第1481話
しん、と。酒場の中は静寂に包まれる。
イルゼの言葉に、酒場にいた客達はじっと成り行きを見守る。
この場にいるレイも、他の客達と同様に特に口を出さずに話の成り行きを見守っていた。
「何で……何で分かってくれないんだ? 復讐は意味がないんだ。それが分からない訳じゃないだろう?」
「そうですね、意味がないかもしれません。けど、それを決めるのは誰です? 少なくてもメランさんじゃないですよね。それを決めるのは、あくまでも私です」
「だから! 何故そんなことを言うんだ! 人の命というのは、そんなことで奪っていいようなものではない!」
「……おかしいですね。メランさんも冒険者としてやっている以上、人を殺したことがないなんてことはないと思いますが? 特にギルムはともかく、他の場所では盗賊も多いですし」
「それはそれ。盗賊は他人に迷惑を掛けている人種だ。殺してもやむを得ないと思っている」
「私の仇も、他人に迷惑を掛けているという点では同じだと思いますが? 実際、私の家族は殺されている訳ですし」
イルゼは、目の前にいる人物の考えが理解出来なかった。
仇を殺すのは駄目だと言いながら、盗賊は他人に害を与える存在だから殺してもいいと言う。
メランの言葉はあまりにも矛盾しているようにしか感じられない。
だが、イルゼのそんな疑問はメランには分からないのだろう。
不服そうな表情のまま、じっとイルゼを見て……やがて、ふと何かに気が付いたかのように、メランの視線はレイに向けられる。
「お前……もしかして、お前がイルゼをそそのかしたのか? でないと、急にこんな風に言ったりなんかしないだろ」
「違うわ」
レイがメランの言葉を否定するよりも前に、そう言い切ったのは当然のようにイルゼだった。
「レイさんは、私に協力してくれてるわ。けど、それはあくまでも私がお願いしたからでしかないわ。少なくても、私がレイさんに騙されてるとか、そういうことはないわ」
「それは……イルゼがそう思い込んでいるだけかもしれないだろ? レイは強力な魔法を使うって話だし、もしかしたらイルゼが知らないうちに魔法を使われている可能性もある」
「レイさんを侮辱するのは止めて下さい。レイさんには私から頼んで力になって貰っているんです」
「けど! レイがいたから、イルゼは復讐なんて意味のない行為を……」
するつもりになったんだろう。
そう言おうとしたメランだったが、その言葉を最後まで発することは出来なかった。
メランの言葉を遮るように、イルゼがテーブルを叩いたのだ。
その強さと勢いは、先程メランがテーブルを叩いた時よりも強く、酒場全体に響くかのような音。
元々の身体能力がメランよりも数段劣っているイルゼが出したとは、到底思えない程の音だった。
「黙りなさい!」
それは、普段のイルゼの口調とは一線を画した叫び。……いや、怒声。
まるでイルゼの緑の髪が一瞬にして広がったかのような印象を受けたメランは、息を呑んで言葉を止める。
「貴方にとっては、復讐は下らない行為なのかもしれません。ですが、何の罪もない家族を他人の悪意によって奪われた苦しみを、貴方は理解していますか? 何なら、今から貴方の家族や友人、恋人を皆殺しましょうか。それでも尚、貴方が復讐には意味がない、虚しくなるだけだと言うのであれば、その言葉を受け入れもしましょう」
そう告げるイルゼの表情は、間違いなく本気の目だった。
もしメランがこれ以上復讐を……自分の行為を否定するのであれば、イルゼはどのような手段を使ってでもメランと親しい人間全てを殺そうとするだろう。
例えイルゼの力が足りなくても、人が人を殺すには幾らでも手段はある。
別に真っ正面から戦いを挑まなくてもいいのだから。
「……なっ! 何を言ってるんだイルゼ! 何故そういうことになる!?」
イルゼの言葉の過激さ、異常さに思考を止めていたメランだったが、我に返るとイルゼの言葉に声を上げる。
当然だろう。自分と親しい相手を殺すと、そう言われたのだから。
「何故そんなに驚くの? 復讐は無意味なんでしょう? なら、それを自分の身を以て教えてくれてもいいと思うんだけど」
既にイルゼがメランに向ける口調には、親しさや暖かさといった友好的な色は一切ない。
冷たい……それこそ、路傍の石でも見るかのような、そんな視線だ。
だが、メランはそんなイルゼの視線には全く気が付かずに口を開く。
「それは無茶苦茶だ!」
「でも、その無茶苦茶なことをされても、メランは復讐しないのでしょう? なら、いいじゃない」
「ふざけるな! そもそも、前提となる状況が違っている。もう死んでいる者と、まだ生きている者を一緒にしないでくれ!」
「あら、でも自分で同じ立場にもならず、ただ自分の薄っぺらい正義感だけで私の行為を否定する気?」
「薄っ!?」
まさか、こうも堂々と自分を非難するとは思わなかったのか、メランは言葉に詰まる。
そんなメランに対して、イルゼはさらなる追撃の矢を、言葉の矢を放つ。
「私にはそうとしか思えないわ。メランの語る言葉は薄っぺらく、何の説得力もない。また、自分の心に従っていると言えば聞こえはいいけど、自分が正しいと思っていることを人に強制するような真似はしないでちょうだい。私には貴方の薄っぺらい言葉は届かない」
「イルゼ……本気でそんなことを言ってるのか? 俺の言ってることは間違っているってのか?」
「いえ? 貴方の中では正義は正義なんでしょうね。ただ、残念ながらそれは私には届かないというだけで。それに、他人の都合を考えもせず自分の都合だけを押しつける。……貴方がパーティを組んでない、ソロの冒険者の理由が分かるわ」
メランを見ながら躊躇せずにそう告げるイルゼの言葉に、レイは……そして周囲で話を聞いている者達の殆どが内心で同意する。
中にはメランの意見にも同意出来るといった者が何人かいたのだが、それはあくまでも少数派でしかない。
「何で……何で分からないんだよ! 復讐なんて真似をしても、何も意味はないって、そう言ってるだろ!」
「……残念だけど、もう私は貴方に何て言っていいのか分からないわ。話はここまでにしておきましょう。それに、私達も色々とやるべきことがあって、貴方に構っていられる程に暇じゃないのよ」
そう告げると、これ以上はもうメランと話していても時間の無駄でしかないと、そのまま立ち上がってレイに視線を向ける。
「レイさん、無駄なことに時間を使わせてしまって申し訳ありませんでした。そろそろ行きましょう」
「もういいのか?」
「はい。彼には何を言っても意味はないと……私の話を、聞いているようで聞いていないというのがはっきりと分かりましたから」
一見すれば自分の話を聞いているように見えるし、事実メランはイルゼの言葉を聞いているのだろう。
だが、メランの中では最初から結論ありきで話しているので、例えイルゼが何を言っても、それを聞き入れることはないのだ。
そう理解したが故に、これ以上メランの相手をしても無駄だと判断し、イルゼは会話を打ち切ったのだ。
もっとも……
「待て、イルゼ! まだ話は終わっていない! きちんと君が復讐などという行為を諦めるまで、しっかりと話をするんだ!」
メランの方は、イルゼの言葉には全く納得出来ていなかった。
「残念だけど、私の言葉は貴方に届かない。そうである以上、もう話をする必要はないわ」
言い募るメランに、イルゼはそれだけを告げる。
傍から見れば、別れ話を切り出された恋人が引き留めているようにも見えるだろうその光景だったが、レイはそれを気にした様子も見せずに立ち上がる。
「待て!」
そんなレイに向かって、メランが叫ぶ。
メランは自分の言葉でイルゼを止めることは出来ないというのは、残念ながら理解していた。
だが……だからこそ、イルゼを復讐などという愚行に走らせたレイという存在を、メランは見逃すことは出来ない。
メランの言葉に、レイは一瞬だけ動きを止め……次の瞬間、素早くミスティリングから取り出したデスサイズの刃をメランに突きつける。
振り向きながらミスティリングからデスサイズを取り出し、その刃をメランの首の後ろに突きつけるのに有した時間は、一秒にも満たない時間。
それでいながら、酒場という幾つものテーブルや椅子がある場所でデスサイズのような長物を振り回したにも関わらず、それで被害が出た者も、そして物もない。
これで、もし夕方のように人が多ければ、被害が出たのかもしれないが……今はまだ日中で、酒場にいる客の数も少ない。
だからこそ出来た行為なのだろう。
「ぐっ!」
唐突に刃を突きつけられたメランは、呻くことしか出来ない。
もし今何か言おうものなら……もしくは行動に移そうとしようものなら、間違いなく自分に突きつけられたデスサイズの刃はその斬れ味を知らしめると理解出来た為だ。
レイが少しデスサイズに力を入れれば、メランの首は呆気なく空を舞うことになるのは間違いなかった。
「それ以上囀るな。イルゼも言っていただろ? お前の言葉は薄っぺらい。幾らお前が必死に何かを伝えようとしても、心に届かない。ましてや、独りよがりな正義を他人に押しつけるような奴の言葉だしな」
ドラゴンローブのフードを被っているレイの視線には、友好的な色はない。
以前ヴィヘラを巡って――正確にはヴィヘラに一目惚れしたメランの挑戦を受けて――戦った時には、まだメランを見る視線に暖かみはあったのだが……今は既にそれは完全に消え去っている。
レイに何を言われても、今のメランに言い返すことは出来ない。
下手に言い返せば、それが文字通りに自分の命取りになると理解している為だ。
そんなメランの様子を一瞥すると、レイはそのままデスサイズをミスティリングの中に収納する。
自分の首の後ろに突きつけられていた刃が消えたことに気が付いたメランだったが、それでもこれ以上は何も言い出せない。
目の前にいる、自分よりも小柄な相手から発せられる雰囲気に圧倒されてしまった為だ。
レイの象徴ともいえるデスサイズは持っていないが、それでもレイと戦って勝てるとは、到底思えなかった。
「ふん。結局はその程度か」
デスサイズが消えても口を開かず、今まで強い口調で言ってきたように新たに言葉は発せられない。
そんなメランを見て、レイは呆れと失望が混ざったように呟き、その場を後にする。
イルゼは酒場の入り口で一連の様子を見ていたのだが、特に何を言うこともない。
既にイルゼの中では、家族の復讐を意味のないものと侮蔑したメランは相手にする価値もなくなっているのだろう。
「自分が危険になれば、それ以上喋ることはない。……まぁ、それは普通のことなんだろうけど、恐らくお前の場合は家族や友人、恋人といった者達が殺されれば、強引に何らかの理屈を付けて復讐に走るタイプだな。それこそ、さっき自分で言った復讐は無意味だという言葉を都合のいいように忘れて」
そう告げるレイの言葉に、メランは咄嗟に何かを言おうとする。
だが……メランの中にある何かが、レイの言葉を否定することを許さなかった。
そうして口を開き掛けたメランは、結局それ以上は何も言葉を発することが出来ないまま黙り込む。
自分でもレイの言葉に一理あると思ってしまったのか、もしくはそれ以外の理由からか……ともあれ、メランは何も言えなくなる。
レイはそんなメランを最後に一瞥し、イルゼの下に向かう。
「無駄な時間を使ってしまったな」
「……そうですね。いえ、彼があのような性格をしていると分かったのを思えば、必ずしも無駄ではなかったかと」
これからメランが何を言ってきても、イルゼは聞くつもりがなかった。
それが分かっただけでも、今回メランと話をした甲斐はあったとイルゼはそう告げる。
半ば自分を納得させる為、無理に言っているようにも思えたのだが、それを言っても仕方がないだろうとレイはそれ以上はメランについて何も言わない。
「けど、大丈夫なのか? お前はメランと同じ宿なんだろ?」
「はい、問題ありません。例え同じ宿であろうとも、話さなければいいのですから」
会話を交わしながら、二人は酒場から出ていく。
だが、酒場に残された者達は、今のやり取りを聞かされた上、レイがデスサイズを振るう場面を目にしてしまったことで、何とも微妙な雰囲気になってしまう。
「俺が間違っているのか? いや、そんな筈はない。俺は正しい道を進んでいる筈だ。けど、なら何故レイに対して何も言えなかった? あんな……あんな……」
そんな酒場の中で、メランはただ小さく呟くのみだった。
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