第1571話
自信を持つだけのことはある。
それが、自分を目がけて真っ直ぐに突っ込んでくる男を見てレイが思ったことだった。
別にレイは男に対する警戒を完全に解いた訳ではない。
そもそも、自分と敵対しようという相手がいるのに、そのような真似をする筈がない。
だが、それでもレイが男に対して抱いていた警戒感は、そこまで強いものではなかった。
そんなレイの予想が、微かにではあるが外れたのだが……それはレイに、焦りでも絶望でもなく、寧ろ期待感すら抱かせる。
走る速度は速いが、それでも目で追えない程ではない。
だが、その際に身体のバランスが殆ど崩れることなく走っているのを見れば、男の実力が口だけではないのは明らかだ。
「しゃっ!」
鋭い呼気と共に突き出される、短剣の一撃。
顔や首といった場所ではなく、真っ直ぐに胴体を狙ってきたのは、一番的が大きく攻撃を命中させやすいからだろう。
一撃で相手を殺すのではない。動けなくしてから、確実に命を奪う為の攻撃。
しかし、それを見ても、エレーナ達は特に何も反応することはない。
予想外の展開に動けないのではなく……動く必要がないからこそ、動かないのだ。
それを証明するかのように、レイは一歩後ろに後退りながらスレイプニルの靴に包まれた足を振るう。
次の瞬間周囲に響いたのは、肉の潰れる音と骨の折れる音。
そして一瞬遅れて、男の持つ短剣が地面に落ちる音。
『……』
予想外の成り行きに、男の言葉に同調した者達が一言も口に出せず、沈黙が周囲に満ちる。
聞こえるのは、森の中に吹く風が揺らす葉の音と、鳥や獣、もしくはモンスターの鳴き声のみ。
「いい腕なのは間違いないが、結局いい腕止まりだな。想像を絶する……ってところまではいかない」
レイが相対してみた感想から考えると、ビューネよりそれなりに上、といった技量でしかない。
(そう考えれば、何だかんだとビューネの技量も上がってきてるんだよな)
冬程ではないにしろ、今もビューネは戦闘訓練を行っている。
また、紅蓮の翼という戦闘力の高い者達の集まりの一員として行動することで、常に高い戦闘力を持っている者達の戦闘を間近で見ることが出来る。
特にヴィヘラやレイといった者達の模擬戦を間近で見ることが出来るのは、贅沢な程に戦闘の参考となるだろう。
ましてや、今はそこにエレーナも加わっている。
……マリーナも高い戦闘力を持つが、基本的には精霊魔法や弓を使った攻撃を得意としていることもあり、ビューネにはそこまで為になるようなことはない。
一瞬の間にそんな事を考えているレイだったが、手首の骨を砕かれた男はその衝撃と痛みで動きを止めたものの、すぐに再び動き出す。
痛みを意図的に無視するその方法は、今回のような場合は非常に役に立つ。
レイを何とかして倒そうと、そう考えての行動。
だが……痛みを無視することが出来たからといって、それが身体の動きに影響を及ぼさない訳がない。
レイに向かう速度は、間違いなく最初よりは落ちていたし、身体の動きにも先程の一撃の影響は出ていた。
男も当然それは知っていたのだろうが、リュータスにあそこまで言ってしまった以上、レイに一撃を食らったからといって、それで諦めるようなことは絶対に出来なかったのだろう。
レイとの距離を詰め、武器を持っていない左手を大きく横に振るう。
瞬間、そこから飛び出したのは、数本の長針。
(暗殺者かよ)
そう思いながら、レイは咄嗟にドラゴンローブを使ってその長針を防御する。
竜の鱗や革を使って作られているドラゴンローブは、物理的な攻撃に対しても強力な防御力を持つ。
放たれた長針の全ては、ドラゴンローブによってあっさりと防がれてしまう。
もしレイの立っている場所が今とは違っていれば、長針を受け止めるような真似はせず、回避しただろう。
だが、今レイが立っている場所の後ろには、エレーナ達がいる。
勿論エレーナ達の実力があれば、そんな攻撃にどうこうされることがないのは明らかだったが、それでも万が一という可能性を考えると、レイも長針を回避するという真似は出来なかった。
当然のように、男はレイがそんな行動に出るというのは予想しての一撃だったのだろう。
そしてレイが背後を守るような動きを見せた今、絶好の機会だった。
「ぬおおおおおおっ!」
男もリュータスの護衛として長年仕えてきた身だ。
いや、正確にはリュータスの一族の護衛と呼ぶのが正しい。
それだけに、護衛ではあっても……いや、護衛だからこそ、暗殺者がどのような行動をするのかというのを十分に理解している。
優秀な護衛は、優秀な暗殺者ともなりえるのだ。
少なくてもこの男の一族の場合は、暗殺者の視点を得る為に暗殺者としての訓練も受けていた。
そんな男にしてみれば、片手が動かなくても相手を殺すという真似は容易に出来る。
……ただし、それは相手がレイでなければ、だが。
いや、エレーナ達であっても、それに対処することはそれ程難しいことではなかっただろうが。
ともあれ、男の企みはレイの拳によってあっさりと砕かれる。
「ごがぁっ!」
レイの喉を掴もうと伸ばされてきた手を、左手で弾いてそのまま右手を前に突き出す。
理想的なカウンターの一撃が入り、男は予想外の威力を持つ拳に顎を砕かれつつ吹き飛ばされる。
そのまま洞窟の岩肌に身体をぶつけ、その衝撃で男は意識を失う。
「……さて、これで取りあえずは終わりってことでいいのか? そっちの連中も、今の男に同意するようにして姿を現したってことは、俺とやり合うつもりか?」
ミスティリングの中からデスサイズを取りだし構える。
今のは素手だったが、今度掛かってくる時は武器を、デスサイズを使って相手をする。
そう行動で示したレイに対し、男達はそれ以上何をするでもなく大人しく引き下がった。
自分達の中で最も腕利きの人物ですら、素手のレイには勝てなかったのだ。
そんな化け物を相手に、武器を持って更に強化された状態でどうにか出来るかと言われれば、絶対に否だった。
それ以外にも、男がやられた……それも片手間であっさりと倒されたのを見て、目の前の人物は自分達とは格が違うと、そう判断した者も多い。
「そうか、素直なようで何より。……さて、リュータス。他の連中はこれで大人しくなったことだし、色々と聞かせて貰おうか」
「……いや、強いというのは分かってたけど、あそこまでとは……」
レイに話し掛けられたリュータスは、ただ唖然として呟く。
長年自分の護衛をしてくれた人物だけに、男がどれ程の実力を持っているのかというのは当然知っていた。
そして、レイの実力についても十分に情報を集めていた。
それでも、まさかここまで実力の差があるとは思いもしなかったのだろう。
知識として知っているのと、目の前で実際にその実力を見て確かめるということの差は、大きい。
「そうだな。けど、そんな俺達が所属するギルムに喧嘩を売るような真似をしてきたのは、ジャーヤだ。……まぁ、もしかしたら今回の一件がなくても、ジャーヤの情報は遅かれ早かれ、手に入った可能性が高いが」
一つの街そのものが歓楽街というメジョウゴだ。
当然その噂は現時点でもかなり遠くまで広がっているし、レイが知らないだけでギルムにもメジョウゴについて知っていた者がいてもおかしくはない。
そして、巨人。
同じ顔をした、身長三m程の巨人が大量にいるのであれば、それこそいつまでも隠せるものではない。
実際、このレーブルリナ国でもレジスタンスを襲撃した時にその戦力を完全には殲滅出来ず、巨人の件が知られている。
そして、情報というのは完全に封鎖するというのは非常に難しい。
少なくても、ジャーヤという組織とレーブルリナ国という小国だけで、巨人についての情報を完全に封鎖するというのは不可能だった。
「そうかもしれない。けど、出来ればギルムとは……ミレアーナ王国とはことを構えたくなかったんだけどな」
「聞いた話だと、属国なのが納得出来ないって奴が多いとか。であれば、いずれ戦うことになっていたのは間違いないと思うが? ……この国の戦力だけで勝つというのは、難しいだろうけど」
実際、レイ達が戦った巨人がいればミレアーナ王国の一般兵士が相手であれば蹂躙出来るだろう。
だが、兵士達の中にも腕の立つ者はいるし、騎士といった戦闘の専門家もいる。
そして何より、高ランク冒険者になれば巨人を何匹相手にしてもどうとでも対処出来るのは間違いなかった。
直接巨人と戦った経験があるだけに、レイはそう言い切れる。
「だろうね。正直なところ、私だってそんなことが本当に可能だとは思ってないさ。けど、上は本気でそう思っている」
「……上、ね。さっきの護衛にも若とか言われてたみたいだけど、そろそろお前の身分を知らせて欲しいな」
そう告げるレイの言葉に、リュータスは一瞬何を言われたのかが分からないといった表情を浮かべ……森の中を吹く風が、その髪を揺らす。
そのまま数秒が経ち、ようやくリュータスはレイが何を言いたいのかを理解し、口を開く。
「ああ、なるほど。まだ私が誰なのかを知らなかったのか。……レイのような異名持ちの高ランク冒険者を有してるんだし、もうこっちの素性は知ってるものだとばかり思っていた」
あははは、と明るく笑うリュータス。
勿論、レイもリュータスがただの商人であるなどとは思っていない。
だが同時に、正確にはどのような人物なのかということも分かってはいないのだ。
「それで? 結局お前は誰なんだ?」
レイの言葉に、その後ろで黙ってやり取りを見ていたエレーナ達もリュータスに視線を向ける。
今まではレイと顔見知りだから、自分達が下手に口を出すよりもレイに任せた方が話が早いだろうと判断していたのだが、リュータスと名乗る人物がどのような身分の者なのかによっては、口を出す必要もあるだろうと判断して。
「そうだね、レイ達にはこう説明すれば早いかな? ジャーヤを率いている人物の息子の一人、と」
リュータスの口から放たれた一言は、半ば予想はしていたものの、それでも驚くべきものだった。
若と呼ばれ、これだけの数の護衛がついているという時点で、その辺の商人という可能性はないし、ジャーヤの幹部の一人というのも難しい。
だが、それでもやはりリュータスの口から堂々とそのように言われるのは、予想外だったのだ。
「ジャーヤに敵対している俺達に対して、よくそんな風に堂々と言えたな。殺されるとは思わなかったのか?」
「うーん、こっちが大人しく降伏すれば、多分大丈夫だとは思ったかな。以前接触した時の感じだと」
特に気負った様子もなくそう告げるのは、リュータスが本当にそう思っているからではないか。
レイには、そう思えてしまう。
勿論、それが本当にそう思っているのかどうかというのは、リュータスの心の内を読める訳ではないレイには分からないのだが。
「まぁ、いい。それで、何でそんな人物がこうも簡単に降伏するんだ?」
「勿論、君達に勝てないからだよ。それに……父さんのやってることは、自滅への道を突き進んでいるようにしか見えないし」
父さんと口にしたリュータスの言葉から、それがジャーヤを率いている人物のことを意味しているというのは間違いなかった。
(ジャーヤの内部でも権力争いとかはあるってことだろうな。……もっとも、権力争いがあってもそれが表に出るかどうかは分からないが)
ジャーヤはレーブルリナ国と協力をしている闇の組織だ。
いや、実際にはレーブルリナ国の直轄組織という可能性すらレイは考えている。
そうである以上、もしリュータスがジャーヤについて敵対しても、それで内部分裂が出来るかと言われれば、それも否だろう。
「それで? 父親が自滅しようとしているのに、息子のお前は何も行動には出ないのか?」
「勿論、その辺りは何度も言ったさ。けど、残念ながらそれを受け入れるような様子は一切ないね」
溜息を吐いてそう告げるリュータスは、本当に残念に思っているように、レイには見えた。
「そうか。……まぁ、そっちはいい。それより、この施設のことを教えてくれ。メジョウゴの地下施設から出荷された巨人はここにやって来るんだろう? 現在何匹くらいいるんだ?」
「そうだね、正確な数までは分からないけど、千匹は超えているよ」
「……やっぱりそれくらいはいるか」
メジョウゴにいる娼婦の数から、そのくらいは容易に想像していた。
いや、寧ろ千匹では少なすぎると言ってもいいだろう。
(それでも、無理矢理娼婦にされた女が千人以上死んだのは間違いない、か)
自分の中に湧き上がってきた怒りを押し殺しながら、レイは次に何と尋ねるべきか考えるのだった。
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