第1771話

「ふむ、なるほど。……やはり深紅様といえども、お人好しな訳ですか」

「そうだな。婆さんから荷物を奪おうとした奴がとっ捕まったってのを考えれば、そんな感じでいいと思うぞ」

「うーん、出来ればあのグリフォンは剥製にして欲しいんだけど。ね? 駄目?」

「駄目に決まってるだろ。上からの指示通りに動いておけ。迂闊にレイとぶつかったりしたら、それこそ俺達程度は一発で砕け散るぞ。それこそ、文字通りの意味で肉片にな」


 何人かの男女が会話を交わすその部屋は、それなりに豪華な家具が揃えられていた。

 本来であれば、特に不自由がない程度の家具があれば十分だったのだが、グリフォンを剥製にしたいと言った女の我が儘により、わざわざ豪華な家具を購入することになってしまったのだ。

 もっとも、金銭的な負担は今回の仕事の軍資金として貰った金額に比べれば微々たるものなので、そこまで気にする必要もないのだが。


「でも、グリフォンの剥製だよ? ドラゴン程ではないにしろ、そう簡単に入手出来る訳じゃないんだから」

「お前の気持ちも分かるけどな、そんな真似をすれば、今以上にレイを怒らせることになるぞ? 俺達の役目は、あくまでもレイの性格の調査だ。どういう真似をすれば怒るのか、どこまでなら大丈夫なのか。その辺りを調べるのに、直接戦うなんて俺はごめんだぞ」


 男の言葉に、不満を言った女は気分を害したのか、唇を尖らせながら視線を逸らす。


「ぎゃははははは。ま、そりゃあ当然だろうな。俺もあのレイってのを遠くから見たことがあるけど、見かけとは裏腹にとんでもない力を持っているのが分かった。少なくても、俺程度じゃ何をどうやっても勝てそうにねえしな」

「あー、それは僕も同感。おまけに、何がどうなってそうなったのか、姫将軍やらベスティア帝国の皇女やら、元ギルドマスターなんて腕の立つ連中が一緒にいるし。正直なところ、僕で勝てそうな相手なんか、あの盗賊くらいだよ」


 愛用の短剣の手入れをしていた男の言葉に、その部屋の中にいた全員がそれぞれ納得する。

 レイが率いるランクBパーティ、紅蓮の翼。

 その戦力は非常に高く、それこそランクAパーティと同等、もしくはそれ以上の力を持つ。

 おまけに、現在は姫将軍の異名を持つエレーナまで一緒に行動しているのだから、迂闊に手を出せば死ぬだけだというのは誰にでも理解出来た。

 ここにいる者の中には、寧ろ死のスリルを味わう為にレイに、セトに、エレーナに、マリーナに、ヴィヘラに、戦いを挑みたいと思っている者もいる。

 だが、同時に仕事を受けたプロ意識も相応にある以上、自分の楽しみよりは仕事の方を優先せざるをえない。

 幸か不幸か、それを分かる者だけがここに集まっている。……いや、そのような者達だからこそ集められた、というのが正確か。


「それにしても……深紅のレイ、か。正直なところ噂がどこまで本当なのか……場合によっては吟遊詩人に大袈裟な噂を広めさせてるんだとばかり思ってたけど、ね」


 今まで黙っていた男のその一言に、各自部屋の中で好き勝手にしていた全員が黙り込む。

 特に何か特別なことを言った訳ではないのだが、それでも色々と癖のある者達を纏めるだけの何かがあった。


「カルレス、どうするんだ?」

「どうする、とは? 今だってこうして血気に逸った連中を使って、レイの様子を探っているんだろう? なら、大人しく待ってればいいのさ」

「……いや、でも……あんな連中で、レイの何が分かるっていうのよ」


 グリフォンの剥製を欲しいと言っていた、この中で唯一の女がカルレスの言葉に若干不満そうに言う。


「……」

「ひっ!」


 だが、カルレスに視線を向けられた瞬間、女の口から悲鳴が出る。

 一瞬……本当に一瞬だったが、部屋の中には間違いなく殺気が流れたのだ。

 そう、流れた。

 不満を口にした女だけに向けられたのではなく、この部屋の中にいる全員に殺気が向けられたのだ。

 その殺気も、次の瞬間には綺麗さっぱり消えている。


「安心して下さい。別に今はそこまで急ぐ必要はありません。赤布の者達も、様子見にすぎませんから。幸い、これから冬で暫くは深紅もギルムに籠もるでしょう。それに、私達を雇った人達も時間は掛かってもいいと言ってましたしね」

「そ、そうだな。それに今は増築工事のおかげで人の数は多いから、俺達も目立たないし」


 カルレスの言葉に、男の一人が慌てて同意する。

 この場に集まっている者達は全員が非常に個性的な者達だったが、カルレスが自分達よりも上の存在だということは、十分すぎる程に理解していた。

 ……もっとも、そのようなカルレスがこの場にいる者達を纏めているからこそ、これだけの我の強い者達が集まっているにも関わらず、集団として破綻していないのだが。


「えっと、それでだ。何でも俺が集めた情報によると、レイは食べるのが好きらしいね。実際、幾つもの新しい料理を考え出しては、それをギルムに広げているみたいだ」


 実際には港街エモシオンでも海鮮お好み焼きという料理を広げていたりするのだが、そこまで詳しい情報は入っていないのか、それともその辺はわざわざ口に出さなくてもいいと判断したのか、話題には上がらない。


「あ、それ僕も知ってる。うどん、肉まん、ピザ……そういうのでしょ。どれも美味しかったから、印象に残ってるよ」


 短剣を研いでいた男がそう言うと、他の者達もそれに同意した。

 実際、それは部屋の中に漂っている雰囲気をどうにかしようとしたというのもあるが、それ以上に実際食べて美味かったという思いがあるのだろう。


「それと、肉まんを売っていた屋台に手を貸して味を改善したとか、それに関連してゴブリンの肉の件もあるよな」


 短剣とは別の男の言葉で、それを聞いていた者達は自分の中にある驚きを押し殺すように頷く。

 それは、カルレスもまた同様だった。

 それだけゴブリンの肉を美味く食べさせるという技術は、驚きを持って迎えられたのだ。


「パーシー商会だっけ? そこにも人をやった方がいいのかもしれないな」

「違う。パーシー商会じゃなくて、パーシー道具店だよ。そこのマーヨって奴。そいつがレイと一緒に研究して、ゴブリンの肉を美味く食べられるようにしたみたいだ」

「パーシー道具店には、色んな料理人が集まってきてるってよ。もっとも、まだゴブリンの肉の数は多くないから、それを実際に料理して試した奴は少ないらしいけど」


 その話題から、次第にゴブリンの肉はどういう肉なのかといったことに話は広まっていく。

 この中には、今のような力を手に入れるよりも前……それこそ子供の頃には食う物が何もなく、生きる為に強烈な吐き気を我慢してゴブリンの肉を食べたという者も少なくない。

 だからこそ、ゴブリンの肉を美味く食べられる方法があると知れば、それに興味を持つのだ。

 あれだけの不味い肉が、どれだけの味になったのかと。


「ふむ、そこまで気になるのでしたら、一度どこかの店に食べに行きましょうか」

『え?』


 カルレスの口から出たそんな言葉に、ゴブリンの肉について話していた他の者達が揃って驚きの声を上げた。

 食べたいとは思っていても、まさかそのようにカルレスが提案するとは思ってもいなかった為だ。


「その……本当にいいの?」


 紅一点の女が恐る恐るといった様子で尋ねるが、カルレスはそんな女に対して、何も問題はないと頷きを返す。


「私も、ゴブリンの肉というのは少し興味がありますからね。……もっとも、本当に噂されている程の味なのかは正直微妙なところだと思いますが」


 そう言いつつもカルレスは立ち上がり、部屋の中にいた者達を見回す。


「さて、では行きましょうか。人に頼るのもいいですが、自分達の目で直接ギルムを見ておくのも悪くはないでしょう。今、このギルムは大きく羽ばたこうとしています。そう、まさに街から都市へと。その光景を見ることが出来るのは、歴史に立ち会うということ」


 そんなカルレスの演説に、部屋の中で話を聞いている者達はそれぞれの態度を示す。

 心酔しているような視線を向ける者もいれば、下らないとそっぽを向いている者もいる。

 だが……それでも、部屋の中にいる者達全員が、その話を聞いてしまうのはどうしようもなかった。


「その歴史の一幕を見ることが出来るというのは、私にとっては非常に嬉しいことだ。……もっとも、余計ないざこざが色々とあるのが多少気になるが、それもまた一つの添え物と考えれば、そう悪いことでもないだろう。……さぁ、では行こうか。歴史を見る為に」


 カルレスの口から出たのは大仰な……あまりにも大仰な言葉ではあったが、それでも決して間違っているという訳ではない。

 ギルムという辺境に唯一存在した街が、人口増加……そしてトレントの森という大量の建築資源を得たことにより、その規模を街から都市に変えるのだ。

 それこそ、蝶が蛹から羽化するかの如く。

 本来はそこまでギルムの増築に興味を抱いていなかった面々だったが、カルレスの口からそのように言われれば、少しくらいは見てもいいかも? と思うようにもなる。

 そんな仲間の様子を一瞥し、カルレスは満足そうに笑みを浮かべて口を開く。


「どうやら、皆が興味を持ってくれたようで何よりです。では、行きましょうか。……それで、ゴブリンの肉を食べるということですが、具体的にはどこの店で食べられるのかは分かっているのですか?」

「あー。あ、うん。その辺はしっかりと理解している。幾つかの食堂で出しているらしい。ただ、どの食堂も結構混んでるって話だったから、ちょっと面倒かもしれないな」


 ゴブリンの肉を美味く食べることが出来るというのは、それ程衝撃的なことなのだ。

 怖い物見たさ――この場合は食べたさか――で、一度はゴブリンの肉を使った料理を食べてみたいと思う者がおり、それを食べた者が実際美味かったと話を広げれば、それを聞いた者の何人かがゴブリンの肉を食べ……そしてまたその客の評判から新たな客が現れる。

 まさに、口コミという言葉がこれ以上相応しい現象もないだろう。

 その上、運良くゴブリンの肉を手に入れることが出来た料理人達が、出来れば他の店と客層が被らないようにと、その肉をどんな料理に使うのかを料理人同士で話し合い、大体の方向性を決めている。

 ……もっとも、その辺は最初からマーヨが色々と考え、得意な料理が被っていない料理人を選んでゴブリンの肉を売っているという店もあって、そこまで大きな騒動になるようなことはなかったのだが。


「ふむ、では……取りあえず何軒か回ってみますか? 人が多いのは若干気に入りませんが、そのくらいであれば我慢も出来るでしょうし」


 その言葉に従い、カルレスと他の面々は外に出る準備をすると、部屋を出ていく。

 もっとも、カルレスの下に集まった者達は色々な意味で個性的な面々だ。

 冬に相応しい厚めの外套を身に纏っている者もいれば、薄着のままといった者もおり、多少目立っていた。

 ……それでも多少ですんでいるのは、ギルムには様々な者達が集まっているからだろう。

 特に今年は、増築工事目当てで例年よりも多くの者達がおり、その中にはカルレス達以上に目立っている者も決して少なくはない。

 木を隠すなら森の中といった言葉があるが、まさに現状のギルムにはそれが相応しい。

 場合によっては、それこそカルレス達よりも余程強烈な個性を持っている者もいるのだから。


「じゃあ、まずはゴブリンの肉を使った炒め物を使ったサンドイッチを売ってる店に行ってみようぜ。それなら、手軽に食えるし」

「えー……サンドイッチなの? 私、今はパンって気分じゃないんだけどな」

「なら、食わなきゃいいだろうが。別に、無理に全部を食えって言ってる訳じゃねえんだから」

「む。何よそれ。それって私のことを甘く見てるの?」

「はぁ、誰がそんなことを言ったんだよ。別に俺はそんなことは言ってないだろ? ほら、ゴブリンの肉を使っている料理の中には、結構な手間暇を掛けている奴もあるって話だ。そっちを食べればいいだろ? どのみち、全部の料理を食える訳でもないんだからな」

「それに、ゴブリンの肉が美味く食えるようになったって言ったって、結局ゴブリンの肉としてはって話だろ? それこそ、純粋に味で比べればオークの肉の方が上だって話だし」


 カルレスの仲間の一人が呟くが、実際それは事実だった。

 ゴブリンの肉が美味く食べられるようになったからと言って、それはオークの肉のように、ランク以上の味を持つモンスターの肉よりも上ということはないのだから。


「ほら、皆さん。行きますよ。今年の冬は深紅の件で色々と忙しくなるのですから、ゆっくりと英気を養うとしましょう」


 カルレスがそう言うと、皆が大人しくついていく。

 ……だが、カルレスや他の面々は知らない。

 レイが、もう少ししたらギルムを出てケレベル公爵領に行くということを。

 そのことをまだ知らないのは、カルレスにとって良いことなのか、悪いことなのか……

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