第1682話
「えっと……何て言えばいいかしら、これ。……そう、これしか言えないわ。酷いわね」
ヴィヘラの言葉に、全員が……それこそ、この惨状を引き起こしたレイとセトすらも頷いてしまう。
だが、それも当然だろう。セトと同じくらいの大きさのモンスターは、銛で貫かれて逃げるようなことも出来ず、強引にここまで引っ張られてきたのだ。
当然それだけの大きさのモンスターが浅瀬にくれば身体を海に隠すことも出来ず、岩によって身体中が傷つけられた状態だった。
鱗は剥げ、血が流れ、肉が見える。
そのような傷が体中に広がっているのだから、酷いとしか言えないヴィヘラの感想は当然だった。
「そう言ってもな。あの状況でこいつを上手く仕留める方法はそうないんだから、これもしょうがないだろ。……で、こいつはモンスターか。まぁ、予想はしてたけど」
魚なのか、それともモンスターなのか……その辺りは相手が海にいる時はレイにも分からなかったが、それでもこうして引き上げる事が出来ればはっきりとする。
「鱗を飛ばした時点で予想はしてたけど」
普通に考えて、鱗を飛ばすような魚というのは考えられない。
いや、地球には口から鋭く水を吐いて、その水で昆虫を倒して餌とするテッポウウオという魚もいるのだから、エルジィンにおいては鱗を飛ばして獲物を獲る魚がいてもおかしくはないか、と思い直す。
「ただ……当然ながら、このモンスターは知らないな。ビストル。知らないか?」
ここでレイがビストルに聞いたのは、ビストルがグズトスというモンスターについての情報を知っていた為だ。
だが、聞かれたビストルも、残念そうにしながら首を横に振る。
「申し訳ないけど、アタシもこのモンスターは初めて見るわ。……これだけの大きさなんだから、有名になっていてもおかしくはないと思うんだけど」
そもそも、ビストルもギルムや辺境の周辺……つまり、海のない場所で活動している商人だ。
だからこそ、こうして海の魚を獲りにレイ達についてきたのだから。
グズトスについて知っていたのは、単なる偶然にすぎない。
「うーん、そうなると……マリーナ?」
「私も初めて見るわね」
「エレーナ?」
「同じく、分からない」
「ヴィヘラ?」
「私も初めてね」
「……一応聞くか。ビューネ?」
「ん」
レイの言葉に、ビューネはいつものように短く一言だけ呟く。
だが、今回に限っては、レイもビューネが何を言いたいのかを理解していた。
何故なら、ビューネが首を横に振っていたのだから。
それを見れば、明確なまでにビューネもこのモンスターについて知らないのは明らかだ。
「さて、そうなると……取りあえず魔石だけでも取っておくか。討伐証明部位とか、そういうのはまた後でだな」
レイの意見に反対する者はいない。
このモンスターがどのようなモンスターなのかが分かれば、ここで解体してもよかっただろうが……それが分からない以上、下手に解体をして捨てた部位が何らかの素材だったり、討伐証明部位だったりといった可能性もある。
(まぁ、恐らく食える部分は大きいよな。……傍目には黒鯛に見えるし)
改めてモンスターに視線を向け、しみじみとそう思う。
そう、レイとセトを襲ってきたモンスターの正体は、黒鯛だった。
勿論全長三mもあり、鱗を飛ばして攻撃するような黒鯛が普通の黒鯛という訳ではない。
あくまでもレイの知っている魚の中では黒鯛に似ているというだけであり、大きさ以外にも細かいところで色々と違う場所は多かったのだが。
(そもそも、あれだけ鱗を飛ばしてきたのに、身体で鱗の剥がれている場所……いやまぁ、岩で削れた場所の鱗が剥げていた可能性は否定出来ないんだが)
魚のモンスターを見ながら、取りあえず魔石を取り出すべくナイフを取り出す。
モンスターの身体は半分近くがまだ海水に浸かっており、そこから流れた血を嗅ぎつけたのか、小さな魚やカニが集まってきている。
折角倒したモンスターなのだから、出来るだけ魚やカニに食べられたくはない……と思ったレイだったが、モンスターをここまでセトで引っ張ってくるまでの間に、何度となく途中で岩にその巨体をぶつけてきたのを思えば、今更の話かと妙に納得すらしてしまう。
(まぁ、内臓とかを片付けて貰えると考えれば、魚とかカニがいても悪くはないか)
モンスターの中でも内臓の類は素材として売ることが出来る部位も多いのだが、ここまでやってくるまでの間にその半ばが海中に散らばってしまっている。
そうである以上、今から内臓を取り出しても意味があるとは思えず、取りあえず魚やカニの餌にでもしようかと、そう考えたのだ。
内臓の方に集まって、身を食べられるようなことはないかもしれないと、そう思いながら。
「これだけ大きな魚だと、食べ応えという点ではかなり大きいでしょうね。……レイとセトだと、あっさりと食べきってしまいそうだけど」
改めて魚の姿を見ながら、マリーナがそう呟く。
「グルゥ!」
そしてマリーナの言葉が聞こえたのか、セトは任せて! と嬉しげに鳴き声を上げた。
……なお、そんなセトはマリーナ達が釣った魚を食べさせて貰っており、かなりご機嫌な様子だ。
「とにかく、魔石を取るのなら早くした方がいいわよん。ほら、かなり魚やカニが集まってきてるし……」
ビストルの言葉に、改めてレイが海中に視線を向けると……そこには、少し前に比べると圧倒的なまでに多くの魚やカニが集まってきていた。
いや、それだけではなく、中にはタコの姿すらある。
「随分と集まってきたな」
呆れたように呟きつつ、レイは急いでモンスターの体内から魔石を取り出す。
腹の部分がここに来る途中で裂けていたこともあり、特に苦労することなく魔石を取り出すことには成功する。
あとは、そのままモンスターの死体をミスティリングの中に収納し……少し離れた岩の上に置かれた網に視線を向けた。
そこにある網……正確には、網に入っている魚は、レイがモンスターに襲撃される前に獲った魚だ。
モンスターと戦っている間も、レイはその網を手放さずにデスサイズや銛を持っていない方の手で持っていた。
どうしても両手を使わないといけない時は、それこそセトの背の上に置くといった真似をしてまで。
……結果として、網の中の魚は無事だったが……代わりに微妙にセトの背が魚臭くなってしまった。
もっとも、イエロにとってはそんなセトの背は寧ろ安心するのか、それとも食欲を刺激するのか……機嫌良く魚を食べているセトの背の上でじっとしていたのだが。
「ん! ん!」
セトの方を見てほんわかとした気分をしているレイだったが、ドラゴンローブをビューネに引っ張られて我に返る。
「どうしたんだ?」
「ん!」
レイの言葉に、ビューネは海中を……つい先程までモンスターが存在していた場所を眺めてから、レイに向かって手を差し出す。
それが何を意味してるのか分からないレイは、ただ首を傾げるだけだ。
それなりに付き合いも長く、ビューネが何をいいたいのかも大体分かるようになってきた。
だが、それはあくまでも大体であって、全てではない。
結果として、レイの視線はビューネが何を言いたいのかを完全に理解出来ている唯一の人物、ヴィヘラに向けられる。
「ヴィヘラ、ビューネは何を言ってるんだ?」
「網が欲しいんでしょ。そっちの魚が入ってる網じゃなくて、すくったりする方の網」
そう言われたレイは、改めて海中に視線を向ける。
そこではそこそこ大きい魚やタコが、モンスターの零れた内臓を先を争うようにして食べている。
中にはウツボに似た魚もおり、そこは一種の魚天国……と評してもおかしくないような光景になっていた。
そのような魚やカニが大量に集まっているのだから、わざわざ釣るのではなく、網で一網打尽にしたいと考えてもおかしくはない。
「分かった、ほら」
そう言い、ミスティリングから取り出した網をビューネに渡す。
網を手にしたビューネは、レイの目から見てもそれなりに嬉しそうに思えた。……もっとも、ビューネの表情はいつものように変わっていないので、面白そうな雰囲気を感じた……という表現が正しいのだろうが。
ビューネは網を手に、岩の上に立つ。
岩の上から海面を見るビューネの視線は、心の底から真剣なものだ。
それこそ、本職の漁師と比べても遜色ない程に。
周囲の視線も、真剣なビューネの様子に引き寄せられ……やがて、網を持ったビューネの手が素早く動く。
そうして海面をすくいあげた網の中には、何匹もの魚が……そして、ウツボに似た魚まで入っていた。
「あら、凄いじゃない、ビューネちゃん。その魚はかなり凶暴な魚で、獲るのが結構難しいらしいのに……でも、味はかなりのものらしいわよ? もっとも、魚じゃなく肉に近い食感らしいけど」
肉と聞き、ビューネ……だけではなく、セトやイエロまでもが興味深そうにビューネに視線を向ける。
勿論魚が嫌いという訳ではないのだが、やはり肉も好きなのだろう。
そんなセトやイエロの視線に、ビューネは少しだけ残念そうな雰囲気を出し……そっとウツボに似た魚をセトとイエロに渡す。
表面が滑っているのだが、ビューネは特に持ちにくそうにはしていない。
この辺り、盗賊としての技量なのか……それとも、単純にビューネがそういうのに慣れているからなのか。
それはレイにも分からなかったが、ともあれウツボに似た魚をビューネがセトとイエロに渡すことにしたのは間違いない。
……もっとも、まだ海の中に同じような魚が何匹もいるからこその判断だったのだろうが。
「グルゥ?」
いいの? と円らな瞳で尋ねるセト。
そんなセトに、ビューネは無言で頷きを返す。
そうして渡されたウツボに似た魚は、そのままセトがクチバシで咥えて地面に……細かい石が無数にある場所に置く。
セトの背でその様子を見ていたイエロも、小さな羽根で地面に降りると、セトが地面に置いた魚に齧りつく。
ウツボに似たその魚は、そこまで大きな訳ではない。
それこそ、二匹で食べればすぐになくなってしまうだろう。
(いや、セトはともかくイエロは腹一杯食べられるか)
イエロの身体の大きさを考えれば、どうしても胃の大きさに差が出てくる。
そんな風に考えつつ、レイは網の中に入っていた魚を鯖折りのようにして処理をすると、次々にミスティリングに収納していく。
……巨大な黒鯛のようなモンスターの内臓がまだある為か、普通の魚の血の臭いに惹かれてやってくるような魚の類はいなかった。
そうして十分程が経ち……
「キュ! キュキュ! キュウ!」
全ての魚の処理を終え、ミスティリングに収納するとそんな声が聞こえてきた。
それがイエロの鳴き声だというのは、レイにも容易に理解出来……そして、声の聞こえてきた方に視線を向ける。
するとそこでは、イエロがカニと戦うという、以前に川で見たのと同じ光景が広がっていた。
ただ、違うとすれば……それは、イエロの相手をしているカニの大きさだろう。
以前はイエロが川で戦った沢ガニに比べると、現在イエロが戦っているカニは明らかに大きい。
カニが大きくなるということは、当然のようにその甲殻も硬くなるということだ。
「キュ!」
カニに対して攻撃を仕掛けるイエロだったが、カニは素早く動き……そして地の利を活かすべく、岩の隙間に身を隠す。
そのように隠れられれば、幾らイエロが小さいとはいえども岩の隙間にいるカニに攻撃することは出来ない。
「キュ! キュキュ! キュウ!」
出て来い! と威嚇の鳴き声を上げるイエロだったが、一向にカニが隙間から出てくる様子はない。
(川の時とは違って、カニの方がイエロを相手にしていない形か? ……まぁ、普通に考えて隠れる場所があるのに、イエロと戦ったりする訳もないか)
沢ガニの時は、カニが勇敢だというのもあったが、隠れる場所がなかったというのも大きかったのだろう。
そう思いつつ、レイは次に視線をセトに移す。
ウツボに似た魚を食べきったセトは、下が柔らかい土ではなく小石や岩の地面であっても全く気にした様子もなく、横になっている。
柔らかな日差しと、爽やかな海風は食欲を満たしたセトにとっては、昼寝をするのに絶好のシチュエーションだろう。
「これだと、もう少し経たないと沖の方には行けないな」
「ふむ、なら少し私の釣りを手伝ってくれないか? どうにも、餌ばかりを持っていかれるのだ」
そう言ってくるエレーナに、レイはどうせ時間はあるのだからと頷き、エレーナと……そしてマリーナやヴィヘラと共に、釣りを楽しむのだった。
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