第1638話

「グルルルルルルルルゥ!」


 セトが、周囲に響き渡れと言わんばかりに大きく鳴きつつ、翼を羽ばたかせる。

 ギルムに向かって出発してから、既に三十分程が経っているが、セトは入道雲の存在する空を好きなように飛んでいた。

 今までは馬車と一緒に行動する為に、どうしても歩いての移動だった。

 セトも歩きが嫌いな訳ではないのだが、それでもやはりグリフォンとしての本能からか、飛ぶことを好む。

 そういう意味で、今回ギルムまで全速力で飛んでいくというのは、セトにとってこれ以上ない気分転換……いや、遊びですらあったのだろう。

 セト籠を持っての飛行ではあったが、その程度の重量はセトにとって何の問題もない。

 久しぶりに思う存分飛べることを楽しんでいるセトだったが……哀れだったのは、地上に広がる森の中にいた動物やモンスターだろう。

 いつも通りに寝ていたり、もしくは水を飲み、餌を探して森の中を歩き回っていると、唐突にセトの鳴き声が周囲に響き渡ったのだから。

 その鳴き声を聞いた瞬間、自分にはどうしようもない相手だということを理解してしまい、動物やモンスターは息を潜めて何とかセトをやりすごそうとする。

 ……ただ、中にはセトの鳴き声のあまりの迫力に混乱し、無意味に周囲を走り回っては木に身体をぶつけるといった真似をしたものもいたのだが。

 地上でそのような騒動を引き起こしているということも知らず、セトは翼を羽ばたかせて進む。


「街道から外れないようにして移動すれば、まず迷うようなことはないよな」

「グルゥ!」


 レイの言葉に、セトが問題ないと鳴き声を上げる。

 ……問題ないと鳴き声を上げたセトだったが、レイはそれを完全に信じるといったことは出来ない。

 セトの場合、何か面白い物……もしくは者を見つければ、いつの間にかそちらに向かうことも珍しくはないからだ。

 もっとも、それはセトだけではなく、レイの場合であってもそう変わらないのだが。

 レイの場合は、面白いものではなく盗賊だったりするところがセトとは違って殺伐としているのだが。


「あ、あれってもしかして盗賊か?」


 地上にある林の中で、十人近い男達が移動しているのを見つけたレイが、呟く。

 だが、十人近い男達が移動しているからといって、それを即座に盗賊と結びつけるようなことは出来ない。

 もしかしたら、近くの村や街の冒険者、もしくは猟師という可能性も否定出来ないのだから。

 もし何者かが襲われているのであれば話は別だが、今の状況でわざわざ林の中に降りていって盗賊か? と聞くような真似はしたくない。


(ギメカラ達のことを思えば、盗賊は可能な限り駆除しておいた方がいいんだろうけど)


 そう思うも、これから同じような光景を見る度に地上に降りていって盗賊かどうかを確認するというのは、非常に手間だ。

 ましてや、現在セトとレイだけではなくセト籠を持っている。

 もし地上に降りるとすれば、一度セト籠を地面に下ろし、それからようやく……ということになる。

 これから何度もそのようなことを繰り返すのかと言われれば、どう考えても面倒臭いというのがレイの正直な気持ちだった。


「ま、いいか。護衛の方も問題なくなってきたし、女達の中にもそれなりに戦える奴が出てきたし。……それに、セトがいなくなったことに対するストレス解消と思えば、向こうも頑張るだろ」

「グルゥ?」


 レイが自分の名前を口にしたのが聞こえてたのか、どうかしたの? とセトが自分の背に乗っているレイに視線を向けるが、レイは何でもないと首を横に振る。

 

「気にするな。セトはとにかく思い切り飛んで、少しでも早くギルムに到着出来るようにしてくれ。勿論、何かあったらそっちにちょっかいを出してもいいけど」

「グルルルルルルゥ!」


 思い切り飛んでもいいと聞いたセトは、翼を羽ばたかせる。

 今までよりも更に速度の上がったその姿は、地上からみることが出来ればすぐにその者の視界の中から消えていただろう。……セト籠の迷彩機能のおかげで、地上からは見えないのだが。

 そうして、セトが思う存分飛び始めてから数時間……そろそろ昼になるという頃には、出発した場所から大分距離を稼いでいた。


「レイ、ビューネがお腹減ったって言ってるんだけど、そろそろお昼にしない?」


 セト籠の中から、ヴィヘラのそんな声が聞こえてくる。

 太陽を見れば、既に真上に存在しており、そろそろ昼にしようというヴィヘラの要望は決して間違っているものではなかった。


「分かった。なら、どこか休憩するのに良い場所を探すから、もう少し待ってくれ!」


 セト籠の中にいるヴィヘラ達にそう叫び、改めて周囲を見回すレイだったが……現在の地上は一面に草原が広がっている。

 夏らしい日差しの中、日陰のない場所で食事をするというのは出来るだけ避けた方がいいだろうと、林……とまではいかないが、何本かでも木が生えているような場所をレイは探す。

 だが、場所が悪いのか、特にそのような木は見つからない。


「山も……ないしな」


 山まで行けば、当然そこには木がある。

 だが、今レイ達がいる場所の近くには山は存在しない。

 正確には遠くに山の姿は見えるが、セトの速度でもその山まで向かうには相応の時間が掛かるだろう距離であり、昼の為にわざわざそこまで移動するのは面倒だというのが、レイの正直な気持ちだった。


「んー……ああ、向こうにあるのは川、か?」


 この近くではなく、大分離れた場所ではあったが、それでも山よりは近い場所に川が流れているのが見えた。

 そして川があれば、当然のように近くには木々が生えている。

 日陰になるような大きな木があるかどうかは分からないが、それでも川の側でなら夏の暑さにも負けずに涼しい時間をすごすことが出来るだろう。

 そう考え、更に最近あまり魚を食べていなかったこともあり、セトに川に向かうように合図する。

 セトの首を軽く叩いただけの簡単な合図だったが、それでもセトには十分に伝わったらしい。

 翼を羽ばたかせ、街道から離れた場所にある川を目指して飛んでいく。


(夏の川魚か。……鮎が一番に思い出されるけど、こっちに鮎はいないだろうしな)


 日本にいるときは、夏の川で泳ぎなら銛を使って鮎を初めとして、イワナ、ヤマメ、カジカといった川魚を獲ったりもしていた。

 それを持って帰り、昼食や夕食のおかずとして食卓に並ぶことも珍しくはない。

 ……珍しくないどころか、頻繁なので両親は時々飽きたとすら言ってくることもあった。

 そうして、近所にお裾分けをしたりといった生活をしていたのだ。

 そのときのことを思い出し、鮎を食べたくなるレイだったが、エルジィンに鮎はいない。

 少なくても、レイは店で売られているものや、川で遊んでいる時も見たことはなかった。


(昼を食い終わったら、探してみるのも一興か。今の俺なら、大量に魚を獲ってもミスティリングで保存しておけるし)


 もしくは、干物にしてもいい。

 そう思ってる間にも、川は近づいてくる。

 歩いて……もしくは馬車で移動しても相当の時間が掛かるだろう場所。

 だが、セトで飛んで移動するとなれば、かなり離れた位置にある場所であっても、そこまで時間は掛からず……やがて川の側まで到着する。

 川幅は五m程度で、そこまで広い川ではない。

 しかし流れている水は非常に綺麗で飲んでも全く問題はなさそうだった。


「グルルルゥ!」

 

 セトもそんな川を見て嬉しくなったのか、気分が昂ぶったかのように喉を鳴らす。


「どうした? 敵か?」


 そんなセトの鳴き声から、もしかして敵でも現れたのではないか。そう疑問に思ったエレーナが、セト籠の中からレイに声を掛ける。


「いや、少し先に川を見つけてな。それでセトが嬉しくなったんだろ。って訳で、昼食まではもう少しだから、ビューネに我慢するように言っておいてくれ」

「分かった。だが、出来るだけ早く頼む」


 エレーナの言葉に、レイは分かったと言葉を返す。

 もっとも、分かったと言ったからといって、それで川に到着するのが早くなる訳でもないのだが。

 そうして数分……やがて、川に到着する。

 流れる水面が太陽の光を反射して煌めくその姿は、見ているだけでどこか涼しさを感じさせる。

 実際にはそれを見ているだけで涼しさを感じるという訳ではないのだが、気分からのものだろう。


(風鈴とかも、そんな感じなんだろうな。……心頭滅却すれば、火もまた涼し? もしくは、病は気から? 正確なニュアンスはともかく、大体そんな感じで)


 レイが川を見ている間にも、セトが地上に降下していくことでやがてその川は近づいてくる。

 セトが掴んでいたセト籠が放され、周囲に落下音が響き渡った。

 セト籠を放したセトは、そのまま再び空を舞い……やがて地上に降りるのだった。



 



「うん、この冷たいスープは美味しいわね。普通、冷たいスープだと肉の脂とかが固まって食べにくいと思うんだけど、そういうのはないし」


 昼食用に用意されたのは、ヴィヘラが口にしたように冷たいスープ。

 料理する時に、スープの表面に浮かんだ油分を丹念に取り除いて作ったスープで、冷たくても表面に肉の脂や調理する時に使われた油といったものは浮かんでいない。

 スープの入っている鍋そのものも、十分冷えた状態でミスティリングに入っていたので、その冷たさが温くなるということもなく、夏に食べるにはこれ以上ない料理となっていた。


「冷たいスープと、焼きたてのパン。……悪くはないが、違和感のある食べ合わせだな」

「エレーナの言いたいことも分かるわ。普通ならスープが温かくて、パンが冷たいんでしょうし。それが入れ替わってるだけで、こうも違和感があるとは思わなかったわ」


 そう告げるのは、精霊魔法でスープの入っている鍋を冷やしているマリーナだ。

 ミスティリングに入っている間は温くならないが、当然こうして外に出せば……ましてや、夏の日中ともなれば冷たいままという訳にはいかない。

 それを防いでいるのが、マリーナの精霊魔法だった。

 ……こういうことで精霊魔法を使っていると他の精霊魔法の使い手が知れば、間違いなく驚愕する光景だろう。


「ほら、取りあえず魚が焼けたぞ」


 レイはそう言い、焚き火の側で串に刺さって焼かれていた魚を皿の上に置く。

 本来なら魚を獲るのは食事が終わってからのつもりだったのだが、川の中に大きな石……いや、岩があるのを見て、ふと日本にいる時に漫画で見た漁の方法を思い出したのだ。

 つまり、岩を思い切り殴って、その衝撃で岩の近くにいる魚を気絶させるという方法を。

 そしてセトに頼み、前足で岩が破壊されない程度の一撃を放って貰い……結果として、レイが予想した通り気絶した魚を十匹程獲ることに成功した。

 その中でも小さい魚はそのまま戻した――気絶してるので、そのまま川に流されていった――のだが、大きな魚はレイ達が食べるには十分な量だ。

 もっとも、それは腹一杯食べるのに十分な量だというのではなく、ちょっと食べるには十分な量という意味なのだが。

 そんな訳で塩を振って焼かれた魚を全員が食べる。

 内臓を抜いて洗ってから焼いているので、その辺りを気にする必要もない。

 川魚らしく、淡泊な味わいが自然と食べている者の頬を緩ませる。


「塩味がいいな。やっぱり焼き魚には塩か」

「そうね。香草蒸しとかも美味しいんだけど……こういう食事では塩が最善だと思うわ」


 レイの言葉に、ヴィヘラが笑みを浮かべつつ言葉を返す。

 川魚の料理としては、やはり塩焼きが一般的なものだろう。

 何より、簡単に出来るという点が大きい。

 ヴィヘラが言った香草蒸しの類は、蒸し料理だけにそれなりに時間が掛かる。

 一応香草の類はミスティリングの中に入っているので、不可能な訳ではないのだが。

 ともあれ、そんな風に会話をしながら昼食を終えると、少しの間昼休みとなる。

 そして休みとなれば、当然のようにレイやセトは魚を獲ることに専念し始めた。

 先程のように岩を殴ってその衝撃で気絶させた魚を獲り、もしくは川の中に入って槍で素早く突いたり、もしくは地上に吹き飛ばしたり。

 一人と一匹がそんな行為をしていれば、当然他の者達も面白そうだと思うのは当然だった。

 珍しくエレーナも興味深そうにしながら川の中に入り、マリーナは森で生まれ育っただけに特に苦戦することなく精霊魔法を使って魚を獲り、ヴィヘラはその身体能力を活かして魚を素手で掴む。

 そんな中、一番真剣に魚を獲っていたのは、やはりビューネだろう。

 いつもの長針ではなく、周囲で拾った石を投げて泳いでいる魚にぶつけ、それを獲る。

 そんな一行の中で、イエロは水遊びを存分に楽しみ、川のカニを相手に激闘を繰り広げるのだった。

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