第1456話

「運ぶ材木は、これで全部か?」

「はい、お願いします。また午後になればそれなりに増えてると思いますけど、今はこれだけです」


 昼までもう少しといった時間帯、レイはセトと一緒にトレントの森までやって来ていた。

 ギルムの増築工事の件が決まってから、樵達が必死に伐採してはいるのだが、レイの目から見てトレントの森の広さは大して変わっていないように思える。

 上から見ると、ギガント・タートルが移動した跡だけが大きく広がっており、それが見えるからこそ余計にそのように思ってしまうのだろう。

 尚、本来ならギルムの上空で飛行型モンスターを警戒しているセトだったが、トレントの森の木材を運ぶという行為の大変さを考えると、そちらを重視することになっていた。

 ギルムからトレントの森まで、セトが飛んで数分程度というのも、その辺りの判断には影響しているのだろうが。

 トレントの森から取れる木材が、それだけ重要なのだということなのだろう。

 交渉を受け持つ男と短く言葉を交わし、レイは倒れている木に触れては次々に収納していく。

 それこそ、樵が午前中に頑張った成果が数分と掛からず消えてしまう。

 そんなレイの姿を、ギルムにやってきたばかりの樵はただ、唖然と見つめる。

 そして唖然としている樵達を見て、他の……元からギルムにいた樵達は、その気持ちは分かると言いたげに頷いていた。

 だが、そんな樵達の中で何人かの樵は、レイに向けて面白くなさそうな視線を向ける。

 その筆頭は、マリーナに一目惚れし、レイに喧嘩を仕掛けてあっさりと気絶させられたダンザ。

 だが、力では絶対に敵わないというのは、それこそ身に染みて理解してしまっている。

 力で敵わないのであれば、レイはダンザがどうにか出来る相手ではない。

 普通であれば仲間を集めたりといった真似をするのだろうが、ダンザはその性格から仲間は決して多くはない。

 舎弟と呼ぶべき者は何人かいるのだが、その者達もレイがどれだけの実力者なのかというのは、実際に目の前で見せられているので、何が出来る訳でもない。

 結果としてダンザが出来るのは、苛立たしげな思いを抱きながらレイを睨むだけだった。

 そんな視線を向けられているにも関わらず、レイは素早く伐採された木材をミスティリングに収納すると、セトに乗ってその場を飛び去っていく。


「ちっ」


 ダンザは結局そんなレイを黙って見送り、苛立たしげに舌打ちをするしかない。

 レイがどのような存在なのかを知っているギルムの冒険者は、そんなダンザを可哀想な相手を見るような目で眺める。

 レイに喧嘩を売るということが、どのような意味を持つのか……それを十分に知っているからこその視線だった。






「これで、全部だな」

「はい、ありがとうございました。また、午後にお願いします」


 職人の言葉に頷き、レイは改めて視線をその背後……積まれている木に向ける。

 その全てがトレントの森で伐採された木で、これから錬金術師が色々処理をし、それでようやく建築資材として使えるようになるのだ。

 そうして引き渡しを終えると、レイはセトと共に近くの屋台に向かう。

 レイはこのまま昼休みに入るのだ。

 工事現場に向かってもいいのだが、そうなるとレイの持つデスサイズと、レイの魔法に強い興味を抱いているマルツがやってくる。

 マルツは決して悪い相手ではないのだが、それでも老人に迫られるのはレイとしてもあまり面白い気分ではない。


(そう言えば、フィールマにも結構興味を抱いていたみたいだったけど……そっちに集中してくれるといいんだけど)


 元々魔法使いというのは、非常に少ない人種だ。

 その中でも、精霊魔法を使える存在は、魔法使いの中でも更に少ない。

 そんな精霊魔法使いがいるのだから、マルツがそちらに意識を向けるのは当然だった。

 精霊魔法使いということであれば、マリーナもそうなのだが。マルツもマリーナに向かう勇気はなかったのだろう。

 何だかんだと、マリーナはギルムでは名前を知られている有名人なのだから。


「グルルルゥ!」


 お腹減った、と喉を鳴らすセトと共に、レイは近くにある屋台で適当に……それでいて多くの食べ物を買っていく。

 串焼き、サンドイッチ、肉まん、スープ。それ以外にも様々な料理。

 夏に肉まんを食べるというのは、若干レイは違和感があったのだが……それでも、美味いものは美味い。

 そんな中、レイとセトの足はとある屋台の前で止まる。


「へぇ」


 その屋台を見て、感心した声を上げたのはレイ。

 屋台の周囲には、大勢の客の姿があった……というだけではなく、その客達が食べている料理を見てのことだ。

 その料理は、うどん。

 ……ただしレイがこの世界で広めた、かけうどんや煮込みうどんの類ではなく……ましてや、エルジィンの住人が自分で考えた焼きうどんの類でもない。

 それは、今が真夏で暑いからこそ生まれた料理なのだろう。

 多くの者達が食べているのは、皿の中にうどんがあり、そこに茹でて水で冷やした肉や野菜を具としてトッピングし、冷たいソースを掛けた、レイの認識ではぶっかけうどんに近い料理だった。

 勿論レイが知っているぶっかけうどんとは色々と違うところもある。

 大根おろしやミョウガ、大葉、長ネギ、梅干し、鰹節、といった薬味がないことや、出汁醤油ではなく濃厚なソースであるということ、卵黄が乗っていないこと……といったように。

 もっとも、レイが知っているぶっかけうどんは、あくまでもレイが日本にいた時に食べたものだ。

 家が農家だからこそ、夏に採れるミョウガを始めとして様々な薬味を好きなだけ使えるというのもある。

 出荷出来ない野菜は自分の家で食べ、それでも食べきれずに捨てられることもあるのだから、当然のように料理に使われる野菜の類は多くなる。

 ともあれ、レイが知っているぶっかけうどんとは色々と違うが、それでもレイの認識で言えばぶっかけうどんと呼ぶ他はない料理が屋台で振る舞われていた。


「どうする? 食うか?」

「グルゥ!」


 レイの言葉に、セトは当然! と喉を鳴らす。

 それを見た屋台の周囲の客達は、大人しく場所を空ける。

 客の殆どが冒険者で、セトを見れば一緒にいるのがレイだというのが分かったのだろう。


「いらっしゃい」

「俺の分とセトの分。セトの分は、五人前で頼む。ああ、俺は三人前で」

「あいよ」


 店主は普段からギルムで屋台をやっている男だ。

 普通に比べて多目の注文であっても、特に戸惑うようなことはなく受け入れる。

 セトの分も欲しいと言われれば、普通なら驚き……中には拒否する者も出てくるだろう。

 だが、ギルムの人間にとってセトに料理を食べて貰うというのは、その愛らしい姿により客寄せにもなり……何より、セトが美味しそうに食べていたということで、注文が殺到する。

 普通に屋台で売ってる料理に比べると、若干……いや、かなり割高なぶっかけうどんだが、それでも現在のギルムでは増築工事により金に余裕のある者は多い。

 そんな状況だけに、店主の男にとってセトが自分の料理を食べてくれるというのは、歓迎こそすれ断るようなことは一切なかった。

 材料の類は既に殆ど調理済みであり、後はうどんを茹でて冷やして皿に入れるだけ。

 もっとも、レイの三人前はともかく、セトは五人前とかなり多いので、茹でるうどんの量はかなり多かったが。

 そうして茹でたうどんを水で洗ってぬめりを取り、皿に盛りつけると各種具材を乗せていき……最後にマジックアイテムで凍る寸前まで冷えたソースを掛ける。

 このマジックアイテムで冷えたソースこそが、ここまで屋台が繁盛している理由だった。

 ……もっとも、マジックアイテムを使っているのが、普通よりも料理が高額になってしまう理由でもあったのだが。


「……美味いな」


 フォークでぶっかけうどんを食べるという、レイにとっては未だに慣れていない状況ではあったが、それでもぶっかけうどんは美味かった。

 簡易エアコンの能力があるドラゴンローブを着ているレイですら、こうして炎天下で食べるぶっかけうどんは美味く感じるのだから、そのような装備のない者達にとっては、それこそ幾らでも出してこのぶっかけうどんを食べたいと思ってもおかしくないだろう。

 ぶっかけうどんという料理そのものは、以前満腹亭でも食べたことがある。

 だが、このぶっかけうどんは満腹亭で食べたものと比べても、明らかに洗練されていた。

 また、満腹亭では当然マジックアイテムの類は存在していないので、これだけの冷たさはどうしても出せない。


「グルルルルゥ!」


 レイの隣では、セトが美味しい! と喉を鳴らしながらぶっかけうどんを食べる。

 そんなセトの様子を見て、値段の高さから躊躇っていた者の何人かが注文し……それを皮切りにして、次々と客が増えていく。

 ぶっかけうどんを食べつつ、そんな様子を見ていたレイは、改めて自分の皿に視線を向ける。


(ぶっかけうどんもいいけど、冷やし中華とかも食いたいな……けど、うどんはともかく、中華麺ってどうやって作るのかが分からないんだよな)


 夏と言えば、やはりレイにとってはぶっかけうどんよりも冷やし中華の方が一般的だった。

 日本ではうどんの方が中華麺よりも優勢な場所もあるが、少なくてもレイの住んでいた場所では冷やし中華の方が一般的だった。

 だが、うどんは小麦粉と塩と水があれば出来るし、幸いにしてレイも作ったことがあったので何とかなったのだが、中華麺は作ったことすらない。

 それに何とかなったと言っても、あくまでもレイはうどんに対する大まかな作り方を教えただけであり、実際に試作を繰り返してうどんを完成させたのは、満腹亭のディショットだ。

 うどんに比べると、中華麺は何かの料理漫画か何かでちょっと見たような記憶しか、レイにはなかった。


(卵……卵麺とか言ってたし、多分中華麺には卵をつかうんだよな? それ以外には……かん水? とかいうのを入れてたように思うけど、そのかん水ってのはそもそも何だ? 特殊な水? 特殊……どんな風に特殊?)


 悩めば悩む程、レイは中華麺の作り方に悩む。

 また、冷やし中華を作るにしても、タレの問題もあった。

 レイはゴマダレの冷やし中華が好きだったが、普通の酸味のあるタレも嫌いではない。

 だが、どうやって作るのかと言われれば、どちらも作り方が分かる訳ではなかった。

 酸味? と聞いてレイが思い出すのはやはり柑橘類や酢の類だろう。


(ああ、でもレモン醤油とか冷やし中華のタレに書いてるのを見たことがあったような……となると、酢じゃなくて柑橘類なのか)


 冷やし中華のことを考えていたレイがふとそう思うものの、酸味の正体が分かったからといって、まさか本当に醤油とレモンだけの筈があるまい。


(肉とか卵焼きとか野菜とか、そういうのは普通にこっちでも作れるんだけどな。勿論、色々と違うところはあるだろうけど)


 肉は茹でたササミやハムの類ではなく、オーク肉のようなモンスターの肉であったり、野菜もレイが知っているキュウリやトマトと違ってエルジィン産の野菜であったりと。


「グルルゥ?」


 レイが冷やし中華について考えていると、もう食べ終わったのだろう。

 セトがどうしたの? と小首を傾げて尋ねてくるのに、レイは自分も最後の最後の一口を食べながら何でもないと首を横に振る。


「ちょっとな。食いたい料理を思い出したんだけど、その作り方がちょっと分からないんだよ。こういう暑い時に食べたくなる料理なんだが」


 そんなレイの言葉に、周囲の客達は耳を澄ませる。

 レイが料理について深い知識を持っているというのは、以前からギルムにいる者であれば知っている者が多い。

 うどん、ピザ、肉まんと、レイが考えた――と思われている――料理は、ギルムの中では大流行したのだから。

 最初に考えられたうどんは、既に周辺地域どころかミレアーナ王国の中でもかなり広がっているし、冬に考えたピザや肉まんも、周辺に広がっている。

 つまり、レイが考える料理に外れはないと、そう理解しているのだ。

 ……実際、レイの料理の知識は日本にいた時に広まっていたものなのだから、味覚的に日本人とそれ程変わらない――腐肉や極端に辛い、苦い、酸味のあるものを好まないといったような意味で――この世界の住人にとって、外れの料理は存在しない。

 勿論、それはあくまでもレイが知っている料理が一般的に受け入れやすいものだからであり、例えばくさやのような強烈な悪臭のする食べ物をすぐに多くの者が受け入れられるかと言えば、答えは否だろう。


(ハタハタの寿司とかも、多分好まれないだろうな。……美味いのに)


 レイは毎年のように冬になれば漬けていたハタハタの寿司……いわゆる、飯寿司に分類される寿司を思い出す。

 レイにとっては、それこそ故郷の味と言ってもいい料理だ。

 当然のように毎年のように手伝わされているので、作り方は珍しく覚えていた。


(ハタハタの寿司か。……作りたいけど、米がないんだよな。ハタハタは何かの魚で代用するにしても)


 食べたい料理ではあったが、それを作る材料の殆どがない状態では、レイも残念ながら諦めざるを得なかった。

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