第1770話
警備兵の詰め所で話を終えると、レイは外に出る。
ちなみに今回の被害者たる老婆は、既に話を聞き終えてとっくに詰め所から帰っていた。
警備兵が敢えてレイを後回しにしたのは、少し時間を置けばレイの頭も冷えると、そう思ったからなのだろう。
深紅の異名を持つレイの拠点たるギルムで、赤い布を巻いて犯罪行為を……それも強盗や窃盗といった犯罪を、ここのところ連続して起こしている者達。
そんな存在を目にして、レイが不満を抱かない筈がなかった。
その気持ちは警備兵も理解出来るのだが、だからといって頭に血が上ったレイをそのまま外に出すような真似をしたら、それこそそのまま赤い布を腕に巻いている者達を探して回ると予想したのだろう。
実際、もしレイが苛立ったまま詰め所を後にしていれば、そのような行動に出た可能性は否定しきれない。
だが警備兵の判断により、レイは若干ではあっても苛立ちが収まっていた。
「グルルゥ?」
詰め所から出て来たレイにセトが気が付き、嬉しそうに喉を鳴らす。
そんなセトの周囲には老若男女問わず何人もがおり、それぞれにセトを撫でたり、食べ物を与えたりして愛でていた。
そのような者達も、レイが来たとことでセトが立ち上がると、それ以上はセトを止めたりはしないでセトの好きにさせる。
……何人かは残念そうな顔をしていたが。
「取りあえず、ちょっと街中を歩いてみるか。あの赤い布の奴は、俺は今日初めて見たしな。もしかしたら、今まで単純に見逃していただけかもしれないし」
「グルゥ!」
レイの言葉に嬉しそうに喉を鳴らすセト。
街中を歩くのは、あの赤い布を腕に巻いた者達を探す為だというのはセトも知っている。
だが、セトにとってはレイと一緒にいることが一番楽しいことなのだ。
先程までのように、色々な人に可愛がって貰うのも、当然好きなのだが。
ともあれ、そんな訳でレイとセトは適当に街中を歩いていたのだが……
「へぇ」
肉まんを売ってる屋台を見つけ、レイは感心したような声を出す。
その肉まんを売っている屋台は、少し前にレイが関わった屋台だ。
もっとも、美味くもなく不味くもないそんな肉まんを売っている屋台にアドバイスをしたのは、当時近くにあった訓練場を使っていた者達だったが。
そんな肉まんを売っていた屋台だったが、今は訓練場の近くではなく、大通りの中でも人通りの多い場所にその屋台の姿はあった。
暫くの間は人気のある順、売り上げ順といった具合で屋台の場所が決まるとレイは聞いていたが、今の場所を見れば屋台の売り上げが良好だというのは明らかだった。
実際、何人か並んでいる客もいるのが、その証だろう。
「これ、本当にゴブリンの肉なのかよ!? 俺、冒険者になったばかりの頃に食ったことあるけど、とても食えたもんじゃなかったぜ?」
「はい、本当にゴブリンの肉です。うちではパーシー道具店から特別に処理をされたゴブリンの肉を売って貰っており、それを使っています」
「……ってことは、これからゴブリンの肉は美味く食えるのか?」
「えっと、残念ですけどその辺は無理かと。このゴブリンの肉もそれなりに量産出来るようになったという話ですが、まだそこまでするのは無理だという話でしたので」
「そうなのか、残念だな。あのゴブリンの肉をこれだけ美味く食えるなら、冒険者になったばかりで貧乏な奴とかも助かると思ったんだが」
そんな声が聞こえてくるが、レイは冒険者と思しき男が言ってるようになるまでにゴブリンの肉が広まるのは、まだ先のことだと考える。
ゴブリンの肉を食べられるように……正確には美味く食べられるようにするには、ガメリオンの内臓をメインに、幾つかの素材が必要となる。
その中で一番問題なのは、やはりガメリオンの内臓だろう。
秋にしか姿を現さないモンスターというのは、それだけ貴重なのだ。
これが、もしゴブリンのようにいつでも頻繁に姿を現すモンスターであれば、それこそ美味いゴブリンの肉を大量生産出来たのだろうが。
「取りあえず忙しいようだし、挨拶はしなくてもいいか」
「グルゥ」
レイの言葉に、少しだけ残念そうにセトが喉を鳴らす。
セトにしてみれば、肉まんを少し食べたかったというのが正直なところなのだろう。
以前の肉まんとは違い、今は極上! という程ではないにしろ、それなりに美味いと表現出来る味になったのが大きい。
「肉まんは、また今度な」
そう言うレイだったが、そろそろエレーナと共にケレベル公爵領に向かう時期になってきている。
そうなれば、当然のように肉まんを食べることは出来ないのだが……その辺は、年明けにギルムに戻ってきてからでも肉まんは食えるという思いがあった。
レイの認識では肉まんは寒い時季……それこそ秋や冬といった季節に食べるものという認識があり、肉まんと共にその意識も広がっている。
勿論春や夏に肉まんを売ってもレイとしては特に文句はないのだが、その辺りは肉まんを広げたレイに対する感謝の気持ちも込めて、そのような扱いとなっていた。
ただ、それはあくまでもレイが活動拠点としているギルムだからこその話であり、肉まんという料理が他の村、街、都市といった場所に広まっていけば、春や夏でも肉まんを売るような店が出て来てもおかしくはなかった。
そうであっても、レイは不満を口にする気はなかったのだが。
そもそも、寒い時に肉まんを食べるというのは、あくまでもレイの好みにすぎない。
実際、中華街のような場所に行けば一年中肉まんの類を売っているし、それを買ってる人も珍しくはない。
……もっとも、やはり気温が三十℃を越えるような日であれば、売り上げは落ちるとレイは以前TVで見た記憶があったが。
「さて、他の場所に行くぞ。あの馬鹿共をさっさと見つけてしまわないとな。下らない騒動ばかり起こされれば、こっちが迷惑するし」
肉まんの屋台が繁盛している様子を見て、レイは少しだけ気分を落ち着ける。
未だにこれ見よがしに赤い布を腕に巻いている者達は許せはしないが、それでも見敵必殺、サーチ&デストロイといった気分ではなくなっていた。
もっとも、だからといって赤い布を巻いた者達を見つけても見逃すといったことを選択する気は一切なかったが。
それでも八割殺しくらいにしようと思っていたのが、半殺しくらいで許してやろうと思う程度には落ち着いていた。
「あら、レイじゃない。どうしたのよ?」
街中を歩いていると、そんな風に声を掛けられる。
声のした方を見れば、そこにはヴィヘラやビューネ、それ以外にも何人かの冒険者と思しき者の姿があった。
「ちょっと捜し物……いや、探し者をな。それよりそっちは見回りか?」
「ええ。どうしても色々と騒動が起きてしまうみたいでね」
「……その騒動、もしかして赤い布を腕に巻いた奴が関わってたりしないのか?」
「赤い布?」
レイの言葉に、ヴィヘラは少し何かを思い出すようにし……やがて、頷きを返す。
「そう言えば喧嘩があった時に、そういう男がいたけど。それがどうしたの?」
予想外にあっさりと出て来たその言葉に、レイは違和感を抱く。
ヴィヘラの口調の中に、特に不満そうな色がなかった為だ。
もしレイが見たようにひったくりを行っているような赤い布の男を見たのであれば、とてもではないがこのような口調で話すとは思えない。
ヴィヘラは戦いは好きだが、弱い相手から力で何かを奪うような真似をする相手は、到底好きになれないのだから。
それ故の違和感。
「喧嘩、か。その赤い布の男は、どうだった?」
「どうって言われても……こっちが喧嘩を止めるように言ったら、すぐに止めたわよ? 私達にも迷惑を掛けてすいませんって謝ってきたし」
「……赤い布の男が、か?」
「ええ」
レイの言葉にあっさりと頷くヴィヘラ。
それを見て、レイは再び疑問を抱く。
とてもではないが、レイが……正確にはセトが倒した相手とは違いすぎる、と。
(つまり……相手はヴィヘラが俺の仲間だと知っていて、すぐに謝った?)
レイとヴィヘラがパーティを組んでいるというのは、ギルムでは広く知られていることだ。
そして極上の美女にして、娼婦や踊り子が着るような薄衣を身に纏っているヴィヘラは、それこそ一目でヴィヘラだと分かる。
そう考えれば、ヴィヘラをレイの仲間だと認識して素直に謝って目を付けられないようにするというのも、十分に考えられた。
(となると、やっぱりあの赤い布は俺を意識してのことなのか? ……けど、何でだ? いや、別に俺が誰にも恨みを買っていないなんてことは言わないけど)
恨みを買っていないどころか、これまでのレイがやってきたことを考えれば、それこそレイを恨んでいる者は幾らでもいるだろう。
貴族を相手にしても躊躇うことなく実力行使をし、多くの盗賊を殺し、犯罪奴隷として売り払い、戦争ではレイとセトによって大勢が命を落とした。
それ以外にも様々な理由でレイに恨みを持っている者はいる。
そのような者達にしてみれば、レイという存在は幾ら憎んでも憎み足りない存在だろう。
とはいえ、だからといって迂闊にレイに手を出せばどのような目に遭うのかは、それこそ自分で体験している以上、そのような真似を出来る者はそう多くはない。
「どうしたの?」
「いや……ちょっとその、赤い布を巻いてる奴が気になってな」
ヴィヘラの問いにレイはそう答え、老婆がひったくりに遭いそうになり、それをセトが防いだことを説明する。
「なるほどね。わざわざ赤い布を腕に巻いているんだから、喧嘩をしてた人とセトに叩きのめされた人が何の関係もない筈はないってことね」
「ん」
ヴィヘラの言葉に同意したのは、レイ……ではなく、ビューネ。
まさかここでビューネが自己主張するというのは、レイにとってはかなり意外だった。
いや、それはレイだけではない。ヴィヘラやビューネと一緒に行動していた他の冒険者達も驚きの視線をビューネに向けている。
「えっと……これは、何でヴィヘラの言葉に同意したんだ」
他の者達からの期待の視線に押されるように、レイはヴィヘラに尋ねる。
レイもそれなりにビューネとの付き合いは長くなったが、それでもヴィヘラ程にビューネが何を言いたいのかを理解するような真似は出来ない。
……それでも、ある程度、本当にある程度は理解出来るようになっているのだが。
「赤い布を巻いた人がいるんだから当然ってことでしょうね」
「なるほど。俺と同じ認識だった訳か。……ともあれ、だ。もし赤い布を見つけた奴がいたら、俺に教えてくれ」
ビューネの判断については、自分がここで考えても特に意味はないだろうと判断し、それ以上は考えないことにする。
普段であれば、もう少しビューネの言動が理解出来るようになってもいいのではないかと、そう思わないでもないのだが……残念ながら、今はその辺りを考えるよりも先にやるべきことがある。
ヴィヘラもそんなレイの気持ちは分かっているのか、ここで無理に話を続けようとはしなかった。
「ええ、見つけたらすぐに知らせるわ。……ただ、その赤い布を巻いた人が何か問題を起こしてるようなら、こっちで捕らえることになるわよ?」
「それはそれで構わない。……あ」
ヴィヘラの言葉に答えてから、レイはふと気が付く。
何もこうして赤い布を巻いている相手を探さなくても、老婆からひったくりを行おうとしてセトに気絶させられた、あの男から情報を聞けばよかったのではないかと。
そのような簡単なことに気が付かなかったのは、それだけレイの頭に血が上っていたのだろう。
血が上った状態でそのことをすっかりと忘れ、詰め所で幾分か落ち着いた時にもそのことを思い出せなかった。
「どうしたの?」
「いや、何でもない。自分で思っていたよりも頭に血が上っていたみたいだ。本来なら、もっと簡単に赤い布の連中についての情報を得られたと思ってな」
「そう。……でも、気をつけてね?」
気をつけろと、そう言っているのは最初冗談か何かで言ってるのかと思ったレイだったが、ヴィヘラの表情を見る限りではそこにあるのは冗談でも何でもなく真剣な表情だ。
「俺があの程度の連中に負けると思うのか?」
「思わないわ。けど、それは向こうだって同じでしょ? まさか、レイと正面から戦ってどうにかなるとは、到底思っていない筈。にも関わらず、あからさまにレイを挑発するような真似をしている。それはつまり、何か企んでいると考えてもおかしくないと思うけど?」
「……そう言われれば、その可能性はあるのか」
少しでも事情に詳しい者がいれば、ヴィヘラの言う通りレイと正面から戦おうなどとは思わないだろう。
にも関わらずこのような真似をしているということは、それなりの考えがあるのは間違いなかった。
「そうだな。用心はしておいた方がよさそうだ」
そう告げ、レイはヴィヘラに感謝の言葉を告げるのだった。
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