第1769話

「えー……」


 レイは目の前の光景を見て、何と言えばいいのか迷う。

 ギルドでレノラやケニーから、泥棒に気をつけるようにとは言われた。

 そして、まるでそれがフラグか何かのようではないかとすら思ったのも間違いはない。

 だが……それは半ば冗談に近い考えであり、まさか本当に泥棒を見ることになるとは、思わなかった。

 もっとも、襲われたのはセトを連れたレイではなく、レイから少し離れた場所を歩いていた老婆だったのだが。

 その女が持っていた袋――バッグと呼ぶのは多少苦しい代物――を、脇道から飛び出てきた男が奪って逃げだそうとしたのだが……その男にとって不運だったのは、その場にセトがいたことだろう。

 そして更に不運なことに、その老婆はこれまで何度もセトに食べ物を与えており、セトは自分を可愛がってくれた相手の危機を見捨てるような真似はしない。

 結果として、老婆の悲鳴を聞いた瞬間……いや、男が袋を奪ったのを見た瞬間にセトは駆けだし、泥棒をその前足で叩き潰したのだ。

 とはいえ、セトもここがギルム……街中であるというのはきちんと理解している為か、かなり手加減をしていた。

 泥棒はセトの一撃で意識を失っているのだが、手足の一本も失ってはいないし、頭部も潰されていないし、内臓が破壊されるような真似もしていない。


「グルルルゥ」

「おお、ありがとね。うん、良い子だねぇ」


 袋を奪われた老婆は、セトに感謝の言葉を言いながら頭を撫でる。

 セトもまた、そのように頭を撫でられるのは嫌いではないのだろう。老婆の手に身体を任せ、気持ちよさそうに喉を鳴らしていた。

 そしてレイは意識を失って倒れている泥棒――強盗と呼ぶのが正しいのだろうが――が逃げ出さないようにと、一応見張っている。

 フラグか、という思いが内心にあるのだが、それを言ったところで通じるような相手がいない以上、わざわざそれを口に出すようなことはしない。

 警備兵が来るのを待っていると……不意に倒れている男の腕に赤い布が結ばれているのが見てとれた。

 赤い布ということで、もしかして怪我をした腕を縛っているのか? と一瞬思うものの、すぐにそれが血でもなんでもなく、ただの赤い布であることに気が付く。

 そのことに安堵し――強盗の心配をしたのではなく、セトの一撃で怪我をさせたのではということに対する安堵だったが――たレイは、改めて気絶している男の様子を眺める。

 特にお洒落に拘っている様子がある訳でもないように見えたので、ますます男が腕に布を縛っているのを疑問に思う。

 もっとも、レイは日本にいた時からお洒落とかは特に気にするようなことがなかったし、それはこのエルジィンにやって来てからも変わらない。

 ……普段からドラゴンローブを着て、それ以外は特にお洒落らしいお洒落はしていないのだ。

 いや、右手のミスティリングが腕輪という形なので、それがお洒落らしい唯一の要素と言ってもいいのかもしれないが。

 ともあれ、そのようなレイであっても気絶している強盗がこれ見よがしに腕に赤い布を巻いてる姿は疑問に思う。

 もしセトに見つからずこの場を上手く逃げても、目立つように赤い布を腕に巻いているのを見れば、それが目印となって犯人捜しを容易にする。


(いや、寧ろそれが狙いなのか? 所詮腕に巻いてる布だ。ここから逃げ出してそれを解けば、証拠の類もなくなるし。けど……そこまで頭が回るってのは、ちょっと気になるな)


 微妙に嫌な予感がすると同時に、深紅の異名を持つ自分の赤という色をこれ見よがしに犯罪に使っているということに不愉快な思いを抱いていると、やがて人混みを掻き分けるようにして警備兵が姿を現す。

 ギルムの警備兵はかなりの人数がいるのだが、レイは今まで色々とあった関係で多くの警備兵とは顔見知りだ。

 今やって来た警備兵も、幸いなことにレイの顔見知りの相手だった。

 もし顔見知りではない警備兵であっても、それはあくまでもレイと顔見知りではないというだけであって、ギルムにいる以上はレイがどのような人物かは知っている。

 それでも、やはり事情を話すのであれば顔見知りの方がいいと思うのは当然だろう。


「大変だったな、レイ。いや、セトか」


 既に知らせに来た相手から大体の事情は聞いているのか、警備兵はレイに向かってそう声を掛けてくる。

 そこまで態度が真剣でないのは、既に強盗がセトの一撃によって完全に意識を失っているからだろう。


「全くだ。雪も降ってきたし、出来ればこういう面倒にはしたくなかったんだけどな。……警備兵がもっとしっかりと仕事をしてれば、とは言わないけどな」

「言ってるだろ、それ」


 レイの言葉に警備兵が思わずといった様子でそう突っ込む。 

 ただ、レイにそう突っ込んでから、警備兵は多少申し訳なさそうに頭を下げる。


「けど、レイが言うのも分かる。ここ最近、こういう連中が増えていてな。それに今年は増築工事の一件でどうしても人が多いし。……ああ、やっぱり。こいつもか」


 レイに頭を下げた後で、警備兵は男を見て面倒臭そうに呟く。

 もし警備兵が男の顔を見ての言動であれば、レイもそこまでは気にするようなことはなかっただろう。

 だが、警備兵が見たのは男の右腕……そう、先程レイが気にした赤い布が巻かれている場所だ。

 そんな警備兵の様子に、レイは嫌な予感を抱きながら尋ねる。


「なぁ、もしかして……この赤い布を巻いた連中が同じようなことを繰り返していたりは……しないよな?」


 普段のレイを知っている者であれば、ちょっと信じられないような、恐る恐るといった様子で尋ねるレイ。

 だが、そんなレイに警備兵が返した行動は、そっと視線を逸らすという行為だった。

 警備兵も、レイが深紅という異名で呼ばれているのは知っている。

 そんなレイの前でこれ見よがしに赤い布を巻いて、老婆の荷物を力づくで強引に奪おうとしたのだ。

 それが、レイの勘に障らない訳がない。


「へぇ……俺が色々と忙しくしている間に、また随分と愉快な連中がギルムに湧いて出るようになったんだな」


 レイも、別に赤が全て自分の色だと言うつもりはない。

 それでも……それでも、深紅という異名は自分だけで得たものではなく、レイがこれまで戦ってきた者達がいたからこその異名なのだ。

 戦ってきた者達の中には、当然気にくわないような奴もいたが、同時に尊敬に値するような敵もいる。

 それだけに、こうして赤い布を巻いた者が集団で……しかも盗賊といった行為ではなく、言わば軽犯罪とでも呼ぶような行為を繰り返していると聞かされて、レイが面白いと思う訳がなかった。

 そんなレイの様子に、警備兵は思わず天を仰ぐ。

 微かに舞っている雪が警備兵の顔に落ち、その冷たさで頭を冷やしてから、改めて口を開く。


「取りあえず落ち着けって。結局こいつらは赤い布を巻いてはいるが、ただの小悪党だ。それこそ、レイがよく外で倒している盗賊達にも劣っているような奴だぞ? 異名持ちの高ランク冒険者が、そこまで気にするような連中じゃないって」


 レイを宥めるように言う警備兵だったが、それを聞いてる方は特に何も言わない。

 ……これは警備兵に反論しないのではない。単純に考えに熱中している為だ。


(あーあ)


 そんなレイを見て、警備兵の男はこれ以上は手が付けられないと判断する。

 もっとも、最近恐喝や強盗といった真似をする集団には、警備兵も厄介な相手だと思ったのは間違いない。

 これで、人を殺すような真似でもするのであれば、警備兵もより真剣に捜査をすることになっただろう。

 だが、赤い布を腕に巻いている集団は、狙っているのか、それとも度胸がないからなのか、もしくはそれ以外の理由があるのかは分からなかったが、決して人を殺すような真似はしなかったし、地位のある者を狙うような真似はしなかった。

 赤い布の集団が狙うのは、決まって今回のような年寄りだったり、力のない者だったりといったような者達なのだ。


(どこかの組織が裏で糸を引いてるのは間違いないんだろうが……わざわざレイを怒らせるような真似をして、どんな得があるのやら)


 警備兵はそんな疑問を抱くが、今は取りあえずこの場を収める方が先だと判断して、近くでセトを撫でている老婆に声を掛ける。


「婆さん、ちょっと話を聞きたいから詰め所まで来て貰えるか?」

「私かい? それはいいけど……セトちゃんが何か怒られたりはしないかね?」

「ああ、大丈夫。セトがやったのは犯罪者を捕らえただけだからな。褒められることはあっても、怒られるようなことはないよ」

「そう、良かったねセトちゃん」

「グルゥ!」


 老婆に撫でられて、嬉しそうに鳴き声を上げるセト。

 そんな一人と一匹を見ていた警備兵だったが、まだ何か考えている様子のレイにも声を掛ける。


「ほら、レイ。お前もいい加減我に返れ。お前からも事情を聞く必要があるんだからな」


 警備兵の言葉に、レイは溜息と共に視線を向ける。


「一応聞くけど、何だってこんな連中が野放しになってるんだ? 警備兵の仕事だろ?」


 レイは別に怒っている訳ではない。

 いや、赤い布を付けている連中に対しては怒っているが、警備兵に対して怒っている訳ではないのだ。

 だが、それでも警備兵はレイの視線の強さと、自分達の不甲斐なさから犯罪者を跳梁跋扈させているこの状況に罪悪感のようなものを抱いているのか、そっと視線を逸らす。


「今のギルムで、警備兵の人数だけじゃ足りないってのは、分かってるだろ」

「ああ。分かってる。けど、それで足りないから冒険者も雇って警備兵の補助として見回りをさせていた筈だろ?」

「……そうだな」

「けど、この連中が捕まってないのは何でだ?」

「どこを見回るかって情報が、この連中に行き渡っているんだろうな」

「なるほど。つまり警備兵や冒険者の中にこの連中と繋がってる奴がいるのか」


 そう言いつつも、レイは恐らく赤い布の連中と繋がっているのは警備兵ではなく冒険者だろうなと、想像する。

 人数としては明らかに警備兵より冒険者の方が多いし、現在は増築工事の影響で多くの冒険者がギルムに集まっているのだ。

 集まっている冒険者全員が、悪事を行わないような者である筈がないのだから。

 当然中には質の悪い奴もおり、何らかの理由――基本的には金だろうが――で赤い布の者達に情報を流してもおかしくはない。

 それは言ったレイだけではなく言われた警備兵の方も理解しているのか、頷きを返す。


「全く、下らない小遣い稼ぎをやる者だ」

「……ちなみに、本当にちなみにだが、この連中を俺が捕まえても特に問題はないんだよな?」

「あー……構うか構わないかで言えば構わないんだが、異名持ちの高ランク冒険者がやる仕事じゃないぞ?」

「分かってる。それでもこいつらはちょっと……な」


 せめて、赤ではなく他の色であれば話は別だったのだろうが、赤い布をこれ見よがしに付けているというのが……それもレイの拠点のギルムでそのような真似をしているというのが、妙にレイの気に障った。

 そんなレイの考えを何となく理解したのか、警備兵はそれ以上はその件について何も言わず、改めてセトを愛でている老婆に視線を向ける。


「婆さん、詰め所に行くから一緒に来てくれないか?」

「ああ、問題ないよ。……セトちゃんも一緒かい?」


 セトを撫でながら尋ねる老婆に、警備兵も少しだけ力が抜ける。

 数秒前まで、レイと緊迫感に満ちたやり取りをしていただけに、余計に力が抜けてしまう。


「レイにも来て貰うから、セトも当然一緒だよ」

「そうかい。じゃあ、行きましょうかね。セトちゃん」

「グルゥ!」


 老婆の言葉にセトは鳴き声を上げ、そのまま立ち上がる。

 そうしている間に、後から続けて何人かの警備兵がやってきて、先程までレイと話していた警備兵と言葉を交わすと、まだ気絶したままの男を連れていく。

 どことなく乱暴な手つきで運んでいるのは、この忙しい時に面倒を掛けやがってという思いからきているのは間違いない。


「じゃ、レイ。お前にも来て貰うぞ。……それと一応言っておくが、お前がその赤い布の連中を捕まえるのはいいけど、何もしてない状況でそんな真似をすれば、最悪俺がお前を捕まえなければならなくなるってことを忘れるなよ」


 今回のように、何か犯罪を犯した相手を捕まえるのであれば、何も問題はない。

 だが、ただそこにいるというだけでレイが赤い布を腕に巻いている者達をどうにかするのであれば、それはレイが捕まることになってもおかしくはない。

 ……もっとも、赤い布を巻いている者達は後ろ暗いところがある以上、警備兵に訴え出るかどうかは微妙なところではあったのだが。

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