第1773話

「で? 結局今日も赤い布を配って回っている黒幕は見つからなかった、と」


 夏野菜のスープを味わいながら言うヴィヘラの言葉に、レイは焼きたてのパンを食べながら頷く。

 尚、既に冬になっているこの時期に新鮮な夏野菜のスープを食べることが出来ているのは、当然のようにレイの持つミスティリングに収納されていた食材を使ったからだ。

 夏の間に購入して大量に買い貯めをしておいたからこそ、冬の今でも新鮮な、それこそ今朝採ったばかりと言っても信じられるような夏野菜を食べることが出来ていた。

 その夏野菜を使ってマリーナが作ったスープは、絶品と言ってもいい。

 ……本人に言わせれば、愛という名の隠し味が入ってるから普段よりも美味しく感じられるのだと嘯いていたが。


「どうやら、赤い布を配っている奴は相当に慎重らしくてな。そいつから赤い布を貰ったって奴は普通にいるのに、実際にどこに住んでいるのか、どこの宿に泊まっているのかってのを聞いても、誰もわからないんだ」

「こういう言い方はどうかと思うけど、行きずりの関係って奴ね」

「それはちょっと違うんじゃない?」


 白身の魚を香草で包んでマジックアイテムの窯で焼いた料理を楽しみながら告げたマリーナの言葉に、ヴィヘラがそう突っ込む。


「行きずりだろうが何であろうが、三日後には旅立つというのを忘れていないな?」

「ああ。どのみち、俺は特に何か用意する物はないしな」


 エレーナの言葉に、レイは自分の右腕を見る。

 レイは夕暮れの小麦亭に泊まってこそいるが、その部屋の中には私物は殆どない。

 普通であれば、長期間同じ宿に泊まっていれば色々と部屋の中に私物が増えていくのだが……レイの場合、私物のほぼ全てをミスティリングの中に収納している。

 だからこそ、部屋の中は綺麗なのだ。

 ……部屋の中が綺麗だからこそ、夕暮れの小麦亭の女将のラナや、それ以外の従業員が掃除をする時に非常に楽で、レイに対して好意的になっている理由の一つでもあるのだが。


「行くのなら、それこそ俺の場合は今すぐにでも行けるぞ。……なぁ、セト?」

「グルゥ? グルルルルルゥ!」


 任せて! と、イエローバードの丸焼きを美味そうに食べているセト。

 そんなセトの横では、こちらもまた一緒に食べているイエロが、キュ? と一瞬だけレイの方を見たが、すぐにまた料理に戻っていく。

 イエローバードの丸焼きは、その言葉通りただ焼いただけの代物ではない。

 レイが顔馴染みの食堂に頼んで調理して貰ったもので、体内にキノコや木の実、野菜といったものを詰めてから、遠火でじっくりと焼き上げた代物だ。

 イエローバードの表面には蜂蜜の入ったソースを塗り、何度も何度も……たっぷりと時間を掛けて作った料理。

 当然それだけの手間暇を掛けているのだから、調理料金として相応の値段はした。

 だが、その料理を一口食べれば、間違いなくその金額分だけの味だと納得出来るだろう。

 イエロが一生懸命、一心不乱に料理を食べている様子を見れば、それは明らかだ。

 

「こういう時は、レイのような気軽な立場の者が羨ましいな」


 レイとセトの様子を見て、エレーナはしみじみと呟く。

 姫将軍の異名を持つエレーナだけに、ギルムから一時的にであっても去るとなると、相応に話を通しておく必要があるのだ。

 いや、レイ達と行動していた時のように、アーラを残していけるのであれば、そこまで気にする必要もなかったのだが……今回は正式に、アーラも含めてギルムを出る必要がある。

 そうである以上、ダスカーのようにギルムを治めている領主は勿論、ギルムに滞在している貴族派の者にも出立するということを言う必要があるし、国王派の大物の血縁者にも話をしておく必要があった。

 ……エレーナにとっては面倒この上ないやり取りだと思うのだが、ここで下手に手を抜くような真似をすればエレーナの父親のケレベル公爵が侮られることになってしまうので、手を抜く訳にもいかない。


「その辺は人それぞれでしょ。寧ろ、そういう根回しが好きな人もいるんだし。……私にはあまり理解出来ないけど」


 元ベスティア帝国の皇女としては、出奔するよりも前に貴族は幾らでも見てきた。

 そんな貴族の中には、根回しをすることを楽しむといった者もいる。

 そのような行為をすることにより、自分が貴族であるということを強く実感出来るのだろう。

 ヴィヘラにしてみれば、そんな面倒なことをよくもまぁ……というのが正直なところだった。


「それは分かっているのだがな。それでもやはり……」


 エレーナは言葉を濁し、サンドイッチを口に運ぶ。

 言葉にはしないが、それでもエレーナの言いたいことは皆に伝わった。

 結局のところ、エレーナの本質は貴族ではなく武人なのだ。……レイが絡むと、女に戻るが。

 それでも公爵家の令嬢としてそつなくこなせることが出来るのは、エレーナにとって幸運だったのか、不運だったのか。


「そう言えば、今年は雪が降るのが遅いな」


 エレーナの様子を不憫に思ったのか、あからさまにレイが話題を変える。

 正確には、小雪が舞うといった程度ではもう雪が降っているのだが、雪が積もるという意味での言葉。

 もっとも雪がそこまで好きではないレイとしては、寧ろ今くらいの方が面倒がなくて好きだったのだが。


「雪、ね。今も降ってるけど、これだと積もりそうにないわね」


 マリーナが視線を遠くに向ける。

 中庭はマリーナの精霊魔法によって、寒さや雪、雨、風といったものは入ってこられないようにしている。

 少し風が吹いて欲しいという時には、マリーナに言えば風の精霊に頼んで風を吹かせてくれるので、その辺りは自由自在にコントロール出来るのだが。

 明かりに関しても、現在は明かりのマジックアイテムを持って来ているので、夜であっても問題なく精霊魔法で区切られている空間の外側を見ることが出来る。

 そんな空間の向こう側には、ここ数日の間で時々見られるようになった小雪が舞っている光景があった。

 だが、それはマリーナが言うように、とてもではないが積もる程ではない。

 明日の朝になれば間違いなく溶けているだろう。


「雪が降ると、色々と面倒なことになるんだよな。出来れば、ずっとこの調子でいてほしいところだけど」


 レイの言葉に、その場にいる全員が素直に頷く。

 子供のビューネであれば、雪が降ってきたということで喜んでもいいのだろうが……ビューネの場合は小さい頃から苦労してきた影響もあって、雪が降っても喜ぶ様子はない。

 もっとも、ビューネの家……フラウト家の屋敷はそれなりに広く、雪が降れば当然のように雪掻きをしなければならない以上、ビューネが雪を嫌うようになってもおかしくはないのだが。


「いっそ、マリーナの精霊魔法でギルム全体をこの庭みたいな感じに出来ないの?」

「あのね、ヴィヘラ。あまり無理を言わないでちょうだい。この庭程度の大きさであればまだしも……」


 ヴィヘラの言葉に、マリーナは即座に無理を言うなと返す。

 もっとも、ヴィヘラも別に本当にそのようなことが出来ると思って言った訳ではなく、話の種としてそう告げたにすぎない。

 ……もしマリーナが出来ると言えば、本気で頼んでいたかもしれないが。

 そんな二人の様子を眺めつつ、レイもこの雪をどうにか出来ないかと考える。

 もしここが偶然滞在しただけの場所であれば、レイもそこまで考えるようなことはなかっただろう。

 だが、ここはレイが拠点としているギルムなのだ。

 暮らしやすくなるのであれば、それに越したことはない。

 もっとも、降ってくる雪をどうにかするという方法は全く思いつかないが。


(ドームとかみたいに、ギルム全体を屋根で覆うとか? いや、無理があるだろ。それに屋根で覆ってしまえば、雪や雨はともかくとして風や太陽の光も入ってこない。となると、開閉式?)


 ギルムの上空に巨大な屋根があり、それが春になったら開いていく……そんな光景を思い浮かべるレイだったが、想像するのは簡単でも実際にそれを行うのは非常に難易度が高いと思えた。

 特に現在のギルムは、増築工事で現状の五割増しとなる予定なのだ。

 そのような場所の全てを屋根で覆うような真似が出来るとは、レイには到底思えない。

 それこそ、下手をすれば現在行われている増築工事よりも難易度は高くなり、技術的な問題も出てくる筈だった。


「無理か」

「ん? 何が無理なの?」


 レイの呟きを聞き取ったのか、ふとマリーナが尋ねてくる。

 ……ヴィヘラの話に付き合うのが面倒になった、というのもあるのだろうが。


「いや、雪とか雨をどうにかするのなら、それこそギルム全体に屋根を掛ければいいと思ったんだけどな。ただ、そんな真似をするには増築工事よりも大変だと思って」

「それは……まぁ、そうでしょうね。ただ、そんなことを考えるような人がいるとは思わなかったわ」


 レイの口から出た意見が余程意外だったのか、マリーナは呆れと感心の混ざった声を上げる。

 エレーナ、アーラ、ヴィヘラ、ビューネといった他の面々もまた、似たような視線をレイに向けていた。


「そんな目を向けられてもな。ただ思いついただけだぞ。実現出来るかどうかは、全く別の話として」

「でしょうね。実現出来るかどうかと言われれば……まぁ、労力を考えなければ出来るかもしれないけど、そうなると雪や雨は防げるけど、太陽の光や風も入ってこないようになるのよ? そうなれば、色々と不味いわ」

「その辺は屋根を折りたたみ式というか、収容可能なようにして、屋根を掛けるのは冬だけにするとか……分かってるよ、それが出来ないってのは。だから言っただろ? ただ、思いついただけだって」


 再び自分に視線が――それも感心よりも明らかに呆れの割合が増えた――向けられるのを見て、レイは最後まで言わずにそう告げる。


「ああ、でもギルム全体に屋根を掛けるのは無理でも、大通りとかだけなら屋根を掛けるのも不可能じゃないんじゃないか?」


 そう告げるレイの脳裏に浮かんだのは、日本にいる時に地元にあった商店街。

 俗に言う、アーケード商店街と言われている感じの通りだ。

 ギルム全体に屋根を掛けるのは無理であっても、大通りだけであれば可能だとレイには思えた。

 そして雨や雪の日だけアーケードの屋根を展開するといった真似も、恐らく……本当に恐らくだが、出来ない筈はないだろうと。


「うーん……まぁ、大通りだけなら無理をすればどうにかなるかもしれないけど……ただ、収納式というのはちょっと難しいと思うわ。手間が掛かりすぎるもの。それこそ、魔法使いとかの冒険者を雇う必要が出てくるでしょうしね」


 無料奉仕でやってくれる者もいるのかもしれないが、それが常態化するようになれば冒険者やギルドが将来的に困ることになる可能性もある。

 であれば、やはり冒険者を雇う必要が出てくるのだ。

 だが、雨や雪が降る度に冒険者を雇うというのは面倒だし、何より報酬が必要となる。

 それ以上の売り上げが見込めるのであれば、その辺りも我慢出来だろうが……店によっては、雨や雪が降っても降らなくても客足がそれ程変わらないという店も多く、そのような店にしてみれば、わざわざ金を支払う意味はない。


「……店同士でしっかりと話し合って決めないと、将来的に色々と問題が起きそうな気がするわ」


 レイと同じ結論に達したのか、ヴィヘラがそう呟く。


「元冒険者って奴も結構いるから、その辺はどうにかなりそうな感じがするけどな」

「あー、そういう人もいるわね」


 冒険者というのは、基本的に肉体労働が主だ。

 そうなれば、当然のように年齢を重ねれば無理が出来なくなる者も出てくる。

 勿論全員がそうだという訳ではなく、中にはそれこそ老人になっても冒険者として一線で働いているような者もいるが、それはあくまでも少数の例外だけだ。

 それ以外にも、依頼の途中で手足を切断されてしまったり、そこまでいかなくても怪我の後遺症で動けなくなったりすることも、珍しくはない。

 そのような理由で冒険者を辞めた者はどうするのか。

 田舎に帰る者もいるだろうが、何らかの理由でそのような真似が出来ない者もいる。

 そうした者達は、冒険者時代に稼いだ金を資金として何らかの商売を始めるということも珍しくはないし、どこかの店に雇って貰うという者もいる。

 だからこそ、レイが提案したことも可能かどうかで言えば、恐らく可能なのだろう。


「そう、ね。ちょっとギルドの方に話を通してみるわ。勿論その辺はあくまでも大通りの人の決断次第だし、本当にそんな風に出来るかどうかも大工の人に聞いてみる必要があるだろうし」


 少しだけ乗り気になったマリーナが、そう告げるのだった。

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