第1786話
ケレベル公爵一家との食事会は、無事に終わった。
そのことに安堵しながら、レイはベッドに寝転がっていた。
「取りあえず、何とか第一関門は突破、か」
エレーナの両親との初対面は、それなりに上手くいったと思っている。
だが、それはあくまでもレイがそう思っているだけで、実際にどうだったのかということは、まだ分からない。
とはいえ、ケレベル公爵やその妻のアルカディアとの様子から考えて、少なくても大失敗といったことはなかった筈だった。
(その点では、ゲオルギマに感謝だな)
色々と突っ込みたくなるような料理を食べさせられ、それが原因となってケレベル公爵との突っ込んだ話はしなくてもよかったのだから。
……もっともエレーナに関することである以上、いずれ絶対に突っ込んだ話をする必要がある訳で、結局はその時まで幾らかの猶予が出来ただけというのが正確だったのだが。
レイもそれは理解していたが、初対面でいきなりそこまで話が進むというのは、勘弁してほしかったというのが正直なところだ。
(取りあえず、明日から何日かは特にやるべきことはないから、セトの様子でも見にいって……)
アネシスは初めての場所だし、イエロが一緒にいてくれるとエレーナから聞いてはいるが、それでもやはり顔は見ておきたい。
そんな風に思いつつ……レイはやがてベッドの暖かさには逆らえず、そしてエレーナの両親との食事会を無事に終えたという解放感から眠りに落ちていくのだった。
「どう思った?」
レイが眠りに落ちた頃、ケレベル公爵は寝室で妻と共にワインを飲みながら夫婦の時間を楽しんでいた。
干し肉――ただしゲオルギマが作った特上品――を食べながら尋ねる夫に、アルカディアはこちらもまたワインの香りを楽しみながら、手に持っていたグラスをテーブルの上に置く。
「どう、とは。レイのことかしら?」
「そうだ。私の目から見た限りでは、それなりの男には思えた。事実、これまでにも様々な功績を残してきているしな」
「……けど、それはあくまでも冒険者として、でしょう? 私も彼の情報は色々と集めているけど、とても貴族には向いてないと思うわ」
アルカディアも、愛娘のことが関係している以上は当然のようにレイの情報は集めていた。
レイとの会話ではそれを露わにすることはなかったが、レイの大体の経歴については知っていたのだ。
それこそ、レイという人物はこの数年で一気に有名になった。
それ以前は山奥に住む魔法使いの下で修行をしていたということになっているが、エレーナの母のアルカディアとしては、それを素直に信じる訳にもいかない。
とはいえ、今日話してみた感じでは、そのような腹芸を出来るような相手にも思えなかったが。
それでも怪しいところがある以上、完全に信じることが出来ないのは間違いない。
「そうだな。……私も色々とレイについての情報は集めていた。その情報から、貴族としてやっていくのはまず無理だと判断した。戦闘ではとんでもなく有能なのだが、な」
ベスティア帝国との戦争の件を見る限り、貴族として戦う上で先頭に立って戦うという意味では文句なく一流……いや、それ以上の実力を持っているだろう。
アイテムボックスを持っているというのも、貴族として考えれば間違いなく有益だ。
グリフォンを従魔にしており、非常に素早く移動出来るのも大きい。
だが……肝心の貴族としての仕事が出来るとは、到底思えなかった。
レイはあくまでも人に使われるという形で動くのを最も得意としている。
それが、レイと話してケレベル公爵が得た確信だった。
何よりレイが貴族としてやっていけないと思うのは、その苛烈な性格だ。気にくわない相手であれば貴族であっても容赦なく実力行使をするというのは、貴族としてやっていくには致命的と言ってもいい。
冒険者であればともかく――勿論冒険者が無条件で貴族に暴力を振るってもいいという訳では決してないが――貴族がそのような真似をするというのは、致命的な行いだ。
貴族の中には平民をゴミ同然、それこそ放っておいてもすぐに増えると思っているような者も存在するのだが、まさかそれを貴族派を率いている者が出来る筈もない。
「貴族にとって、戦場に出ることは多くあるわ。けど、それよりも領地を運営し、繁栄させていくことの方がもっと重要よ」
穏やかな口調ではあったが、アルカディアは強い確信を持ってそう告げる。
実際、アルカディアが普段からアネシスにいないのは、ケレベル公爵領という領地をより発展させる為というのが大きい。
ケレベル公爵としては、出来れば妻には自分の側にいて欲しいというのが本音なのだが……実際にアルカディアのおかげでケレベル公爵領の治安も以前に比べると改善し、商人も多く集まるようになって発展している村や街が多くなっているのも事実なのだ。
こうして結果を出している以上、ケレベル公爵としては妻の行動を止めることは出来なかったし、止めるつもりもなかった。
愛する妻ではあるが、ケレベル公爵は……いや、リベルテ・ケレベルはケレベル公爵という立場にあるのだ。
それこそリベルテの判断一つで数千、数万、もしくはそれ以上の者達の命運が決まる以上、私人よりも公人としての立場を優先する必要がある。
貴族として的外れなプライドを持っている者であれば、それがどうした? と言って好き勝手に振る舞ってもおかしくはない。
だが、生憎と……そして幸運なことに、リベルテは貴族としては珍しい程の倫理観を持っており、それは妻のアルカディアもまた同様だった。
リベルテがそのような性格だからこそ、貴族派はケレベル公爵が率いる派閥としてミレアーナ王国の三大派閥に数えられるまでの勢力になったのだろう。
もしこれでリベルテが貴族としては的外れなプライドを持っているような性格であれば、ケレベル公爵家は公爵家というままであっても、今のような勢力を持つことは出来なかったのは間違いない。
「そうだな。……そういう意味では、エレーナもまた貴族としては及第点程度なのかもしれないが」
「ふふっ、そうね」
社交界の類に興味を示さず、自らの強さを求めているエレーナも、貴族という点から考えれば異端と言うべき存在だった。
もしこれでエレーナの上に姉や兄といった存在がいるのであれば、エレーナの態度は褒められこそすれ、眉を顰められるようなことはなかっただろう。
だが、今のエレーナはケレベル公爵家唯一の正統な血筋を引いている者なのだ。
本来であれば、既に次期ケレベル公爵としてのリベルテの仕事の手伝いを、もしくはアルカディアと行動を共にしてケレベル公爵領を見て回り、改善出来るところは改善するといった仕事の手伝いをしていてもおかしくはない筈だった。
いや、していなければおかしいと言うべきか。
もしくは、婿養子を迎えるか。
既にエレーナも二十代なのだから、貴族としては結婚していてもおかしくない年齢なのだから。
だが……今のエレーナが、そのようなことに興味を持てるとは思えない。
娘の有能さは両親共に理解はしているが、その幸せを考えれば貴族としてやっていけるとは思えない。
いや、寧ろエレーナの器の大きさが貴族程度では収まらないと表現すべきか。
だからこそ、リベルテはエレーナにエンシェントドラゴンの魔石を継承するように命じた。
正直なところ、恐らく継承の儀式は失敗するだろうという思いがあったのも事実だったが……結果として継承の儀式は多少の問題はあれど大体は成功した。
(後継者、か。遠縁の者を養子にでも)
リベルテは頭の中でケレベル公爵に連なる家の有能そうな者達を思い浮かべる。
だが、そんな風に考えているリベルテの手に、不意にアルカディアの手が添えられた。
「どうした?」
「いえ、レイが言っていたでしょう? エレーナを自由にするのであれば、もう一人子供を作ればいいと。……下手に養子を貰うよりも、私もその方がいいと思うわ。そう思わない?」
妻が何を要求しているのか、リベルテはすぐに理解した。
そうして座っていた椅子から立ち上がると、妻を連れて……ベッドに向かうのだった。
「グルルゥ!」
「キュ? キュウ、キュウ!」
夜の厩舎にセトとイエロの鳴き声が響く。
食事もしっかりとした料理が出され、それを満足するまで食べたセトとイエロは、何となく眠る気にもなれず、厩舎の中で遊んでいたのだ。
幸いにも、この厩舎の中には現在セトとイエロの二匹だけなので、夜にこうして遊んでいても他の動物に迷惑を掛けるようなことはない。
……実際には、セトを厩舎に入れるということで、本来この厩舎に入っていた馬を含めた他の動物は、全てが別の厩舎に移された……というのが正確なのだが。
もっとも、厳しく訓練された馬であればまだしも、普通の馬がセトと一緒の場所にいて緊張しない訳がない。
ある程度の期間一緒にいれば、馬の方も慣れるのだろうが……それよりも最初から厩舎を別々にしておいた方がいいのは確実だった。
訓練された馬も、セトと一緒にいて怯えるようなことはないが、それでもストレスを感じない訳ではないのだから。
そういう意味では、ケレベル公爵領で馬の世話を任されている者達は最適な判断をしたと言えるだろう。
「グルゥ?」
「キュ! キュキュキュ!」
そして他の馬がおらず、セトとイエロの二匹だけだからこそ厩舎を自由に使うことも出来る。
馬の扱いを任されている者達も、セトが自由に動けるようにと厩舎の中にあった仕切りを外しており、現在はこの厩舎そのものがセトの部屋といった感じになっていた。
セトを……正確にはグリフォンを扱うのは当然のように初めてだったが、それでもセトは高い知能を持っており、無闇に暴れるといった真似をしなかったこともあって、特に騒動もなく無事に引っ越しは完了した。
とはいえ、それでもセトという存在をまだ怖がっている者が多いというのも、間違いない事実なのだが。
「グルルルルルルルルルゥ!」
「キュ! キュウ、キュウ!」
広くなった厩舎の中を、セトとイエロは走り回る。
当然ながら明かりの類は厩舎にはない。
だが、セトとイエロであれば微かに入ってくる月明かりで十分厩舎の中を見回すことが出来たので、問題はなかった。
ケレベル公爵家の厩舎だけあって、建物は相応に広い。
それこそ、セトとイエロが走り回っても問題ないだけの広さはあった。
……もっとも、セトが本気で走り回ったりするようなことにでもなれば、厩舎の広さは絶対に足りないので、あくまでもイエロと遊ぶ程度で走り回れるといった程度の広さなのだが。
薄暗い中を走り回るという行為が気に入ったのか、セトとイエロは嬉しそうに厩舎の中で追いかけっこをする。
時にはイエロがセトを、また時にはセトがイエロを。
そんな風に遊び回っていた二匹だったが……不意に、セトがイエロを追い掛けていた足を止めて厩舎の外を見る。
数秒遅れ、イエロもセトの見ている方に視線を向けた。
とはいえ、二匹の視線に敵意や警戒の色はない。
何故なら、厩舎の外にある気配はセトもイエロも知っている者達の気配だったからだ。
「グルゥ?」
「キュ!」
行く? 勿論!
そう短く鳴き声を交わした二匹は、そのまま厩舎の扉に向かう。
ここまで急いだのは、見知った気配だからというのもあるが、それ以上に漂ってくる香りが原因だろう。
夕食はきちんと食べたのだが、それも数時間前だ。
セトもイエロも、我慢出来ない程ではないが少し小腹が空いていた。
特に今の今まで厩舎の中を走り回って身体を動かしていたのだから、それも仕方がないのだろう。
そして、扉が開き……
「おっと」
「ちょっ、エレーナ様!?」
いきなり自分の方に向かって突っ込んできたセトとイエロに、エレーナは驚きの声を上げる。
エレーナの側にいたアーラは、そんなエレーナを庇おうとするものの……その前にセトとイエロは足を止めた。
「ふふっ、セトもイエロもそんなに空腹だったのか? アーラ」
エレーナの言葉に、アーラは若干不満そうな表情を浮かべつつも手に持っていた料理の入った皿を地面に置く。
その料理は、今日の夕食会で出されたものの余り。
本来なら、ゲオルギマの作った料理は余ったものであっても他の料理人達が自分の勉強の為に……何よりもその技術を学ぶ為に先を競って食べる筈だった。
こうして多少なりともセトやイエロの分があるのは、前もってエレーナがゲオルギマに言っておいた為だ。
セトはレイの相棒なのだから、レイと同じ料理を食べる権利があると言って。
メインで作った肉は、手間が掛かりすぎるので用意出来なかったが、それ以外の料理はきちんと残されてあった。
「少し量が足りないかもしれないが、許してくれ」
そう告げるエレーナに、セトとイエロは気にしないでとそれぞれに鳴き声を上げるのだった。
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