第1627話

「うーん……何ともはやまぁ。よくもこの短時間でそこまでの大きな騒ぎになるものだな」


 対のオーブの向こう側にあったダスカーの姿が消えると、使節団を率いているロニタスがしみじみと呟く。

 実際、ロニタスの顔には疲労の色が濃い。

 使節団の他の者達も、レイ達が何をしてきたのかを聞かされ、何を狙っているのかを聞かされ、そしてレーブルリナ国が何を考え、使節団にどう行動してもいいのかと、その辺りの事情を聞かされれば、到底簡単にはいそうですかと言えるようなことではない。

 そんなやり取りをしながらも、ダスカーはまだ仕事が残っているからといって既に別の仕事に取りかかっているのだから、領主というのはどれだけ激務なのだろうと、ロニタスはつくづく思う。

 世の中には非常に強い出世欲を持つ者がおり、より高い地位を望む者も多い。

 特にギルムの領主という立場は、何も知らない者、傍から見ている者にしてみれば、希少な素材を始めとして様々な利益を得られるように思えるだろう。

 だが、ダスカーがどれだけ忙しいのかを間近で見る機会が多いロニタスにしてみれば、とてもではないが自分がギルムの領主になりたいとは思えなかった。

 搾取するだけ搾取して、ろくに仕事の類をしない……という真似をしようものなら、辺境のギルムだけにすぐにどうしようもなくなるだろう。

 得られる利益も多いが、危険も多い街。それがギルムなのだ。


「そう言ってもな。殆ど成り行きでそんな感じになったし」

「ギルムが広くなっている今であれば、寧ろ今回の一件は望むところ……なのだがな。それでも、やはり千人近い人数を運ぶというのは、大変そうだ」


 ロニタスは女達の移動には関わらないが、想像するだけでも大変そうなのは明らかだった。

 それこそ、千人近い人数での移動ともなれば、食事の準備をするのですら大変だろう。

 どこか哀れみすら込められた視線を向けられたレイだったが、本人は今となってはそこまで大変だという思いはない。


「最初は色々と大変だったけどな。ただ、今は全員が馬車に乗って移動してるから、そこまで大変ではないな」

「それでも、千人規模の移動ともなれば、大変そうに思えるが。まぁ、それはともかくとしてだ。取りあえず使節団……ギルムの意向としては、レーブルリナ国の提案には乗らない方向で行くのか」


 疲れたように言うロニタスの口からは、面倒だと思っていることが誰にでも分かった。

 それでも、ギルムの利益の為であれば……と、その面倒さによって途中で適当に仕事をこなすような真似をしないのは、ロニタスらしいのだろう。


「そもそも、自分達がやった悪事をジャーヤに押しつけるなんて真似をするって点で、レーブルリナ国の上層部は信頼出来ないしな」


 使節団の一人が、ロニタスを宥めるように言う。

 それは他の面々も同様だったのか、皆がその言葉に頷いていた。

 ただ、これもギルムにとってそちらの方が利益が大きいからこそ、そう言えるのだが。

 使節団という立場上、もしジャーヤに今回の一件の責任を取らせた方がギルムの利益になるとなれば、ギルムの使節団としては、内心の思いはどうあれそちらを選択する必要があっただろう。

 また、遠からずミレアーナ王国から送られてくる者達との間の関係も考える必要がある以上、全てを好き勝手に出来る訳ではない。


「ともあれ、レーブルリナ国についてはこっちの方でもしっかり注意しておくから、気にしないでくれ」

「……頼む」


 結局今の時点でレイが出来るのは、女達をギルムに運ぶということだけだ。

 もっとも、それがジャーヤやレーブルリナ国にとっては非常に厄介な行為ではあるのだが。


「それと、リュータスだったか? その男はお前達と合流したら、こっちで預かってもいいんだよな?」

「そうしてくれ。リュータス本人もある程度腕が立つし、護衛達も足手纏いにならない程度には使える筈だ。……それでも、ミレイヌ達とはちょっと比べられないけど」

「いや、それだと比べる方が間違っているだろう」


 レイの言葉に、エレーナが呆れと共に呟く。

 セトを愛でている姿からは全く想像出来ないが、ミレイヌ達は若手の中でも有名な冒険者達なのだ。

 性格はともかく、ミレイヌは外見は整っており、美人と呼ぶに差し支えのない相手だ。

 エクリルはミレイヌよりも若干年下の為か、美しさよりも可愛いと表現するのが相応しいが、顔立ちが整っているのに間違いはない。

 そういう意味ではスルニンは中年の男で、外見だけで騒がれる理由はないが……腕利きの魔法使いという点で騒がれるには十分だろう。

 ギルムには多数の冒険者のパーティがいるが、その中で魔法使いがいるパーティというのは多くはないのだから。


「正直なところ、リュータスと護衛達を使節団の方に譲るから、使節団の方から護衛を何人かこっちに回して欲しいんだけど」


 レイの言葉に、ロニタスは難しい表情で考え込む。

 ロニタスも、情報交換のおかげでレイが何を心配しているのかというのは分かっている。

 ギメカラを通してゾルゲー商会に用意してもらった護衛の冒険者だが、一行の殆どが女ということもあり、妙な問題を起こさないことを前提として護衛は選ばれている。

 つまり、腕が立つが性格に問題のある者ではなく、腕は立たないが性格に問題のない者を選んでいるのだ。

 それも、冒険者の質的な面では到底ギルムに及ばないレーブルリナ国の冒険者で、だ。

 そう考えれば、やはり防衛戦力に不満があるのは間違いない。

 特にレイ達はいつまでもそちらの集団と一緒にいられる訳ではない以上、何かあった時の戦力は早急にどうにかする必要があった。

 そんな中で、この使節団と合流出来たのだから、レイがそちらに期待をするなという方が無理だろう。

 だが、そんな期待をされてもロニタスの立場としては、はいそうですかと言える筈もない。

 これからレーブルリナ国に……上層部がジャーヤという犯罪組織と組むなどという真似をし、巨人などという存在を作ることを許容していた国にいくのだから、それこそ出来ればレイ達に自分達の護衛に加わって欲しいというのが、正直なところだろう。

 だが、千人近い者達をギルムまで連れていくのに、腕の立つ護衛が必要というのも間違いないのだ。

 今はレーブルリナ国だから、そこまで警戒する必要はない。

 だが、ギルムに近づけば、それだけ強力なモンスターやこの近辺で出るよりも大きな盗賊団が襲ってくる可能性もある。

 そんな時、性格的に問題はないが腕に問題のある護衛達でどうなるのか……それこそ、肉食獣が羊の群れを食い散らかすような光景しか思い浮かばないのは当然だった。


「一人か二人、なら……何とか……」


 結局これからのギルムのことを考えると、ロニタスが妥協出来るのはその程度でしかない。

 いや、寧ろそこまで譲歩した? とロニタス以外の使節団の面々は感心すらした。

 ……これで自分達の護衛を減らすなという不安を抱かない辺り、相応の人選なのだろう。


「いいのか?」

「そっちから希望しておいて、いいのかってのは正直どうなんだ? ……ただ、護衛をそっちに融通するにしても、灼熱の風の面々は駄目だぞ」

「えーっ!」


 ロニタスの言葉に真っ先に反応したのは、レイ達……ではなく、少し離れた場所でセトと遊んでいたミレイヌ。

 セトと遊びながらも、しっかりとレイ達の話は聞いていたのだろう。

 それだけに、もしかしたら……本当にもしかしたらだが、自分達がレイと――正確にはセトと――行動出来るかもしれないと、そう期待していたのだ。

 だが、普通に考えて護衛の中でも腕利きの灼熱の風……もしくはミレイヌ個人であっても、レイ達に派遣するというのはロニタスにとって有り得ない選択だろう。


「ミレイヌはともかく……」


 不満そうにしているミレイヌを一瞥した後で、レイはロニタスに対し、要望を口にする。


「冒険者じゃなくて、騎士でもいいんだけど?」

「それは無理だ」


 レイの言葉に即座に告げたのは、ロニタス……ではなく、話題に出た騎士の男。

 三十代程の、まさに働き盛りといった年齢のその騎士は、レイも何度か顔を合わせたことがあるし、会話をしたこともある。

 騎士の方も出来ればそんなレイの力になりたいとは思っていたが、個人としてならともかく、今は騎士としてこの場にいるのだ。

 そうである以上、公務を優先させる必要があった。


「そもそも、今回同行している騎士は少ない。……ギルムの方で忙しいからな。そうである以上、ロニタス殿の護衛を最優先させる必要がある。それに……騎士がいるからこそ、ロニタス殿を含む使節団はギルムの者だと示すことが出来ているのも事実だ」


 だからこそ、手助けをすることは出来ない。

 そう言われれば、レイも納得するしかなかった。

 まさかここで無理に騎士を連れていくような真似をすれば、それこそ今はともかく、後日ダスカーに怒られるのは間違いない。

 勿論マリーナがいれば、その程度の怒りをどうにかする手段は幾らでもあるのだが……それでも、必要もないのに叱られるというのは出来るだけ避けたいと思うのは当然だった。


(となると、やっぱり護衛は途中の街や村で用意していく必要があるか。レーブルリナ国の冒険者はともかく、ミレアーナ王国に入れば田舎でもそれなりに腕利きの冒険者とかはいるだろうけど)


 考えを纏めると、レイは騎士に向かって頷きを返す。


「分かった。出来ればこっちに来て欲しかったが、無理は言えないか」

「うむ。こちらとしても、出来れば守る術を持たない者達を守りたかったのだが」


 騎士が少しだけ悔しそうに告げる。

 実際、この騎士は戦う力を持たない者を守る為に騎士になった男であり、それだけに現在の状況で一番悔しい思いをしているのが誰なのかと言われれば、恐らくこの騎士なのは間違いない。

 レイもそんな騎士の思いに何か感じるものがあったのか、それ以上はその話題について突っ込んだ話をせず、別の話を口にする。


「この近辺の村や街で、何か美味い料理とかはなかったか?」

「いや、それはあったが……何故いきなりそんな話になんだよ」


 騎士の男が少しだけ呆れた様子でレイを見るが、それでもレイが話を変えてくれて助かったと思ったのか、ここに来る途中で寄った幾つかの村や街で食べた料理を説明する。

 ロニタスを始めとした使節団の面々は、何故レイが今のように話題を変えたのかを理解したのだろう。

 思いもしなかったレイの気遣いに驚きつつも、友好的な笑みを浮かべる。


「へぇ、肉を地面で蒸し焼きにする料理か。……美味そうだけど、時間が掛かりそうだな」

「ああ。数時間……場合にとっては十時間以上掛かることも珍しくないらしい」


 味付けした肉を香り付けに使われる大きな葉で包んで地面に埋め、蒸し焼きにする調理法。

 レイは、それを知っていた。

 日本にいる時に、漫画で読んだことがあったからだ。


(中華料理の乞食鶏だっけ? そんな名前だった気がするけど……人間、発想は似たようなものになるんだな)


 味付けの類や、肉以外に使われている材料の類も違う以上、正確にはレイが想像した料理と全く同じという訳ではないのだろう。

 だが、似たような料理である以上、興味深いと思うのは当然だった。ただし……


「時間があれば、食ってみたいんだけどな」

「そうだな。俺達の場合は丁度料理が出来上がる頃にその村に寄ったから、すぐに買うことが出来たが……運が悪ければ、料理を始めた直後にその村に到着するとか、そういうこともあると思う」

「その辺りは、もう完全に運だな」


 ギルムへの道を急いでいるレイ達にとって、どこかの村によるというのは何らかの物資を補給する時のものだ。

 そうである以上、一時間や二時間ならまだしも、一食分の料理の為に十時間も一つの村にいるというのは、絶対に有り得ない選択肢だった。

 それこそ、いっそその料理の調理法を知っている人物がレイ達に同行し、夕食……いや、調理時間を考えると朝食になるのかもしれないが、料理を作って貰うという方が、余程選びやすい選択肢だろう。

 その後も、レイは騎士から途中で寄ってきた村や街の情報……特に安全面であったり、その場の雰囲気であったりといった情報を聞いていく。

 そんなレイと騎士の横では、マリーナがロニタスから同じように今後の旅に必要な情報を聞いていった。

 マリーナはギルドマスターをしていた分、様々な情報に精通しているが、それでも情報というのは日々新しくなるものだ。

 エレーナは他の護衛達と共に周囲の様子を警戒し……そしてセトは、ミレイヌに愛でられるのだった。

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