第1482話

 レイとイルゼにとって、不愉快としか表現出来ないメランとの酒場のやり取りを終え、酒場を出る。


「すいません、レイさん。余計な話に巻き込んでしまって」


 そうしてイルゼはレイに頭を下げる。

 今回の一件は、イルゼが関わっていなければメランが口を出してくる筈がなかったのだ。

 それを理解しているからこそ、イルゼは頭を下げた。


「気にするな。あの様子だと、どのみちメランとはいずれぶつかっていただろうしな」


 メランが復讐を好まないというのは間違いないだろう。だが、イルゼがレイと共に行動していなければ、メランがあそこまでイルゼに対し復讐を認めないといったことにはならなかったのでは?

 それが、酒場から出た……メランと話したレイの正直な感想だった。

 メラン本人が気が付いているのかどうかは分からなかったが、メランが自分に向けてくる視線には険しいものがあった。

 勿論、その険しい視線の理由にはイルゼの復讐を手伝っているというのもあるだろう。

 だが、同時に……間違いなくレイがヴィヘラと、メランが一目惚れしたヴィヘラと親しい関係にあるというのが大きい。


「そうですか? そう言って貰えると、私も少しは気が楽になりますけど」


 レイの言葉に、イルゼは少しだけ笑みを浮かべ……やがて、その表情を引き締める。


「レイさん、ここで無駄に時間を使ってしまいましたが、そろそろ行きましょう」

「ああ、そうだな。セトも待ってるだろうし。……向こうが尻尾を出してくれれば、こちらとしても楽なんだけど」


 お互いに言葉を交わしつつ、ギルムの中を進んでいく。

 高度百mの位置にいるセトは、普通であれば見つけることは難しい。

 だが、セトには劣っても、普通の人間よりも鋭い五感を持つレイにセトの姿を見つけるのは難しい話ではなかった。

 それは、同時にレイよりも鋭い五感を持っているセトはより容易にレイの姿を見つけることが出来るということも意味していた。


「グルルルルルゥ!」


 そんな鳴き声と共に、セトが翼を羽ばたかせながら地上に降りてくる。

 普段のギルムであれば絶対に出来ないことであり、ギルムを増築中で自由に上空から出入り出来るからこその行動。

 レイやイルゼの周囲でセトの鳴き声を聞いた者達は、一瞬何が起きたのかと驚く。

 だが、すぐにその鳴き声が聞き覚えのあるものであると理解すると、すぐに日常生活に戻っていく。

 増築工事の仕事を求めてギルムに来た者達は、そんな周囲の反応を見て、特に問題はないのだろうと納得し……もしくは強引に自分を納得させ、こちらもまた仕事に戻っていく。

 周囲のそんな様子は気にせず、レイは地上に降りてきたセトを撫でていた。


「グルルルルゥ、グルグル」


 レイに撫でられ、嬉しそうに喉を鳴らすセト。

 イルゼは、一歩下がったところでそんな一人と一匹の様子を眺めていた。

 そして数分が経ち、撫で終わったレイはセトに向かって口を開く。


「それで、セト。アジャスはどこに逃げ込んだのか分かるか?」

「グルゥ!」


 任せて、と鳴き声を上げたセトは、そのままレイとイルゼを案内するように道を進み出す。

 ふと、こうして自分と触れあっている間にアジャスが逃げ込んだ場所からいなくなっていたら……? という思いを抱くも、今の状況でアジャスが逃げ出しても人目に付くのは確実で、セトなら追うのも難しくないという確信がレイにはあった。

 そうしてセトに案内され、一軒の宿に到着したのだが……


「ここか……」


 呟くレイの声には、落胆の色が強い。

 当然だろう、この宿はマリーナから――正確にはダスカーを通してエッグから――教えて貰ったアジャスの情報にあった場所だったからだ。

 レイの希望としては、恐らくアジャスが用意していたであろう隠れ家辺りに向かってくれていれば、最善だったのだが。


(隠れ家がないとか、そういうことはないよな? 実は改心していたとかだったら、その可能性はあったかもしれないが……あの態度を見る限り、それはないだろうし)


 表向きは有能で人当たりのいい冒険者といった様子のアジャスだったが、イルゼの話を聞いていた時の様子から考えて、改心したといったようには絶対に見えなかった。

 もしそうであれば、そもそも仕事を途中で放り出して姿を消すといったこともなかっただろう。


(罪の意識に耐えきれなくなって、とか? ……ないな)


 イルゼと話している時のアジャスの様子を見れば、罪の意識などというものを感じていないのは一目瞭然だった。

 そうである以上、やはり表向きの人柄を周囲に見せていたのは何らかの理由がある訳で……何かを企んでいないというのは有り得ないというのがレイの推測であり、半ば確信すら抱いている。

 つまり、その企んでいる何かを実行する為の拠点となる場所は絶対に必要な筈だった。


(まさか、実はそういう場所がなくて、宿屋で計画を立てたり実行したり、そんな風にしてるなんてことはないよな? ……ないか)


 素の性格を隠して、周囲を欺くといったことをするのだ。当然ながら何をやるにしても慎重な態度を崩すようなことはしないだろう。

 もっとも、レイにとっては宿でそういう行為をしてくれている方が、すぐに証拠を掴むことが出来て楽なのだが。


「さて、こうして宿まで来たけど……まだ動きを見せてないとなると、ちょっと難しくなるな」

「そうですね。……個人的には、出来ればこのまま宿に突入したいのですが。そんな訳にもいきませんし」

「落ち着け。メランとの件もあってしょうがないのかもしれないが、少し好戦的になってるぞ」


 レイも自分がこんな台詞を言うとは……と、思わないでもない。

 そもそも、自分……レイは、非常に好戦的な性格だということで知られている。

 正確には誰にでも好戦的だという訳ではなく、敵対した相手には好戦的だということなのだが。

 一度敵対すれば、相手が貴族であろうがなかろうが、それ以外の社会的な地位がある人物であろうが、攻撃するのに躊躇しない。

 また、実際にそれを成し遂げるだけの力を持っているというのも、大きいだろう。

 そんなレイに好戦的になっているから注意しろと言われるのだから、もし話を聞いている者がいれば驚くのは間違いなかった。


「とにかく、向こうの拠点はここ以外にも確実にある筈だ。出来れば、それを潰してやりたい。……復讐を望むイルゼにとっては、まどろっこしいと思うかもしれないけどな」

「いえ」


 レイの言葉に対し、イルゼは即座に首を横に振って否定の言葉を発する。

 好戦的になっているとレイに窘められ、多少ではあっても冷静になったのだろう。

 もっとも、冷静になってはいても、当然それでアジャスに対する復讐の念が消えた訳ではない。


「アジャスが何を企んでいるのは分かりませんけど、その企みを目の前で潰した方が向こうには悔しいでしょうし」


 ふふっ、と笑みを浮かべながらそう告げるイルゼは、最初に会った時と比べると明らかに雰囲気が変わっていた。


(こういうのも、もしかして闇堕ちなのか? まぁ、メランとの一件が原因になったことは間違いないだろうけど。……厄介な真似をしてくれるな)


 もしアジャスの件が何かの手違いで、実は更正していた……もしくは人違いなどということだったら、どうなることやら。

 まず有り得ないことだと理解しつつも、レイはふとそんなことを思う。


「そうだな。何を企んでいるにしても、向こうが……うん? 誰だ?」


 ふと、自分の方に歩いてくる者の姿を確認し、レイはそう尋ねる。

 現在レイ達がいるのは、建物の陰。

 もっとも、セトも隠れることが出来るだけの空間的な余裕があるのだから、絶対に見つからないような場所という訳ではなかったが。


「レイさん、お久しぶりです」


 そう告げ、頭を下げる男。

 だが、レイは男が誰か分からず、首を傾げるだけだ。


(誰だ? どこかで見た顔のような気が、しないでもないような……)


 それでも男がからは敵意を感じなかったこともあり、取りあえず敵ではないと判断したのだろう。

 レイは目の前の男に向かって口を開く。


「誰だ?」

「あちゃぁ。やっぱり忘れられてましたか。今の様子からそうじゃないかとは思ったんですけどね。一応草原の狼に所属してた、ダールです」

「……ああ、そう言えばいたか」


 最初に草原の狼に接触した時、そのメンバーの中に目の前の男の姿があったような気がする、と思い出す。


「思い出して貰ったようでなによりです。で、レイさんはここで何を? いやまぁ、ここにいる以上、理由は一つなんでしょうが」


 男の視線が、レイ達から宿屋に……アジャスがいるだろう宿屋に向けられる。

 その様子を見れば、男が何を言いたいのかはレイにも分かった。

 いや、エッグの部下だという時点で、そのことは予想出来ていたといってもいい。

 元々レイはマリーナを通してダスカーにアジャスを調べて貰っている。

 当然頼まれたダスカーは本職のエッグに話を持っていくだろうし、そう考えれば現在の状況を考えるも難しくはない。


「そうなるな。……で、お前は何しにここに来たんだ? まさか、挨拶に来ただけってことはないだろ?」


 アジャスの宿の様子が見える場所に到着したところ、偶然エッグの部下がやってきた……そんなことを信じられる程に、レイは楽天家ではない。

 そんなレイの様子に、ダールは頷きを返す。


「はい。実は、レイさんにちょっとお話がありまして。……そちらの、イルゼさんでしたか。彼女にも関係のある話です」


 ダールの言葉に、イルゼは私も? と驚きの表情を浮かべる。

 何か用事があるとしても、それはレイにだろうと思っていた為だ。

 だが、ダールはイルゼの言葉に頷きを返す。


「はい。恐らくお二人にも興味深い話になるかと」


 そう告げるダールの言葉を聞けば、何について話があるのかというのは明らかだった。

 だが、それでもレイはダールの言葉にすぐに頷く訳にはいかなかった。


「分かってると思うけど、今ここから離れる訳にはいかない。その理由は、そっちも理解していると思うが?」

「ええ、分かっています。なので、レイさん達の代わりに、ここに何人か置いていきます。それでどうでしょう? 勿論、何か動きがあればすぐに知らさせて貰いますし」

「……なるほど」


 自分達の代わりに宿を見張ってくれるのであれば、それは問題ない。

 そう判断したレイは、隣のイルゼに視線を向ける。

 そんなレイの視線に、イルゼは迷う。

 何年もの間探してきた仇が、すぐそこにいるのだ。

 であれば、何かあった時すぐに動けるように、自分がここで宿屋を観察しておきたい。

 イルゼがそう思うのは当然だろう。

 だが、そんなイルゼの内心を見透かしたかのように……いや、実際に見透かして、ダールは口を開く。


「イルゼさん、出来ればこの話は聞いておいた方がいいと思いますよ。そうすれば、きっと仇討ちがしやすくなります」

「……それは本当ですか?」


 イルゼが少しだけ疑わしそうに呟く。

 目の前の人物に、自分の狙いが仇討ちだというのが知られているのは、特に驚くべきことではない。

 元々何度も人のいる場所で仇討ち云々といった話をしているということもあるのだから、その辺は当然だろう。

 それに、レイが信頼している以上、もしイルゼの目的が仇討ちであると知っても、余計な真似はしないだろうという思いもある。……少なくても、メランのように仇討ちは駄目だと、それだけを言われるような真似はしないだろうと思えた。


「ええ。間違いなく。……というか、私達はレイさんとイルゼさんに感謝してもしたりないくらいなんですよね」

「は? 感謝?」


 何故そんな言葉が出てきたのかと、一瞬レイは疑問に思うも……アジャスが何かを企んでいたのは、間違いないのだろうと理解してしまう。


「ええ。実は彼……正確には彼とその仲間二人は厄介な真似をしてくれてましてね。それが発覚した切っ掛けが、アジャスという人物の周囲を調べたことだったんです」

「あー……なるほど」


 レイはマリーナからダスカー、エッグといった具合で情報を集めて貰ったことを思い出す。


「分かって貰えたようですね。……本来なら、この件は私達だけで片付ける予定だったのですが……」


 ダールはそこで一旦言葉を切って、笑みを……いや、苦笑を浮かべる。

 それはまさに苦笑と呼ぶことしか出来ない笑み。

 本来なら今回の件はエッグ達諜報部隊の面々だけで片付ける予定だったのだ。

 だが、そこにレイが絡んできている以上、下手に自分達だけで片付けようとすれば、レイとぶつかる可能性はある。

 それはあくまでも可能性であり、絶対ではない。絶対ではないが……レイとぶつかる可能性が少しでもあるのなら、その危険を見過ごす訳にはいかない。

 ダールがここに姿を現したのは、そのような理由からだった。

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