第1503話

 エレーナは、テーブルの上に置かれた手紙を見る。

 そして改めてその手紙をテーブルの上に置いた男……ダスカーに視線を向け、口を開く。


「この手紙を父上が?」

「ああ。ケレベル公爵とは今回の一件で連絡を取り合っているんだが、その時に送られてきた」

「……なるほど」


 ダスカーの言葉は、それ程不思議でもない。

 そもそも現在の貴族派は中立派との関係を深めるという方向で動いている。

 もっとも、中にはそれが気に入らずにギルムの増築工事をきっかけに手を出してくる者もいるのだが。

 そのような相手を牽制する為に、エレーナはギルムに派遣されたのだ。


「取りあえず読んでみて欲しい。恐らくエレーナ殿にとっては、決して悪い内容ではないと思う」


 ダスカーの言葉に、エレーナは表情には出さないものの、少しだけ驚く。

 現在の状況で父親……貴族派を率いるケレベル公爵から手紙が来たのであれば、それはもうギルムでの仕事は終えて自分の下に戻ってこいと、そう書かれているのだと思っていたからだ。

 だが、実際にはこうしてダスカーが悪い報告ではないと口にしているということは、恐らくダスカーはその手紙の内容を知っているのだろう。


(この現状でどのような手紙を?)


 そう思いながらエレーナは封蝋を確認し、この手紙が間違いなく自分の父親からのものだと確認し、ダスカーがついでテーブルの上に置いたペーパーナイフを使って封筒から手紙を取り出す。

 そうして数分の間エレーナは手紙を読み、他の者達は黙ってその成り行きを見守る。……ビューネのみは、焼き菓子を存分に味わっていたが。


「……ふぅ」


 手紙を読み終わり、エレーナが小さく息を吐く。

 その表情が決して暗いものではなく嬉しそうなのは、ダスカーの言う通り手紙の内容が悪いものではなかったからだろう。


「エレーナ様?」


 アーラの言葉に、エレーナは輝くような笑みを浮かべて口を開く。


「私もレイ達と共にレーブルリナ国に向かい、今回の一件に協力するようにとのことだ」


 エレーナの説明を聞き、一番驚いたのはアーラだろう。

 まさか、ケレベル公爵がエレーナを今回の一件にここまで深く関わらせるように指示するとは、到底思えなかったからだ。

 そして驚きの表情を浮かべているのは、アーラだけではない。

 元々その内容を知っていたダスカーと、食べることに夢中になっているビューネ以外の全員がその言葉には驚く。


「何でまた? こう言っちゃなんだけど、エレーナは貴族派の象徴でしょう? そのエレーナを、ミレアーナ王国の従属国とはいえ、実際は敵国になるかもしれないレーブルリナ国に向かわせるの?」


 ヴィヘラのその疑問は、レイやマリーナも感じた疑問だった。

 勿論エレーナが一緒に来てくれるのは嬉しい。

 戦力的な面でもそうだが、精神的な面でもそれは言える。

 だが、ヴィヘラが言ったようにエレーナは貴族派の象徴だ。

 そう容易く他国に向かわせるような真似をするというのは、疑問を覚えて当然だった。

 そんなヴィヘラの疑問に、エレーナは黄金の髪を掻き上げながら答える。


「どうやら、父上はこれを機会に本格的に中立派との協力関係を築いていきたいらしい。その為、今回中立派に対して行われた……そう、攻撃と言ってもいいようなレーブルリナ国の行為に対し、貴族派も協力することに決めたらしい」

「正確にはレーブルリナ国にある組織が……なんでしょう?」


 マリーナの言葉に、エレーナは頷く。


「そうだな。だが、これだけのことを行う組織が、国と何の関係もないと思うか? 少なくても国の中枢近くにその組織と繋がっている者がいるのは確実だ」


 それには納得出来たのか、マリーナも特に異論は挟まない。

 元々今口を出したのは、念の為という一面が大きかったのだろう。

 他の者達も何も言わないのを見て、エレーナは再び口を開く。


「そのような訳で、私もレイ達と協力することになった。……ただ、アーラ」

「はい? 何でしょう?」


 エレーナがレイ達と共に行くというのだから、当然自分も一緒に行くつもりになっていたアーラは、不意に自分に声を掛けられて首を傾げる。

 そんなアーラに、エレーナは多少言いにくそうにしながら口を開く。


「私はレイ達と共に行くが、アーラはギルムに残って貰う」

「そんなっ!」


 エレーナが言葉を最後まで言ったかどうかといったタイミングで、アーラが叫ぶ。

 その言葉には、いっそ悲痛と呼ぶに相応しい感情が込められていた。


「私はエレーナ様の護衛騎士団の騎士団長です。そうである以上、エレーナ様と一緒に行動するのは当然です!」

「……私も、アーラがいてくれれば頼もしいと思う」


 そう告げたエレーナの態度に、嘘はなかった。

 実際、子供の頃から一緒に育ってきた、幼馴染みと呼ぶに相応しいアーラは、エレーナにとって非常に頼りになる相手なのは間違いない。

 勿論純粋な戦闘力という一面では、レイ達――ビューネを除く――には劣るが、それでも剛力から繰り出されるパワー・アクスの一撃はその辺の冒険者であれば容易に打ち倒すだけの実力を持っている。

 また、エレーナの会話相手という意味でも非常に重宝していた。だが……


「アーラ、私達はあくまでも貴族派が妙な動きをしないようにする為にギルムに来たのだ。そうである以上、私とアーラの二人がギルムからいなくなるのは不味い」

「それは……」


 エレーナの言葉に、アーラは言葉を封じられてしまう。

 エレーナが言ってる内容に間違いはなく、正しいものだと理解しているからだ。

 だが、それでもアーラは素直に頷くことは出来ない。

 それは、エレーナの実力を信じていないという訳ではなく、純粋にエレーナの身を心配しているからだろう。

 心から心配そうな様子を見せているアーラに、ふとレイは気が付く。


「エレーナの持っている対のオーブをアーラに預けてみたらどうだ? それなら、いつでもエレーナと連絡がとれるんじゃないか? 何なら、俺の対のオーブをアーラに貸すのでもいいし」


 レイの言葉に、周囲の者達が納得したように頷く。

 普通であれば、対のオーブのようなマジックアイテムは非常に高価な代物だ。

 それこそ、売れば相当の大金となり、数年……場合によっては一生遊んで暮らせるだけの値段となる可能性もある。

 勿論、レイも性格をよく知らないような相手に対のオーブを貸そうとは思わないが、幸いなことにレイはアーラの性格を知っている。

 それこそ、そのような真似をすればレイによる復讐云々という話ではなく、エレーナに見限られると心配してしまうとアーラは考える筈だと思うくらいには。

 だから、レイも安心してアーラに対のオーブを貸してもいいという提案が出来たのだ。


「そうしてくれれば、私は嬉しいが……いいのか?」


 エレーナの問いに、レイは問題ないと頷く。


「ありがとうございます、レイ殿」


 まだエレーナと離れるのが若干不満そうな様子だったが、それでも対のオーブを使えばいつでもエレーナと話すことが出来る。

 エレーナが対のオーブを使ってレイと話している光景を見たこともあるし、実際にレイと話したこともあるだけに、アーラはそれをきちんと理解していた。

 そんなレイ達のやり取りを、紅茶を飲みながら眺めていたダスカーは、口を開く。


「すまんな。レイには本当に色々と頼ってしまう」

「いえ、それは問題ないですよ。俺もアジャスの組織が何を考えているのか気になっていましたし」


 アジャスから聞いた情報では、連れ去った女は娼婦として使っているということだった。

 だが、娼婦になりたいと思う女はそれ程少なくはない以上、わざわざ他国から……それも宗主国から、奴隷の首輪という高額のマジックアイテムを使ってまで連れ去るというのは、どう考えてもおかしかった。

 そこまでする理由が何かあるのは確実だったが、その理由が分からないのも事実だ。

 本来であれば、そこまで気にするようなことではないのだろうが……レイは、それが無性に気になっていた。

 嫌な予感がする、というのが今のレイの正直な気持ちだろう。

 もしダスカーにこの一件を提案されないのであれば、いずれ何も言わずともレイがレーブルリナ国に向かっていた可能性もあるだろう。

 勿論、それは今すぐという訳にはいかず、ギルムの増築工事が落ち着く冬くらいになってからのことだろうが。

 そんな訳で、レイとしてはダスカーから今回のように直接依頼をされるというのは、寧ろ好都合と言ってもよかった。それに……


「ダスカー様が作ったという、籠のマジックアイテム。それは俺が貰ってもいいのでしょう?」


 そう、今回ダスカーが作ったマジックアイテムは、それこそレイにとって非常にありがたい代物だった。

 レイも、ソロで行動していた以前とは違い、現在は紅蓮の翼というパーティを組んでいる。

 今のところは全員で長距離を移動する必要がなく、セトの足に掴まるといった手段でどうにかなっていた。

 だが、この後もそのような移動手段しか用意していないというのは、色々と不安がある。

 かといって、全員が移動するには馬車を使う必要がある。

 砂漠であれば以前入手した砂上船で移動するというのも可能なのだが、生憎とミレアーナ王国には砂漠は数える程しかない。

 もっとも、幾つかあるダンジョンの中には砂漠の階層もあるのは事実なので、全くの無駄という訳でもないのだが。

 そんな訳で、レイにとって……そして紅蓮の翼にとって、ダスカーが用意してくれたマジックアイテムの籠というのは非常にありがたい。


「む? まぁ、そうだな。レイが望むのであれば、あれも報酬の一つに加えよう。もっとも、あのような代物の使い道は、それ程多くはない。元々がセト用に作られた代物だからな」

「ありがとうございます。こちらとしては、それで十分……と言いたいところですが、この件が終わったら、色々と改良して欲しいところもあります。少なくても、底の色を変える際に魔石ではなく俺の魔力を使うようにして貰えれば」

「分かっている。元々今の状況が急ごしらえだからな。錬金術師達の方で余裕が出来たら、色々と改修の準備をさせておく。それと、今回レイ達が使って不具合を感じたことがあれば、それも反映させるようにしよう。勿論、必要な費用と素材は俺の方で出す」

「……いいんですか、そこまでして貰って」


 ダスカーの口から出たのは、レイにとっても予想外の言葉だった。

 だが、そう感じたのはレイだけだったらしく、マリーナはいつもの艶然とした笑みを浮かべて口を開く。


「まぁ、他国に……それも現状を思えば敵国と言ってもいい場所に行って裏の組織を殲滅してこいという依頼なんだから、寧ろこの程度じゃ安いと思うけどね」


 殲滅という言葉はダスカーは使っていない。

 だが、今回の一件の落とし前ということを考えると、それは当然のようにその結論に辿り着くのだろう。

 実際、レイもそのつもりだったのは間違いない。


「他に何か希望する報酬があれば、検討してもいいが? 何かあるのか?」

「そうね。まず、その組織が保有している財産の類は私達で山分け。これはいいわね?」

「まぁ、そうだな。盗賊を討伐した場合と似たような感じだろうし」

「他には……何かある?」


 視線を向けてくるマリーナに、レイは少し考えてから口を開く。


「俺の持っているマジックアイテムに、砂上船というのがあるんですが、それを砂の上でなくても使えるように改修して貰えませんか?」

「砂上船? ……ああ、そう言えば以前砂漠に向かったとか報告にあったな。それで入手したのか?」

「はい。ただ、砂上船は非常に便利なんですけど、使えるのはあくまでも砂漠の上だけです。これが、普通に地上でも使えるようになると、かなり革新的だと思うんですが」

「それは分かる。だが……砂上船を地上でも使えるようにするには、それこそかなりの錬金術師や魔法使いを投入する必要があるし、必要となる素材も膨大な量となるだろう。残念だが、そこまでは出来ない」

「……では、今回の報酬と、ギルムの増築工事で俺が働いている依頼の件の報酬も含めて、ということでは?」


 本来であれば、レイは増築工事の件の報酬は火炎鉱石といった素材で支払って貰うつもりだった。

 だが、砂上船が使えるようになるのであれば、移動手段としても野宿の際にも、非常に便利なのは間違いない。


「ああ、それなら私の分の報酬もそっちに回してもいいわよ?」

「なら、私もそれに乗せて貰おうかしら」


 レイの言葉に、ヴィヘラとマリーナの二人が同意するように告げる。

 だが、それを聞いてもダスカーは頷かない。……いや、頷けない。

 もし本当に砂上船の改修を行うのであれば、それはギルムを上げた一大事業となるのは確実だからだ。

 ギルムの増築工事ですら一杯一杯なのに、そこに更に……となると、非常に難しいのは間違いない。

 投入出来るリソースがないのだ。

 そうして悩むダスカーに対し、レイはふと何かを思いついたように笑みを浮かべてダスカーを見返すのだった。

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