第1479話
アジャスがゴブリンと戦う為に去った後、レイはイルゼと共にルグルノの下に向かっていた。
腕も悪くなく、決して相手に対し高圧的に出ず丁寧に接するルグルノは、自然と冒険者達の中では代表的な役割となっていった。
勿論冒険者の中には、自分が相手の下につくなんて嫌だという者もいたのだが、樵やギルドとの交渉を纏めたり、他の冒険者と交渉したり……そういった面倒な仕事を自分がやるのかと言われれば、それも否だった。
結局自尊心と面倒……また、何よりもルグルノがレイに気に入られているというのが大きな要因となり、結局全員がルグルノを自分達の代表として認めていた。
「あれ、レイさん。どうしたんですか?」
周囲の冒険者に誰がゴブリンを倒しに向かい、誰が残って護衛を続けるのかといったことを指示――正確にはお願い――していたルグルノは、自分に近づいてくるレイを見て、少しだけ驚く。
「ああ、ちょっと話があってな。こっちはイルゼだ」
「はぁ、その……どうも、ルグルノです。それで、こちらのお嬢さんが一体どうしたんですか?」
「あー……何て言えばいいんだろうな。実は……」
何故自分が、そしてルグルノがここにいるのかを言おうとしたレイだったが、そんなレイの言葉を遮るようにイルゼが口を開く。
「レイさん、ここは私に説明させてください。元々私の理由でここにいるんですから」
イルゼの口から出た言葉に一瞬どうするべきか迷ったレイだったが、最終的にはイルゼがそう言うのであれば、と受け入れる。
また、ルグルノもそんな二人のやり取りで何か面倒なことがあるというのは分かったのだろう。周囲の冒険者に指示を出し終えてから、少し離れた場所に二人を誘う。
そうして他の冒険者達に話を聞かれない場所に移動してから、改めてルグルノが口を開く。
「それで、何か厄介事でしょうか?」
「そうだな、厄介と言えば厄介だ。……イルゼ」
レイに話を促され、イルゼが口を開く。
「初めまして、私はイルゼといいます。実はレイさんに今日連れてきて貰ったのは、ここに私の両親の仇と思われる人物がいたからで……」
そう告げ、イルゼは簡単にだが事情を説明していく。
勿論深い事情までは口にしなかったが、それでもルグルノは納得した様子を見せる。
「そうですか、何故急に冒険者が追加されてきたのか疑問だったのですが……」
「怒らないんですか?」
ルグルノにとって……そしてこのトレントの森で働いている者達にとっては、自分達に全く何の関係もない仇討ちの騒動に巻き込まれたようなものだ。
レイが目の前にいる以上、イルゼに向かって怒鳴りつけるような真似はせずとも、少なからず不機嫌になってもおかしくはない。それなのに、何故こうして落ち着いているのかと。
勿論、それはルグルノの性格が他の多くの冒険者のように血気盛んではないというのも影響しているだろう。
だが、ルグルノが大人しいのは、当然それだけが理由ではない。
「新しい冒険者がこちらに回されてきた理由はともかく、実際以前とは違ってトレントの森にもモンスターが少しずつですが出没するようになってましたからね。そう考えれば、寧ろこちらにとって好都合でした」
実際にゴブリンがトレントの森に入り込んでいるのを考えれば、イルゼにもその言葉は否定出来ない。
当然ルグルノも自分達の仕事場が利用されたのは面白くはないだろう。
しかし、それをレイに言っても話が拗れるだけだというのは分かっているので、前向きにと考えているのだ。
「そう言って貰えると助かるよ。それで、アジャスだが……話をしてみたところ、イルゼの仇で決まりっぽくてな」
「……そうですか。残念です。彼は人当たりもよく、真面目に仕事をする、有能な冒険者だったのですが」
言葉通り、ルグルノは本当に残念そうに呟く。
すぐに首を横に振り、再び口を開く。
「それで、アジャスはどうしたのですか?」
「ゴブリンの襲撃があったと聞いて、これ幸いとそっちに向かったよ。まぁ、だから俺達はこっちに来たんだが」
「なるほど。それで、私はどうしたら?」
そう尋ねたルグルノに何かを答えようとしたレイだったが、その言葉が一瞬止まる。
自分に向けられる視線に気が付いたからだ。
いや、視線を向けられるというだけであれば、特に気にする必要はないだろう。
何だかんだと、レイは自分が目立つということを知っている。
それ故、自分に視線が向けられるというのには慣れているのだ。
だが……今、自分に向けられている視線は恐怖や畏怖というものが籠もった視線だ。
そして、現在の状況でそのような視線を自分に向ける相手というのは、限られている。
(これで、あの樵……何て言ったか忘れたけど、あのマリーナに一目惚れした樵の視線だったら、ちょっと笑うけどな)
そんな風に思いながら周囲の気配を探ると、まるでそのタイミングを計っていたかのように視線の主が離れていくのが分かった。
(ちっ、逃がしたか、まぁ、状況的に今の視線はアジャスで間違いないだろうけど)
離れていく気配を感じながら、レイは口を開く。
「悪いが、ちょっと待っててくれ」
「え? あ、はい。まぁ、私は構いませんけど……」
「レイさん?」
ルグルノもイルゼも、レイの唐突な言葉に戸惑いながらも、頷きを返す。
レイはそんな二人をその場に残し、トレントの森から出る。
「セト!」
そうして空に向かって呼びかけると、空を飛んでいたセトは当然のようにその声を聞き逃すことなく、地上に降りてくる。
既にレイとセトを見慣れている者はまだしも、中にはレイとセトをまだあまり見慣れていない者もいる。
そのような者達は、レイの一声で空高くを飛んでいたセトが降りてくるのを、驚きを隠せずに眺めていた。
「グルルルルゥ」
嬉しそうに喉を鳴らしながら降りてきたセトが、レイに顔を擦りつける。
遊ぶ? 遊ぶ? と、そう訴えているセトの頭を撫でながら、レイは口を開く。
「悪いけど、遊ぶのはまた今度だ。今、トレントの森から一人逃げ……いや、ギルムに戻っていっただろ?」
ここで敢えて逃げ出したと表現しなかったのは、レイとイルゼ、ルグルノ以外アジャスについて知らない以上、ここで迂闊なことを言って働いている者を動揺させないようにという思いからだ。
……もっとも、それもレイの次の言葉で台無しになるのだが。
「その逃げた奴を追ってくれ。ただし、捕獲したり殺したりといった真似はしなくてもいい。そいつがどこに向かうのか……ああ、そうだな。アブエロ方面に向かうようなら、やっぱり捕らえてくれ。で、ギルムに戻ったら、どこに逃げ込むのかを確認して欲しい」
「グルゥ!」
レイの言葉に鳴き声を上げるセトを一撫ですると、それが合図だったかのようにそのまま助走した後で翼を羽ばたかせながら空を駆け上がっていく。
「……うん?」
そんなセトを見送っていたレイがふと我に返ると、何故か樵や冒険者達の自分を見る目が変なことに気が付く。
「なぁ、おい。捕らえるとか言ってなかったか?」
「ここを出ていったのってアジャスだよな? 身体の具合が悪いとかで。……あいつ、何やったんだ」
「うわ、レイを怒らせるとか、自殺行為でしかないだろ」
何人か自分の方を見ながらそんな会話をしていることに気が付き、自分がセトに何を頼んだのかを思い出し、あちゃぁ……といった表情を浮かべる。
だが、今更ここで何かを言ったところで、もう意味がないのは事実だ。
である以上、ここは特に誤魔化したりせず、そのまま視線をスルーしてトレントの森の中に入っていく。
(あ、けどセトを向こうにやったら、俺がギルムに戻る時に困るんじゃないか?)
ふとそんな疑問を抱くが、アジャスがどこに逃げ込むのかを確認する方が先だというのもあるし、何より既にセトが飛び立ってしまった以上、どうしようもないというのが正直なところだ。
……もっとも、セトならレイが大声で呼べば、その優れた聴覚でレイの声を聞き取って戻ってくる可能性は否定出来ないが。
「あー……えっと、取りあえず戻るか」
誰にともなく呟き、自分に集まっている視線から逃げるように……トレントの森の中に戻っていく。
そこでは、当然ながらまだイルゼとルグルノの二人が何かを話しながら待っている。
「悪い、待たせたか」
「あ、レイさん。いえ、それは構いませんけど、どうしたんですか?」
レイの言葉に、何かアジャスの情報でもあるのかと、そうイルゼが尋ねる。
だが、レイはイルゼが何を思っているのか理解しながら、首を横に振った。
「今はアジャスの情報は特にない。ただ、セトにアジャスを追うように頼んだから、どこに逃げたのかは分かるだろう」
「え? 逃げた、ですか? 私に何の報告もなく?」
そんな二人の言葉に、ルグルノが驚く。
一応ではあっても、樵の護衛をしている冒険者達を纏める立場にいるのだ。
そのルグルノに何の断りもないまま、勝手にトレントの森からいなくなったと聞かされて驚いたのだろう。
もっとも、レイはアジャスが逃げたのは当然だという認識だったが。
自分に目を付けられ、それでもまだこのトレントの森にいるのであれば、それはそれで度胸があると、そう思うだろう。
「そうなるな。多分だけど、ギルムにある拠点か……もしくは秘密のアジトに戻ったといったところか。俺としては、出来れば秘密のアジトに行って欲しいけど」
セトが見つかるといった可能性は全く考えていないレイの言葉。
セトを無条件で信じているレイだったが、それでも何の根拠もなくそう思っている訳ではない。
高度百mを飛ぶセトを見つけられるとは、到底思えなかった為だ。
「ギルムで普段泊まっている宿はもう分かってるんですよね? なら、やっぱり秘密のアジトを探して欲しいですね」
笑みすら浮かべて告げているイルゼだが、その身体から漂っているのは拙いながらも殺気と呼んでもおかしくない代物だ。
「ああ、そうしてくれるとこっちも助かるんだけどな。……けど、向こうだって俺の……いや、イルゼがどんな素性の人物なのかは分かった筈だ。色々と警戒するのは間違いない」
「向こう側がこちらを警戒してくれるのであれば、私も嬉しいんですけどね。……それより、私達はこれからどうするんですか? セトを向かわせたのなら、戻るのにも……」
そう告げるイルゼだったが、先程までとは違って少しだけ嬉しそうな様子だ。
セトの前足に掴まってここまで飛んできたのは、イルゼにとってトラウマに近いものを感じさせたのだろう。
セトがいないということは、ギルムに戻る時にここに来る時と同じような移動をしなくてもいいと期待してのことだ。
あっさりと態度が変わったことに驚くレイだったが、イルゼにとってはそれだけセトでここまでやってくる時間は地獄に等しかったのだろう。
そもそも、この世界で空を飛ぶという経験が出来る者はそう多くない。
竜騎士のような存在や、大きなモンスターと契約した召喚魔法や、テイムしたテイマー……他にも何種類かあるだろうが、大まかにはそんなところだろう。
そういう意味で、イルゼは非常に希少な経験をしたということになるのだが……本人にとっては、とてもではないが歓迎や感激出来ることではなかったらしい。
「ああ、それなら馬車を借りようと思ってる。勿論、一旦ギルムに到着したらまたこっちに戻すから。……構わないか?」
「え? うーん、そうですね。レイさん達が乗って移動する分には問題ないんですが、御者だけでここまで戻ってくるのは少し不安です。出来れば護衛を用意する必要があるのですが……」
アジャスの件で樵の護衛をする冒険者の数は増えた。
だが、それでも以前とは違い、先程のようにゴブリンのようなモンスターがトレントの森にやってくることが増えた以上、冒険者の数に余裕があるという訳ではない。
アジャスが勝手に帰ったこともあり、出来ればこれ以上人数を減らしたくないというのが、ルグルノの考えだった。
かといって、レイも歩いたり走ったりしてギルムまで移動したくはない。
体力的な問題であれば全く問題なく出来るし、レイだけであればそれでもいいのだが、今回はレイ以外にもイルゼがいる。
基本的に採取のような依頼をこなしていたイルゼは、身体能力的には高くない。
勿論その辺りの一般人と比べれば上だろうが、それでも平均的な冒険者よりは下だろう。
そして今のレイは出来るだけ急いでギルムに戻らなければならず、イルゼの足に合わせることは出来ない。
(いっそ、俺がおぶっていくか?)
そんな風に考えるレイだったが、それを口に出すよりも前にルグルノが口を開く。
「分かりました。馬車一台分の人数なら、他の馬車に分かれて乗れば多少狭いですが何とかなるでしょう。馬車を一台、使って下さい」
こうして、イルゼは皆の前で自分よりも背の小さなレイにおぶわれるという羞恥に晒される危険から回避されるのだった。
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