ケレベル公爵領
第1777話
アネシスというのは、ケレベル公爵が治める領地の中でも最も繁栄している都市であり、エレーナにとっては故郷であるともいえる。
そして都市ということは、現在増築工事中のギルムが数年後にはそれだけの大きさになるということだ。
そんなアネシスという都市を、現在レイはセトの背中の上で眺めていた。
「……でかい、な」
我知らず、レイの口から呟きが漏れる。
もっともその呟きは、肌を刺激するような冷たさを持つ冬の空気に消えていったが。
ただでさえ雪が降り続いているのだから、気温は低い。
そんな中で高度百mといった場所を飛んでいるのだから、地上よりも圧倒的に気温は低いし、風も強い。
とはいえ、レイはドラゴンローブのおかげでそのようなものは問題なく快適にすごせているし、セトは元々グリフォンだけにこの程度は問題ない。
エレーナとアーラも、現在はセト籠の中に入っているのでその辺りは問題なかった。
結果として、雪が降っている中で空を飛んでいるのに、全く寒さに震える様子がないという感じになっていた。
もし寒さが苦手な者にしてみれば、間違いなく羨ましく思うだろう。
そして何より……
「ああいう連中にしてみれば、俺は絶対に羨ましいだろうな。……にしても、どうやって俺達の存在を知ったんだ?」
「グルゥ」
レイの言葉に、セトが同意するように喉を鳴らす。
そんな一人と一匹の視線が向けられているのは、アネシスの方からレイ達のいる方に向かって飛んで来るワイバーンの姿があった。
当然、アネシスというケレベル公爵の本拠地から飛んで来るのだから、そのワイバーンがただのワイバーンの筈もない。
その背には兵士達が乗っており、一般的に竜騎士と呼ばれる存在だった。
……ただし、竜騎士が乗っているのはワイバーンや飛竜と呼ばれるドラゴンの中でも最下級の存在で、寒さには酷く弱い。
これがより上位の竜種であれば、雪が降っている程度では全く影響がないのだが。
それでもこうして雪が降っている中に出動してきたのは、やはりアネシスに近づいてくるのがセトという空を飛ぶグリフォンだったからだろう。
(セト籠の影響で、下からはこっちを見つけることは出来ない筈なんだけどな。本当に、一体どうやってこっちを見つけたのやら)
疑問に思いつつも、レイはセトを撫でて近づいてくる竜騎士に対して攻撃をしないように頼む。
より上位の竜種であればまだしも、最下級のワイバーン程度であれば、セトにとっては美味しい肉といった認識しかない。
その割にイエロとは仲が良いのだが、その辺りはセトにも色々とあるのだろう。
「さて、一体どう出てくる? エレーナの父親のケレベル公爵なら、当然俺のことは知ってる筈だけど」
呟くレイの視線の先では、竜騎士が次第にセトの方に近づいてくる。
とはいえ、竜騎士は持っている槍や弓を構える様子もなければ、ワイバーンに攻撃するように指示を出すような真似もしない。
……もっとも、寒さに弱いワイバーンだけに、空を飛ぶ速度は以前レイが見た別の竜騎士のものに比べて酷く遅くなっているのだが。
ワイバーンが万全の状況でレイやセトと戦っても竜騎士達には勝ち目がないのに、今のこの状況で戦いを挑むような真似をするのは、それこそ自殺行為に他ならない。
「待ってくれ! 貴方は深紅のレイ殿とお見受けするが、相違ないか!?」
へぇ、と。
竜騎士の掛けてくる言葉に、レイは少しだけ感心した表情を浮かべる。
竜騎士というのは竜『騎士』であり、身分としては兵士ではなく騎士なのだ。
爵位としては最下位ではあるが、それでも歴とした貴族でもある。
もっとも、竜騎士の場合は一代貴族と呼ばれる身分の者が殆どなのだが。
そんな身分にも関わらず、レイに向かって横柄に命令してくるのではないのは、レイから見ても好印象なのは間違いなかった。
「そうだ。ギルム所属の冒険者、レイだ。それと、セトが持っている籠の中にはエレーナとアーラが入っている」
レイの言葉は、完全に予想外だったのだろう。
竜騎士達は唖然とした表情を浮かべながら動きを止め、やがてギギギ、という音が聞こえてきそうな動きでセトが持っているセト籠に目を向ける。
そして数秒の無言の後、やがて竜騎士達を率いているのだろう男が慌てて口を開く。
「わ、分かりました! すぐにアネシスまで案内しますので、私についてきて下さい!」
半ば悲鳴の如き声で叫ぶ男の声に、レイは頷きを返す。
叫んだ以外の竜騎士達も、見るからに緊張している様子だ。
それはグリフォンを従えた異名持ちの冒険者を間近にした……からではなく、姫将軍の異名を持つエレーナ・ケレベルの存在がそうさせているのだろう。
(アネシスに直接俺達を案内するってことは、結界は……ああ、いや。竜騎士が飛び立ったのを思えば、その時点で結界は解除してたのか? ただ、それだと若干問題があるような……もしくは、それだけ結界を再展開するのに時間が掛からないのか)
ここはギルムのような辺境ではない為、空を飛ぶモンスターが姿を現す可能性も低い。
低いが……だからといって田舎の村であればまだしも、アネシスのような重要な都市で結界を張っていないということはない筈だった。
ともあれ、今はここで色々と考えていても仕方がないと判断し、レイはセトに頼んで竜騎士達の後を追って貰う。
竜騎士達は、空を飛ぶセトに近づきすぎないように注意しながらアネシスに向かって飛ぶ。
ケレベル公爵軍としてベスティア帝国との戦争に参加した者も多く、レイとセトがベスティア帝国軍の竜騎士を相手に、単騎で大量に倒したという話は聞いている。
それだけに、ここで無意味にレイに喧嘩を売るような真似をしようとは思わない。
勿論レイとセトがアネシスに対して攻撃をするような真似でもすれば、ケレベル公爵に仕える竜騎士として命を惜しまずに抗うだろう。
だが、レイはアネシスに……そしてケレベル公爵領に敵対的な態度を取っている訳ではない。
そして何より、深紅の異名を持つレイは、ケレベル公爵領においてはエレーナの相手という意味でも有名だった。
当然それを認めていない者も多いのだが。
そんな風に考えながらもレイとセトは飛び続け、やがてアネシスの中に入る。
セト籠があるので、アネシスに住んでいる住人にしてみれば竜騎士が隊列を組んで空を飛んでいるようにしか見えなかったが。
「グルゥ」
竜騎士と一緒に飛んでいるセトは、ゆっくりと飛ぶ様子に若干の不満を持つ。
いや、ゆっくり飛ぶだけであれば、何の問題もないのだ。だが、平和な状況で自分の周囲を何騎もの竜騎士が飛んでいるのは初めてだけに、どこか落ち着かないのだろう。
これが敵対的な竜騎士という意味であれば、ベスティア帝国との戦争で経験しているのだが。
「落ち着けって。別に周囲にいる竜騎士は俺達の敵じゃないんだから。イエロの仲間だと思えばいい」
目の前にあるセトの首を撫でながら告げるレイに、セトは仕方がないといった様子で喉を鳴らす。
そのようなセトの不機嫌そうな様子を本能で感じ取ったのか、セトの周囲を飛んでいる竜騎士のワイバーンは、ただでさえ寒さで動きが鈍くなっているのが、より鈍くなる。
自分が乗るワイバーンが怯えているのに気が付いたのだろう。セトから一番近い場所――それでもある程度距離があるのだが――を飛んでいる竜騎士が、レイに声を掛けてきた。
「レイ殿、中央にある大きな屋敷がケレベル公爵のお屋敷です! エレーナ様の乗っているそれは、庭に降ろして下さい!」
「庭って言っても……どの庭だ?」
ケレベル公爵の屋敷は、それこそ屋敷という言葉が似合わない程の広さを持つ。
当然上空から見る限りでは、その巨大な屋敷には庭が複数存在していた。
庭に降りるようにとだけ言われても、それこそどの庭に降りればいいのかレイにも分からない。
そんなレイの態度に気が付いたのだろう。庭にセト籠を降ろすように言った竜騎士が、慌てて周囲より一際広い庭を槍で示す。
「あそこです! あそこに降りて下さい!」
竜騎士の言葉に頷きを返し、レイはセトに合図を送る。
その合図だけで、セトは広い庭に向かう。
冬の冷たい空気の中、セトの翼が激しく羽ばたかれる。
そうして地上に向かって降下していったセトは、地面との距離が十分に近づいてから、持っていたセト籠を離す。
ケレベル公爵の屋敷にも、間違いなくその音は響いただろう。
数秒後には屋敷の中から何人もが姿を現したのが、ケレベル公爵邸の護衛達の技量が相応に高いということを示していた。
「私達もあの庭に降りるので、レイ殿も続いてください!」
セト籠を地上に降ろし、再び上空に戻ってきたレイに向け、竜騎士が叫ぶ。
その言葉にレイは頷きを返し、地上に向かって降下していった竜騎士達に続く。
竜騎士達はきちんと隊列を整え、一糸乱れぬ……とまではいかないが、それに近い練度で地上に降りていく。
今が冬でワイバーンが寒さが苦手だということを考えれば、寧ろその練度は非常に高いと言ってもいいだろう。
そんな竜騎士達を追うように、セトも翼を羽ばたかせながら地上に向かう。
竜騎士達の乗るワイバーンと着地する姿勢は違うが、それでもセトは無事庭に着地する。
……寧ろ、セトがワイバーンより遅れて庭に着地したのは、まるでセトがワイバーン達を従えているかのようにすら見えた。
「グルルルルゥ!」
庭に着地したセトは、嬉しさからか鳴き声を上げる。
もしここがギルムであれば、そんなセトの鳴き声に大勢の者が撫でてくれたり、何か食べ物を与えてくれたりしただろう。
だが……ここはギルムではなく、アネシスだ。
初めて来る場所である以上、当然現在庭にいるのはセトを見たことのない者達だ。
いや、何人かはベスティア帝国との戦争に参加した時に見た者もいるかもしれないが、それはいてもほんの少数にすぎない。
現在ここにいる者の多くは、セトを……いや、グリフォンという存在を初めて見る。
ランクAモンスター。
ギルムでは愛玩動物として扱われているセトだったが、本来ならセトは冒険者が一生に一度遭遇するかどうかといった高ランクモンスターなのだ。
何も知らない者がそのようなモンスターを間近で見た場合、当然ながら感じるのは愛らしさよりも恐怖だ。
ましてや、それがランクAモンスターのグリフォンであれば当然だった。
庭に出ていた者の中でも、この屋敷の護衛の役割を持っていた者であればいい。
だが、それ以外……ただの物見遊山で庭に出て来た者は、間近でグリフォンを見て、更にはその鳴き声を聞き、恐怖の叫びを……
「静まれ!」
最初の一人が恐怖の叫びを上げようとしたその瞬間、庭の中に凛とした叫び声が響き渡る。
不思議なことに、恐慌一歩手前だった者であっても、その声は自然と耳の中に入ってきた。
そうして、庭の中は静まり返る。
しんしんと雪が降るような音だけが聞こえてきそうな、それ程の静寂。
そんな庭の中で、声を発したエレーナは再び口を開く。
「この者は、私の客人だ。そちらのグリフォンは、客人の従魔で名はセト。そして……客人は、深紅の異名を持つレイ」
雪の降る中にあっても光り輝く縦ロールの金髪を掻き上げ……丁度そのタイミングで、空を覆っていた雪雲の隙間から太陽の光が差し込み、エレーナの髪を黄金に染める。
それは、見る者全て……それこそ、数秒前まではセトの存在に悲鳴を上げようとしていた者達ですら、目を奪われる程に美しい光景だった。
この光景を絵画として残しておけば、間違いなく後世に残る傑作になるだろうと、そう思える程の。
「レイ、こちらに」
周囲が沈黙に包まれた中で、再びエレーナの声が響く。
レイは、その声に導かれるようにセトと共にエレーナの前に移動した。
レイにとって、エレーナという存在は途方もない美人であるというのは理解していた。
また、マリーナやヴィヘラと共に話しているのを見れば、普通のところがあるというのも十分に理解していたのだ。
だが……こうして姫将軍としての一面を強く出すエレーナというのは、レイにとってもかなり珍しい。
それだけに、レイの知っているエレーナではなく、姫将軍のエレーナに引きずられるように歩み出した。
エレーナの近くにセトと共に移動してきたレイは、視線で促されて何を期待されているのかを知り、口を開く。
「俺はレイ。ギルム所属のランクB冒険者だ。こっちは俺の従魔のセト。セトは基本的に大人しく、危害を加えるような真似をしない限りは何かされたりはしないから、心配しないでくれ。ギルムでは愛玩動物として扱われているし」
レイの口から出た言葉は限りなく真実なのだが……それを聞かされた者達は、すぐに信じることは出来ない。
ともあれ、それでもレイはケレベル公爵家に仕えている者達に、強烈な自己紹介をしたのだった。
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