第1497話
イルゼの敵討ちが終わった翌日、レイはいつものように夕暮れの小麦亭で目を覚ます……のではなく、マリーナの家で目を覚ました。
結局昨日は、あの戦いが終わった後でレイの関係者とイルゼはマリーナの家にやって来て、少し話をしてから眠ってしまったのだ。
……レイは居間にあるソファの上で眠っていた筈なのだが、気が付けばベッドの上だった。
「んー……?」
寝不足のまま周囲を見回すレイだったが、見覚えのない光景にレイが出来るのは、ただ背を伸ばすだけ。
いや、寝惚けてなければ話は別だったのだろうが、今のレイは完全に寝惚けていた。
睡眠時間が足りないというのもあるのだろうが、やはり寝惚けているのが一番大きいのだろう。
「あー……」
そうして黙って周囲を見回すこと五分程。
ようやく意識が寝惚けた状態から回復したのか、レイは改めて周囲を見回す。
「そう言えば、昨日はマリーナの家に泊まったんだったよな。……完全に忘れてたけど」
呟きながらも身支度を済ませ、部屋を出る。
「あら、おはよう。もう少し寝ててもよかったのに」
居間でそう言ったのは、マリーナ。
どこか楽しそうに料理をしている姿を見て、レイは自分とマリーナ以外の者達の姿がないことに気が付く。
「他の連中は?」
そう聞きつつも、レイはエレーナとヴィヘラの二人は中庭にいるのが分かった。
何故なら、激しい戦いの音が家の中にまで聞こえてきているからだ。
視線をそちらに向けると、そこでは鞭状にしたミラージュを振るっているエレーナと、それを回避しながら間合いを詰めているヴィヘラの姿がある。
模擬戦と呼ぶには少し難しいくらいの戦い。
勿論実際に戦っている二人にとっては模擬戦という認識でいいのだろう。
だが、何も知らない者がこの光景を見れば、それこそ決闘でもしているのではないかと思える程の戦いだ。
二人ともが一流と呼ぶに……いや、一流を超えた一流、超のつく一流と呼ぶべき力を持っているが故に、二人にとっては模擬戦でしかなくても、それ以外の者にとっては全く違う光景に見えるのだろう。
しかし、レイはその数少ない超一流と呼ぶべき存在であり、それはマリーナも同様だ。
だからこそ、庭でそれだけ激しい戦闘が繰り広げられていてもそれが模擬戦だと理解出来、必要以上に騒ぐようなことはない。
「アーラとイルゼの二人はまだ眠ってるわ。ああ、そう言えばビューネもまだ眠っているわね」
「ビューネはともかくとして……珍しいな」
そう呟いたのは、イルゼのことではなくアーラがまだ眠っていると聞いたからだ。
アーラにとってエレーナは、全てに優先する。
それこそ、アーラ本人の命よりもエレーナを優先してもおかしくはないくらいに、アーラはエレーナに心酔していた。
だからこそ、エレーナが目覚め……更にはヴィヘラと模擬戦を行っているにも関わらず、まだ眠っているというのがレイには意外だった。
「昨日の一件で疲れていたんでしょうね。イルゼと遅くまで話していたみたいだし」
「あー……なるほど」
紅蓮の翼を含め、現在この家の中にいる者達の中で一番イルゼに近い存在はと言えば、レイもアーラだと答えるだろう。
勿論アーラは正式名称がアーラ・スカーレイで、スカーレイ伯爵家の三女という立場だ。
貴族の令嬢という意味では一般人のイルゼとは全く違うのだが、ここにいる面子はそれぞれが色々な意味で常識外れの者が多い。
その中では、寧ろ伯爵令嬢という立場のアーラはまだしも一般人に近いと言えた。
……勿論、アーラもその辺の冒険者の男よりも余程強い腕力を持っている。
だが……それでもやはり、レイ達の戦闘力と比べると圧倒的に劣っているのは間違いない。
尚、純粋な戦闘力という点ではアーラよりビューネの方が劣っているのだが、ビューネの場合は他者との意思疎通が上手く出来ない。
ヴィヘラはビューネの意思を完全に理解出来るのだが、ビューネと殆ど接したことがないイルゼにそれをやれというのは無茶でしかないだろう。
そんな理由から、レイ達の中で一番イルゼと親しくなったのがアーラだったのは、当然の結末だった。
仲良くなるのに能力云々は関係ないのかもしれないが、少なくても今回はそれが役にたったのだろう。
「なら、アーラとイルゼは休ませておいてもいいだろ。幸い、アーラは元々仕事をしていないし、イルゼは仕事はしているものの唯一無二の存在って訳じゃないし」
「アーラも一応仕事はしてるでしょう? エレーナの護衛とか、料理を作るとか」
「……エレーナの護衛はともかく、料理を作るというのは一つの騎士団の団長がやる仕事じゃないと思うがな」
アーラには自分が騎士団……エレーナ護衛騎士団の団長であるというのは分かっていても、騎士団長が本来しないようなことでも普通にする。
これはアーラがエレーナの幼馴染みという点が大きいのだろう。
実際、現在も騎士団を副長に任せて、自分だけがこうしてエレーナと共にギルムに来ているのだから。
もっとも、エレーナを守ることが任務の騎士団の団長なのだから、やっていることはあながち間違っている訳でもないのだが。
「だからこそ、アーラらしいんでしょ。もしアーラが騎士団長らしい騎士団長なら、ここまで私達に馴染みはしなかったでしょうね」
「それは否定しない」
マリーナの言葉にレイは頷き……やがてマリーナは視線を窓の外、中庭へ向ける。
「さて、そろそろ食事の準備も出来たから、あの二人を呼んできてくれる? あの二人を止めるには、レイが行くのが一番でしょうし」
「……そうだな」
マリーナにつられるように視線をそちらに向けたレイは、やがて少し諦めた様子で頷く。
庭に被害は出ていないのが、不思議な程に激しい戦い。
二人ともこれが模擬戦だというのを納得しているが故に、こうして派手な戦いに見えても、実際には中庭に被害が出ていないのだろう。
レイもそれが分かっているので、寝起きで多少面倒臭い状態であっても中庭に向かう。
「あは、あはははははは! そう、そうよ! そうじゃなくっちゃね!」
ヴィヘラが戦闘を楽しむ笑みを浮かべつつ、真っ直ぐにエレーナとの距離を縮めようとする。
「そう簡単に近づかせると思うか!」
そんなヴィヘラを近づけまいと、エレーナは鞭状にしたミラージュを縦横無尽に振るう。
それこそ、まるでミラージュによって結界でも出来ているのではないか。
一見するとそう思ってしまっても不思議ではないくらいの速度で、ミラージュは振るわれていた。
(どっちも模擬戦だと理解してはいるけど、その範囲の中で思う存分やってるな)
エレーナは竜言語魔法の類を使っておらず、ヴィヘラも浸魔掌といった一撃必殺のスキルは使用していない。
(大勢を相手にする際の戦いは俺が代名詞的な存在になってるけど、ぶっちゃけエレーナの竜言語魔法とかも十分広範囲攻撃が出来るよな。実際、ベスティア帝国との戦争でも竜言語魔法を使ってかなり活躍したらしいし)
そんなエレーナに比べると、ヴィヘラは広範囲攻撃を持ってはいない。
……もっとも、だからといってヴィヘラが危険ではないという認識は間違っているのだが。
レイやエレーナが広範囲攻撃を得意としているのであれば、ヴィヘラはそんな二人とは反対に一対一に特化している戦闘スタイルなのだから。
どれだけ頑丈な鎧を着ていても、それこそ触れさえすれば鎧の防御力を無視して体内に衝撃を通すことが出来るというのは、普通に考えれば非常に厄介だ。
(ともあれ……)
と、レイは意識を切り替える。
このまま戦いを見ていてもいいのだが、朝食の時間だと知らせに来たのに、このままという訳にはいかないだろう。
それこそ金を取れるだけの戦闘を行っている二人に向け、レイは大きく息を吸い、口を開く。
「そこまでだ! 模擬戦、終わり!」
周囲に響くレイの声。
怒りの籠もった怒声ではなく、純粋に二人に声を届かせるための叫び。
「っと!」
「あら」
そんなレイの声は、当然のように二人の耳に届く。
そして、結界を生み出していたミラージュは長剣状態に戻され、結界の隙を狙ってエレーナの懐に飛び込もうとしていたヴィヘラは構えを解く。
「全く、昨日あれだけの騒ぎがあったのに、お前達は元気だな」
「そうは言ってもね、騒ぎそのものは大きかったけど、強い相手はいなかったし」
だから、寧ろ欲求不満なのよ、と。
ヴィヘラは戦闘の余韻を感じさせながら、そう告げる。
「私はそこまででもなかったのだが、ヴィヘラの相手をするのはいい訓練になるしな」
エレーナの方は、ミラージュを軽く一振りしてから鞘に収めつつ、笑みと共にそう言う。
「まぁ、二人の考えは分かったけど、そろそろ朝食の準備が出来るらしい。今日も仕事があるんだし、身体を動かすのはその辺にしておいた方がいいんじゃないか? ……まぁ、エレーナはここで待機してることになると思うけど」
「キュ!」
そうレイが告げると、エレーナの代わりに答える鳴き声がある。
その鳴き声に聞き覚えのあるレイは、声の聞こえてきた方に視線を向ける。
すると、やはりと言うべきか、当然と言うべきか……そこにはイエロの姿があった。
セトの背に乗っているイエロは、レイの姿を見ると嬉しそうに鳴き声を上げる。
「グルルルゥ」
そしてセトも当然のように嬉しそうに喉を鳴らす。
レイがセトと別れたのは、それこそ数時間前でしかない。
それでも、レイに甘えるのが好きなセトは、やはりこうして甘えたくなるのだろう。
「セトとイエロも、元気みたいだな。……まぁ、昨日の騒動くらいで疲れ切るような体力はしていないか」
「グルルゥ!」
「キュウ!」
レイの言葉に、二匹は当然! といった様子で鳴き声を上げる。
そんな二匹を撫でていると、セトは嬉しそうに目を細めるものの、イエロは十秒程撫でられると満足したのか、そのまま自分の主人……エレーナの下に向かって飛んでいく。
「ふふっ、どうした? イエロもセトのように甘えたいのか? ほら」
鱗の上から、イエロを撫でるエレーナ。
「……少し羨ましいわね」
そんな二人を見て、ヴィヘラが言葉通り少しだけ羨ましそうに呟く。
レイにはセトが、エレーナにはイエロがと、愛玩枠やペット枠といった存在がいる。
だが、ヴィヘラにそんな存在はいない。
(アンブリスを吸収する時、どうにかしてそういう風に出来ればよかったんだけど……無理ね)
そもそも、ヴィヘラがアンブリスを吸収する際にはそのような余裕は存在しなかった。
それこそ死にものぐるいでようやくこの生を勝ち取ったのだ。
同じようなことをまたやりたいかと言われても、絶対にそれは却下するだろう。
「ヴィヘラにはビューネがいるだろ?」
セトを撫でながらレイが呟くと、それを聞いたヴィヘラは思わずといった様子で吹き出す。
「さすがにビューネをそっちの枠に入れたりしたら、怒られるわよ」
「そうか? ビューネの場合、満足するまで食べさせていれば、それで十分満足してると思うけどな」
「……それは……」
続けられたレイの言葉に、ヴィヘラは何かを言い返そうとしつつも言葉に詰まる。
実際、ビューネは小さい頃――今も十分小さいが――の影響からか、食べ物に対する執着は強い。
また、その身体のどこに入るのかと疑問に思う程に食べる。
それでも太る様子がないのは、訓練や依頼で食べる以上に動いているからだろう。
「ん!」
そして今も、丁度起きてきたビューネが窓から顔を出すと、早く来いと声を漏らしていた。
普段は特に表情を変える様子のないビューネだったが、それが食べ物に関わってくると話が変わる。
そんなビューネの声に、レイ達はそのまま家の中に戻っていく。
セトとイエロも家の近くまで移動し、寝っ転がる。
先程まではエレーナとヴィヘラの戦いがあった為に二匹は距離を取っていたのだが、模擬戦が終わったこともあり、今はこうして近寄ってきたのだろう。
そうして居間の中に入ると、既にテーブルの上には焼きたてのパンやスープ、ハム、サラダといった朝食が用意されていた。
「戻ってきたわね。じゃあ、食事にしましょうか。……レイとヴィヘラは今日も色々と忙しくなりそうだしね。特にレイは昨日の件もあって、ギルドから呼び出しがあるかも」
「ギルドから? ダスカー様からじゃなくてか?」
「ええ。ダスカーは今は色々と忙しいでしょうし。勿論最終的にはダスカーからの話があると思うけど、場所が場所だけにね」
「……何か隠してないか?」
何か意味ありげに呟くマリーナに疑問を抱きつつ尋ねるレイだったが、それに帰ってきたのはいつものように艶然とした笑みだけだ。
「ま、そのうち分かるでしょうから、今は気にしなくてもいいわ。それより、そろそろ食べましょう」
どこか釈然としない思いを抱きながらも、レイは漂ってくる食欲を刺激する匂いには勝てず、椅子に座るのだった。
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