第1785話

 食卓の雰囲気が若干和らいだのを見計らったかのように、食堂の扉が開く。

 メイドが持って来たのは、メインとなる肉料理。

 扉が開いた瞬間に、食欲を刺激するような香りが周囲に漂い、それを嗅いだ者は思わず笑みを浮かべる。

 食べなくても、間違いなく料理は美味いと。そう理解したからだろう。

 だが……運ばれて、直接目の前に姿を現した料理を見たレイは……いや、エレーナを含む他の面々も拍子抜けしたような表情を浮かべる。

 当然だろう。目の前に出された料理は、それこそ肉を焼いただけの代物でしかなかったのだから。

 もしゲオルギマのことを何も知らない者であれば、それこそふざけるな! と怒鳴ってもおかしくはないだろう料理。

 そうならなかったのは、ケレベル公爵を含めてこの場にいる全員が……それこそレイも含めて、ゲオルギマの料理の腕を信じていたからだろう。

 事実、スープ、サラダ、パン、それ以外にも様々な前菜が用意されていた料理は、そのどれもが非常に美味かったのだから。

 それだけの料理を作り出したゲオルギマが、ただ焼いただけの肉を出すなどとはとうてい思えなかった。

 何より、あれだけ料理に固執するゲオルギマだ。

 それこそ、このような場でふざけるような真似は絶対にしないというのは確実だった。

 ましてや、レイに心の底から美味いと思わせれば、未知の料理を教えて貰えるのだから、そんな状況で手を抜くわけがない。


「……私がまず食べてみよう」


 最初にそう言ったのは、ケレベル公爵。

 普通であれば、それこそまず他の誰かにその料理を食べさせ、その後で自分が食べるといったことをするべき人物だ。

 それでもケレベル公爵が真っ先に自分が食べると言ったのは、それだけゲオルギマを信頼しているからこそだろう。

 ……そのような状況であっても、ここでそのような真似をするのは不用心と呼ぶべきなのだが。

 ともあれ、メイドが取り分けた肉を口に運び……


「っ!?」


 その肉を口に運んだ次の瞬間、ケレベル公爵の動きは止まる。


『……』


 そんなケレベル公爵の様子を、レイとエレーナ、アルカディアの三人はじっと見つめる。

 もし不味ければ、もしくはそこまで美味くなければ、ケレベル公爵ならすぐにでも何かを言う筈だった。

 だが、そのような真似をしていない以上、一見すれば焼いただけにしか見えないこの肉が、それだけのものではないということの証だろう。

 そしてケレベル公爵が肉を口に運んでから数秒。やがて、ようやく肉の味を噛みしめるようにし……飲み込む。


「ぷはぁっ!」


 肉を飲み込んだ後に出す声とは思えぬ、そんな声がケレベル公爵の口から出る。

 それこそ、まるで汗を掻いた男が冷えたビールか何かを飲んだ時に出すような、そんな声。

 まさかケレベル公爵の口からそのような声が出るとは思っていなかったのか、妻のアルカディアや娘のエレーナ、そしてメイドですらもケレベル公爵に信じられないといった視線を向けていた。


「貴方?」

「……取りあえず食べてみなさい。そうすれば、私の行動の意味が分かるだろう。この味は言葉で口にしても説得力がない。自分で感じて、初めてしっかりと理解出来る味だ」


 そう言うと、ケレベル公爵は口の中にあった料理の後味を洗うかのように、ワインを口に運ぶ。

 その言葉に促され、エレーナがメイドの切り取った肉を口に運び……次の瞬間、ケレベル公爵と同様に言葉が出なくなる。

 そんな様子を見せられれば、まだ肉を食べていないアルカディアとレイの二人も肉に興味を示すのは当然だった。

 一見すれば、それこそただ焼いただけの肉にしか見えない。

 だが、そのような料理を食べただけでケレベル公爵やエレーナがこのようになるとは思えない以上、当然それはただ焼いただけの肉である筈がない。

 奇しくも……いや、必然的な流れでと言うべきか、レイとアルカディアの二人は、身体の中から湧き上がる好奇心に負けて皿の上にある肉を口に運ぶ。


『っ!?』


 瞬間、レイとアルカディアは揃って衝撃を受けた。

 まず最初に口の中に広がったのは、爽やかな風味。

 次いで肉の味が一瞬にして口の中に広がるのだが、その肉はどのような調理法をしたのか、一噛みごとに肉の味を変えていく。

 香辛料を利かせた味かと思えば、脂の甘みや、食欲を刺激するような酸味、濃厚な肉そのものの旨み。

 かと思えば、次の瞬間には濃厚な貝か何かの強い味が口の中にも広がり、長時間煮込んだ魚介スープの味を楽しむことが出来る。

 間違いなく口の中に入っているのは、一切れの焼いただけにしか見えない肉なのだ。

 にも関わらず、肉だけで口の中には様々な味が広がり……それこそ、一切れの肉を食べただけでコース料理を食べたかのような満足感すら広がっていた。


「……これは……凄い……」


 自然とレイの口から感想が出るが、それに異を唱えるような者はいない。

 複雑な味を一つの食材に込めるということだけであれば、それ程難しくはない。

 だが、そのような真似をすれば、それこそ料理に味が全て混ざって、とてもではないが美味いと呼べるような料理ではなくなってしまうだろう。

 ましてや、人それぞれによって食べ方が……肉を噛む場所だったり、味わったりする場所は違う。

 にも関わらず、目の前にある肉は味が混ざることもないまま食べる者に美味いという満足感を与える。

 どのような調理をすればこのような味になるのか、レイには全く予想も出来ない。

 ましてや、肉は最初からそれぞれに用意されたのではなく、メイドがそれぞれの皿に取り分けたものなのだ。

 メイドがどの肉を誰に渡すのか、ゲオルギマに前もって言われていた可能性はあるが……それにしても、そこまで正確な真似が出来るのかと言われれば、レイも首を傾げざるを得ない。


(そもそも、どうやってこんな味付けにしたんだ?)


 そこからして、レイにはそもそも理解出来ない。

 自分に同じことをやれと言われても、とてもではないがそのような真似が出来るとは思えないのだ。

 レイもこの世界に来てから色々と料理を食べてきた経験もあり、詳細な調理法は分からなくても、恐らくこうだろうなと想像することは出来る。

 その想像が合ってるのか間違っているのかはともかくとして、そのように想像出来るのだが……目の前の皿に載っている肉を見ても、どのようにすればこのような料理になるのかというのは、全く想像出来ない。

 それこそ、見た目は本当にただ焼いた肉にしか見えないのだ。


(いや、寧ろこれだけの料理の腕があるからこそ、ケレベル公爵が雇っていると考えるべきだろうな)


 稀少な食材を使った豪華な料理ということであれば、それこそある程度――それでも一流と呼ぶべき腕は必要だろうが――作ることは出来るだろう。

 だが、食べた者にどのような調理をすればこのような味になるのか、それを悟らせないような料理を作るというのは、それこそ超一流と呼ぶべき腕の持ち主だというのが、レイの予想だった。


「これは……ゲオルギマの料理は今まで何度も食べてきたが……これ程驚かされたのは初めてだな。全く」


 ケレベル公爵が新たに肉を口の中に運び、変幻自在に、そして七色に変化する味を堪能しながら呟く。

 その口調に悔しさと満足感という二つの感情が混ざっていたのは、自分が今まで用意した食材ではこれだけの料理を作らせることが出来なかったからか。

 そして、レイという人物と出会っただけで……その中にある未知の料理を求めた結果、これだけの料理を生み出した……そう、ゲオルギマは全く新しい料理を生み出したのだ。

 少なくても、ケレベル公爵はその立場から今まで様々な料理を食べてきたが、このような料理を食べたのは人生で今日が初めてだ。

 そのことを嬉しく思うと同時に、悔しくも思う。


(俺にとっては、若干ラッキーだったか?)


 とてもではないが普通に調理したとは思えない肉料理を食べながら、レイはそんな風に思う。

 肉を食べる前にあったケレベル公爵の雰囲気が、一時的にとはいえ消えたのが嬉しかったのだろう。

 話の重大さを考えれば、結局それは一時だけのものにしかすぎず、いずれはエレーナの去就――という表現はこの場合は正しくないのだろうが――について話す必要が出てくるのは間違いない。

 それでも、一時的に皆の意識が料理に向いたのはレイにとって一息吐いたといったところだった。


「貴方、ゲオルギマは……どうやってこのような料理を作ったのかしら? 私も料理はそれなりに嗜む方だけど、どうすればこのような料理を作れるのか全く想像出来ないわ」


 夫に尋ねるアルカディアだったが、普通貴族の子女で料理を趣味にするような者というのはそれ程いない。

 いや、本当に貧乏な……それこそ一般庶民と大差ない生活をしている、名前だけの貴族であれば話は別だが。

 しかし、アルカディアはケレベル公爵夫人。ミレアーナ王国の中でも王族に次ぐ爵位を持つ公爵の妻なのだ。

 そのような立場にある者が料理をやると言っても、普通なら止められる。

 ……それでもやり通すのが、アルカディアの凄いところなのだが。

 おまけに、アルカディアはそちらの方面での才能もあったのか、その辺の料理人よりは余程美味い料理を作る。

 それこそ、アルカディアの料理を食べたゲオルギマが、その腕を惜しがったといえばどれだけの料理の腕なのか想像するのは難しくないだろう。


「そう言われてもな。アルカディアに分からないのが、私に分かる訳もないだろう」


 妻のアルカディアとは違い、ケレベル公爵はそこまで料理について詳しくはない。

 とはいえ、それはあくまでもアルカディアと比べての話だ。

 一般的に見れば、ケレベル公爵も料理については十分に深く、貴族としての一般教養以上の知識を持っている。


「父上、母上、後でゲオルギマに聞いてみればよいのでは? あの者なら、嬉々としてどう調理したのかを教えてくれましょう」


 一般的に高い技術を持っている者というのは、その技術を自分だけで独占したがる者が多い。

 だが、ゲオルギマはそのようなタイプではなく、それこそ自分の知識や技術を広げることを厭うことはない。

 寧ろ、自分の技術を下敷きにしてより発展するということを望んですらいる。

 もっとも、ゲオルギマを上回る技術を持つ者がそういる筈もなく、結局は常にゲオルギマが料理の最先端を進んでいるのだが。


「それもいいが……聞いても、理解出来るのかどうかが、微妙なところだな。本当に、何をどうすればこのような調理が出来るのか」


 しみじみと呟きながら、再びケレベル公爵は肉を口に運ぶ。

 そして再度口の中で繰り広げられる、肉による様々な味のコース料理。

 肉でいながら野菜や魚介類の味も楽しめるというのは、普通ならまず出来ない体験だ。

 しかも食べるのが肉の一切れである以上、コース料理を食べてもまだ幾らでも食べることが出来るということになる。

 それでいながら、肉を食べているという満足感も十分に得ることが出来るのだから、まさに不思議な料理と表現する他はない。

 おまけに、肉によっては微妙に味が変わっているのだ。

 例えば片方の肉は魚の味がするのに対して、もう片方はカニやエビの味がするといったように。

 つまり、食べれば食べただけ違うコース料理を楽しめるようなものであり……そんな料理に皆が舌鼓を打っていると、やがて食堂の扉が開く。


「おう、今日の料理はどうだった? 心の底から美味いと思ったか?」


 食堂の中に入るなり、そうレイに声を掛けてきたのは、当然のようにゲオルギマだった。

 ケレベル公爵の返事の前に扉を開け、しかもこの家の当主のケレベル公爵を無視してレイに声を掛ける。

 普通に考えれば礼儀知らずと言われても当然の行為だったが、ゲオルギマの料理を心の底から堪能した以上、文句も言えない。

 このような態度を取っても許される、それだけの料理をゲオルギマは出したのだから。

 ……もっとも、ケレベル公爵を含めてレイ以外の者は全てがゲオルギマが常にこのような態度だと知っている。

 唯一の例外が、自分に対してはともかく、まさかケレベル公爵にまでこのような態度をとっているのだと知らなかったレイだ。

 だが、それでもすぐに周囲の様子から特別なことではないと知り、改めてゲオルギマに視線を向け、口を開く。


「ああ、正直ここまで美味い……いや、それだけじゃないな。衝撃や驚きを受けた料理ってのは初めてだよ」

「はっはぁ。だろう? これだけ手の込んだ料理を作った甲斐はあったな。この料理、作るのに料理の技術は前提として、それ以外にも稀少な食材やらマジックアイテムやら錬金術師の協力やら、それ以外にも様々なものを揃える必要があるんだぜ? これで驚いて貰わなきゃ、俺は自信がなくなっていたよ。それで? どんな料理を教えてくれるんだ?」


 期待に目を輝かせて尋ねてくるゲオルギマに、レイはしょうがないと、この食事の前に考えていた料理の名前を口にする。……ラーメン、と。

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