第1498話

「ぬおおおおお! レイ殿、昨日は何故、何故……」

「あー……だよな。お前のことをすっかり忘れてた」


 いつものように壁の建築現場にやって来たレイだったが、そんなレイを見つけてマルツは老齢とは思えない程の速度で近づき、嘆く。

 レイに心酔している老魔法使いは、昨日はレイがこの建築現場に殆ど姿を現さなかったこともあり、年甲斐もなくいじけていた。

 それでもレイに対して文句を言わず、嘆いているだけなのは、それだけレイを尊敬している証なのだろう。


「悪いな。昨日はちょっと用事があったんだ。そっちにかかり切りで、ちょっとこっちに顔を出すのを忘れてた」

「ぬ、ぬぅ……そう素直に謝られると、こちらも怒っている訳には……しょ、しょうがないですな。今回だけですぞ」


 素直にレイが謝罪したのをうけて、マルツは怒るのをやめる。


(男の……いや、爺さんのツンデレって、誰得だよ)


 そう思うレイだったが、昨日話し掛けられた時、後でなと言いつつ結局ここに戻ってこなかったこともあり、突っ込むようなことはしなかった。


「それで、用事は何だ? 言っておくけど昨日も忙しかったが、今日も忙しい……うん?」


 マルツと話していると、不意に自分の方に真っ直ぐ走ってくる人影に気が付き、昨日の今日ということで一瞬警戒する。

 だが、それが見覚えのある者達だと知ると、すぐに安堵する。


「慈悲の雨……だったか」


 そう、レイの方に向かって走ってきているのは、ランクDパーティ慈悲の雨の面々だった。

 以前と違うのは、人数が五人だったことだろう。


(一人行方不明になったって話だったが……ああ、なるほど。このタイミングだと)


 レイは昨日の夜の出来事を……正確には、アジャス達のいた現場にあった三台の馬車を思い出す。

 連れ去った女達が奴隷の首輪を嵌められてその馬車に詰め込まれていたのだが、このタイミングで女が一人増えている理由は考えるまでもなく明らかだった。


「はぁ、はぁ、はぁ。レイさん、その、ありがとうございました!」


 先頭を走ってきた青い髪の女が、レイの前に到着すると深々と頭を下げる。

 そんな慈悲の雨の面々に、マルツが一瞬だけ迷惑そうな表情を浮かべるものの、その表情はすぐに隠された。

 マルツにとっては、レイと話すことが出来る時間を邪魔されるのは非常に面白くはない。

 だが、レイに向かって頭を下げている面々の様子を見れば、今は邪魔をしない方がいいだろうと判断した為だ。

 ……もっとも、その気遣いは別に慈悲の雨の面々を思ってのことではなく、純粋にここで話の邪魔をしてレイの機嫌を損ねたくないというのが大きな気持ちだったが。


「あー……どうやら事情は分かってるみたいだな」

「はい。リューシャから聞きました」


 青い髪の女は、そう言いながらレイにとって見覚えのない女に……リューシャへ視線を向ける。


「そのー、昨日の人ですよねー? ありがとうございますー?」


 語尾を伸ばす話し方と、何故か最後が疑問系で締めくくられていたのが微妙に気になったレイだったが、取りあえず今はそれを指摘する必要もないだろうと、頷きを返す。


「ああ。……昨日のことは聞かされているのか?」

「はいー。それに馬車の中で私は外側にいたのでー」


 窓か、それとも車体の隙間からか、ともあれ隙間から外が見えたと。そういうことらしい。


(諜報部隊……いや、諜報部隊は基本的に表に出ない組織だ。だとすれば、こいつに事情を説明したのは警備隊か?)


 そのように納得しながら、同時にふと気になったことを口に出す。


「奴隷の首輪を使われてるって話だったが、それを使われている間も意識とかはあったのか?」

「そうですねー。基本的にはありましたー。ただ、余計なことはしないようにって命令されてたので身動きは出来ませんでしたがー」

「そうか」


 奴隷の首輪といっても、性能は様々なものがある。

 本当に高価な物になれば、それこそ付けている者の感情まで自由に操ることが出来る代物もある。

 ……もっとも、当然のようにそのような物は非常に高価で、今回のように何十個も用意出来るような代物ではないのだが。

 ともあれ、リューシャが付けていたのはそこまで強力な物ではく、だからこそ外の様子を見聞きすることは出来たのだろう。


「まぁ、無事で何よりだ。そっちの面々はリューシャのことを心配して、半ば喧嘩になりかけていたからな」


 残りの四人にレイの視線が向けられると、その四人は気まずそうに視線を逸らす。


「全くー。皆仲良くしないと駄目でしょー?」


 レイの言葉に、リューシャは他の四人に向かって注意するように告げる。

 だが、その注意の仕方は子供達を怒るようなものであり、見ている方もどこかほんわかとさせられる。

 レイもまた、今のリューシャの様子を見て、捕まっている時に妙なことをされていないのだろうと安堵する。

 その理由は色々と不信な点はあるが、それでも娼婦とする為に連れ去られたのだ。

 組織の者やアジャス達に、乱暴されていてもおかしくはない。


「分かってるって。全く、レイさんの前で恥ずかしい真似をさせるなよな」


 慈悲の雨の男の一人が、リューシャの言葉に照れくささから頬を赤くしてそう言う。

 仲間をレイに助けられた身としては、出来れば少し格好を付けたいというのが正直なところなのだろう。


「まぁ、結局無事で良かったな。それで、お前達はこれからどうするんだ? やっぱり仲間が酷い目に遭ってしまったのを考えると、もうギルムで仕事はしないのか?」

「最初はそれも考えたんですけどね。それだと、何だか負けたみたいで嫌じゃないですか。だから、やっぱりもう少しギルムで仕事をしていこうと思います。……幸い、今なら仕事に困りませんし」

「そうか。なら、頑張れ」


 取りあえずレイに出来るのは、そう声を掛けるだけだった。

 実際、レイが何を言っても本人達のやる気がなければ意味はないのだから、それは間違っていないだろう。

 そして、今回その選択は決して間違ってはいなかった。

 レイの言葉に、慈悲の雨の面々は嬉しそうに頷く。

 慈悲の雨の面々にとって、レイという存在は異名持ちの高ランク冒険者だ。

 普通であれば、とてもではないが自分達が気軽に話し掛けられる相手ではないという思いがある。

 そこに仲間を助けられたのだから、レイに対して強い好意を抱くのも当然だろう。


「はい。じゃあ、俺達は早速仕事の準備をしますので」


 そう言い、慈悲の雨の者達は去っていく……前に、リューシャのみが一旦足を止め、レイに向かって改めて頭を下げてくる。


「レイさん、今回は本当にありがとうございました。レイさんのおかげで、私はまたこうして仲間と一緒にいることが出来ます」


 語尾を伸ばす特徴的な喋り方ではなく、しっかりとした言葉遣いでレイに頭を下げる。

 そうして下げていた頭を上げると、そこにはいつものリューシャの姿があった。


「ではー、これで失礼しますねー」


 リューシャはそう告げ、仲間の後を追っていく。

 そんな五人を見送っていたレイだったが、ふと自分に向けられている視線に気が付いた。

 視線を向けていたのは、今のレイと慈悲の雨の面々との会話を聞いていたマルツ。

 どこか驚いたような視線を自分に向けているのに気が付いたレイは、不思議そうな表情を浮かべて口を開く。


「どうしたんだ?」

「あー……いや。レイ殿はこの増築工事以外にも、色々と動いているのだな、と思いましてな。先程の話から考えると、あのパーティの問題に巻き込まれたとか。そう言えば、以前レイ殿はあの者達に話し掛けてましたが、その関係からですか?」

「いや、違うな。ちょっと他の……まぁ、色々とあったんだよ。残念ながらそれを口にすることは出来ないが」


 イルゼの復讐云々については、レイは口にしない方がいいだろうと話を誤魔化す。

 既に多くの者に、イルゼの復讐については知られている。

 だが、それでもイルゼのプライベートとでも呼べる部分である以上、それをレイの口から言うのはちょっと違う……という思いがあった。

 そんなレイの態度を見て何か思うところはあったのか、マルツはそれ以上口にはしない。


「それより、レイ殿。デスサイズを見せて下され」

「またか? いやまぁ、いいけどよ」


 マルツが話を変えるようにそう告げたことに、レイは面倒臭そうにしながらもミスティリングからデスサイズを取り出し、地面に置く。

 それを見たマルツは、少しでもデスサイズについて解析をしようと、じっくり調べ始める。

 そんなマルツを見ながら、レイは話題が変わったことに安堵していた。

 年の功……と、そう言うべきだろう。

 もっとも、話を逸らすのと同時に自分の興味があるデスサイズを出すようにレイに要求する辺り、食えない爺さんだという感想をレイに抱かせることにもなるのだが。


「ふーむ……魔法の発動体としての効果だけではなく、単体でこの重量。更にはそれをレイ殿に感じさせないという効果も持つ、か。魔法発動体にマジックアイテムとしての効果を持たせるというのは、それ程珍しい考えではないが……」

「それ、前にも言ってただろ。何度もデスサイズを見て、同じようなことを言うのは……飽きないか?」

「いえいえ、全く飽きるなんてことはありません。同じことを言ってるように見えるかもしれませんが、実際にはいつ見ても新しい発見がありますし、何よりこのデスサイズを見ていると、それこそ幾つも新しい発想が生まれてきます」

「……お前、元々マジックアイテムじゃなくて、魔法を見て俺に興味を持ったんじゃなかったか? 何でいつの間にか魔法よりもマジックアイテムの方に興味を持ってるんだよ」


 そう言うレイだったが、実際にマルツが興味を持ったのは地形操作……レイではなく、デスサイズが持つスキルだ。

 対外的には土系の魔法ということになってはいるのだが。


(もしかして、マルツがそれを察した? ……まぁ、炎を出す魔剣とか、雷を纏う魔剣とかもあるらしいし、そう考えればデスサイズが土を操る能力を持っていると誤解されてもおかしくはないか?)


 そうなったらそうなったで、微妙に困るが……それでも致命的という程ではない。

 勿論地形操作以外の能力を知られたり、ましてや直接見られたりすれば話は別だが……幸いにもマルツはその辺りに気が付いた様子はなかった。


(もっとも、マルツの場合はもしそれを知っても他人に話したりはしなさそうだけどな)


 レイの言葉が聞こえていなかったかのように……もしくは意図的に無視しているのか、ともかくとしてじっとデスサイズを見ているマルツを一瞥し、次に周囲を眺める。

 マルツが色々な意味で特殊だというのは、今までの日々で他の者達も理解しているのだろう。

 地面に置かれたデスサイズを必死になって調べている様子を見ても、特に誰も何か言ったりはしていない。

 それどころか、そろそろ仕事が始まるのでその準備をする方が優先だとそちらに集中している。


「壁も、それなりに出来てきたな」

「む? ああ、そうですな。もっとも、今はまだ初期の段階にすぎませぬ。最終的に完成するのは、いつになることやら。今はまだ夏だから問題ないですが、冬になると……」


 デスサイズを調べていたマルツだったが、今度呟かれたレイの言葉は聞こえたのだろう。そう告げてくる。


「冬か。……今の時季は早く冬になって欲しいと思ってる者もいるんだろうけど、冬になれば早く夏になって欲しいと思う者が多いんだろうな」


 入道雲が存在している夏の空を見上げながら、レイは呟く。

 現在はまだ夏真っ盛りといった季節だ。

 まだ朝にも関わらず、額に汗を掻いている者もそれなりにいる。……例によって例の如く、レイは簡易エアコン機能のあるドラゴンローブを着ているので、快適にすごしているのだが。


「そうですな。儂もこの年になると夏の暑さには堪えるものがあります。特に今年は例年よりも暑い気がしますし」

「そうか?」


 年齢からそう感じるのか。それともマルツは夏をギルムで経験するのが初めてだからそう感じるのか。

 その辺りはレイにも分からなかった。

 ドラゴンローブを着ている以上、それは当然なのかもしれないが。

 どれ程気温が高くても、そして低くても……レイにとって、それはすごしにくいということにはならない。

 いや、ドラゴンローブを脱げば話は別だったが、基本的にレイがドラゴンローブを脱ぐのは、宿にいる時だけだ。

 そして夕暮れの小麦亭では、マジックアイテムによって気温が一定に保たれている。

 マリーナの家でも、精霊魔法というマリーナ個人の能力により、その辺は考えられていた。

 そう考えれば、やはりレイにはマルツの言葉を本当の意味で理解することは出来ないのは当然なのだろう。

 そんな風に考えながら、レイは今日行う仕事に思いを馳せるのだった。

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