第1628話

 レイ達がギルムからの使節団と会いにいくと言って出発した後、一行の足は当然のように重くなる。

 ……もっとも、馬車で移動しているのだから、足が重くなるといっても本当の意味で移動速度が遅くなる訳ではない。

 だが、それでも……馬車の中にいる者達は、いつもと違ってどこか暗くなるのは当然だった。

 ヴィヘラやビューネといった腕の立つ者達が残っているのは分かっているのだが、それでもやはり……どうしても暗い雰囲気になってしまうのは当然だろう。

 本当にモンスターや盗賊に襲われないのか、そして襲われても現在の護衛の数でどうにかなるのかと。

 そんな不安を抱いてしまうのは、現状を考えれば当然だろう。


「全く、私も随分と侮られたものね」


 先頭を進む馬車に乗っていたヴィヘラが、少しだけ不満そうに呟く。

 娼婦をやらされていた者達の多くが既に普通の服を着ている現在、娼婦らしい……もしくは娼婦以上に扇情的な服を着ているのは、ヴィヘラ以外に数人の物好きだけだ。

 そんな扇情的というよりも淫靡と表現するのが相応しい服を着ているヴィヘラだったが、その雰囲気とは裏腹に現在は不機嫌そうに馬車の窓から空を見る。

 雲が幾つか空に浮かんでいるが、今日もまた夏らしい太陽が空に浮かんで強烈な自己主張を行っていた。

 そんな太陽を眩しげに見たヴィヘラは、次に近くを走っていた別の馬車に視線を向ける。

 全員が馬車に乗って移動している以上、他の者達が具体的にどのような表情をしているかというのは、当然だがヴィヘラにも分からない。

 それでも、出発前の雰囲気を考えれば、現在馬車の中で他の者達がどのように思っているのかというのは容易に想像出来た。


「そう言わないで下さい。皆、ヴィヘラさんの技量を信用していない訳ではありませんから。ですが、やはりレイさん、エレーナさん、マリーナさんといった三人がいなくなったというのは、どうしても不安に感じてしまうんでしょう」


 同じ馬車に乗っているギメカラが、ヴィヘラの方を向きつつ……それでいながら視線を逸らし、そう告げる。

 この馬車にはギメカラ以外にもビューネやリュータスといった面々が乗っているが、これだけの人数に囲まれていてもヴィヘラを凝視すれば、劣情に心を奪われてしまいかねないのだ。


「まぁ、レイ達がどれだけ強いのかってのは、メジョウゴを出る時にその目で見てるし、その後も騎兵や盗賊達を倒しているのをその目で見てるからな。どうしても、レイがいないのは心配なんだろ」


 リュータスがギメカラの言葉を続けるように、そう告げる。

 実際、こと戦闘となればレイは酷く目立つ。

 本人の背が小さく、それでいながらデスサイズと黄昏の槍を両手に持って暴れるのだから、それで目立たない筈がないだろう。

 そして目立つだけに、どうしても紅蓮の翼の面々の中でも頼りになると思われるのだ。……パーティリーダーだというのも、あるのだろうが。

 もっとも、目立つという点では連接剣のミラージュを使うエレーナや、精霊魔法を自在に操るマリーナもまた、同様だ。

 そしてセトは戦い方云々以前に、その姿だけで大いに目立つ。

 ましてや、セトはマスコットキャラとしても人気があり、身体的な意味ではなく、精神的な意味で頼っている者も多い。

 そんな面々に比べれば、どうしてもヴィヘラはそこまで目立たない。

 殴る、蹴る、関節を折る……時々浸魔掌で相手の内部から破壊する。

 戦い方そのものは、どうしても他のメンバーに比べればそこまで目立たないのだ。

 ……外見という意味では、ヴィヘラは非常に目立つのだが。

 ビューネも盗賊である以上、その戦闘スタイルはどうしても他の者達よりも目立つようなことはない。

 投げ針や白雲を使った一撃は、素早い攻撃ではあるがとてもではないが派手とは呼べないだろう。


「分かってるわよ。……ただ、それでもこうまで露骨に態度に出されると、面白くないと思ってもおかしくないでしょ?」

「そうですね。ですが、一つ。ここまで皆が落ち込んでいるのは、別にヴィヘラさんが頼りにならないから……という訳ではないかと。恐らくセトの問題でしょう」

「……それはそれで、どうかと思うけどね」


 ギメカラの説明に納得出来るところがあったのか、ヴィヘラは少しだけ気分が晴れたように改めて窓から空を見上げる。

 先程はどこまでも続くかのような、青く高い空にすら面白くないものを感じていたのだが、今はそこまででもない。


(セトの威力……威力? こういう場合も威力って表現でいいのか分からないけど、とにかくここまで人気者になるとは思わなかったわね)


 それ以上はヴィヘラも口を開くことなく、空を見上げる。

 ビューネはそんなヴィヘラの側で、ただじっとしていた。


「……あのお嬢ちゃん、ビューネちゃんでしたかね。子供というのは黙っているのが苦手なものですが……」


 ビューネに聞こえないよう、小声でギメカラが呟くが、それを聞いたリュータスは平然と口を開く。


「レイの率いる紅蓮の翼の一員だ。当然その辺に幾らでもいる、普通の子供じゃないだろ」

「そう言われれば、そうなりますか」


 ランクBパーティ、紅蓮の翼。

 そのパーティに所属しているという時点で、ビューネがその辺の子供の筈がない。

 場合によっては、その子供を保護するという名目でパーティに入れることもあるだろう。

 だが、ビューネがただ保護されているような子供ではないというのは、それこそこれまでの戦いを見ていれば明らかだった。

 ギメカラはビューネの戦いを見たことはないが、それでもゾルゲー商会の一員として、情報はしっかりと集めている。


「子供でもそれだけの力を持っている。……世の中は広いですね」

「そうだな。多分、世の中にはジャーヤにいただけだと分からないような、そんな奴もいるんだろうよ。もっとも、そういう奴に会いたいかと言われれば、微妙なところだが」


 そんな風に話している間にも馬車は進み続け……やがて太陽が真上に来た辺りで、そろそろ昼食のために休憩することになる。

 いつもであれば、レイがミスティリングから取り出した美味い料理を食べることが出来るのだが、今はそんなレイの姿はない。

 結果として、多くの者が干し肉や焼き固めたパンを水で流し込むような、そんな食事をすることになる。

 何人かの腕に自信のある者、食べられる野草について知識のある者といった者達がそれぞれ多少なりとも獲物を獲るも、それは全員に行き渡るだけの量はなく、一緒に行動している十人一組の班員で分けることになる。

 そうして食事が終われば、馬の世話を含めて少し休憩した後でまた移動を開始し……やがて夕方になる。


「今日はここで野営をするわ。それぞれ、一緒に食事の準備に掛かりなさい」


 ヴィヘラの言葉に従い、千人近い人数が一斉に準備に取りかかる。

 だが、やはり普段とは違って、その動きは鈍い。


(全く、レイ達やセトがいないからって、ここまで士気が落ちるとは思わなかったわね。……けど、私達だっていつまでもこの集団と一緒にいる訳にはいかないわ。この状況に慣れてもらわないと。それに……)


 ヴィヘラは牽いている馬が外された馬車に視線を向ける。

 メジョウゴから出発した当初であれば、それこそ草の上で眠るという野宿を繰り返していた。

 だが、今は砂上船があり、その砂上船がなくても馬車がある。

 勿論馬車の中で眠るというのは、とてもではないが身体に良いことではないのだが、それでも地面に直接寝るよりは雨風を凌げるだけ身体には優しい。


「ヴィヘラさん、ビューネさん、これ食事です」

「ええ、ありがとう」

「ん」


 ギメカラに渡された干し肉と焼き固めたパン、それと夕食らしくデザートとして干した果実が手渡される。

 普通の冒険者にとっては慣れたメニューではあったが、レイと行動を共にしているヴィヘラにとっては、寧ろ物珍しいメニューですらある。

 ビューネは、迷宮都市でまだヴィヘラと会うよりも前には、それこそ嫌になるくらい食べたメニューだったので、物珍しさの類は存在しなかったが。


「では、私達は少し離れた場所で食べますので」

「あら、そう? 別に一緒に食べてもいいと思うけど」

「いえ。リュータスさんと色々相談しておくこともありますから」


 そう言うと、ギメカラは頭を下げてその場から去っていく。

 結局この場に残ったのはヴィヘラとビューネの二人のみ。


「そう言えば私達だけで食事をするのも、随分と久しぶりなような気がするわね」

「ん」


 干し肉を囓りつつ告げるヴィヘラに、ビューネは短く答える。

 塩辛い干し肉に、水を飲むその様子は、どこか小動物を思わせた。

 基本的にレイに次ぐだけの食事量を誇るビューネだったが、それでも食べ方は汚くはない。

 今の様子を見ても、食い散らかすといった様子は見えず、どこか見る者は暖かな気持ちすら抱くだろう。

 ……もしセトの存在がなければ、それこそこの集団のマスコットキャラ的な扱いを受けていてもおかしくはない程に。


「レイ達はどうしたのかしら。そろそろ戻ってきてもいい頃だと思うけど」

「ん」

「え? そうすぐに戻ってくるとは思えない? まぁ、使節団と情報を交換するだけでも相当の時間が掛かるのは間違いないものね」

「ん」

「そうね。でも、レイが戻ってきてくれれば……いえ、エレーナでもいいから、いてくれれば、少しは楽しむことが出来たんでしょうけど」

「ん」

「大丈夫よ。別にそこまで本気でやるつもりはないから」


 ヴィヘラの言葉に、ビューネはいつも通り『ん』としか言っていない。

 それでもしっかりとお互いの意思が通じている辺り、何だかんだとヴィヘラとビューネの付き合いが長い証だろう。

 もしこの場にいるのがレイやエレーナ、マリーナといった者達であれば、ビューネが何を言いたいのかは大体理解出来るだろうが、それでもヴィヘラのように全てを正確に理解する……といった真似は、まず出来ない。

 その後も、傍から見ればヴィヘラが一方的に会話をしており、ビューネはそれに短く返事をしているだけという……それでいながら、お互いにしっかりとした意思疎通をしながら食事は進む。

 食事の量そのものは多くないので、そんな食事もすぐに終わる。

 ……もっとも、干し肉や焼き固められたパンのような保存食が大量にあっても、それを大量に食べるのは余程空腹でなければ辛いものがあるのだが。


「ちょっと珍しかったけど、それでも味気ないわね」


 そう思いつつヴィヘラが周囲を見回す。

 十人一組に別れて食事をしている者の中には、この短時間で何らかの狩りに成功したのか、肉を食べている者達の姿もある。

 それを見たヴィヘラは、次にビューネに視線を向ける。

 そして、少し離れた場所にある林を見た。

 盗賊のビューネは、森で動き回るのは得意だ。

 もしくは、長針の投擲によって空を飛んでいる鳥を仕留めることも可能だろう。


(もしかして、ビューネに最初から頼めばよかったのかしら)


 そんな風に思うヴィヘラだったが、既に食事が終わった状況でそこに考えが至っても、どうしようもない。


(ビューネなら、まだ食べられるかもしれないけど)


 小柄ながら、ビューネはヴィヘラよりも多くの量を食べる。

 それこそ、先程食べた保存食だけでは、到底足りないのは間違いなかった。


「ビューネ、何か獲物でも獲ってくる? 今ならまだ寝るまで結構時間が……」


 あるし、と言葉を続けようとしたヴィヘラだったが、不意に近づいてくる気配に気が付いてそちらに視線を向ける。

 もっとも、その視線にあるのは警戒ではなく喜びだったが。

 そんなヴィヘラに少し遅れ、ビューネもまたヴィヘラと同じ方に視線を向ける。

 そこから更に遅れ、一行の中でも気配の類に敏感な者は近づいてくる気配に気が付く。

 それは近づいてくる者が……否、者達が気配を隠していないからというのが大きいのだろうが。


「今更だけど……食事をするのが少し早かったみたいね。もう少し待っておけば、美味しい料理を食べられたでしょうに」


 ヴィヘラがそう呟くのと同時に、何か重い物が落ちたかのような音が周囲に響く。

 その音で、ようやく気配の類を悟るようなことも出来ない者達も異変に気が付いたのだろう。慌てて周囲を見回していた。

 だが、昼であればともかく、既に太陽は半分以上が沈んでおり、今は丁度夕方と夜の間……黄昏時とも呼ばれる時間だ。

 それだけに、空を飛んでいるセトの存在に気が付くことが出来る者は少なく、セトが鳴き声を上げつつ地上に降りてきたのを見て、ようやく殆どの者がセトの……そしてレイ達の帰還に気が付く。

 そして、気が付いた者達……特にセトを心の支えとしている者達の口からは、歓喜の声が溢れるのだった。

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