第1535話

 夜、食事を終え、部屋でゆっくりとしていたアーラは、不意に対のオーブが起動したことに気が付く。


「エレーナ様? でも、いつもよりは大分早いような……」


 今は夜ではあっても、まだそこまで遅い時間ではない。

 いつもであれば、エレーナからの連絡が来るのはもう少し遅い時間だ。

 それだけに、疑問を感じながら……それでも、いつもより早くエレーナとの会話が出来ることに笑みを隠せず、アーラは対のオーブの前に行く。

 そうして、やがて対のオーブに映し出されたのは、予想通りアーラが待ち望んでいたエレーナの姿だった。


「エレーナ様、どうかなさったんですか? いつもより大分早いようですが」

『ああ。少しアーラに頼み……いや、ダスカー殿に少し知らせたいことがあってな』

「ダスカー様に? 勿論私は構いませんが……いえ、この時間に連絡をしてくるということは、至急、今からということでしょうか?」

『悪いが、そうなる。今回の一件に大きく関わってくることが判明した。対のオーブを持って、ダスカー殿に会いに行って欲しい。……伝言を頼もうかと思ったのだが、この件の重要性を考えると、やはり直接話した方がいいだろうしな』

「分かりました。すぐにダスカー様の下に向かいます。向こうに着いたら、またこちらから連絡するということで構わないでしょうか?」

『頼む』


 そうして、短い通信は切れる。

 エレーナからの会話がこれで終わったことは残念だと思うアーラだったが、それでもエレーナからの頼みであれば、それに否を言うつもりはない。

 もう既に夜になっており、通常であればこの時間から偉い人物に……それこそ、ギルムを治めているダスカーの下に向かうのは、礼儀知らずと言われても仕方がないだろう。

 だが、それを十分に分かっていながら、アーラは外出の準備を整える。

 ……外出の準備と言っても、化粧をしたり着飾ったりするといったのが普通の女の外出準備なのだが、アーラの場合は武器や防具を身につけるといった意味での外出の準備だが。

 それでいながら、アーラもエレーナ達程ではないにしろ、十分に美人と呼ぶに相応しい容姿をしているので、中途半端に化粧をしている女達よりも目立つのだが。

 いや、寧ろアーラの場合は男に声を掛けられたり、絡まれたりといったことをされない為に武装をしているというのが正確かもしれない。

 ともあれ、そのまま宿を出たアーラは、厩舎に向かう。

 厩舎の中にいるのは、エレーナの馬車を牽く軍馬。

 自分で走って移動するより、軍馬が走った方が速いのは当然だ。

 勿論その当然という言葉には色々と例外があるのだが、少なくてもアーラが自分で走るよりは軍馬で移動した方が速いのは間違いなかった。


「じゃあ、頼むわね」

「ヒヒヒーン」


 アーラの頼みに、軍馬のうちの一頭は嬉しそうに鳴き声を上げて、そのまま走り出す。

 夜ということで、夕方と比べて随分通りを歩いている者の数が少ないのは、アーラにとって幸運だったのだろう。

 それでも増築をしているという現在のギルムの状況もあり、かなりの数が通りを歩いてはいたのだが、軍馬が走るのを見れば自然とそこから退避するのは当然だった。

 そうして領主の館の前までやってきたアーラは……これもまた当然のように、門番達に警戒され、槍を突きつけられる。

 夜に、前もって何の知らせもなく馬が……それも普通の馬よりもかなり大きい軍馬が領主の館に向かって突っ込んできたのだから、その行動は決して間違っていない。


「何者だ!」

「エレーナ・ケレベル様の配下、アーラ・スカーレイです! ダスカー様にエレーナ様やレイ殿から至急の連絡があり、それを知らせに来ました!」


 レイという人物の名が出たことにより、門番達は少しだけ緊張を解く。

 レイは今までに何度もこの領主の館にやって来たことがあり、門番達も親しく思っている人物だ。

 勿論レイの名前が出たからといって、完全に相手を信じることは出来ない。

 だが、門番達もエレーナとそれに従うアーラの姿は見たことがあり、マジックアイテムによって生み出された明かりがアーラの顔を照らすと、ようやく槍を下ろす。


「失礼しました、アーラ様。すぐに中に知らせますので、少々お待ち下さい」

「ええ、分かったわ。けど、エレーナ様とレイ殿からの至急の連絡だから、なるべく早く頼むわね」


 軍馬から降りつつそう告げるアーラに、門番の一人はすぐに領主の館に入っていく。

 今は夜であるが、それでも領主の館にいる者の数は多い。

 領主に面会する為に領主の館の前で待っている者達はいなくなっていたが、それでも領主の館の中で昼夜を問わず働いている者は多かった。

 そんな者達の中を、門番から知らせを受けた執事が急いで進む。

 ……もっとも、急いではいるが無闇に走ったりはしない。

 執事ともあろう者がそのような真似をすれば、主人に恥を掻かせるようなものだからだ。

 急ぎながらも走らない様子で、執事は執務室の前に到着し、扉をノックする。

 すぐに中から入るようにという声が聞こえ、扉を開くと……執務机の上に幾つもの書類の山を作ったダスカーの姿がそこにはあった。


「何があった? 騒がしいようだが」


 書類に目を通しながら尋ねるダスカーに、執事は小さく頭を下げて口を開く。


「アーラ様がお見えのようです」

「……アーラ殿が? このような時間にか?」


 視線を窓の外に向けたダスカーが見たのは、夜の闇に包まれた光景だった。

 領主の館にある明かりで幾らかの明かりはあるものの、やはり夜の闇全てをなくするような真似は出来ない。

 また、本来であれば柔らかい光で地上を照らす月も、今日は雲に隠れてその姿を見せていない。

 そして月の光が地上を照らさないのだから、当然のように微かな星明かりは一切届くことはなかった。

 そんな夜の光景を見ながら、ダスカーは改めて執事に視線を向ける。


「はい。何でもエレーナ様とレイ殿から至急の連絡があるとか」


 執事の口から出た言葉に、ダスカーが一瞬苦い表情を浮かべたのは仕方がないのだろう。

 ギルムに手を出してきた組織に報復しにいったレイ達から、至急の連絡があったのだ。

 報復が無事に終わったという知らせであれば、それこそレイ達がギルムに戻ってきて直接知らせればいい。

 セトが飛べば、地上を進むのとは比べものにならないだけの早さでギルムまで戻ってこられるのだから。

 だが、そうではない以上、何か予想外の事態が起こったのだろうというのは容易に予想出来る。


「分かった、すぐに通せ。こちらも丁度一段落したところだからな。休憩ついでに、話を聞くとしよう。飲み物と、軽く何か食べられる料理を持ってきてくれ」

「はい、すぐに準備をします」


 そう言い、執務室から出ていく執事を見送り……再びダスカーは窓の外に視線を向け、溜息を吐く。


「面倒なことが起きたのは確実、か」


 呟きながらも、ダスカーにはレイを心配するつもりはない。

 レイがどれだけの実力を持ち、どれだけのことを成し遂げてきたのか……それをよく知っている為だ。

 ましてや、今のレイは紅蓮の翼というパーティを率いており、姫将軍のエレーナ・ケレベルという人物も共に行動している。

 冗談でもなんでもなく、一軍を相手にしても圧倒出来るだけの戦力が揃っているのだ。


(マリーナもいるしな)


 自らの黒歴史とも呼ぶべきものを知っているダークエルフの姿を思い出す。

 色々と食えない性格のマリーナだが、自由自在に精霊魔法を扱うその能力は、場合によってはレイに匹敵するだけの広範囲攻撃を可能とするだろう。

 ……当然、威力の方はレイよりも格段に落ちるのは間違いないだろうが。

 攻撃以外にも様々なことに使われる精霊魔法は、まさに万能と呼ぶに相応しい力を持つ。

 そのような様々な意味で強大な力を持っている者達がいる以上、何か心配をすることはないというのが、ダスカーの正直なところだった。

 そのまま椅子から立ち、身体を軽く動かす。

 骨が鳴る音が、どれだけ長い間ダスカーがこうして書類仕事をしていたかを証明していた。

 そういう意味でも、少し休憩するというのはやはりそう悪いことではなかったのだろう。


「んー……疲れたな。一体この忙しさはいつまで続くことやら。まぁ、増築工事は俺が自分で決めたことなんだから、誰に文句を言える筈もないがな」


 再度背伸びをし、やがて目を閉じて少し考えに耽っていたダスカーだったが、やがてそんなダスカーの耳に扉をノックする音が聞こえてきた。

 中に入るように言うと、メイドが紅茶と一口で食べられる大きさのサンドイッチが大量に乗っている皿を持ってテーブルの上に置き、下がっていく。

 それを見送ったダスカーは、早速サンドイッチを食べつつ、紅茶を飲んでいると、再度ノックの音が部屋の中に響く。


「入れ」

「失礼します。アーラ様をお連れしました」


 先程の執事がそう言い、アーラが姿を現した。


「すいません、ダスカー様。このような時間に……」

「いや、構わん。このような時間にわざわざやって来たのだ。相応の理由があったのだろう? エレーナ殿から、どのような連絡が?」

「はい、こちらをどうぞ」


 そう告げ、アーラは対のオーブを取り出す。

 ダスカーも対のオーブの存在は知っているので、特に驚いた様子はない。

 サンドイッチの皿を少し寄せ、そこに対のオーブを置く。

 そしてアーラが魔力を込めると、やがて対のオーブにエレーナの姿が映し出される。

 いや、映し出されているのはエレーナだけではなく、レイやマリーナ、ヴィヘラの姿もある。

 ビューネやイエロの姿がないのは、これから話し合われる内容を考えればそうおかしな話でもないだろう。

 先程アーラが話した時はエレーナだけだったが、あれからそれなりに時間が経っていることもあり、対のオーブを持って移動したのだろうとアーラも納得する。


『ダスカー殿、このような時間に申し訳ない』


 まず最初に口を開いたのは、エレーナだった。

 そんなエレーナの言葉に、ダスカーは首を横に振る。


「いや、構わんよ。幸いそろそろ休憩しようと思っていたところだしな。……で、用件は?」

『実は……』


 少し躊躇いつつもエレーナはロッシで分かったこと、そして何よりレイが予想した一件を説明していく。

 最初こそエレーナの言葉に頷いていたダスカーだったが、レイの予想した内容を聞き、次第に表情が厳しくなっていく。

 元々強面のダスカーだけに、その様子は子供が見れば泣き出してしまうのではないかと、そう思ってしまうだけの形相。

 エレーナの口から説明された内容は、それだけ衝撃的であり、同時に深刻なものだったのだ。

 それが何の根拠もない予想であれば、あるいは切って捨てることも出来ただろう。

 だが、ダスカーが抱くレイに対する信頼……そして本人は認めたくなかったが、マリーナがレイの予想に異を唱えていないということが、それをただの予想と断じることが出来なかった理由だ。


「馬鹿な……何という馬鹿な真似を……」


 レーブルリナ国がミレアーナ王国の従属国という扱いに不満を持っているのは、ダスカーにも理解出来る。

 いや、そもそも自分の国が他国の従属国という扱いになっていることに満足するような者など、そうそういないだろう。

 だが……それでも力を欲してそのような非人道的な手段に……ましてや他国の女を強引に連れ去り、その糧とするというのを、許容出来る筈もない。

 その上、ジャーヤはギルムにまで……ミレアーナ王国にまでその手を伸ばしているのだ。

 勿論ダスカーもその気持ちを全く理解出来ない訳ではない。

 巨人という存在を一人生み出す……いや、産み出すのに、女一人の命が必要と思われる。

 ましてや、巨人と呼ばれるような存在であれば、妊娠した赤子全員を母体達が無事に出産出来るとは限らない。

 そのような、母親の死を前提にしている以上、自国の民は使いたくはない……そして何より、どうせならレーブルリナ国が恨み骨髄のミレアーナ王国の女を使えばいい。

 自分達の国民が生み出した巨人により、ミレアーナ王国に被害を与える。

 そう考えても、おかしくはないだろう。


『勿論、これはあくまでも俺の予想であって、今のところは何か決定的な証拠がある訳ではありません』


 エレーナの隣にいたレイが、ダスカーに向けてそう告げる。

 だが、それを聞いてもダスカーは既に安心するようなことは出来なかった。

 決定的な証拠は何もないが、状況証拠だけを見ればほぼ確実な状況。


「取りあえず、具体的に現在どれくらい切羽詰まっているのかというのは分かるか? その巨人をそこまで大量に用意して、それですぐにレーブルリナ国が反乱を起こすとか、そういうのは」

『いえ、残念ですがそこまでは』

「……そうか。だとすると、ちょっと不味いな。分かった。今回の一件に関しての根回しはしておく。お前達は好きに行動しろ。……いいか? 好きに、だぞ?」


 そう告げるダスカーは、まるで獰猛な肉食獣の如き笑みを浮かべていた。

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