第1772話

 どさり、と。

 一人の男が地面に尻餅をつく。

 薄らと雪が積もっているだけに、尻が雪で濡れているのだろうが……尻餅をついた男の表情は恐怖に染まっており、とてもではないがその冷たさを感じる余裕はない。

 だが、それも当然だろう。

 目の前にいるのは、ギルムでも有名な異名持ちの冒険者……レイなのだから。


「さて、お前の腕に巻いている赤い布のことを、教えて貰おうか。お前のお仲間は随分色々とはしゃいでるようだが……お前もはしゃいでみるか?」


 尻餅をついている男の仲間のはしゃぐと、レイの言うはしゃぐ。

 その言葉そのものは同じであっても、明らかに意味は違うと男には理解出来た。

 明らかにレイが口にしているはしゃぐというのは、自分にとっては悲惨な未来しか見えない、そんなはしゃぐなのだと。

 男はそれなりに腕っ節に自信はあったし、その辺の相手になら喧嘩で負けるようなつもりもなかった。

 実際、腕っ節を自慢していた樵と喧嘩をして勝ったこともあるので、それは自信過剰という訳ではない。

 だが……それはあくまでも普通の相手を前にしてのことであって、レイのような存在と喧嘩をして勝てるなどとは到底思えない。

 そんなレイに、まだ若い男を脅して金を奪おうとしていたのを見つかったのが、不運だった。

 いや、見つかったのも不運だったが、それよりも大きく不運だったのは、男の右腕に赤い布が巻かれていたことだろう。

 男が友人から譲って貰った、赤い布。

 この赤い布を巻いている者は全員が仲間で、何かあった時は力になってくれるという……そんな約束の証たる、友情の布。

 もっとも、男はそんな言葉を信じてはいなかったが、取りあえずその布を腕に巻いておけばいいだけなので、特にそれで不都合もないから布を巻くようになった。

 結果として、何度か恐喝しているところを警備兵に見つかりそうになったが、赤い布を巻いた相手が警備兵が近づいてきているということを教えてくれたりしたので、特に問題なくやりすごすことが出来……今日もまた、意気揚々と赤い布を巻いて恐喝して金を稼ごうとしたのだ。

 そんな中でレイに見つかり、現在のような目に遭っているのだが。


「ひっ、ひ……お、俺は何も知らない。知らないんだよ!」

「知らない? 俺はただ、その赤い布について教えて貰おうと思っただけなんだけどな。それを知らないってことはないだろ?」


 相手にプレッシャーを掛けるという意味で、笑みを浮かべて言葉を続けるレイ。

 レイの笑みそのものは、別に威圧的という訳ではないのだが……今のような状況で笑みを浮かべるということが、相手に対する強烈なプレッシャーとなっていた。

 もし今のような状況でなければ、それこそ今のレイの笑みも普通の笑みに見えたことだろう。


「わ、分かった。俺が知ってることなら、何でも言う! 言うから、だから、だから……助けてくれ!」


 レイの言葉に必死に叫ぶ男。

 脅すのはこの程度でいいと判断したのか、レイは笑みを浮かべながら話の先を促す。

 笑みという点では先程と同じだったのだが、それでも今浮かべているレイの笑みは明らかに先程までのものとは違っていた。

 それが分かったのか、男も安心したように息を吐く。


「さて、素直に話して貰えるって話だったな。それで、お前が巻いているその赤い布は一体誰から貰ったんだ? その赤い布を巻いている全員が犯罪者って認識でいいのか?」

「知り合いからだよ、友達から貰ったんだ。この布を腕に巻いてれば、何かあったら仲間が助けてくれるって。他の奴がどういう風にこの赤い布を使ってるのかは、俺にも分からねえ」

「なるほど。……で、そのお前の友達ってのは、どこから赤い布を用意してるんだ? 全員が同じ赤い布を付けてるんだ。どこかで専門に作ってるんだろ?」

「そこまでは知らねえよ! 俺は、単にこの赤い布を腕に縛ってれば、それで助けてくれるって話を聞いただけなんだからよ」

「……本当にか? 本当に知らないのか?」


 じわり、とレイの身体から殺気とも呼べない怒気が滲みでる。

 だが、命のやり取りをしたことのないような男であれば、そんな怒気程度でも十分恐怖を覚えたのだろう。

 慌てて頷きを繰り返す。


「本当だって! 嘘なんかじゃねえ! 以前ちょっと聞いてみたこともあったけど、結局誤魔化されたし、それからは特に気にしたこともねえんだよ!」


 男の言葉に、レイは苛立たしげな表情を浮かべる。

 レイが赤い布を腕に巻いている人物を見つけ、その人物が何らかの犯罪行為をしているところを止めて、事情を聞くといった真似をしたのは、何もこの男が初めてではない。

 今までにも数人同じような真似をしているのだが、全員が全員、揃ってこの男と同じようなことを言ってるのだ。


(この連中の注意力が足りない? いや、寧ろ上手い具合にはぐらかしてるって感じだな。ってことは、多分……)


 何となくここから先の話も今まで経験した通りのものになりそうな予感がしながらも、もしかしたらという一縷の希望を胸に男に尋ねる。


「それで、お前の言うその友達ってのは誰だ? どこに住んでいる? もしくは、どこの宿を借りてるんだ?」

「それは……」


 レイの言葉に男は何かを答えようとし……だが、それ以上は何も口に出せない。

 そして恐る恐るといった様子で、何とか口を開く。


「分かんねぇ。あいつの家や部屋には、行ったことがねえんだ。街中で会うだけだったんだよ。だから、どこに住んでいるのかとかは……」


 そう言われても、レイは男に怒気を向けたりはしない。

 寧ろ、やはりという気持ちの方が強い。

 今までに遭遇してきた者達に赤い布を配っていた奴の家や宿を聞いても、誰もそれを知らなかったからだ。


(徹底してるな。これは、どう考えてもお遊びって訳じゃない。……ピンポイントで俺を狙ってるのか? いや、だが……何故?)


 疑問を感じるレイだったが、勿論自分を狙っているという者が多いことは理解している。

 理解しているが……今のギルムで自分が狙われるのは、少し予想外だった。

 これがギルム以外の場所であれば、そのようなことになってもおかしくはない。

 だが、ここはレイの拠点たるギルムだ。

 ギルムに住んでいる者の多くは、セトとの関係も大きくレイに好意的だ。

 もっとも、レイの前で怯えた表情を浮かべている男のように、増築工事の為にやって来た者達もいるのだが。


「た、助けてくれよ! 頼む、頼むから……な、なぁ!」


 必死に許しを請うその姿を見ても、レイは特に同情したりはしない。

 そもそも、先程目の前の男が恐喝をしようとしていた男も、この男に許して下さいと頭を下げていたのだ。

 にも関わらず、この男はその相手を見逃そうとはしなかった。

 もしレイが偶然その場を通りかからなければ、間違いなく脅していた男から金を奪っていただろう。


「自分がしないことを他人に求めるってのは、正直どうかと思うぞ。……ただまぁ、これ以上怖がらせるのは止めておくか。ほら、行くぞ」

「え? その、行くってどこに……」

「警備兵の詰め所に決まってるだろ。さっきお前が脅していた相手には、詰め所に行くように言っておいた。恐らく警備兵がこっちに向かってるから、そいつにお前を引き渡すんだよ」

「な……」


 レイの言葉に、信じられないといった表情を浮かべる男。

 こうして脅されたのだから、警備兵に突き出されるようなことはないと思っていたのだろう。


(何でそう思ったのかは分からないが……ともあれ、この態度を見る限り、多分本気でそんな風に思っていたんだろうな)


 呆れの視線を男に向けながら、その襟首を引っ張って路地裏から出ようとし……


「レイ!」


 不意にそんな声が聞こえてくる。

 だが、突然声を掛けられたレイの方は、特に驚いた様子もなく声のした方に視線を向け、そこに自分の予想した人物……警備兵の姿があることで、笑みを浮かべる。

 自分が男を詰め所まで引っ張っていくという面倒なことをしなくてもすむという、そんな笑み。


「こっちだ。恐喝の被害者から聞いて来たんだろ?」

「ああ、それはそうだが……」


 警備兵の男は、レイが襟首を掴んでいる男の右腕に赤い布が巻かれているのを見ると、やっぱりかといった視線を向けてくる。

 赤い布を巻いている男の一件が明らかになってから、数日……既にレイが捕らえた赤い布を巻いた者の数は、十人を超えている。

 ……それでも赤い布を巻いた者の数が減らないのは、例え犯罪行為だと分かっていても大勢でやれば怖くないという心理の為か。


(赤信号、皆で渡れば怖くない……って奴か)


 日本にいた時のことを思い出してそう考えるレイだったが、今の日本では歩行者が赤信号で渡っていても、赤信号だから自分は悪くないと車で突っ込んでいくような奴も多い。

 そのような者達の前で皆で赤信号を渡ろうとすれば、それこそ大惨事になるだろう。

 そして……赤い布を巻いた者達も、レイという存在の前に大惨事になりつつあった。

 それでも自分達だけは安全だという、根拠のない自信によって赤い布を巻いた者の犯罪行為は次第に増えていったのだが。

 いや、寧ろレイが積極的に赤い布を巻いた者達に関わるようになってから増えているようにすらレイには思えた。

 実際にはレイが赤い布を巻いた者達に引っ掛かったと判断したカルレスがそのように手を回した結果が現在のような状況なのだが、レイはそのことに気が付いていない。

 いや、赤い布を配っている者のこともあって、誰かが意図的に騒動を大きくしているというのは予想しているのだが。


「ほら、取りあえずこいつは渡しておく。後はそっちで事情聴取をしておいてくれ」

「はぁ。分かったよ。これも仕事だしな」


 これ以上レイに何を言っても無駄だと判断したのか、警備兵は大人しく男を受け取る。

 本来であれば、警備兵もレイに色々と言いたいことはあったのだが、実際ここ数日で急激に軽犯罪と呼ぶべき犯罪行為が増えてきているのは事実で、しかも犯人が赤い布を巻いた者達の手によって匿われたり逃がされたりしているので、検挙率も下がっているのだ。

 そのような状況である以上、レイの手を借りてもいいのであれば借りたいと警備兵が思ってしまうのも当然だろう。


(軽犯罪……か。今のところそれで済んでいることを、喜ぶべきなんだろうな)


 軽犯罪とはいえ、恐喝を始めとした暴力沙汰が起きたことを喜ぶような真似は、警備兵として決して正しいとは言えないだろう。

 だが、殺人のような凶悪な犯罪が連続して起きるのに比べれば、今の方がまだマシというのが、警備兵にとっての正直な気持ちだ。

 もっとも、軽犯罪だからこそ赤い布を巻いた者達も気楽に手を貸しているのだろう。

 もしこれで人を殺したことについて逃げたり証拠を隠蔽するのに協力しろと言われても、これまでのように簡単な気持ちでそれに協力する者はいない……ことはないだろうが、確実に数は減るだろう。


「じゃあ、こいつは任せた。俺はもうちょっと見回りをしてくるよ」

「分かったよ。けど、どうせならギルドで見回りの依頼を受けてからやった方がいいんじゃないか?」

「それも考えたんだけどな。やっぱりこういう時は一人で気楽に動き回れる方がいいんだよな」


 その言葉は、警備兵にとってはあまり理解出来ない。

 基本的に大勢で動き回るのが、警備兵としての基本だからだ。

 この辺りはレイが長い間ソロで動き回ってきたということも影響しているし、パーティーメンバーもそれぞれが個人で動くのを得意としているというのも影響しているのだろう。


「もうこれ以上は何も言わないよ。ただ、気をつけろよ。明らかに何か裏で動いてるからな」

「ああ、その辺は問題ない。気をつけるからな。……忠告は感謝するよ。ありがとう」


 それだけ言葉を交わし、レイは警備兵の前から立ち去る。

 警備兵はそんなレイの後ろ姿を見て、未だにギルムでレイにちょっかいを出すような馬鹿がいるとは……と、その相手の結末を想像し、哀れに思う。

 今まで何人もがレイにちょっかいを出してきた。

 それこそ、レイはグリフォンのセトを従魔としていることや、数個しか存在していないアイテムボックスを持ち、それ以外にも様々なマジックアイテムを持っている。

 デスサイズや黄昏の槍のようなマジックアイテムは、それこそ少しでも物の価値が分かる者であれば、どんな手段を使っても欲しがるのは間違いない。

 恐らく今回もその手の者が裏にいるのだろう。

 そう思いながら……それでも最後は悲劇的な未来が待っているのだろうと。


(レイとは敵対するんじゃなくて、友好的に接した方がいいってのは、ギルムにいる者なら大体分かってる筈だ。となると……今回の裏にいる奴は、ギルムの外から来た連中か? 街中に被害が出ないといいんだけどな)


 警備兵は顔も分からぬ相手の結末を想像し、捕らえた男を引っ張って詰め所に戻るのだった。

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