第1808話
自分に向かって真っ直ぐに突き出された槍を、レイは身体を微かに動かすことで回避する。
その一撃を放ったケレベル公爵騎士団の騎士は、レイが殆ど身体を動かさずに自分の槍の一撃を回避した為に、槍がレイの身体をすり抜けたのではないかとすら思ってしまう。
それでもすぐに気持ちを切り替えたのは、精鋭揃いのケレベル公爵騎士団の騎士だけはあるのだろう。
素早く手元に引き戻した槍で、再度レイに向かって突きを放つ。
ただし、今度放った突きはレイの顔ではなく、顔とは違って動かしにくい胴体を狙った一撃だ。
その一撃を、レイは右足を後ろに下げ、半身にすることで回避し……その後ろに下げた足で一気に前に踏み込み、男との距離を詰める。
男も当然そんなレイの行動に対応しようとするが、次の瞬間には眼前に突きつけられた拳を見て、自分の負けを認めた。
「そこまで!」
フィルマの声が訓練場に響き、相手の顔面の前で拳を放っていたレイは、そのまま後ろに下がっていく。
自分のすぐ目の前にあった拳が消えたことに、槍を持った男は安堵する。
そうして下がった後で、お互いに小さく礼をして模擬戦は終了した。
「レイ、お前なんであんな風に回避出来るんだよ!? お前の身体を槍がすり抜けてたぞ!」
レオダニスが、レイに近づいてくると驚きも露わにそう告げる。
戦っていた相手はまだしも、離れていた場所から見ていたレオダニスがレイの動きを認識出来なかったのは……単純に技量の問題だろう。
事実、何人かの者達はレイの動きをきちんと見えている者もいるし、見えていなくてもどのような行動を取ったのかを予想出来ている者は多い。
そういう面で、やはりレオダニスはまだケレベル公爵騎士団の中でも実力的にかなり下の方なのだろう。
……それでも他にも今のレイの動きを見ることが出来なかった者が何人かいたのを見れば、実力的に最下位という訳でもないのだろうが。
「俺がやったのは、そこまで難しいことじゃない。それこそ、フィルマなら普通に出来るだろ」
「フィルマ団長が出来るようなことを、普通の技術だって言われてもな……」
そんな風にレイとレオダニスが話していると、レイと模擬戦をしていた男が近づいてくる。
「レイ殿、お見事でした。正直なところ、ああまであっさりと突きを回避されることになるとは思いませんでした」
そう告げる男の視線には、尊敬の色があった。
ケレベル公爵騎士団にいるだけあって、この男も当然のように自分の槍の腕には自信があった。
だからこそ、あっさりと自分の突きを回避されたというのが、信じられなかったのだろう。
とはいえ、それでもレイの力を素直に認められる辺り、まだ強くなる素質があるとレイには判断出来たのだが。
ケレベル公爵騎士団というのは、実力主義で固められたエリート集団と言ってもいい。
そのような者達だからこそ、ミレアーナ王国の中でも屈指の精鋭として名を馳せているのだ。
それだけに、そのことに驕っているような者であれば自分のミスや相手の強さといったものを素直に認められない者がいてもおかしくはない。
だが、この男はあっさりと自分のミスを認め、レイの強さを認めたのだ。
(元々そういう性格の奴を選んで騎士団に採用しているというのもあるが、フィルマの教育の成果でもあるんだろうな)
強さに貪欲で、自分の負けも素直に次に活かすことが出来る。
そのような人物が集まっているこのケレベル公爵騎士団は、レイの目から見ても現状で十分に強いというのが理解出来たし、これからもまだ強くなるというのが理解出来た。
「すまないな、模擬戦をさせて」
「いや……構わない。こっちも身体を動かさないでいると、どうしても鈍るしな。それを思えば、寧ろ歓迎だ。……とはいえ、今日ここに来た目的は……」
「分かっている」
声を掛けてきたフィルマは、レイの言葉に頷きを返す。
元々、今日レイがこの訓練場までやってきたのは、フィルマからの伝言を貰った為だ。
フィルマと立ち会う前に感じた、以前どこかでフィルマと戦ったことがなかったかという、そんな既視感……いや、疑問。
それについて答える許可を貰ったということで、レイは今日この場に呼び出されたのだ。
正直なところ、レイとしてはその辺は気になっていたが、今となってはどうしても知りたいという訳ではない。
だが、ケレベル公爵邸にいて特にやるべきことがない以上、そのことを知るという選択をレイはした。
そうして以前にも来た訓練場までやってきたのだが……その結果として、待っていたのが何故か模擬戦。
もっとも、ラーメンの試食やエレーナやアーラとのお茶会、もしくはアネシスに出て周囲を見て回るといったことくらいしかやるべきことがない以上、レイにとってはそんな模擬戦でも暇潰しにはなるかと、寧ろ喜んで引き受けた。
数人の騎士と模擬戦を行い、そうして最後の相手が先程の槍を使った騎士だった。
「ちょっと待っててくれ。部下に訓練の指示をしてくる」
そう言い、フィルマは何人かの部下にこの後どんな訓練をすればいいのかといったことを指示し、戻ってくる。
「行こうか。……ここだと、人も多いからな」
「あー……それは否定出来ないな」
実際、周囲では訓練をしながらも、レイとフィルマのやり取りに意識を集中している者が何人もいるのが分かる。
自分達の騎士団長と、深紅の異名を持つレイ。
そんな二人にどのような因縁があるのか、気にならない方が嘘だろう。
だが、フィルマがレイと戦った件は、当然のように機密だ。……実際にはエレーナが気にしているレイという人物がどのような相手なのかを手っ取り早く調べる為に戦ったのだから、機密という程ではないのかもしれないが……いや、リベルテやフィルマにしてみれば、私情で動いたのだからそれを知られたくないという意味で機密と言ってもいいのかもしれない。
ともあれ、その辺の話を人に聞かれる訳にはいかないフィルマに連れられ、レイは訓練場を出ていく。
「どこに行くのか聞いてもいいか?」
「そこまで心配する必要はない。あそこだ」
前を進むフィルマが指さしたのは、少し離れた場所にある部屋。
恐らく訓練で疲れた者達が休憩するのだろう場所。
もしかしたら面倒なことになるのかもしれないと思ったレイだったが、幸いにも近くの部屋ということで、思ったよりは面倒ではなかったらしいと安堵する。
とはいえ、訓練場から少し離れた部屋の中に入ったからといって、それで安心出来るという訳でもなかったのだが。
部屋の中に入ると、フィルマは部屋にあったコップに水入れから水を入れ、テーブルの上に置く。
今日は偶然雪が降っていないが、それでもいつ雪が降ってもおかしくない寒さだ。
そんな中で出される飲み物として、水というのはどうかと一瞬思わないでもないレイだったが……簡易エアコンの能力があるドラゴンローブを着ているレイにとって、この程度は何の問題もない。
テーブルに座ってから水を一口飲んで、先程の模擬戦の疲れを癒やし、改めてレイは自分の目の前に座っているフィルマに視線を向け、口を開く。
「さて。それで早速だけど本題に入ってもいいか? フィルマの様子を見る限りでは、間違いなく以前俺と戦ったことがあった筈だ。それについて聞かせて貰えると思っていいんだよな?」
「そうだ。……私は間違いなく、レイと戦った経験がある」
やはり、か。
そう内心で納得しながらも、レイはフィルマに視線で話の続きを促す。
「それで? どこで俺と戦ったんだ? フィルマみたいに特徴的な奴なら、一目見れば忘れられないと思うんだけど」
フィルマは、特別に美形だったりする訳でもなければ、驚く程の巨体という訳でもない。
騎士として……そして他国にまで名前が知られているだけあって屈強な身体をしてはいるが、フィルマよりも大きな者は、それこそ幾らでも存在するだろう。
それでもフィルマを一目見れば忘れないと思うのは、フィルマから放たれている雰囲気とでも呼ぶべきものが一種独特なものだったからだ。
(フィルマも俺と戦っているって言ってたし、そうなれば絶対に戦ってた筈なんだけど……本当に、どこでだ?)
自分の経験と勘から、一度戦っているのは間違っていないと思えた。
フィルマの口からもそれを肯定する言葉が出ている以上、間違いない。
だが……それでも、どこで戦ったのかというのは、あまり思い出せない。
「アゾット商会」
悩んでいるレイの前で、フィルマが単純にそれだけを言う。
その名前を聞いたレイは、数年前のことを思い出す。
それは、セトという存在やマジックアイテムに目が眩んだ男がレイにちょっかいを出した話。
結果としてレイにちょっかいを出してきた男は破滅を迎え、現在のアゾット商会はその男の異母弟が代表を務めている。
その時の戦いを思い出し……やがて次の瞬間、頭の中にあったピースが次々と組み合わさっていき、その騒動で戦った中の一人が思い浮かぶ。
「あの、フルプレートメイルを着ていた奴か!」
それは、アゾット商会に乗り込んだ時に戦った相手。
全身鎧に身を包み、顔も全く確認出来ない……それでいて、非常に強力だった敵。
そうして思い出せば、フィルマの身のこなしは、あの時に戦ったフルプレートメイルの相手と酷く似通っていたと思い出す。
「思い出したようだな。……正直なところ、こうして勿体ぶって、実は忘れられていたらどうしようかと思ったんだが」
普通であれば、フィルマ程の強敵と戦った記憶というのはそう簡単に忘れたりはしない。
だが、レイの場合は数年で、普通の冒険者なら一生掛かっても経験出来ない程に濃厚な体験をしている。
それこそ、強敵という意味であれば、ランクS冒険者やランクSモンスターといった存在とも戦っているのだ。
フィルマも間違いなくレイが戦ってきた中では上位に入る猛者だが、それでもそれ以上に強力な者達と何度となく戦ってきたレイにしてみれば、その印象が薄くなってしまっても仕方がないだろう。
「忘れる訳がないだろ、強敵だったんだから。……まぁ、他にも強敵は一杯いたのは間違いないけど。……で? 何だってフィルマがアゾット商会に協力してたんだ? もしかして、ケレベル公爵家がアゾット商会と手を組んでたなんて言わないよな?」
今でこそミレアーナ王国とベスティア帝国は友好的な関係となっている。
だが、それはあくまでも表面上、もしくは表向きというだけの話だ。
長年争ってきた両国にとって、今は平和の時期ではなく次に行われる戦争の準備期間と認識している者も多いだろう。
そんな状況だけに、ベスティア帝国の錬金術師と手を組んでいたアゾット商会が、実はケレベル公爵家とも関係があったとなれば、それは一大事となる。
しかし、そんなレイの言葉に、フィルマは黙って首を横に振る。
「いや、ケレベル公爵家は勿論、私もアゾット商会とは関係していない。レイがアゾット商会と対立しなければ、恐らく私はあの場にはいなかっただろう。……もっとも、その場合は他の場所でレイと戦った可能性が高いが」
「……何?」
それは、アゾット商会云々とは関係なく、純粋にレイと戦うことこそが目的だったと、そう言っているに等しい。
だが、何故そのようなことをしたのか……それがレイには分からない。
「何故そのような真似をする必要がある? あの当時は別に貴族派と揉めていた訳でもないし……考えられるとすれば、継承の祭壇の件か?」
「そうだ。詳しい理由は説明出来ないが、その一件に関連するのは間違いない」
そう告げるフィルマだったが、実際にはエレーナが初めて気にした男がどういう相手なのかを確認するという意味合いの方が強かった。
継承の祭壇について色々と話されるのは困るので、その辺を確認するという意味もなかった訳ではないが……理由としては、圧倒的に前者の方が大きい。
だが、リベルテやフィルマの性格を詳しく知らないレイにとっては、やはりフィルマが自分に戦いを挑んできた理由としては継承の祭壇の件という認識が強い。
事実、フィルマはレイにその一件に関係するのは間違いないと、そう告げているのだ。
誤魔化してはいるが、それは職務故だろうと。レイはそう判断する。
「そうか。ただ、一応言っておくが、俺は別にあの件を誰かに言うつもりはないぞ。そもそも、俺が喋らなくても知ってる奴は知ってるだろうし」
レイ達が継承の祭壇にあるダンジョンに潜った中に、ヴェル・セイルズという人物がいた。
その人物は最終的にベスティア帝国に亡命しており、その際に知ってる情報は軒並み向こうに伝えたと思われるからだ。
それこそ継承の祭壇については、レイよりも詳しくてもおかしくはなかった。
そう思っていたレイの考えを、フィルマも半ば理解していながら……意図的にその誤解を解くような真似をせず、ただ頷きを返すのだった。
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