第1455話
レイを含む紅蓮の翼と、エレーナ、アーラがマリーナの家で楽しい夜をすごしている頃……それと正反対の思いを抱いているのは、イルゼだった。
イルゼが部屋を取った宿は、食堂がなければ、食事も出ないタイプの宿だ。
そうである以上、食事をする為にはどこかの食堂や酒場、屋台といった場所に行かなければならない。
そんな中でイルゼは仇についての情報を集める為という理由もあって、酒場にやってきていた。
エールと幾つか料理を頼み、後は耳を澄ませて周囲で騒いでいる者達の会話を盗み聞きして情報を集める。
そのつもりだったのだが……
「そんな訳で、ヴィヘラさんの周りには迷惑な奴がいるんだよ」
だん、と。
不満たっぷりにそう言うと、何故かイルゼの向かいに座ったメランは、エールの入ったコップをテーブルに叩き付けるように置く。
そう、何故か現在イルゼはメランと一緒に食事をすることになっていたのだ。
最初は自分が低ランク冒険者だから、あまり金がないと言って断ろうとしたイルゼだったが、メランが奢ると言って、断るに断れなくなってしまう。
メランが現在行っている街の見回りは、その仕事の特性上一定の戦闘力は必要とするが、それだけに報酬はそれなりに高額だ。
……もっとも、新しい壁の為に働いている魔法使い達に比べれば、かなり安いのだが。
それでも、女一人に食事を奢るくらいであれば、何の問題もない。
「そうですか、好きな人の側に他の男がいるのは辛いでしょうね。……それに、ヴィヘラさんの美しさを考えれば……」
最初はヴィヘラという名前を聞いても、イルゼには誰なのか分からなかった。
だが、メランの話を聞いてみれば、絶世と呼ぶに相応しい美貌を持ち、踊り子や娼婦が着るような薄衣を着ているという。
そこまで言われれば、イルゼが今日助けられた相手なのだと理解するのに、そう時間は掛からなかった。
そう言われれば、自分に迫ってきた男達はヴィヘラと呼んでいたな、と。
「そうなんだよ! それに、レイの奴はヴィヘラさんだけじゃなくて、他に何人も同じような美人を侍らせやがって……」
「……何人も、ですか? ヴィヘラさんと同じくらいの美人を?」
メランの口から出た言葉は、イルゼにはとてもではないが信じられなかった。
一生に一度見ることが出来るかどうか……そんな美人が、ヴィヘラの他に何人もいるのだとは。
それなりに自分の外見には自信を持っているイルゼだが、だからこそヴィヘラの美貌には圧倒されたのだ。
「そうなんだよ! 全く、レイって奴は……ちょっと実力があるからって……」
「でも、その、レイというのはあの深紅でしょう? グリフォンを従魔にしているとかいう。異名持ちの高ランク冒険者を敵にするのは、止めた方が……」
イルゼは、今日ギルムの中を歩いている時に見たグリフォンの姿を思い出す。
このギルムに近いアブエロまでは、多少の例外はあっても普通の街だった。
だが、このギルムだけは色々な面で規格外の場所と言ってもいい。
「異名持ちだからって、ヴィヘラさんを不幸にする奴は許せない!」
苛立ち混じりに先程テーブルに叩き付けたコップを、再び口に持ってく。
エールを味わって飲むのではなく、苛立ちを収める為に強引に飲み干しているような、そんな飲み方。
「ぷはーっ! ……もう一杯頼む!」
近くを通りかかったウェイトレスにそう告げ、メランはテーブルの上にある料理を口に運ぶ。
酒に合うように、塩辛く調理された炒め物を口に運ぶ。
炎天下の中で仕事をしている影響からか、メランにはその塩辛い料理がかなり美味く感じられた。
そうしてウェイトレスが持ってきたエールを改めて飲み、料理を口に運び……とやっていると、元々そこまで酒に強いという訳でもないのだろう。
メランは酔いで顔を赤くする。
そんな、完全に酔っ払っているメランを見て……ふと、イルゼは目の前にいる男に聞いてみたくなった。
普段であればそんなことはしないだろうが、やはりイルゼも酔っ払っているのだろう。
何より、長年探し続けていた仇を今日見つけたというのも大きい。
「ねぇ、メランさん。ちょっと聞きたいことがあるんですけど、いいですか?」
「んあー……何だよ、改まって。俺とイルゼの仲じゃないか。何でも聞いてくれ」
自分との仲? と思わないでもなかったが、そもそもそこまで酔っ払っているのであればイルゼにとっても都合がよかった。
主に、ここで何を聞いても、恐らくこの場だけの話となり、明日には覚えていないだろうという意味で。
「復讐を……どう思いますか?」
「復讐? あー……無意味な行為だと思う」
その言葉を聞いた瞬間、イルゼは自分で聞いたにも関わらず頭に血が上るのを自覚した。
今まで、何人かに聞いてきてはいるのだ。復讐という行為をどう思うかと。
だが、多くの者が復讐は無意味だと、愚かな行為だと、そう告げてくる。
勿論全員がそう言っている訳ではないのだが、それでも復讐に意味はないとそう告げてくる者が多かった。
そのような答えが戻ってくるのではと予想はしていたのだ。
これまで話したメランは、多少独善的ではあっても、基本的には正義感の強い男なのだから。
そんなメランの性格を理解していながら、それでも自分は復讐はどう思うと聞いたのだ。
それで自分が予想した通りの……それでいて、望んでいなかった言葉を聞かされたからといって、怒る方が間違いだろう。
「あ、ほら。メランさん。こっちのシチューも美味しいですよ? どうですか?」
「んー? ああ、じゃあ食べてみるかな」
話を誤魔化す意味も含めて告げられたイルゼの言葉に、酔っ払っているメランはあっさりと意識を奪われる。
酔いで手が揺れながらも、シチューを食べる。
「ああ、美味い。美味いな。イルゼが言った通りだ」
酔っ払っている状況で、本当に味が分かっているのかどうかはイルゼにも分からない。
だが、メランが美味いと言っている以上、特に問題はないのだろうとイルゼは判断する。
(この状況で、それこそ毒とかを入れた食べ物が出されたら、どうする気なのかしら? まぁ、そこまで私を信用しているということなのかもしれないけど)
酒に合うよう、若干塩辛く味付けされたオーク肉の炒め物を食べながら、イルゼは目の前にいるメランを見る。
そして、何気ない風を装いながらイルゼは再び口を開く。
「そう言えば、今日ギルドに行ってきたんですが……そうしたら、ギルドで左腕に蛇の刺青をしている人がいましたよ。まるで左腕を木に見立てるようにして、それを上ってるような、そんな刺青。ああいう刺青を見たのは初めてだったので、ちょっと驚きました」
「うんー? いーれーずーみー?」
食べて、飲んで……既に酔いは完全に回っているのだろう。
既に、イルゼの言葉に何かを答えるような余裕もない。
(少し、聞くのが遅かったかしら?)
もしかしたら、仇について何か情報を得られるのでは? と思っていたイルゼは、エールを飲みながら話す順番を間違ってしまったかと、メランを眺めながら思う。
既に、テーブルの上に突っ伏しているような状態になっているメランは、半ば酔い潰れていた。
「あー……うー……? ……レイがなんだぁっ!」
そんな声を上げているメランを一瞥すると、イルゼはどうするべきかと酒場の中を見回す。
メランと喋っている間に、結構な時間が経ったのだろう。
既に酒場の中にいる客は、その多くが酔っ払っている。
中にはメランと同じく、酔い潰れている者も何人かいた。
「さて、どうしたものかしら」
この状況では、情報を集めるのも難しい。
出来れば、このよう状況になる前に可能な限り情報を集めておきたかったのだが……と、そう考えつつ、イルゼはエールを口に運ぶ。
勿論、酒場の中にいる全員が酔っ払っている訳ではない。
酒に強い者は当然のようにいるし、後から遅れて店の中に入ってきた客もある程度いる。
そんな者達に酌でもすれば、話を聞くことは難しくないだろう。
視線をメランに向けると、先程まではまだ起きていたものの、今は完全に酔っ払って眠っていた。
なら、と。
イルゼは再度酒場の中を見回す。
情報を集めるにしても、その対象はしっかりと選ぶ必要がある。
軽く身体を触られるのはともかく、情報の代わりに抱かせろと要求してくる相手も決して少なくはないからだ。
出来れば、酒の席に付き合う程度で情報を教えてくれる者……そして、ある程度口が軽いような相手。
勿論、メランのように酔い潰れているような相手は論外だが、まだそれ程酔っ払っていない素面の相手も口が固いという意味では好ましくはない。
そんな風に情報を持っていそうな相手を探していると……やがて、少し離れた場所で楽しそうに飲んでいる三人組を見つける。
酒場だからか、防具の類は装備していない。
それでも長剣や短剣を持っているのを見る限り、恐らく冒険者なのだろうというのはイルゼにも予想出来た。
最後にメランに視線を向け、完全に熟睡していることを確認する。
イルゼよりも酒に強くはないというのもあれば、仕事が終わった後でも訓練をして身体を動かし続けて疲れていたというのもあるのだろう。
また、同時にイルゼのような美人と一緒に酒を飲むということや、レイに対する嫉妬から酒を飲む速度がいつも以上だったというのもある。
様々な理由から、メランは現在の状況になったのだろう。
(これなら暫く起きないでしょうね)
それを確認し、騒がしく飲んでいる三人組の方に向かう。
「ちょっといいかしら?」
「うん? 何か用、お姉ちゃん」
三人組は、それぞれ三十代、二十代、十代といったような年代で構成されていた。
勿論、それはあくまでもイルゼから見た予想でしかない。
エルフを始めとして、世の中には見た目で年齢を計れない者というのは決して少なくないのだから。
三十代の男の言葉に、イルゼは笑みを浮かべて口を開く。
「実は、連れがあっという間に潰れてしまったのよ」
そう告げ、イルゼの視線は酔い潰れているメランに向けられる。
男三人もそんなイルゼの視線を追い、酔い潰れているメランを見て納得したようにそれぞれ頷いた。
「でも、私はもう少し飲みたいの。そこで、貴方達が楽しそうに飲んでいるのを見て、羨ましくなって。もしよければ、一緒に飲ませて貰える?」
「勿論、美人と一緒に飲むのは大歓迎だよ!」
二十代の男が、嬉しそうにイルゼを迎える。
十代の男は、そんなイルゼにどこか怪しそうな視線を向けていた。
女がわざわざ自分から他のテーブルに来て一緒に酒を飲む。
そのようなことがないとは言わないが、それでも滅多にあることではないのは間違いない。
イルゼもそんな視線を向けられているのは気が付いているが、特に気にした様子もなく椅子に座って口を開く。
「私は今日ギルムに来たばかりなんだけど、貴方達は?」
「俺達も似たようなもんだな。まだ、ギルムにきてから十日かそこらってところか?」
「ああ、そんなところかな」
三十代の男の言葉に、二十代の男がそう返す。
「あら、じゃあもうそれなりに仕事をしてるのね。どんな感じなの? 仕事は色々とあるって聞いてるけど」
情報収集用……もしくは、酒場にいてもおかしくないだろう女の態度を装いながら、イルゼは男達に尋ねる。
そんな軽い様子で尋ねてくるイルゼに、二十代の男は笑みを浮かべながら口を開く。
「そうだな。仕事は色々大変だけど、しっかりと働いた分の報酬は貰えるよ。俺は資材の運搬とか、新しい壁を作る方の雑用とかをやってるんだけど……これが、色々と勉強になるんだよな」
「そんなに? 今までにも冒険者として働いてきたんでしょ?」
「あー……そうだな。けど、こんな大規模な工事に関わることなんて、まずなかったし」
「まあな。けど、ほら。どこだったか……そうそう、ルータだっけ? あの村で壁の修理をしただろ?」
「壁は壁でも、板一枚の壁とギルムの壁だと、大違いだと思うけど?」
三十代の男の言葉に、二十代の男が突っ込む。
そのまま暫くの間、イルゼは三人の男達と楽しく飲み続ける。
そうして、ギルムの冒険者には色々と変わっている相手が多い……という話が出たところで、待ってましたと言わんばかりにイルゼは口を開く。
「そう言えば、今日ギルドに行ってみた時、左腕に蛇の刺青をしている男の冒険者がいたわ。かなり大きい刺青だったから、少し驚いたけど……ギルムだと、ああいう刺青をしている冒険者も多いの?」
「刺青? うーん、俺は知らないな。蛇じゃなくて獅子の刺青をしている奴なら、ギルムに来る途中の……アブエロか? そこで見たことがあるけど」
三十代の男が答えると、他の二人もそれに同意するように頷く。
「そう? じゃあ、やっぱり珍しいんでしょうね」
仇の情報が何もないことを残念に思いながらも、イルゼはその話題が男達の記憶に残らないように話を続けるのだった。
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