第1636話

『よ、よろしくお願いします!』


 五人の男女が、マリーナに向かって深々と頭を下げていた。

 パーティリーダーのレイや、ギルドマスターのシナラマと交渉したギメカラではなくマリーナに頭を下げたのは、やはりシナラマがマリーナに対して深い尊敬を抱いているのを知っていたからだろう。

 ましてや、この五人の男女……護衛として雇われた冒険者は、以前何度かシナラマに助けて貰ったことがある。

 そんなシナラマが尊敬している人物ということで、新たに加わった冒険者達の一番重要な相手がマリーナになるのは、ある意味当然だった。


「ふふっ、私に丁寧に接してくれるのは嬉しいけど、別に私はこの一行のリーダーって訳じゃないのよ?」


 艶然とした笑みを浮かべ、五人を男女問わず見惚れさせたマリーナは、いつの間にかギルドに併設されている酒場で果実水を飲んでいるレイに視線を向ける。

 マリーナの笑みに目を奪われていた五人だったが、マリーナの視線を追い……そこにいるレイに視線を向けると、揃って『え?』と疑問の声を上げた。

 今の状況から考えて、マリーナが視線を向けた先にいるレイが、実質的に千人近い人数を率いているということになるのだが、とてもではないがそのようには見えなかった為だ。

 だが、新たな護衛達がどう思おうと、マリーナがそうした態度を示している以上、不満や疑問を口にすることは出来ない。

 唯一心配なのは、ギルドマスターのシナラマの態度だろう。

 自分が尊敬し、好意を抱いているマリーナという存在が、そんな人物の下についているのだ。

 シナラマの気性から考えて、それを許容出来るのか。そんな思いだったのだが……五人が見たシナラマは、特に怒っている様子は見えない。

 ただ、怒っているよりも余程真剣な視線をレイに向けている。

 それこそ、レイという人物をしっかりと見定めると、そんな風に思えるような視線で。

 五人の冒険者達は、何故シナラマがそのような視線をレイに向けているのかは分からない。分からないが……それでもシナラマがそのような態度を取る以上、レイという人物が見た目通りの相手ではないということは、明らかだった。

 そんな五人の、そして周囲で様子を見ている冒険者達の視線を無視しつつ、シナラマはマリーナに声を掛ける。


「その、マリーナ様……」

「別に様付けなんていらないわよ。今の私はギルドマスターでも何でもない、ただの冒険者なんだから」


 その言葉に驚いたのは、シナラマ……だけではない。

 周囲にいた他の冒険者達が、信じられないといった視線をマリーナに向ける。

 だが、マリーナは外見だけで判断すればまだ若い……それこそ二十代前半くらいの容姿だ。

 とてもではないが、元ギルドマスターというのは信じられない。

 ……もっとも、尖っている耳と褐色の肌を見れば、ダークエルフだというのがすぐに分かるのだが。

 それでも、やはりマリーナの外見からは元ギルドマスターという風には見えない。


「そうですか? でも、呼び捨てはさすがに……せめて、マリーナさんと呼ばせて下さい」

「それでシナラマの気が済むのならいいわよ。……それで?」


 用件は何? と聞いてくるマリーナに、シナラマは改めてレイの方を一瞥してから口を開く。


「マリーナさんと一緒にいる人、レイと呼ばれていたとか」

「そうね。レイよ。多分、シナラマの想像通りで間違いないと思うわ」

「ではっ!?」


 あの人物が深紅なのかと、シナラマの顔が驚愕に歪む。

 ギルドにいる冒険者達はレイという名前を聞いても特に気にしなかったが、それはレイの外見からの問題だった。

 だが、ギルドマスターのシナラマは、当然のようにレイについては流れている噂だけではなく、それ以外の情報についても知っている。

 それこそ、レイはその強さとは裏腹に小柄で女顔だということも。


「そうなるわ。レイが深紅よ」


 ざわり、と。

 シナラマとマリーナの話を聞いていた者達は、驚愕の視線をレイに向ける。

 ここにきて、ようやくレイが深紅の異名を持つ冒険者だと理解したのだろう。

 そして、何も知らなかったとはいえ、レイに絡んだ男に哀れみの視線を向ける者も多い。

 見かけだけで、自分よりも遙かに強い相手に喧嘩を売ったのだから、ある意味では勇者と呼ばれてもおかしくはない男に。

 もっとも、その男は勇者……いや、『ある意味勇者』の称号と共に、シナラマによる説教が確定しているので、誰も羨ましいとは思わないのだが。

 注目されているレイも、特に気にした様子はない。

 セトの件も含め、自分が注目されるということに慣れているからこその態度だった。


「そう、ですか。あの小僧……いや、あの男が」


 マリーナの言葉に、シナラマはしみじみと呟くのだった。






「へぇ、お前達が今日から護衛に入った連中か。俺はこの集団の護衛を纏めることになった、ロックスだ。よろしくな」


 そう言って、新たに増えた五人の護衛に対して軽い様子で挨拶をするのは、ロニタス達使節団の護衛として働いていたが、ダスカーからの命令によってレイ達と行動を共にすることになった、ランクC冒険者のロックス。

 ギルム所属の冒険者で腕も立つということもあり、現在では本人が口にした通り護衛を纏める役目を任されている二十代後半の男だ。

 スーラ率いるレジスタンスの者達も、ロックスの技量や性格から自分達を纏めるのに十分だとしてそれを認めている。

 元々スーラがレジスタンスを率いているのも、半ば成り行きに近いものがあったのだ。

 そんなスーラにとって、ロックスのような熟練の冒険者……それも頼れる大人の男といった人物が自分達を纏めてくれるのであれば、何も文句はなかった。

 これでロックスが女達にちょっかいをだして問題を起こすような人物であれば、皆に認められるようなことはなかっただろうが、軽く言葉は掛けるものの、決して欲情の籠もった視線を向けたり、ましてや身体に触れたりといったことをしないロックスは、女達にとっても十分に信頼に値する。

 当初はレイ達が率いているのだから、レイ達が護衛を纏めれば……という意見も出たが、レイ達はずっとこの一行と行動を共にする訳ではない。

 それこそ、もう少し護衛が充実して自分達がいなくても問題がないと判断すれば、一度ギルムに戻るつもりだった。

 そんなレイ達が護衛を纏めるということが出来る筈がなく、そういう意味ではロックスは丁度いい人材だったのだろう。


『はい、よろしくお願いします!』


 五人の声が綺麗に揃い、一糸乱れぬ様子で頭を下げる。


「お……おう? また、随分と息が合ってるな。何だ、お前達五人でパーティを組んでるのか?」


 冒険者のパーティというのは、大体二人から四人くらいが一般的だ。

 だが、五人のパーティもそこまで珍しい訳ではないし、中には十人以上でパーティを組んでいるような者達すらいる。

 だからこそ、ロックスは目の前の五人を見て一緒のパーティなのではないかと思ったのだが……


「いえ、僕とこっちが一緒のパーティで、そっちの三人は別のパーティです。勿論全く知らない仲って訳じゃないですけど」


 五人組の一人が、代表してロックスにそう言葉を返す。

 そんな男と他の四人を見たロックスは、その割には随分息が合っていると、しみじみ思う。

 ロックスの態度から、自分達がどのように思われているのかを理解したのだろう。男は笑みを浮かべつつ口を開く。


「その、これからお世話になる皆さんには、決して失礼がないようにしろとギルドマスターに言われているので」


 特にレイに絡んだ男がどのような目に遭ったのかをギルドで見ている以上、決して相手を不愉快にさせるような真似をしようとは思わなかった。


「ふーん。ま、いいけど。取りあえず、見れば分かるとおりこれだけの集団だ。護衛をするにも色々と大変だが……やってれば慣れてくるだろ」


 ロックスが視線を向けたのは、街の外で大勢が出発の準備をしているところだった。

 準備をしている者の殆どが女で、娼婦をやらせる為にジャーヤが集めただけあって、顔立ちの整っている者が多い。

 五人組の中の男達は、そんな女達を見て、自然と嬉しそうな表情が浮かぶ。


「男ならお前達みたいな風になるのは理解出来るが、間違ってもちょっかいを出そうなんて思うなよ。もしそんなことになったら、お前達がどんな目に遭うのか……正直なところ、俺も命の保証は出来ないからな」

『はい!』


 五人組の中の男……三人が、ロックスの言葉を聞いて即座に返事をする。

 その口調が、とてもではないが冗談を言ってるようには思えなかった為だ。

 ……尚、女二人はそんな男達を冷たい視線で見ていたのだが、幸か不幸か男達がそれに気が付く様子はなかった。


「よし、続いて……向こうを見てみろ」


 続いてロックスが示した方を見た五人は、そこに女達の集団がいるのに気が付く。

 これから出発するというのに、何故かまだ馬車に乗ろうとしていない女達。


「えっと、あれは何なんですか? 妙に人が集まっているように思えますけど」


 何故あんなに女達が集まっているのか。そして集まっている女達は何故ああも嬉しそうな笑みを浮かべているのか。

 それが分からず、男の一人が尋ねる。

 ロックスはそんな男の疑問に、笑みを浮かべた。

 それは何も知らない相手を嘲るような笑みではなく、自分達も以前そんな疑問を抱いたなといったような笑み。

 だからこそ、五人もロックスに対して何か含むような思いはなかった。


「あそこにはセトがいる。セト……レイの相棒って言えば分かるか?」

『グリフォンッ!?』


 ロックスの言葉に、再度五人全員が揃って驚愕の声を上げる。

 実際、グリフォンなどという高ランクモンスターの存在は、普通であれば一生に一度、見ることが出来るかどうか……いや、見ることすらまず不可能だろう存在だ。

 それが、あの女達の中心にいると言われれば、それは当然のように驚くだろう。

 そして、驚くと同時に恐怖を覚える。

 ドラゴン程ではないにしろ、グリフォンも遭遇すればそれは人生の終わりと言われるモンスターなのだ。


「落ち着け、もう少しよくあの女達を見てみろ。とてもじゃないが、絶望したり、恐怖したり、悲しんでいるようには見えないだろ? ……いや、悲しんでる奴はいるか」


 移動するということで、数時間はセトを愛でることが出来なくなることを悲しんでいる者はいる。

 もっとも、その悲しみも死に瀕するかのような、どうしようもない悲しみではない。

 女達の様子を見て、五人もそのことに気が付いたのだろう。

 何故? と疑問の視線を向けられたロックスは、お前達の気持ちは十分理解出来るといった様子で口を開く。


「グリフォン、セトに関しては特に気にする必要はない。基本的にはこっちから妙なちょっかいを出さない限り、危害を加えられることはない。幾らセトが高ランクモンスターだからといって、妙な考えは起こすなよ。セトはレイの従魔だからな。それにセトはこの一行の中では精神的な支柱にもなっている」

「精神的な支柱って……」


 信じられない、といった様子で呟く言葉がロックスの耳に入ってくる。

 実際、この集団についてよく知らない五人にしてみれば、何故そのようなことになっているのかは全く理解出来ないのだろう。


「あまりその辺は気にするな。この集団と一緒に行動していれば、そのうち慣れる。少なくても俺はこの集団に合流してから、まだあまり時間が経ってないけど慣れたからな」


 そう告げるが、ロックスの場合はギルム所属の冒険者だ。

 当然のようにギルムでセトがどのように扱われているのかは分かるし、セト愛好家の第一人者とでも言うべきミレイヌがセトを愛でている光景も目にしている。

 そんなロックスにしてみれば、セトが可愛がられるという光景は全く不思議なものではない。


(セトを受け入れるまでどれくらい掛かるか……まぁ、こいつらはまだ若いんだし、モンスターだから従魔でも構わず殺せとか、そんな物騒なことを言うとは思えないがな。それに、アゾット商会みたいな馬鹿な真似もするとは思えないし)


 以前の、それこそまだ低ランク冒険者だったレイであればともかく、今のレイは異名持ちの高ランク冒険者だ。

 ましてや、仲間には元ギルドマスターのマリーナがおり、ケレベル公爵家令嬢にして、姫将軍の異名を持つエレーナの姿もある。

 そんな相手にちょっかいを出すということは、それこそ自殺を望むような者だけだろう。


「とにかく、セトを可愛がるのはともかく、妙なちょっかいは出さないようにな。そうすれば、無事にギルムまで行ける筈だ。……改めて聞くが、ギルムに行っていいんだよな?」

「はい。ギルムでは現在増築作業中で、仕事には困らないと聞いてますし……一度、ギルムに行ってみたいと思っていたので、問題はありません」


 こうして、新たな護衛を加え……レイ達はギルム目指して進むのだった。

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