第1784話

 美味いけど味を十分に楽しめないという、幸福なのか不幸なのか微妙に分からない食事会は、まだ続いていた。

 正確にはまだ前菜を食べている最中である以上、ようやく食事が始まったと言うべきなのだろう。


「レイ、少し聞きたいのだが、エレーナはギルムにいる間はどうだった?」


 ジャガイモに似た、それでいて明らかに違う別の野菜のポタージュを味わっていたレイに、ケレベル公爵は不意にそのように尋ねる。

 テーブルマナーとして音を立てずにスープを味わっていたレイは、いきなりの質問にどう答えればいいのか迷う。

 どう答えればいいのか、迷ったからだ。

 迷い、エレーナに視線を向けたレイは、その本人が頷いたのを見てから口を開く。


「かなり積極的に協力してくれました。おかげで、その……妙な妨害も少なくなりましたし」


 この場合の妙な妨害というのは、当然ながら貴族派の貴族が行っていたことだ。

 ケレベル公爵もそれは当然知っているのだが、それは一切表に出すような真似をせずに頷く。


「そうか、それは何よりだ。ラルクス辺境伯とは最近色々と付き合いが多くなってな。それだけに、彼の拠点が大きくなるのを邪魔する相手がいるというのは、心配していたんだ」

「エレーナのおかげで、その辺の心配がなくなったのは大きいですね」

「……エレーナ、か」


 レイの言葉に、ケレベル公爵はゆっくりとそう呟く。

 その視線が向けられているのは当然のようにレイだったが、その目に大きな力が宿っていた。

 そんなケレベル公爵を見て、レイはここでようやく自分の失敗に気が付く。

 普段はエレーナを呼び捨てにしているレイだったが、ここは普段の場ではない。

 そう、エレーナの両親が揃っている場所なのだ。

 そのような場所でエレーナを呼び捨てにするということは、深い意味を持つ。

 少なくても、今までそのような真似をした者はいなかった。

 ……エレーナの美しさや強さ、ケレベル公爵家の財力や権力を欲して婚姻を希望した者達ですらも、そのような真似を出来た者はいない。

 それだけケレベル公爵という人物は恐れられており、それこそ下手をすれば物理的な圧力すら感じられるのではないかという、プレッシャーを与えられるというのも大きい。

 レイもまた、しまったと思ったものの、一度口にした言葉をどうにか出来る筈もない。

 ましてや、どうにかしようとも思っていなかった。

 だからこそ、ケレベル公爵から再度発せられた圧力を感じつつも、頷きを返す。


「はい。エレーナのおかげで色々と助かりました。……もっとも、それ以外にもレーブルリナ国の件とかで色々と助けて貰ったのも大きいですが」


 ピクリ、と。

 レイの口から出たレーブルリナ国という言葉を聞いた瞬間、ケレベル公爵の隣にいるアルカディアから殺気にも似た気配が発せられる。

 それは、ケレベル公爵が発しているものとは似て非なるもの。

 そんな気配を感じつつ、レイは恐る恐るといった様子で口を開く。


「アルカディア様、何か?」

「……いえ。レーブルリナ国の件については、私も聞き及んでいます。具体的に何をどうやっていたのかということも」


 口元には笑みを浮かべているアルカディアだったが、その目は全く笑っていない。

 得体の知れなさを持つアルカディアだけに、今のような状態を見れば背筋が冷たくなってしまう。

 もしここで何か下手なことを言えば、何か最悪な結末をもたらしそうな気すらしてくる。


「母上、もしかして母上のいた場所からも、誰か被害者が……?」

「どうかしら。行方不明になった人がいるというのは聞いているけれど、それが全てエレーナ達が関わった件に巻き込まれたとは限らないもの」


 そう告げるアルカディアだったが、実際にはどう思っているのかは、その目が物語っていた。


「貴方。レーブルリナ国に交渉団を送るという話になってましたが、それはどうなっているのですか?」


 軽く尋ねただけといった様子ではあったが、その視線に込められた圧力は強い。

 それでもアルカディアの夫だけあって、ケレベル公爵は特に気にした様子もなく口を開く。


「こういうのには、色々と根回しが必要なんだ。それはアルカディアだって分かっているだろう? 恐らく正式な交渉団は、春に出発という形になるだろうな」

「……中立派の方では、かなり昔に出発したと聞いてますが?」

「それはしょうがない。この一件はギルムで明らかになったのだから。ここで下手に手をこまねくような真似をすれば、それこそ向こうに足下を見られかねん。もっとも、向こうがそのような行動に出る前に報復行動を行ったのだし、それにエレーナが一緒にいたことで貴族派としての面子は立ったのだがな」


 そういう意味では、レーブルリナ国の件で一番遅れをとったのは国王派だった。

 とはいえ、国王派は直接レーブルリナ国の件に関わっていた訳でもないのだが。

 それでも最大派閥であるということから、面子を潰されたのは間違いない。

 そして誰がレーブルリナ国まで向かうのかといった人員の選出にも手間取り、結果として来春以降に使節団が派遣されることになったのだ。

 だが国王派というだけあって、それを率いているのはこのミレアーナ王国の国王だ。

 つまり来春以降に出発する者達こそが、正式なミレアーナ王国からの使節団ということになる。


「それでも、連れ去られた者達の無念は晴らせないのでしょう?」

「母上、一応連れ去られた者で生き残っている者はギルムに……」

「知っています」


 エレーナの言葉に、アルカディアはあっさりと答える。

 だが、それを聞いたレイは再び背筋が冷たくなった。

 スーラ達の一件は、それこそギルムではかなり有名になっている。

 だが、それはつい最近の話でしかないのに、何故アルカディアはそれを知っているのかと。

 勿論貴族派の貴族達がギルムに屋敷を用意しているのは、様々な情報を集める為だ。

 だからこそ、スーラ達の一件を知っていても不思議ではないのだが……それでも、情報が伝わる速度が明らかに早すぎる。

 そんなレイの様子を気にせず、アルカディアは言葉を続ける。


「ですが、そこにいるということは、故郷に戻る気がない……もしくは戻れないという者の筈。私が知っている村や街では帰ってきた者はいませんでした。そうなると……勿論、必ずしも行方不明になった人が連れ去られた訳ではないと思いますが」


 田舎、都会、辺境……人は様々な場所に住むが、この世界では何らかの理由で姿を消すというのは珍しい話ではない。

 盗賊に、違法な奴隷商人に、モンスターにと。

 特に若く美しい女というのは、それらの被害に遭いやすい。

 アルカディアもそれは分かっているのだろうが、それでも自分の知り合いがそのような目に遭っていると考えると、思うところがあるのだろう。


「アルカディア、その辺にしておくんだ。君が何を思っているのかは分かるし理解出来るが、私にも出来ることと出来ないことがある。それに今は、レイの……エレーナが初めて連れて来た男の子の歓迎パーティーなんだ。あまり逸るようなことはしないでくれ」


 そう告げられた瞬間、アルカディアはごめんなさいと小さく謝罪し、再び食事に戻る。

 ……もっとも、それを聞いたエレーナの方はといえば、ケレベル公爵が口にした内容に顔を赤く染めていたのだが。

 レイを愛しているということは、マリーナやヴィヘラの前では隠すようなことはないエレーナだったが、それはあくまでも仲間達の前だからだ。

 もしくはアーラのように小さい頃から一緒だった親友だったり、ビューネのように同じパーティーの仲間だったり。

 それを直接的ではないにしろ、父親からそのように言われてしまえば、照れるのは当然だった。


「……」


 俯いたエレーナの頬や耳は、見て分かる程に赤くなっている。

 声も出ない様子で俯いているエレーナを見て、両親は笑みを浮かべた。

 からかうような笑みではなく、娘の成長を喜ぶような笑み。

 ……何気に、エレーナに男っ気がないというのは、両親揃って心配していたことだった。

 エレーナの外見は間違いなく美しい。

 それこそ美の女神と言われてもおかしくないくらいには。

 だが、そのエレーナは男に全く興味を示すようなことはなく、ただひたすら自分を鍛えていた。

 ケレベル公爵令嬢としての立場から、社交界に出てはいたが、あくまでもそれは出ていただけだ。

 そんなエレーナが男に興味を持ったというのは、ケレベル公爵夫妻にとっては喜ぶべきことなのは間違いなかった。


(とはいえ……)


 そんな娘の様子を微笑ましそうに眺めていたケレベル公爵だったが、次の瞬間にはレイに鋭い視線を向ける。


「レイ、エレーナがどのような立場にいるのか。それは分かっているな?」

 

 突然の問い。

 だが、その問いが何を意味しているのかというのは、当然のようにレイにも理解出来る。

 

「ケレベル公爵の一人娘、ですね」

「そうだ。将来的には、エレーナがこの家を継ぐことになるのか、もしくは婿入りしてきた相手がこの家を継ぐことになるのか、それとも養子という手段もあるな」

「それよりも、もっと確実な手段があると思いますけど?」


 そう告げるレイの言葉に、ケレベル公爵は面白そうに笑みを浮かべる。


「ほう、もっと確実な手段か。それは気になるな。是非教えて欲しいものだ」

「簡単なことですよ。エレーナの弟か妹を作れば、それで全てが解決です」

『っ!?』


 レイの言葉は完全に予想外だったのか、ケレベル公爵だけではなくアルカディアまでもが一瞬息を呑み……どのような行為をすることを勧められているのかを理解すると、アルカディアの頬が先程のエレーナに負けない程に赤く染まっていく。

 ケレベル公爵はアルカディア程露骨に反応はしておらず、寧ろそのようなことを口にしたレイに向かって強い視線を向ける。


「私と妻の関係に口を出すのは、不躾ではないのかな?」

「そうかもしれませんね。ですが、エレーナのことを考えるとそれが最善の方法なのでは? ただでさえ、エレーナは継承の祭壇でエンシェントドラゴンの魔石を継承しました。結果として、その寿命は人ではなくエンシェントドラゴンのものと等しくなっていると思います」


 使い慣れない言葉だけに、若干拙いながらもレイはケレベル公爵の目を見ながら告げる。

 ダスカーと話す時も丁寧な言葉遣いはしているのだが、良くも悪くもレイはダスカーとの付き合いはそれなりに長い。

 だからこそ、ダスカーと話をする時は今なら多少の慣れもあるのだが……ケレベル公爵と話すのは、これが初めてだ。

 どうしても、そこに緊張が混ざるのは当然だろう。

 ……もしくは、エレーナの父親であるというのも、強く影響しているのかもしれないが。


「エンシェントドラゴンの魔石の継承、か。ケレベル公爵家に代々伝わる悲願であるとはいえ……いや、それも今更の話か。ともあれ、レイの言いたいことは分かった」


 エンシェントドラゴンの魔石を継承した以上、間違いなくエレーナは人間よりも……そしてエルフよりも長生きをするだろう。

 そんなエレーナがケレベル公爵家の当主ということになれば、それを不満に思う者は少なからず出てくる筈だった。

 それこそ、最悪の場合はお家騒動染みたことになる可能性もある。

 ケレベル公爵家の当主という地位は、それだけ重要な……それでいて非常に魅力的なものなのだろう。


「では?」


 多分駄目だろう。

 そう思いながらも、もしかしたらと聞いてみるが……当然のように戻ってくるのは首を横に振るという否定の行動。


「そう簡単にはいかんよ。そもそも、エレーナは貴族派の中でも特別な存在だ。それは、レイが一番理解しているだろう?」

「それは……」


 レイは言葉に詰まる。

 実際、貴族派において姫将軍の異名や美しさを持つエレーナは、象徴と呼ぶに相応しい存在なのだ。

 ……だからこそ、懲りずに口説こうとしてくる者が絶えないのだろうが。

 そのようなエレーナだからこそ、ケレベル公爵家の後継者という地位を捨て……ましてや、ここでは言葉に出していないが、レイの下に走るというのは、貴族派にとっては許容出来ることではない。


「何をするにしても、今すぐに決めるという訳にもいかん」

「そう、ですか」


 分かってはいたのだが、それでもやはり残念に思ってしまうのは止められない。


「ただ……」


 そんなレイを哀れに思ったのか、それとも元からそう告げるつもりだったのかは分からないが、ケレベル公爵は薄らと笑みを浮かべて口を開く。


「少なくても、ギルムの増築工事が終わるまでは余程のことがない限り、エレーナにはギルムで貴族派の跳ねっ返りが妙な真似をしないように監視してもらうつもりだから、安心して欲しい。勿論、何かあった時は帰ってきて貰うがな」


 そう告げるケレベル公爵の言葉に、レイとエレーナはそれぞれ安堵するのだった。

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