第1774話

 エレーナやアーラと共にギルムを出立する予定の前日……特に何かを用意する必要のないレイは、今日もまた自主的に見回りを行っていた。

 勿論目的は赤い布を巻いている者達ではあるが、それ以外にも何か面白い物があるのではないかと、そんな思惑もある。

 そんなレイの隣には、セトの姿もある。

 ここ何日かはレイと離れて行動することもあったセトだったが、それが寂しくなったのだろう。今日はレイと一緒に行動することにしたらしい。


「グルルルゥ?」


 レイの視線の先にある、干した野菜を売っている店を見て、セトが買うの? と小首を傾げる。


「あー……そうだな。干した野菜は旨みがたっぷりと詰まってるって、聞いたことがあるし。……それとも、読んだんだったか?」


 どこで得た知識なのかを少しだけ疑問に思いつつも、レイは呟く。

 旨みを美味いと聞いたのか、セトはクチバシでドラゴンローブを引っ張り、買おう買おうと態度で示していた。

 そんなセトに引っ張られながら、レイはセトを落ち着かせようと頭を撫でる。


「分かった。ほら、一緒に行くからちょっと落ち着け。店は逃げたりしないから」


 セトが肉を好きなのは理解していたが、まさか野菜でもここまで激しく反応するとはレイには思わなかった。

 もっとも、肉だけを食べていれば栄養バランスが悪くなるのは当然であり、そういう意味では野菜に興味を持ってくれるのはレイにとっても嬉しいのだが。


「おや。いらっしゃい、レイちゃんにセトちゃん。何か買っていくかい?」


 その小さな店では、店主の老婆が店番をしていた。

 それはいいのだが、レイはセトだけならまだしも、まさか自分もちゃん付けされるとは思っておらず、少しだけ驚きの表情を向ける。

 もっとも店主の老婆はそんなレイの様子を気にした風もなく、暖かい服に身を包み、暖房用のマジックアイテムの前に座って笑みを浮かべていたが。


「そうだな、何か美味いのがあれば欲しいけど、お勧めを教えてくれ」

「うちに置いてある野菜はどれも美味しいよ。元気一杯……とは、ちょっと言えないけどね」


 ひゃひゃひゃ、と笑い声を上げる老婆。

 実際干されている野菜は老婆の顔のようにしわくちゃになっており、とても元気がいいとは言えないだろう。

 もっとも、それだけ日の光によって味が凝縮して旨みが増し、料理をする際には色々と使い勝手もいいのだが。

 とはいえ、レイの食事は基本的にミスティリングに入っている食堂で作って貰った料理を食べるというのが多く、自分で料理をすることは滅多にないし、料理の腕もたかがしれている程度だ。

 ……日本にいる時であれば、スーパーに行って具材に豆腐だけを用意すればいい麻婆豆腐の素や、キャベツだけを用意すればいい回鍋肉の素といったレトルト食品――という表示が正確かどうか、レイには分からなかった――があったのだが。


「取りあえず銀貨一枚分で適当に料理に使えるのを詰め合わせで」


 そう言いながら、レイは銀貨一枚を老婆に渡す。

 これが何らかの料理屋であれば、それこそより多くの銀貨……場合によっては金貨を使っても料理を買ったりするのだが、今回買ったのは料理の食材だ。それも、レイは殆ど使ったことのない干した野菜。

 そうなれば当然のように慎重になってしまう。


(マリーナに渡せば、色々と料理を作ってくれはすると思うから、無駄になるようなことはないと思うけど)


 マリーナの手料理を想像しながら、レイは老婆から干した野菜の詰め合わせを受け取り……ふと、その動きを止める。

 動きを止めたのは、レイだけではない。レイの側で干した野菜がどのような料理になるのかと期待していた、セトも同様だ。

 そんなレイとセトのいきなりの動きを、老婆は不思議そうに眺めていた。

 だが、次の瞬間、レイとセトは揃ってとある方向……自分の背後を見る。

 正確には、その背後にある人の群れ……を挟んだ場所にある建物を。


「悪い、ちょっと急用が出来た!」

「グルゥ!」


 それだけを言うと、老婆から受け取った干した野菜の詰め合わせをミスティリングに収納し、即座にそちらに向かって駆け出す。

 当然のようにセトもまたレイの後を追っており、いきなり目の前から消えた一人と一匹に、老婆はただ唖然とするだけだ。

 だが、この老婆もギルムで暮らしている者だ。

 これくらいの騒動は、それこそよくあることだと判断し、すぐに再び自分の仕事に……店番に戻っていくのだった。






「ちょっ、何でこの距離で気が付く訳!? 嘘でしょ!?」


 建物の隙間を縫うように、一人の女が走る。

 カルレスの仲間の一人で、セトを剥製にしたいと言っていた女だ。

 本来であれば、用意された部屋で待機していなければならなかった筈なのだが、どうしても退屈で耐えられず……ちょっと外に出てくるとだけ言って、外に出て街中を見て回っていた。

 その途中でセトの姿を見つけ、レイとセトを追う。

 それだけであれば、レイやセトにも気が付かれるようなことはなかったのだが……攻撃すれば、意外とあっさり倒せるのでは? そんな風に思った瞬間、レイとセトが振り向き、女のいる場所を正確に見つけたのだ。

 そしてレイとセトに見られた瞬間、女は反射的に逃げ出していた。

 本能的にこのまま先程の場所にいれば、間違いなく捕まってしまう。

 そう判断しての行動だったが……それは致命的なまでの失敗でもあった。

 何故なら、そうして女が逃げ出したのを察したから、レイとセトは自分に向けられた害意は間違いなくその人物が発したものだと判断して、追い始めたのだから。

 もっとも、その場に残っていれば安全だったかといえば、それもまた微妙なところではあったのだが。

 レイとセトが近づいてきて、それで隠れ続けていられるかと問われれば、女は頷ける自信がない。

 つい数十分前までであれば特に問題なく頷くことが出来たのだろうが、レイとセトを直接その目でみてしまっては頷ける自信が一切なかった。

 自分の行動に強い後悔を抱きながら、とにかく今は一刻でも早くレイとセトから距離を取るべく離れていく。

 足の速さには自信があり、小回りについても自信はある。

 レイやセトがどれだけ高い身体能力があっても、その点だけは自分が勝っているという自信があった。

 直接レイやセトをその目で見ても、尚そう思うのは……今まで自分が生きてきた環境の過酷さをしっかりと理解しているからか。

 ……それだけに、背後から近づいてくる足音が次第に自分の方に近づいてくるのに気が付いた時は、頭の中が真っ白になった。

 この状況で自分に追いつけるような相手がいるとは、思っていなかったのだ。

 戦闘力という点では明らかに負けていても、そもそも正面から戦うのは馬鹿な奴がすることで、賢い自分は相手の弱点を突く。

 そんな考えを抱いていたのだが……こうして背後から明らかに自分よりも強い相手が迫っている今の状況では、弱点も何もない。

 そもそも先程自分を見た一人と一匹に、弱点らしい弱点があるとは思えなかった。

 次第に近づいてくる足音。

 全速力で逃げているにも関わらず、全く引き離せないのは女にとって恐怖でしかない。

 後ろを向けば、具体的にどれくらい近い場所にいるのかは分かるだろう。

 だが、走っている途中で後ろを向くといった真似をすれば、多少であっても確実に走る速度に影響が出る。

 そして何より、今の自分の精神状態で後ろから追ってきているレイとセトをその目で見れば、間違いなく自分の心が折れるという確信があった。

 だからこそ、今はただひたすらに前を向いて走り続けることしか出来ない。

 それでも背後からの足音は決して離されることはなく……


「さて、そろそろ追いかけっこもこの辺で終わりにしてもいいんじゃないか?」


 不意に、耳のすぐ側で聞こえてきた声に、女は走る速度を落としてしまう。

 そして一度走る速度を落としてしまえば、それ以上の速度を出すことは出来なくなり……次第に走る速度は落ちていき、最終的にはその場に止まってしまう。

 目の前を走っていた女が足を止めたのを見て、レイとセトもまた足を止める。

 足にはかなり自信があったのは速度を見れば明らかだったし、レイ達に自分が気が付かれた瞬間には躊躇いなく逃走という選択肢を選んだのも理解出来た。

 だが……それでも、レイにとっては予想外の速度という訳でもなかったし、女よりも素早い相手はこれまで何度も見てきている。

 ましてや、レイだけではなくセトもいるのだから、女が逃走という選択肢を選んだ時点で追いつくという結果は目に見えていた。

 それでも逃げ足の速さという点では十分評価に値する速度ではあったので、女が自分から逃げるのを諦めてくれたのはレイにとっても面倒を省けたという点で助かったのだが。

 セトを女の後ろに残し、レイは女の前に回り込む。

 この路地裏は決して狭い訳ではない――セトが走れる程度の広さはある――が、それでも前と後ろをレイとセトに押さえられてしまえば、女に逃げ延びるという選択肢は既にない。


「それで、話を聞かせて貰ってもいいよな? 当然、何の話かは分かるだろうけど」

「……な、なんのことかなー? 私は、いきなり追って来られたから逃げただけで、何も後ろ暗いところはないんだけどな」


 苦しいと思いつつも、女は何とか誤魔化すことにする。

 だが、レイに向かって誤魔化しの言葉を口にして、現状はそんなに悪くないのでは? とも思う。

 自分がセトに向けて害意――剥製にしたいという――を抱いたのは、間違いない。

 しかし、それはあくまでもそう思っただけであって、実際に何らかの行動を起こした訳ではない。

 そうである以上、こうしてレイに追い詰められている状況でも、決して向こうから自分に手を出して来るようなことは……

 斬っ、と。

 女が何とか話を誤魔化そうとしていた、その考えそのものを斬り裂くかのように、女の足下に深い斬り傷が生み出される。

 最初、女はレイが何をしたのか分からなかった。

 何故急に足下に斬り傷が……それも鋭利という言葉では表現したりないかのような、鋭い斬り傷が生み出されたのかと。

 だが……女の視線がレイに向けられたその瞬間、何がその斬り傷を生みだしたのかを理解する。

 そう、レイが持っているデスサイズを見れば、何がそれを行ったのかは明らかだった。


「そういう冗談は聞きたくないな。お前が俺やセトに害意を持っているのは明らかだ。そうである以上、ここで俺が手を抜くというのは期待しない方がいい」

「わ、私はまだ何もしてないのよ? それなのに私に危害を加えれば、それはどうなるのか……分からない筈がないでしょう?」

「そうかもしれないな。……けど、そうじゃないかもしれないな? 取りあえず警備兵にお前を突き出せば、そっち方面からお前が何を考えているのか調べることは出来ると思うし、最悪騎士団に引き渡すという手段もある」


 そう告げるレイだったが、こちらは半ば脅しに等しい。

 レイがギルムにとって、そしてダスカーにとって非常に重要な人物であるのは事実だ。

 それでも、害意を向けただけで実際に何か行動を起こした訳でもない以上、捕らえて尋問するような真似は出来ない。

 女も冷静に考えれば、そこまで考えが回っていただろう。

 しかし、今に限っては……レイとセトの力をまざまざと見せつけられてしまった今の状況では、そこまで考えが回らない。

 特に女の考えを狭めたのは、いつの間にか取り出されていたデスサイズと、それによって生み出された地面の斬り傷だろう。

 あからさまに力をちらつかせての尋問だったが、今の女はそれを非難できない。

 もしここで何かを言えば、レイの持つデスサイズの刃が自分に向けられると、そう思い込んでしまっているのだから。


「あ……わ……私は……」


 何かを言わなくてはならない。だが、ここで何かを言ってカルレスを裏切るような真似をした場合、自分の命が失われる可能性が非常に高い。

 であれば、どうするか……そうして女が迷っていた、その時。不意に声が響く。


「騒動が起きたのは、ここです! 男が女に暴力を振るって自分の言う通りにさせようとしてします! 警備兵の皆さん、早く来て下さい!」


 周囲にそんな声が響き、レイはそのあからさまな内容に微かに眉を顰め……後ろも見ずに、デスサイズを振るう。

 瞬間、周囲には鋭い金属音が響き渡った。

 よく見れば、地面には刀身を二つに斬り裂かれた短剣が転がっている。


「っ!?」


 今のが自分を逃がす為の仲間のフォローだと判断した女は、反射的に逃げようとするが、それに気が付いたレイはデスサイズの柄を女の身体に叩き付け、次の瞬間、女は近くの建物の壁にぶつかって意識を失う。


「ちっ!」


 だが、それを見たレイは舌打ちをしてデスサイズを振るい、再び飛んできた短剣を真っ二つにして地面に落とす。

 ……そう、レイではなく、意識を失った女に向けて放たれた短剣を。

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