に関しては、私からでは何とも出来ない。あくまでもレイがどうするかによってくる」

「そう言われれば……引き受けない訳にも、いかないでしょうね」


 そうレイが言ったのは、色々と理由がある。

 まず、新年のパーティーが始まるまではレイは特に何かやらなければならないこともなく、手持ちぶさたであるということ。

 そして、誰がそのような話を広めたのか。

 アネシスにやって来てからレイが出会った貴族の数はそう多くはない。

 そんな中でこのような噂を広げるような相手と言われて真っ先に思いつくのは、ガイスカ。

 自分に対して強烈な敵意を向けてきたあの男であれば、自分の実力不足を口にしてもおかしくはない。

 とはいえ、それをここで言っても仕方がない。


(ガイスカに根回しをするような真似が出来たのは、ちょっと驚いたけどな)


 レイが見たガイスカという人物は、アーラへの態度からも考えて、自分より……いや、自分の家よりも爵位が下の人物は見下していた筈だった。

 当然そのような人物に協力するような者がそうほいほいといる訳もないと、そうレイは思っていたのだが。


(もしくは、ガイスカ以外にも協力者がいるかどうかだな)


 そんな風に考えているレイに、リベルテは確認するように口を開く。


「では、本当にこの件を引き受けてもいいんだな? レイにとっては、得になるようなことはないが」

「構いませんよ。俺とエレーナの関係が面白くないと思う奴がいるのは、アネシスに来る前から分かってましたから」

「う……うむ」


 レイの言葉に若干何かを言いたそうにしたリベルテだったが、今回の一件で動いている多くが貴族派であるということもあり、それ以上は口に出さない。

 代わりに、模擬戦についての内容を口にする。


「レイの実力を見たいと訴えてきた者達は、自分の部下や冒険者を雇ってレイとの模擬戦に当ててくるという話だ。それで問題はないか?」

「多分大丈夫、としか言えませんけどね。このアネシスくらいに大きければ、異名持ちだったり、高ランク冒険者がいてもおかしくないんじゃないですか?」


 辺境にあるギルムやミレアーナ王国の王都程ではないとはいえ、このアネシスはミレアーナ王国第二の都市だ。

 当然のように腕利きの冒険者が集まってきても、おかしくはない。


「異名持ちの冒険者や高ランク冒険者か。当然いるが、恐らくそのような者は今回の一件には出て来ないと思われる」

「……何でですか?」


 自分の実力を確認するというのであれば、それこそ雑魚ではなく腕利きを当てるのが当然だろう。

 そんなレイの思いを込めた視線に、リベルテはスープを一口飲んでから、口を開く。


「レイも冒険者なら、知っているだろう。基本的に多くの冒険者は、冬は休んでいることが多い。そのような者達に依頼をするとなると、当然のように普段よりも多くの報酬が必要だ」


 もっとも、と。その先の言葉はリベルテも飲み込む。

 普通であれば、それでいい。だが、今回は深紅の異名を持つレイとの模擬戦だ。

 もしかしたら面白がって、採算度外視で参加する者もいるかもしれない、と。

 そう暗に告げるリベルテに、レイは少しだけ興味深そうな表情を浮かべる。

 先程までは、全くやる気がなかった。

 それこそ、ケレベル公爵騎士団くらいの相手であれば、模擬戦をするような価値もあるだろう。

 別に自分の戦いが見世物になるというのに不満は……ない訳でもないが、それでも気にする程ではない。

 だが、リベルテの話を聞く限りでは、今回の話を持って来た貴族の殆どが雇うのは、雑魚と呼んでも間違いないような者達であるように思えた。

 それでやる気がなかったのだが、その相手が異名持ちや高ランク冒険者といった者であれば、話は別だ。

 幸い……という言い方はどうかと思うが、現在ケレベル公爵邸にいるレイは、特に何かやるべきことがある訳ではない。

 いや、エレーナやアーラといった面々と話をしたりお茶会をしたりといったことはしているが、それもいつもという訳ではなかった。

 エレーナには公爵令嬢や姫将軍としての仕事があり、アーラは護衛騎士団の団長としての仕事がある。

 特にアーラの場合は実戦や訓練ならともかく、事務仕事という面では半ばお飾りに等しい。

 それでも騎士団長である以上、目を通す必要があったり、決済をしなければならない書類がある。

 アネシスを離れている間に溜まっていたそれらの書類を処理しなければならない以上、アーラもレイと一緒に行動するといった真似は出来ない。


「父上。レイもまた冒険者であるというのは、忘れてませんか? もしレイに模擬戦をして貰うのであれば、それこそ何らかの報酬を約束すべきかと思うのですが」


 レイの様子を見て、模擬戦に対して前向きになったのだろうと判断したエレーナは、リベルテに向かってそう告げる。

 エレーナも、自分がどれだけ男に人気があるのかというのは、当然ながら分かる。

 だからこそ、今回の模擬戦は自分が連れて来たレイに思うところがある者達の仕業なのだろうというのは、容易に想像出来た。

 実際にはそれ以外の面々も入っているのだが。

 ともあれ、貴族の下らない面子の為の戦いに巻き込んでしまって模擬戦をやるのだから、そうである以上はせめて何らかの報酬を与えたいと、そう思ったのだ。

 リベルテも、自分達の都合からレイに模擬戦をやらせるのであれば……と、エレーナの言葉に頷きを返す。


「うむ、そうだな。ギルドを通して……いや、今回の件はあくまでも私事。であれば、ギルドを通さずに直接レイに依頼をしたという形にするべきか。……それで構わんかね?」


 普通なら、ギルドを通さない依頼というのは色々と怪しいところがあり、何らかの問題があっても自分で解決しなければならないということで、大抵の冒険者は避ける。

 もっとも、何があっても自分で解決出来るだけの実力を持っていたり、ギルドを通さないことによって少しでも報酬を増やそうと考えるような者にとっては話は別だったが。


「えーっと、俺は報酬が貰えなくてもやるつもりだったから、別に構いませんけど?」

「それはいかん。レイにそのつもりがなくても、他の者にとってはどう思うのか……それが問題なのだ」

「……なるほど」


 レイにしてみれば、特に問題はないだろうという判断だったのだが、レイを客人として迎えているリベルテにしてみれば、他の貴族達から疑われたり、侮られたりといった真似はしたくないと思うのは当然だった。

 貴族派を率いているケレベル公爵のリベルテだったが、それは盤石な体制という訳ではない。

 当然のように貴族派の中でも全員が一丸となっている訳でもないし、中には自分こそが貴族派を率いるべきと考えている者もいる。

 特に中立派と協調姿勢を取るようになってからは、そう考えている者は多くなってきている。

 それだけに、足下を見せるような真似はリベルテとして絶対に出来なかったのだ。

 その辺りの説明をする訳にはいかないが、それでも今回の一件でレイに報酬を支払うというのは模擬戦に引き出す以上、絶対に必要なことだとレイに説明する。

 レイもリベルテが全てを説明した訳ではないのだろうと判断しつつ、それ以上詳しく聞くような真似はしない。


「それで、報酬は何がいい? やはり金か? それとも……マジックアイテムを集めているという話を聞いたが、そちらが良いか? さすがに、うちに代々伝わっているような物は渡せないが……」


 マジックアイテムと聞いて、レイは少しだけ嬉しそうにする。

 だが、レイが何かを言うよりも前に、エレーナが口を開く。


「風魔鉱石はどうだ? 以前火炎鉱石を貰ったと言っていたが……」


 火炎鉱石が炎の魔力の封じ込められた鉱石であれば、風魔鉱石は風の魔力が込められたものだ。

 それなら火炎鉱石も火魔鉱石や炎魔鉱石でいいのではないかとレイは思うのだが……その辺りは語感だったり、最初に見つけた者のセンスなのだろう。


「風魔鉱石? あるのか?」

「うむ。どこにあるのかは教えることは出来ないが、鉱山がある」


 こうして、レイが貰う報酬は決まったのだった。

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