第1472話

 もう少しの間、アジャスの様子を見守ることにした翌日……レイはいつものように仕事をこなしていた。


「おおおお、レイ殿。そのデスサイズというマジックアイテム……是非見せて下さい」

「お前も、懲りないな。以前潰されかけたのを忘れたのか?」


 魔法使いの老人……マルツは、レイがデスサイズを使って地形操作で周囲の地面の微妙な歪みを均していたのを見て、叫ぶ。

 それに返すレイの言葉は、少し呆れの色が混ざっていた。

 実際、何日か前にデスサイズをもっとしっかりと見せて欲しいと言われたレイは、マルツに許可したのだが……デスサイズは、通常の状態では100kg程の重量を持つ。

 優れた魔法使いであっても、肉体的には普通の魔法使い……それも老人でしかないマルツに、その重量を持ち上げることは出来なかった。

 マルツも、レイが片手でデスサイズを持ち、その重さを全く感じさせなかったのを見て、最初はそこまで重いとは思わなかったのだろう。

 レイが重いと口にしても、デスサイズに対する興味が強く、大丈夫だと断言し……結果として潰される前に逃げ出すことに成功はしたが、それでも九死に一生を……といった感じだった。

 そんなマルツが再度デスサイズを見せて欲しいと言ってきたのだから、レイがマルツを心配するのは当然だろう。

 最初はマルツをどう扱っていいのか分からなかったレイだったが、マルツの中には自分をどうこうしようというものはなく、純粋に魔法やマジックアイテムに関して尊敬しているだけだというのは分かった為、気軽に接するようになっていた。

 ……もっとも、敬うような態度を取られるのは、あまり慣れなかったが。


「大丈夫ですじゃ。以前はデスサイズを儂が直接受け止めようとしたからああなったので、地面に置いて貰えば……」

「まぁ、いいけど」


 ミスティリングの中から布を取り出し、地面に敷く。

 その上にデスサイズを置くと、マルツは真剣にデスサイズを調べ始めた。


「言っておくけど、あまり時間はないぞ」

「分かっております!」


 レイの言葉に、マルツはデスサイズを見ながら答え、真剣に調べ始めた。

 そんなマルツの様子を横目に、レイは周囲の状況を見回す。

 まだかなりの低さだが、それでも既に新しい壁は広がり始めている。

 もっとも、別に自動的に広がっていくのではなく、職人達が頑張って働いて広げている、というのが正しいのだが。

 それでも全体的に見れば、まだまだといったところだろう。

 元々かなりの規模を誇っていたギルムを、五割増しの大きさまでにするのだから。


(ただ、それだけの大きさの建築なんだから、少しずつでも進めていく必要があるんだろうな。一年程度で完成すればいいけど……難しいか?)


 レイの常識では、街を五割増しに拡張するというのは、とてもではないが一年で終わるとは思えない。

 だが……この世界は、エルジィン。

 魔法のある世界なのだ。

 レイが元いた地球と違って重機の類はないが、それを補う為に魔法がある。

 誰にでも使えるという重機のような便利さはないが、重機では時間が掛かるようなことも数秒でこなしてしまう者すらいるような能力。

 勿論総合的に見れば、使える者は少数で、更に魔力がなくなれば使えなくなるという……重機と比べると色々と劣っている面もあるのだが。

 しかし、働いている獣人やドワーフは素の状態で地球の住人達とは比べものにならない力を持っているし、それは冒険者達も同様だ。

 総合的に見れば、地球と同等か……寧ろ勝っているのではないかというのが、レイの感想だった。


「ん?」


 周囲の様子を眺めていたレイは、ふと何人かが集まっている方に気が付く。

 険悪な雰囲気がある訳でもないので、揉めているのではないというのは理解出来たが、では何故? と疑問に思う。


「マルツ、俺はちょっと向こうの様子を見てくるけど……聞いてないか」


 レイが声を掛けても、マルツはデスサイズに意識を集中している。

 その様子を眺め、レイは近くにいた人物……冒険者のような者ではなく、雑用をする為に雇われた一般人に声を掛けた。


「俺はちょっと向こうが気になるから行ってくるけど、マルツが我に返って、俺がまだ戻ってきてなかったらそう伝えてくれ」

「あ、はい。分かりました」


 レイよりも年上の、二十代くらいの男だったのだが、特に反発もなくそう頷いてくる。

 その男は古い壁を壊す時から……つまり増築工事の最初からここで働いていたこともあり、レイがどれだけこの工事で戦力となっているのかを間近で見てきたのだ。

 だからこそ、レイの言葉に反発を覚えたりもせず、素直に頷くことが出来た。

 多少自分が年上だからといって、それは何の意味もないと、そう理解しているのだ。

 そんな男にマルツを任せ、レイは少し離れた場所でひとが集まっている場所に向かう。

 近づけば、そこで四人の男女がそれぞれ何かを話し合っている様子が見て取れる。

 レイが最初に感じたように、別に喧嘩や言い争いをしている……という訳でもないのだろう。

 ただ、全員が深刻そうな表情で話をしている。


「どうした? 何か工事で詰まってるところでもあったのか?」

「あ……レイ……さん?」


 男二人と女二人の四人の男女のうち、女の一人がレイの姿を見て声を上げる。

 レイを見るその女の顔には、深刻そうな表情が浮かんでいた。


(もしかして、工事で何か致命的な欠陥があった……とかじゃないよな?)


 既に、工事は始まっているのだ。

 まだ新しい壁は作り始めたばかりではあったが、それを行う為に多くの者達が長い時間を掛けて綿密に計算し、打ち合わせをし、資材を用意した。

 にも関わらず、ここで工事に何か大きな欠陥があったとなれば……それは、経済的にも時間的にも、莫大な損害をギルムに与えるだろう。

 そして工事も、最悪の場合は最初からやり直しになる可能性がある。

 そんな思いで視線を向けたのだが、レイに声を掛けてきた女は一瞬何があったのか分からないといった様子だったが、すぐに何を言われたのかを理解したのだろう。

 慌てて首を横に振る。


「いえ、別にこの工事には何も関係ないです。ただ、ちょっと私達のパーティのことで……」


 首を振ったことにより、背中の中程まで伸びている青い髪が揺れる。

 イルゼの緑の髪を見慣れていることもあり、何故か不意に信号という言葉がレイの脳裏を過ぎる。


(信号は青、黄、赤だけど……実際には、緑、黄、赤だよな。……エルジィンにいる今更、そんなことを考えても仕方がないけど)


 そう思いながら他の面子を見たレイは、赤い髪の男女と黄色い髪の男というパーティだったことで、余計に信号に思いを馳せてしまう。


「あー……うん。そうか。この工事に関係していないことならよかった」


 工事に関係ないということで安堵したものの、今この状況でパーティを放っておける訳がなかった。

 話し掛けてしまったのが、レイの失敗だったのだろう。

 普段であれば見捨てたりすることもあるのだが、最初にレイに対して丁寧に接してきたということもあり、それなりに好感度は高かったというのも影響している。

 不承不承といった感じではあったが、改めてレイは目の前の四人を見ながら口を開く。


「それで、何があったんだ? 俺に話して何が解決するとも限らないけど、話を聞くくらいならしてもいいぞ」


 そんなレイの言葉に、最初に話し掛けてきた青い髪の女が何かに頼るように口を開く。


「その、私達はランクDパーティ慈悲の雨といいます。ですが、パーティメンバーの一人が数日前から急に姿を見せなくなってしまって……」

「いなくなった、か。誰にも知らせずにか?」

「はい。仕事が終わった後で、ちょっと買い物に行くと言って宿から出掛けたきり、戻ってこなくなったんです。女なので色々と心配で……」

「一応聞くけど、その女がどこか通りすがりの男に口説かれて、そのまま一緒に逃げ出したか……もしくは今もその男と一緒にどこかの部屋にいるとかは?」


 レイの言葉に、慈悲の雨の面々は皆が面白くなさそうな表情を浮かべる。

 そんな皆を代表してか、今までレイと話していた女が再び口を開く。


「彼女はそのようなことはしません。……勿論運命的な出会いがあったとか、そんな可能性はあるかもしれませんが……」

「リューシャがそんなことをする筈がないだろ!」


 黄色い髪の男が叫ぶ。

 その男の言葉は、まさに力一杯というのが相応しい勢い。

 他の三人は、その男の様子に痛ましいものを感じさせる。

 いなくなった女に、この男がどのような感情を抱いているのかというのは、誰の目から見ても……それこそレイから見ても明らかだった。


「となると、何かの事件に巻き込まれたのか」

「そうですね。もしくは何か人助けをしているという可能性もあります。何だかんだとリューシャは人がよかったので」


 女の言葉に、他の三人も同意するように頷く。


「今までにもそんなことはあったのか?」

「ええ」

「……なら、そこまで心配する必要はないと思うけどな。また人助けをしてるんじゃないか?」

「だと、いいんですが。……何だか、妙な噂もありますし、ちょっと心配で」

「妙な噂?」

「ええ。知りませんか? 何でも突然いなくなる人が増えてきてるらしいですが。……まぁ、これだけの人数が集まってきてるんですから、何かの理由があって姿を消すというのは不思議ではないですが」

「だろうな」


 元々ギルムにはかなりの数がいたが、今は増築工事でその人数は更に増えている。

 それこそ、レイはギルムで初めて見るだけの人数がここに集まってきていた。


(まぁ、ベスティア帝国ではもっと大勢の人がいたけど)


 武闘大会で見た人の数を思い出すレイだったが、今はそれどころではないと判断して慈悲の雨の面々に視線を向ける。


「そもそも、人がいなくなるってのはどこから出た噂なんだ? 俺は聞いたことがないけど」


 一ヶ所で仕事をするのではなく、何ヶ所もの場所を短時間で移動するレイだったが、その噂は聞いたことがなかった。

 勿論毎晩食事をしているマリーナやヴィヘラから聞いたこともない。

 エレーナとアーラは基本的にマリーナの家に閉じ籠もっているし、ビューネは意思疎通が難しいのでこの場合は数に入れない。


「そこまで広まってる噂じゃないですから。噂に近い噂……と言えばいいでしょうか」

「噂に近い噂か、面白い表現だな。それはともかくとして、お前達はこれからどうするんだ?」

「幸い今日の仕事は午前中だけで終わる予定になっているので、午後からは皆で探しに行こうかと」

「そうか。……噂の件はともかく、現在ギルムには色々な奴がやって来てる。その中には、妙なことを考えている奴とかもいると思うから、その辺には注意した方がいいぞ」

「はい、ありがとうございます」


 レイの言葉に、青い髪の女がそう言って頭を下げる。

 他の三人も、レイに向かって頭を下げていた。

 本来ならレイに手伝って欲しいと、そう思っているのだろう。

 実際、レイの持つ影響力というのは、ちょっとしたもの……いや、かなりのものと言ってもいい。

 だが、それだけにレイが誰かに対して簡単に手を貸すような真似をした場合、なら自分もと言ってくる者がいるのは確実だった。

 これでいなくなった人物が確実に何らかの事件に巻き込まれたのであれば、そんな状況でもレイに頼んだかもしれない。

 しかし、今はまだ何も分かっていない状況なのだ。

 もしかしたら、本当に一目惚れをした男の家で甘い時間をすごしている可能性もある。

 ……もっとも、それはそれでいなくなったリューシャに対して恋心を抱いている黄色い髪の男にとっては考えたくないことだろうが。

 そんな四人に何かを言おうと思ったレイだったが、結局ここで何を言ってもそれは意味がないと判断する。


「そうか、分かった。もしそのリューシャだったか? その女が本格的に何かの厄介ごとに巻き込まれたら、警備兵か街中を見回っている冒険者に話してみればいい。特にギルムの警備兵は優秀だ。毎日のように腕利きの冒険者を相手にしてるからな」


 レイの言葉を聞いた四人の表情に、少しだけ希望が浮かぶ。

 その四人をその場に残し、レイはマルツのいる方に戻っていく。

 そこでは、未だにマルツがデスサイズを調べていた。

 年甲斐もなく興奮している様子は、それこそそのまま倒れてしまってもおかしくないのではないか……レイもそう思ってしまう。

 実際、周囲にいる他の何人かの者達は、そんなマルツの様子に注意している。


(行方不明になる奴がいる……か。今日の夕食の時にでも、ヴィヘラに聞いてみるか。……アジャスが何か関わってたりしてな。この後トレントの森に行くし、そこでちょっと突いてみるか)


 そんな風に思いながら、レイはデスサイズの下に向かって歩を進めるのだった。

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