第1637話

『エレーナ殿、そろそろギルムに戻ってきてくれないか』


 ミレアーナ王国に入ってからある程度の日数が経ち、季節は夏のままであっても、そろそろ秋に向かいそうになる頃、少しずつすごしやすくなってきた日の夜、レイ達は対のオーブに映し出されたダスカーにそう言われた。

 対のオーブで夜にアーラとエレーナが会話をするのは、ほぼ毎日行われていることだ。

 今日も最初はそうだったのだが、不意にダスカーがアーラの部屋にやってきて、対のオーブ越しにそう言ってきたのだ。


「また、急ですね。いや、俺もそろそろ戻った方がいいかな、と思ってましたけど」


 ダスカーが映し出されたということで、マジックテントの中でゆっくりとしていたレイが、エレーナの下にやってきて、そう告げる。

 そんなレイの言葉に、ダスカーはその厳つい顔を精一杯申し訳なさそうにしながら、口を開く。


『今までは人を多く使って何とかやってきたが、やはりレイがいないせいか、予定よりも増築工事が遅れてるんだ。出来れば雪が降るまでに、ある程度のところまでは進めておきたい』

「あー……一応、冬も工事は進めるんですよね?」

『そうだ。だが、寒さと雪で何があるか分からんからな。そんな難しい場所は今のうちにやっておいて、冬にやるのは簡単な場所にしておきたい。もっとも、あくまでもそうしておきたいって話だがな』


 ダスカーの言いたいことは、雪国で生まれ育ったレイにも分かった。

 何より、今までギルムで何度も冬を越してきたのだ。

 そうである以上、毎年ギルムでどのくらいの雪が降るかというのは当然知っている。

 それだけに、冬で寒かったり、雪で滑ったりといった時に重要な……そして難しい場所の増築工事をやるのは、出来れば避けたいのだろう。


「そうですね。今から工事が遅れているとなると、不味いかもしれません。それに、護衛もそれなりに揃ってきてますし、そっちに行っても、多分……本当に多分ですが、大丈夫だと思います」


 だよな? と、レイは周囲にいる者達……ダスカーが対のオーブに映し出されたということでやって来たマリーナ、ヴィヘラ、ビューネを含めた仲間達に視線で尋ねる。

 そんなレイの視線に最初に答えたのは、ヴィヘラ。


「そうね。護衛の人達も毎日訓練してるし、他の人達の中にも戦闘の才能があった娘とかいるから、下手な冒険者より強くなってる人もいるわよ」


 全く戦闘経験のない相手との訓練だったが、ヴィヘラにとってはそれが意外に楽しいのだろう。

 満面の笑みを浮かべつつ、そう告げる。

 ヴィヘラの戦闘を好む性格を知っているダスカーは、そんなヴィヘラの様子を見て少しだけ意外そうな表情を浮かべていた。

 だが、ここでダスカーが何を言っても寧ろマリーナにからかわれる情報を向こうに与えるだけだと判断し、ヴィヘラについての追求は避け、別のことを口にする。


『では、明日にでもそっちを発って貰えるか?』

「そうですね。もしかしたら少し遅れるかもしれませんが、それでも可能な限りそちらに向かいたいと思います」

『そうしてくれ。……それと、ギガント・タートルの件についてだが……どうする? 俺としては、出来れば今はまだ解体して欲しくはないのだが』

「あー、今は人数が足りないってことでしょうか?」

『そうなる。余剰人員なんてのは、とてもじゃないが用意出来ん』


 そう言うダスカーの言葉に、レイも納得したように頷く。

 もしレイ達がギルムにいたままであれば、その余剰人員でギガント・タートルの解体も出来ただろう。

 ミスティリングを持つレイ、精霊魔法を使うマリーナという二人は、それだけの戦力となる。

 その二人程ではないにしろ、ヴィヘラも他人を率いて何か異常がないかどうかを見て回るという意味では、大きな力を持つ。

 女……それも娼婦や踊り子のような格好をしているヴィヘラが、目立つように動き回るのだ。

 それを見て迂闊に手を出すような不埒な者は痛い目を見て以後の行動に注意するようになるし、女達も強面の男よりはヴィヘラの方が助けを求めやすい。

 ビューネも、その小さな身体を活かして素早く動き回り、何か問題があればそれを解決したり、出来なくても周辺にいる大人達に知らせることは出来る。……もっとも、ビューネの言葉を全て理解出来るのは、相変わらずヴィヘラしかいないのだが。

 唯一、エレーナのみは貴族派から出向しているという形式になっている為に、増築工事を手助けするような真似は出来ない。

 それでも姫将軍がギルムにやって来ているというのが広まれば、妙な行動をすると警備兵に捕まる可能性があると暗に臭わせることが出来るので、妙な騒動を起こすような者達を牽制することは可能だ。


(出来れば、早めにギガント・タートルの魔石は欲しかったんだけどな。……まぁ、すぐに何か騒動が起きるって訳じゃないし、我慢すれば出来ないこともない……か? それにダスカー様には砂上船の研究もして貰うんだから、無茶を言うのは止めておいた方がいいか)


 打算も含めて頭の中で計算し、レイはダスカーに頷く。


「分かりました。人手がない以上、無理は言えませんしね。出来れば冬の仕事の一つとしてもいいかもしれませんね。幸い冬だと、腐りにくいですから」

『そうだな。……それも一つの選択か。増築工事をやる程ではなくても、多少金を稼ぎたいって奴はいるかもしれないからな』

「そうですね。それに、今年は冬の仕事を出来るだけ多く用意した方がいいと思いますし」


 そう告げるレイの言葉は、冗談半分といったものではなく、真面目なものだ。

 実際、ギルムには現在多くの者が集まっている。

 アブエロやサブルスタといった近場の街の住人であれば、冬に故郷に戻ることも可能だろう。

 だが、そのような街よりもかなり遠くの村や街からやって来ている者もいる以上、故郷に帰るよりもギルムで冬を越そうと考える者がいても当然だった。

 そうなると、今の稼ぎで冬越え出来るかと言われれば……微妙な者も多いだろう。

 現在のギルムでは多くの者がいるということで、それに対応するように多くの店もある。

 稼いだ金を貯めるようなことはせず、そのまま店で使ってしまう……という者も、少なくはない筈だ。

 そのような者達の為に、例年よりも多くの仕事を用意するというのも、ギルムの領主たるダスカーの役目だった。


『お前がそれでいいのであれば、こちらもそのつもりで準備するが……本当に構わないんだな?』

「はい、問題はないですよ。こっちとしては、手間が省けますし。……ただ、妙な考えを起こさないように対応して貰えれば」

『分かっている。そっちについてはこちらからも人を出す。ギルドの方にも連絡しておくから、報酬についても考えておけよ』


 忠告してくるダスカーの言葉に、レイは頷く。

 ギガント・タートルの解体は、あくまでもレイからの依頼という形で行われる。

 それでいながら報酬を出すのはギルドということになる以上、ギルドとの間で交渉をする必要があった。


(それでも、恐らく警備兵だろうが、派遣して貰えるのは助かるな。妙な……馬鹿な考えをする奴が出てくると、こっちも面倒だし)


 例えば、ギガント・タートルの解体をした時に、肉や素材といったものを隠して自分の物にするような悪質な冒険者がいないとも限らない。

 いや、レイとしてはあまり考えたくはなかったが、間違いなくそのような人物が何人かはいるだろうと予想出来る。

 だからこそ、そのような者達を捕らえる為に、警備兵を派遣してくれるというのはレイにも助かった。

 普通のモンスターであればまだしも、ギガント・タートルのような巨大な……巨大すぎるモンスターの解体となれば、その全てにレイが目を光らせるといった真似は出来ない。


(その辺りを考えると、ギルドの方に完全に任せるといった形にした方がいいかもな)


 レイの前では目が届かないとして、肉や素材を盗むといった真似をするかもしれないが、ギルド職員がいる場所でそのような真似をするかと言われれば……やる者はいるだろうが、間違いなくそのような者は少ない筈だった。

 勿論、その辺りをギルドに頼む以上、金銭的な負担は増すだろうが、ミスティリングの中には、それこそ大量の金銭がある。

 それを多少多く使ったところで、その金額で自分が楽になるのであればそれでいいだろうとレイが判断するのは、別におかしなことではない。


『さて、次に……』


 そう言葉を発したダスカーとレイ達は、その後も色々と報告をしたり相談をしたりといったことをするのだった。






 翌日、朝食が終わって出発の準備をしている時に、レイは主要なメンバーを集めて昨日ダスカーから言われたことを説明する。

 だが、それを聞いたギメカラ、スーラ、ロックスといった面々は、特に動揺した様子もなく、それを受け入れた。


「分かりました、ではいつ出発します? 出来れば皆に説明する為にも、今すぐ出発……というのは避けて欲しいところなのですが。各種物資を馬車に積み込む作業もありますし」

「もう少し驚くと思ったんだけど、予想外に平気だな。いや、泣いて叫ばれたりするよりは、かなり助かってるけど」


 少しだけ驚きが混ざったレイの言葉に、ギメカラは笑みを浮かべて口を開く。


「元々、レイさん達がそのうち離れるという話は聞いてましたからね。こちらも色々と心の準備をしていたんですよ。ねぇ?」


 ギメカラに視線を向けられたスーラとロックスの二人は、その言葉に頷く。

 もっとも、ロックスはともかくスーラは少しだけ心細い表情を浮かべていたが。

 メジョウゴからレイ達とずっと行動を共にしてきたスーラだけに、レイ達がいなくなるというのはどうしても不安に思ってしまうのだろう。

 そんなスーラに比べると、ギメカラは途中から……そしてロックスは少し前に合流してきただけに、そこまでレイ達の不在に不安を感じてはいない。

 ただ、一つだけ問題があるとすれば……


「その、レイさん達がいなくなるということは、当然セトに乗って、ですよね?」


 ギメカラは女達に撫でられて嬉しそうに喉を鳴らしているセトの様子を見ながら、レイに尋ねる。

 そこにあるのは、先程までの心配は一切ありませんといった頼もしい様子ではなく、紛れもない不安だ。

 その不安がどこから来るのか……それは考えるまでもなく明らかだ。

 セトを精神的な支柱にしている者達にしてみれば、そのセトがいなくなるというのは非常に大きい出来事なのだから。

 実際、以前レイ達がギルムからの使節団に会いに行った時は、一行の不安はかなり多くなったのを、ギメカラは知っている。

 幸いレイ達がロニタスとすぐに遭遇出来たので戻ってくるのも早くなり、一行の中にあった不安も素早く解消されたが……あの時ですらそのような有様だったのだから、それが長期間となればどうなるのか。

 それを想像するのは、全く難しくはない。

 スーラもギメカラと同じ懸念を抱いているのか、少し不安そうな表情を浮かべている。

 護衛を纏める立場のロックスだったが、元々はロニタス達の護衛として行動していた以上、その時はこの一行の中にはいなかった。

 だから、具体的にどのくらい士気が落ちるのかといったことは、話には聞いていても直接自分の目では見たことがないのだ。

 そしてこの場にいる中で、もう二人……ヴィヘラとビューネは、直接その光景を自分の目で見ていた。

 だからといって、元から無口のビューネはともかく、ヴィヘラが何かを言うようなことはない。

 セトがいなければ、ギルムまでの移動にかなりの時間がかかるのは間違いないのだ。

 それを分かっているだけに、ここで何かを言うような真似はしなかった。


「そうだな。セトがいないと、移動するのに困る。そもそも、俺達が移動するのはセトでの移動を前提として行動してるからな」

「そう、ですか。……ですが、その……」


 ギメカラの視線が、改めて女達の方に向けられる。

 それが何を意味してるのかは、レイにも分かった。


「ギメカラの気持ちは分かる。分かるけど……残念だが、これは決定事項だ。ギルムの方でまだ余裕があれば、もう少しこっちで一緒に行動出来ていたんだけどな。残念だが、今の状況でそんな真似は出来ない」


 ギメカラが何を言っても、既に決まったことだと言われれば、それ以上はどうしようもない。

 ギメカラに出来るのは……何とか、セトを精神的な支柱にしている女達の気持ちを前向きに出来るように祈ることだけだ。

 もっとも、女達に自分の声がどこまで効果があるのか……それを考えると、限りなく不可能に近い程難しいという結論になったのだが。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る