第1778話

 庭で起こった騒動に関しては、当然のようにすぐにケレベル公爵にも伝わる。

 ちょうどその報告を聞いた時、ケレベル公爵は食料が足りなくて餓死者が出ると予想される村に食料を配るようにする為の書類を書いているところだったのだが……思わず、書いていた書類を駄目にするところだった。

 それでも脅威的な精神力を発揮し、書類をきちんと完成させたのは長年公爵という地位にいたからこそか。


「それで? 結局その騒動はどうなったのだ?」

「はい。エレーナ様のおかげで大きな騒動になるようなことはありませんでした」

「……そうか。では、そのレイとセトはきちんと客人としてもてなすように」

「よろしいのですか?」


 ケレベル公爵の言葉に、報告を持って来た男は少しだけ驚きを露わにする。

 例え異名持ちであっても、それだけでケレベル公爵の客人とはなれない。

 それこそ、エレーナがレイは客人だと言っても、それを当主たるケレベル公爵が認めるかどうかは、別の話なのだから。

 だからこそ、報告を持って来た男は、レイをすぐにでも屋敷から追い払うのではないかと、そう予想していたのだ。

 そんな部下の様子に気が付いたのか、ケレベル公爵は無言で視線を向ける。

 報告を持って来た部下はそんな視線に気が付き、慌てたように頭を下げた。


「は! すぐに手配します」


 急いでその場から去っていく部下を一瞥し、再びケレベル公爵は仕事に戻る。

 だが……男が出て行ってから数分が経つと、読んでいた書類から顔を上げて窓から外を見た。

 執務室からでは、エレーナ達が騒動を起こしたという庭は見えないが、それでも窓から見える庭を見ていれば、そこにエレーナの姿があるような気がした。

 同時に、一緒に来たという深紅のレイの姿もまた。

 いずれ自分の目で、直接レイに会ってみたいとは思っていたが、まさかこのような時に……という思いが強い。


「馬鹿共が騒ぐ姿が、目に浮かぶな。……全く。何もこの時期にレイを連れてこなくてもいいものを」


 貴族派を率いるケレベル公爵だけに、当然のように新年には大勢の貴族が挨拶に訪れ、パーティーが開かれる。

 そしてエレーナがレイを連れて来たということは、当然のようにそのパーティーに同伴するつもりだろう。

 当然の話だが、パーティーに親類以外の異性と共に参加するということは、二人が特別な関係であるということを示している。

 もしくは明確にそのような関係ではなくても、普通の男女よりは親しいと示すことは出来る。

 そして、姫将軍の異名を持ち、貴族派の中でも象徴的な存在のエレーナがそのような真似をすれば、当然他の貴族にとっては面白くない。

 自分の娘をそのような目で見られているということは、ケレベル公爵にとっても面白くはない。

 面白くはないが……同時に、貴族という存在のことを考えれば、それも仕方がないという思いもあった。

 ともあれ、他の貴族達……特にエレーナとの婚姻を狙っていた貴族にとって、レイという存在は絶対に許されない存在なのは間違いない。

 そのような貴族の場合。大抵が特権意識に凝り固まっている者も多く……そんな状況で、騒動にならないというのはまず無理だった。

 そして騒動になれば、レイは手加減をしない。

 いや、最低限殺さないように手加減はするかもしれないが、あくまでも殺されない程度だ。

 実際、ケレベル公爵が知ってる限り、ベスティア帝国との戦争で、レイは貴族を……それも敵対国のベスティア帝国の貴族ではなく、ミレアーナ王国の貴族の腕を切断するといったことをしている。

 それでも、当時は戦場だったからどうとでもなった。

 だが、それがパーティー会場のような場所で行われれば、間違いなく大きな騒動となる。


(最悪なのは、レイがそれでミレアーナ王国を見限って出ていくことか)


 レイについての情報を集めているケレベル公爵は、当然レイの力も知っている。

 セトというランクA……いや、希少種ということでランクS相当のグリフォンを従魔とし、本人は様々な魔法を使うが、その中でも特に広範囲殲滅魔法の類を得意としている。

 更にはアイテムボックスを始めとして、様々なマジックアイテムを有している。

 そのような人物がミレアーナ王国を出ていくようなことになれば、その損失は莫大なものになるのは間違いない。

 それを知っているからこそ、ケレベル公爵は頭を痛めていたのだが。


「とにかく……今は、こちらを片付けておく必要があるか」


 半ば棚上げと知ってはいるが、書類仕事に戻る。

 実際、書類仕事の中には緊急を要するものもそれなりにあり、そちらを片付ける必要があったのも間違いないのだから。

 ケレベル公爵にとって、現状においては書類仕事のみが唯一心の安まる場であったことも、否定出来ない事実なのだが。






 自分の父親が書類仕事に癒やしを求めている頃、エレーナはアーラと共に自分の部屋に戻っていた。

 久しぶりに戻ってきた自分の部屋の様子に懐かしさを感じつつ、それでもどこか違和感がある。


(それだけ、マリーナの家は居心地が良かったということか)


 マリーナの家にいる時は、着替えも自分でやっていた。

 だが、この屋敷に帰ってくれば、それを行うのはメイドの仕事となる。

 正直なところ、戦場に身を置くことも多いエレーナとしては着替えくらい自分で出来ると言いたいのだが……姫将軍ではなく公爵家令嬢という立場であれば、メイドに着替えさせて貰うのは当然だった。


「お嬢様、今日はこちらのドレスはどうでしょう」


 メイドの一人が持って来たのは、青いドレス。

 そのドレスを見て、エレーナは少し考える。

 ドレスという服から思い出されるのは、それこそ普段からパーティードレスの類を着ているマリーナのことだ。

 メイドが持って来たドレスは、パーティーに着るようなドレスではない。

 それこそ普段着として着ていてもおかしくはないドレスなのだが、マリーナに見慣れてしまったエレーナにとっては、かなり大人しいドレスのようにも思える。


(私もマリーナのようなドレスを着れば、レイは喜んでくれるのだろうか?)


 そう思わないでもなかったが、あれだけ肌が露出しているドレスを自分が着てレイの前にいる光景を想像すると、恥ずかしさで身悶えさえしたくなる。

 レイがいない場所であれば、それこそマリーナが好んで着るような、胸元や背中が大きく開いたドレスを着ても特に恥ずかしく感じないのだが。

 それでも、レイにそのような姿を見て欲しいという思いもあり……だが、エレーナはメイドの持って来たドレスに不満を言わず着替える。


「まぁ、お似合いです。どんな殿方でも、お嬢様の姿を目にすれば魅了されてしまうでしょう」

「そうか……?」


 メイドの口から出たのだから、もしかしてお世辞でしかないのではないか。

 そのように思いつつも尋ねるエレーナだったが、メイドは正真正銘、心の底からエレーナのドレス姿を褒めていた。

 エレーナにもそれが分かったのか、ようやく少し安心する。


「レイはどうしている?」

「レイ殿なら、アーラ様がお相手しております。その……本当に、大丈夫なのでしょうか?」


 メイドが不安そうに言ったのは、レイ……ではなく、そのレイの従魔たるセトについてだ。

 セトを初めて見た者として考えれば、メイドの心配は当然だろう。

 だが、不安そうなメイドにエレーナは笑みを浮かべて口を開く。


「問題ない。セトは、決して無意味に攻撃をするような真似はしないからな。……もっとも、誰かが馬鹿な考えを抱くような真似をすれば、セトも相応の対処をするのだろうが」


 エレーナの言葉の前半で安堵した様子を見せたメイドだったが、後半で再びその顔が恐怖の色を宿す。


「心配するな。何度も言うようだが、セトは基本的に人懐っこい。ギルムでは、愛玩動物扱いされていたんだぞ?」

「……えっと、あの、グリフォン、ですよね? ランクAモンスターですよね?」

「違う」

「え?」


 まさかそこで首を振られるとは思わなかったのか、エレーナの金髪の動きに目を奪われながらも、メイドは不思議そうな視線をエレーナに向ける。

 そんなメイドの様子を見ながら、エレーナはもしかしたら言わない方がいいのでは? と思いながらも、それでも恐らく話はすぐに広まるだろうと判断して、口を開く。


「セトはただのグリフォンではなく、希少種だからな。正確にはランクS相当のモンスターとなる」

「ひっ!」


 ランクAモンスターというだけでも恐怖の象徴だというのに、まさかランクS相当と言われるとは……

 メイドにとってエレーナの言葉は完全に予想外だったのか、小さく息を呑む。

 そんなメイドの様子を見ていたエレーナだったが、落ち着かせるように説明を続ける。


「怖がるのも分かるが、セトは基本的には無害だ。……そうだな、実際にお前がセトを見た訳ではないのだろう? 人聞きの情報だけで判断してないか?」

「それは……」


 メイドがエレーナの言葉に黙り込む。

 実際、グリフォンがやって来たということで、自分が直接見に行った訳でない。

 あくまでもグリフォンという凶悪なランクAモンスター……実際にはランクS相当だったのだが、そんなモンスターがやって来たということで怖がっていたのは事実だ。


「一度、レイと戯れている光景を見てみたらどうだ? それでも怖ければ、近づかなければいいだけの話だしな」


 そう言いながらも、エレーナは恐らくセトの性格を知ればここでもセトは人気者になるだろうという確信があった。

 実際、今までセトは見知らぬ場所では毎回怖がられているのだが、それでもある程度の時間を一緒にすごせば、大抵がセトを愛でるようになるのだから。

 中には、それこそミレイヌに負けないだけのセト愛好家となった者すらもいる。

 だからこそ今日から暫くこの屋敷にいるセトは、最初は怖がられるかもしれないが、最終的には間違いなく受け入れられるという確信がエレーナにはあった。


「キュウ?」


 そんなエレーナとメイドの会話が聞こえたのか、部屋の中で干し肉を食べていたイエロが鳴き声を上げながら視線を上げる。

 黒竜の子供のイエロは、それこそケレベル公爵邸でも人気者だ。

 だからこそ、セトも受け入れられる土壌があるとエレーナも判断したのだが。


「セトは、イエロとも仲が良い。だから、セトと仲良くなればイエロも喜ぶぞ」


 その一言の効果は、大きい。

 先程まではセトを怖がっていたメイドの顔に、恐怖よりも強い決意が浮かんでいたのだから。


「分かりました。その、私だけでは怖いので、他にも何人か誘ってグリフォンに……セトでしたか。ちょっと会いに行ってみようと思います」

「そうか。ああ、そうだ。セトに会いに行くのなら、何か食べ物を持っていけば早く懐いてくれると思うぞ。セトは食べることが好きだからな」

「まぁ……それでは、イエロとあまり変わらないですね」

「そうだな。実際、違うのは大きさだけで、人懐っこさといったものはイエロとそう変わらないと考えてもいいかもしれんな」


 イエロと変わらないという言葉で、メイドは笑みを浮かべる。

 それなら、自分も怖がらなくてもいいと、そう思ったのだろう。

 もっとも、現在のセトの体長は三m以上と、かなりの大きさだ。

 そんな巨体に躊躇なく近づける者は、そう多くはないだろうが。


(この家の者であれば、私や父上がセトに妙なちょっかいを掛けないようにと言えば、問題はない。だが……問題は、やはり他の貴族達だな)


 エレーナもまた、父親のケレベル公爵と同じ結論に達する。

 いや、エレーナの場合は何度も貴族に口説かれ、婚姻を求められたこともあるので、より不安が強い。


「レイを煩わせることになるのは確実、か。……美味い料理か、何かのマジックアイテムでも用意するべきだろうか」


 間違いなく騒動になる以上、レイに面倒を掛けるのは確実だ。

 そうなると、面倒を掛けてしまったことに謝罪の意味と……そしてエレーナとしては一緒にパーティーに出てくれたことを感謝し、レイが欲しがるプレゼントや食事を用意したいと思うのは当然だった。

 美味い料理とマジックアイテム。

 この二つは、レイが貰えば喜ばれるだろうことは間違いなかった。

 とはいえ、マジックアイテムは何でもいいという訳ではない。

 レイが集めているのは、実際に使えるマジックアイテムの類なのだ。

 それこそ、レイが持っている流水の短剣や黄昏の槍のような、様々なマジックアイテムの存在を考えれば明らかだろう。


(となると、やはり料理か)


 ここがケレベル公爵邸だけに、パーティー用の食材も数多いし、雇っている料理人の腕も一流だ。

 それだけに、レイが喜べるような料理を出せるということには、強い確信がエレーナの中にはあった。

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