第1626話

「セトちゃーん!」


 周囲にいた者達は、突然の音と衝撃に身構えていたのだが……その中で真っ先に行動に出たのは、やはりというか、ミレイヌだった。

 セト籠を地面に下ろした……落としたことで地上からもセトの姿を視認出来るようになり、それで真っ先に空にいるセトの姿を発見したのだ。

 ミレイヌは先程聞こえてきた鳴き声から、近づいてきていたのはセトだと察知していた。

 だからこそ、こうして次の行動に出るのも早かったのだろう。

 スルニンとエクリルというミレイヌの仲間の二人は、そんなミレイヌの姿を見ても特に驚いた様子はない。

 他の面々と違い、ミレイヌのセトに対する嗅覚が鋭いということをしっかり理解していた為だ。

 そんなミレイヌに対して、他の護衛達……馬車から降りていた使節の一人も、ただ唖然とした視線を向けている。

 セトだと騒いではいたが、まさか本当にセトだとは思ってもいなかったのだろう。

 いや、その情報……レイ達の存在を聞いていた使節団の男は、我に返るのが早い。


「敵ではない! あれはお前達も知っているセト、深紅のレイの従魔だ! 繰り返す、敵ではない! セトを攻撃することは許可しない!」


 そう叫ぶ男の言葉に、ようやく灼熱の風以外の冒険者達も構えを解く。

 それでも万が一……本当に万が一の場合に備えて、何かあったらすぐ対応出来るようにはしているが。

 護衛対象の一人の指示ではあるが、実際に飛んでいるグリフォンがセトなのか、自分の目で確認するまでは本当の意味で安心は出来ない為だ。

 勿論、グリフォンなどという高ランクモンスターがその辺にそういるとは思えないが。

 そんな冒険者達の様子を見ながら、使節団の男は安堵する。


(よかった。これでセレナやクロムに怒られなくて済む)


 ギルムに残っている妻と息子が、そろってセトを可愛がっているのを知っているだけに、もしここで自分の命令によってセトに攻撃をするようなことになり……それが妻や息子に知られれば、どうなるか。

 それは、考えるまでもなく明らかだ。

 普段は優しい妻だったが、怒ると怖いというのは、恋人になり、結婚して夫婦になるまでの付き合いからよく知っていた。

 そのようなことにならなくて良かったと、心の底から安堵する男。

 そんな男の視線の先で、セト籠の中から二人の女が姿を現す。

 そのどちらもが絶世のという表現が相応しい程の美女で……当然使節団の男も、それが誰なのかを知っていた。

 一人はギルムの元ギルドマスターのマリーナ。

 そしてもう一人は、姫将軍の異名を持つエレーナ。

 そのどちらもが、ギルムから見ても確実な重要人物と呼ぶべき相手だ。

 どちらに声を掛けるか……そう迷っている男から少し離れた場所では、ある意味感動の再会とでも呼ぶべき光景があった。


「セトちゃん、セトちゃん、セトちゃん! 元気だった? お腹減ってない? 疲れてない?」


 地上に降りてきたセトを相手に、ミレイヌがその身体を撫でながら尋ねる。


「人聞きの悪いことを言うなよ。それだと、俺がまるっきりセトに何も食べ物を与えてないみたいじゃないか」

「何よ、レイばっかりセトちゃんと一緒にいてさ。……たまには私がセトちゃんと一緒にいてもいいと思うけど」


 セトの首を抱きしめながら、ミレイヌがレイに対して不満も露わに告げる。

 だが、その不満をぶつけられたレイにしてみれば、理不尽な思いを感じてもおかしくはない。


「そう言ってもな。そもそもセトは俺の従魔なんだから、俺と一緒に行動するのは当然だろ?」

「ぐっ……こ、ここで正論を言うなんて卑怯よ」

「いや、何で正論を言うのが卑怯なんだよ」

「グルゥ」


 レイに対して更に何か言おうとしたミレイヌだったが、セトが喉を鳴らすとすぐにレイではなくセトを愛でる行為に熱中する。

 そんなミレイヌの姿を眺めていたレイは、ふと自分が率いてる女達の集団を思い出す。

 今はもう馬車という移動手段が出来たとはいえ、歩いている者が多かった時には多くの女達が……レジスタンスの女や男も含めて、セトの愛らしさによって励まされることで、辛い時を乗り越えてきたのだ。

 実際レイ達がこの使節団と合流する為に離れると口にした時も、レイがいなくなるより、セトがいなくなる方が寂しいといった表情を浮かべた者が多かったのだから、どれだけセトが愛されているかが分かりやすい。

 だが……もしそこにミレイヌが加わったらどうなるのか。

 レイは、その結末を半ば予想出来る。

 実際セト好きという意味ではミレイヌと同じくらいのレベルにいる、ヨハンナという人物はミレイヌと犬猿の仲なのだから。

 つまり、もしミレイヌを連れて向こうの集団と合流した場合、どうなるのか……それこそ下手をすれば、血で血を洗う戦いにすらなりかねないのではないか。

 そこに考えが及んだレイは、急に背筋が冷たくなる。


(せめてもの救いは、ミレイヌは使節団の護衛で、俺達はギルムに向かってることだよな。一緒に行動するにしても、そこまで長時間にはならない筈だ。ならないと……いいなぁ)


 どうにかしてセト争奪戦が起きないようにとレイが考えている中、マリーナやエレーナと話していた男がレイに向かって近づいてくる。

 いや、正確には男達と表現すべきか。

 今までは危険の為に馬車に乗っていた他の使節団の面々も、もう安全だと判断して馬車から降りてきたのだから。


「レイ、少しいいか」


 そう声を掛けてきたのは、先程最初に馬車から降りた人物。

 四十代程の年齢で、どちらかといえば厳しい表情を浮かべている男だ。


「えっと……」

「ああ、挨拶が遅れたな。俺はロニタスだ。この使節団の責任者という形になっている」

「そうか、あんたが。俺はレイ。知ってると思うけど、ダスカー様からの依頼を受けてレーブルリナ国に先に入っていた」

「その件については、前もってダスカー様から聞いてる。……ただ、エレーナ様やマリーナ様から聞いた話によると、色々と厄介な出来事になってるって?」


 言葉遣いや年齢の差といったものを気にした様子もなく、ロニタスは笑みを浮かべながらレイに向かってそう告げる。

 だが、それも当然だろう。ロニタスの立場はダスカーの一介の部下でしかなく、それに比べてレイは異名持ちの高ランク冒険者……それも高ランクモンスターのグリフォンを従魔とし、更にはエレーナやマリーナ、ヴィヘラといった腕の立つ人材とパーティを組んでいるのだから。

 ……今ロニタスが思い浮かべた中にビューネの名前がなかったのは、ビューネがそこまで目立っていないということもあるし、他の面子に比べればどうしても技量的に劣るというのがあるからだろう。

 ともあれ、レイとロニタス、もしダスカーがどちらか選ばなければならなくなったら、間違いなくダスカーがレイを選ぶという認識がロニタスの中にあった為だ。

 良くも悪くも、ギルムは腕利きの冒険者が集まってくる街で、ロニタスもその感性に慣れているというのが大きい。


「そうだな。ちょっと……いや、かなり凄いことになってる」


 千人近い人間を、それも特に旅慣れている訳でもない者達を連れてギルムまで行くのだから、それはとてもではないが簡単なこと、とは言えないだろう。


「らしいな。その件でこれからダスカー様と色々と話すから、レイも来てくれ。何かあった時は、お前がいた方がいいだろうし。それに……」


 一度そこで言葉を切ったロニタスは、セトを愛でているミレイヌに視線を向ける。

 レイもその視線を追うが、それで何を言いたいのかというのはすぐに理解出来た。

 

(セトがいる限り、ミレイヌは使い物にならない、か。いや、寧ろセトがいるから周囲を警戒する必要はなくなると言うべきか?)


 ともあれ、現在の状況を考えるととてもではないがこのまま移動するという訳にもいかず、レイ達は馬車を街道から少し外れた位置まで移動させる。

 もし何かあっても、すぐに対応出来るように。……そして、街道を通る者達の注目を集めないように。

 セト籠はミスティリングに収納すればいいが、馬車はそうする訳にはいかない。

 いや、やろうと思えば出来るのだが、使節団の立場的に考えて、そのような真似は出来ないというのが正しいだろう。


「ここ? それともこっちが痒い?」


 ミレイヌも、セトを撫でながら――正確には掻いてやりながら――馬車の移動した方に向かって歩いてくる。

 そんなミレイヌを見て、スルニンとエクリル以外の護衛の者達の中には驚きの表情を浮かべている者も多い。

 ミレイヌのことをよく知らない者にしてみれば、普段の腕利きの女冒険者として凜々しい様子を見せている……それこそ、若手の中でも有数の冒険者と言われているミレイヌと、今のミレイヌは大きく違って見えているのだろう。

 顔立ちも整っているミレイヌだけに、出来れば今回の護衛の依頼でお近づきになりたいと考えていた者もいたのだが……今のセトを可愛がっているミレイヌを見れば、その気が失せた者も多い。

 男達のやり取りを眺めつつも、レイが感心したのは馬車を牽く馬だ。

 ダスカーからレイ達よりも早く出発した者がいたという話を聞き、更にはその馬車はかなりの速度を出せるという話を聞いていたのだが、その馬車を牽く馬はセトが近くにいるというのに、特に暴れたり怯えたりする様子はない。

 ギメカラが用意した馬車を牽く馬の中には、未だにセトを怖がっている馬も多い。

 それに比べると、それこそエレーナの馬車を牽く馬と同じくらいに厳しい訓練を受けてきた馬なのは間違いなかった。


(まぁ、幾ら馬車が高性能で特殊な能力があったとしても、それを牽く馬の能力が低い駄馬だったりすれば、意味はないしな。……寧ろ、ギルムからやってきたことを思えば、馬じゃなくてテイムしたモンスターとかでもおかしくはないけどな)


 セトを見て一切怯えた様子もない馬を眺めていたレイだったが、使節団のロニタスに呼ばれてそちらに向かう。

 馬車の近くに集まっているのは、ロニタスを始めとして十人近い者達。

 その全員が使節団としてやってきたのは、この場にいることを思えば間違いないだろう。


「レイ、大体の事情は簡単にだけど話したわ」

「……早いな」


 てっきり自分が説明することになるのでは? と思っていたレイだったが、まさか先に説明をしておいて貰えるとは思わなかった。

 だが、マリーナとレイのどちらが端的に事情を説明出来るかと言われれば、レイであってもマリーナの方が正確に話すことが出来ると考えるだろう。


「手っ取り早い方がいいでしょ? それで、これからダスカーと連絡を取ることになったわ。エレーナ」

「うむ」


 マリーナに視線を向けられたエレーナは、小さく頷いて対のオーブを取り出して起動する。

 すると、数秒でその対のオーブにアーラが映し出された。


『エレーナ様!』

「アーラ、元気なようで何よりだ」


 嬉しそうにエレーナの名を叫ぶアーラと一言二言交わすと、すぐに対のオーブからアーラの姿が消える。

 既に昨日の時点で話は通してあったので、ダスカーを呼びに行ったのだろう。

 普段であれば、日中というのはダスカーにとっても忙しい時間なのだろうが、レイ達が関わっている一件はギルムにとっても大きな利益を生むものだ。

 数分程度で、ダスカーが対のオーブに顔を出す。

 そんなダスカーの姿を見て驚いたのは、当然ながらロニタス達だ。

 対のオーブについては、話は聞いていたが直接見るのは初めてだったし、それにダスカーが映し出されたというのもやはり驚きだったのだろう。

 これがレイであれば、日本にいた時の経験からそこまで驚くようなことはなかったのだろうが、このエルジィンでこのような性能を持つマジックアイテムというのは非常に珍しい。


『ロニタスか。どうやら無事にレイ達と合流出来たようだな』

「はい。それで、その……マリーナ様から話を聞いたのですが、それは本当なのでしょうか?」


 ロニタスも、ギルムのギルドで長年ギルドマスターをしていたマリーナは呼び捨てに出来なかったのか、様付けでその名前を呼ぶ。

 ……もっとも、その理由にはマリーナがダスカーに対しても強気に出ることが出来る人物というのも大いに関係しているのだろうが。


『ああ、本当だ。お前も知っての通り、ジャーヤの件で色々とあってな。その辺の事情は聞いてるか?』

「大体は。ですが、まさか報復がそのような行動に繋がるとは思っておらず……」


 言葉を濁すロニタスだったが、周囲にいる他の使節団の面々も……いや、それどころか話だけは聞いている護衛の者達ですら、ロニタスの意見に同意せざるを得なかった。

 どこの誰が、犯罪組織に報復するだけで千人単位の人数を引き連れて、メジョウゴからギルムまでの旅をすることになると思うだろうか。

 もっとも、そのようなことをするからこそランクBパーティなのだろうと、そう思いながら……その場にいる全員で情報交換を行うのだった。

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