第1454話

 夜、マリーナの家で、レイはテーブルの上に乗っているサンドイッチに手を伸ばしながら、今日起きた出来事を話していた。

 それを聞くのは、マリーナ、ヴィヘラ、アーラ……そしてエレーナ。

 セトは少し離れた場所で、月明かりの下、イエロと走り回って遊んでいる。

 当初は領主の館に泊まる予定だったエレーナとアーラだったが、結局マリーナの提案に従ってこの家で寝泊まりをしていた。

 マリーナからの提案ということもあって、ダスカーも特に反論をしたりはしなかった。

 いや、寧ろ自分の下にいるよりは、マリーナの家に寝泊まりをした方がいいと、そう考えたのだろう。

 実際、エレーナがギルムに来たという情報を聞きつけた貴族派の貴族達が、面会を求めてその日のうちにダスカーの下に訪れていたのだから。

 ダスカーにとっても、そのような者達の相手をするのは面倒であり、何より増築の件で仕事は幾らでもあるのだ。

 そちらの仕事を片付ける方が、ダスカーにとっては重要だった。

 ……勿論、貴族派の貴族の中には、マリーナの家にエレーナが泊まっているというのを知り、やってきた者もいる。

 だが、マリーナの家は基本的に誰も人を雇ってはいない。

 家の維持に関しても、精霊魔法を使って行われている。

 結果として、門番もいないマリーナの家に、殆どの者は帰っていった。

 中には無断でマリーナの家に入ろうと考えた者もいたが、そのような者達は精霊によって散々な目に遭わされることになるのだった。

 殆どの者は手紙を置いていくだけに留めるのだが。

 ともあれ、そのような理由でエレーナとアーラはマリーナの家でゆっくりとすごしていた。

 幸いにも、レルダクトの一件以降はケレベル公爵から厳しく言い渡されたので、貴族派の問題も起きてはいない。

 今のところは、という但し書きが付くのだが。


「そう言えば今日、ギルドで妙な奴を見たな」


 今までしていた話……昨日の夜にオークが数匹、新しい壁を作っている場所にやってきて、それを倒した冒険者達が早速オークを解体し、肉を焼いて食べていたらその匂いに誘われるように多くのモンスターがやって来て肉を殆ど食べられなかったという話をしていたレイが、ふと話題を変える。


「妙な? まぁ、冒険者に限らず、これだけ多くの人が集まってきてるんだから、妙な人が一人や二人いてもおかしくないと思うけど?」

「ん」


 蒸したオーク肉を、こちらも蒸した野菜――レタスのような姿をしているが、色が赤と青の斑模様――で包み、果実から作った酸味の強いソースにつけて口に運んでいたビューネが、ヴィヘラの言葉に同意するように頷く。

 実際、そんなヴィヘラの指摘は決して間違っている訳ではない。

 これだけ多くの者達が集まっている以上、そこに変人と呼ばれるような者が一定数混ざっているのは、寧ろ当然のことだろう。


「うーん、そういうのとは違う意味で変な奴だな」

「それって、もしかしてギルドでの?」


 レイの言葉に、マリーナがギルドで起きたことを思い出したのだろう。そう呟く。


「ああ。変な……いや、妙な奴だっただろ?」

「言う程にそうとは思わないけど……まぁ、それでも普通とはちょっと違うようには思えたわね」


 意味ありげに呟くマリーナの言葉に、その場にいた他の者達も興味深そうな視線を向ける。

 その視線を向けられたレイとマリーナだったが、結局その時のことを口にしたのはレイだった。


「ギルドの中で武器を抜こうとしていた女がいたんだよ」

「……それだけ?」


 期待外れだと暗に告げるヴィヘラに対し、レイは首を横に振って言葉を続ける。


「俺も、それが普通の血の気の多い冒険者だとか、武器を自慢する為に見せる冒険者だったら、こんなことは言わないよ。けど、武器を抜こうとしていたのが、普通の女だったら?」

「いや、ギルドにいて武装してたんだから、普通の女じゃなくて冒険者でしょ?」

「マリーナはそう思うのか? 俺から見れば、とてもじゃないけどギルムでやっていけるだけの実力があるとは思わなかったけどな。……もし冒険者だとしても、恐らくどこかのパーティについてきた奴だと思うけど」

「けど、そのような者がギルドで武器を抜くのか?」


 レイとマリーナの会話を聞いていたエレーナが、疑問と共に呟く。

 初心者……ほぼ素人に近い者であれば、それこそギルムのギルドで武器を抜くというのが、どれ程危険なのかというのは、容易に想像出来る筈だった。


「そうなんだよな。けど……稚拙ながらも殺気を纏っていた以上、お遊びだとかそんなことはないだろうしな」

「殺気……ね。ギルムのギルドでそんな真似をするなんて、随分と度胸があるわね」


 ヴィヘラがしみじみと呟く。


「しかもその殺気を向けられている相手は、女の存在に気が付いていなかった。……まぁ、冒険者がこれだけ集まってきてる以上、仕方がないのかもしれないけど、きな臭いことにならないといいんだけどな」

「ま、これだけ人が集まってきている以上、問題も当然起きるわよ」


 レイを慰めるようにマリーナが言い、精霊魔法で冷やされた果実水をレイに渡す。


「悪いな」

「いいのよ。……それで、あの女の子、どうなると思う?」


 ダークエルフのマリーナにとっては、外見から成人しているように見えても、やはり子供扱いなのだろう。

 それでいながら、本人はより幼い外見のレイを愛しているのだが。


「どうなるって言われてもな。ギルドでの出来事は俺に関係ないと思うけど」

「ギルドは冒険者同士の争いには関わらないんだから、色々と厄介なことにならないといいんだけどね。マリーナは元ギルドマスターなんだし、どうにか出来ないの?」

「あのね、ヴィヘラ。ギルムだけのギルドの規則だけならともかく、全てのギルド共通の規則を私がどうにか出来る訳ないでしょ?」

「……ギルムだけの規則なら、どうにか出来るんですか」


 三人の話を聞いていたアーラが、驚いたような……それでいて納得したような視線をマリーナに向ける。

 長年ギルドマスターとして活動してきたマリーナだけに、まだそれだけの影響力があるのかといった疑問と、マリーナならそれも可能なのではないかという不思議な信頼感……そんな二つが混ざった感情。


「ふふっ、どうかしらね」


 そんなアーラに対し、マリーナは笑みを浮かべるだけで、それ以上の追求を止めさせる。 

 アーラも、これ以上口にすれば色々と不味いことになるというのは分かっているのだろう。それ以上この件で口を開くことはなかった。

 代わりに口を開いたのは、エレーナ。

 アーラを庇うという意味もあったのだが、同時に普通に気になっていたこともあった。


「レイ、そう言えば私がギルムに来てから十日程経つが、壁の方はどうなっているのだ?」

「一応、俺が掘るところはもう終わってるな。後は、他の魔法使い達がやってくれるのを待つだけだ」


 地形操作を使い、沈下させられる場所は全て沈下させた。

 そうなると、後は他の魔法使い達に任せるしかない。

 もっとも、最初の一mをレイが地形操作で沈下させたので、随分と助かってはいるというのが他の魔法使い達の思いだったが。


「なるほど。なら、レイは今何をしているのだ?」

「雑用が多いな。トレントの森の木を運搬するというのが大きい」

「……でしょうね。普通に伐採した木を運搬してくるのと、レイが運んでくるのでは、費用や使われる人の数に差がありすぎるもの」


 マリーナがしみじみと呟く。

 レイがレルダクト伯爵領に向かっている時は、マリーナが精霊魔法を使って樵達を手伝っていた。

 だが、マリーナが持つ桁外れ……もしくは常識外れと言ってもいい精霊魔法の技術を持ってしても、レイが伐採した木を運ぶ時とは比べものにならない程の時間が掛かる。

 ……当然だろう。レイは触れるだけで伐採した木をミスティリングに収納することが出来、更に移動するにはセトを使ってトレントの森からギルムまでは数分掛かるかどうかなのだから。

 幾らマリーナが精霊魔法の使い手でも、そんなレイに対抗しろという方が無理だった。

 勿論、普通に樵達が木を伐採し、それをギルムまで運んでくるのに比べれば、マリーナの精霊魔法の恩恵があれば圧倒的に楽なのは事実だ。

 この場合、比べる相手が悪すぎると言うしかない。

 もっとも、樵の大半は男である以上、レイとマリーナのどちらと仕事をしたいのかと言われれば、考えるまでもなく後者なのだろうが。

 寧ろ、運ぶのに時間が掛かるというのはマリーナと長時間接することが出来るということで、願ったり叶ったりと思っている者も多い。

 その筆頭が、以前レイに向かって喧嘩を売ってきたダンザという樵だろう。

 もっとも、レイがどれだけの実力の持ち主なのかというのをその身で経験したダンザは、今では真面目に樵の仕事に集中しており、他の者達に高圧的に出るようなことも少なくなっていたのだが。


「トレントの森……そう言えば、色々と噂になっていたな」


 トレントの森という言葉に反応したのは、エレーナだ。

 辺境についての話であっても、毎日のように広がっていくトレントの森というのは、噂になるには十分な力を持っていたのだろう。

 ましてや、最終的にそのトレントの森からはギガント・タートルという巨大なモンスターが姿を現したのだから、それで噂にならない筈がない。

 そしてギルムについての情報を少しでも集めていれば、その話が耳に入らない筈もなかった。


「そうですね。レイ殿を始めとして、冒険者達で巨大なモンスターを倒したという話を聞いています」


 アーラがエレーナの言葉を継ぐかのように、そう告げる。


「ああ、ギガント・タートルだな」

「あ、それで思い出したけど」


 夏野菜とチーズのサラダを食べていたヴィヘラが、ギガント・タートルという単語を聞いて、口を挟む。


「実は今日、仕事が終わった後でちょっと危ないところを見たのよね」

「危ないところ?」

「ええ。ギルムに来たばかりだと思われる女の冒険者が、ふらふらとスラム街に続く道を歩いてたの。で、スラム街に到着するよりも前に冒険者崩れに絡まれてたんだけど」

「あー……そういう問題か」


 仕事を求めてギルムに来たのだが、その仕事が予想以上に厳しかったり、一緒に仕事をする者や上司、部下といった連中と上手くいかなかったり……

 それ以外にも様々な理由から、仕事をせず、もしくは出来ずに、脱落していく者のことはレイも知っていた。

 そのような者達は当然宿に泊まる料金を稼ぐことは出来ない。

 中にはギルムの住人を脅して金を奪おうと考えるような者もいたが、警備兵だけではなくヴィヘラのような冒険者達までもがその辺りを見回っているのだ。

 また、スラムの住人にとっても、現在のような状況でいらない騒ぎを起こされれば、後々自分達が大きな迷惑を被るということを理解していた。

 ましてや裏社会の人間にいたっては、腐っても冒険者。ある程度の力を持つような者達が集まり、新たな勢力となることは絶対に認めたくないことだった。

 そのような理由から、街の住人を脅すような者達は様々な勢力から攻撃を受け、排斥されていった。

 唯一の救いなのは、攻撃といっても殺すといったものではなかったことか。

 ともあれ、そのような者達がいるというのは間違いない以上、どうにかしなければならない。

 ……実は、ダスカーが最近悩まされているのはそれも関係していた。


「ねぇ、レイ。そう言えばギガント・タートルの解体は? 冒険者の仕事がなくなってきてから、ギルドの方でやる人を募集するって言ってたでしょ?」


 言うまでもなく、現在ギガント・タートルはレイの持つミスティリングの中に収納されている。

 だが、ヴィヘラの言葉にレイは首を横に振る。


「いや、まだ早いだろ。というか、仕事を探すって意味なら、今までやっていた仕事じゃなくて、他にも幾らでも仕事はある。そっちに手を出さないような奴等だ。もしギガント・タートルの解体が依頼に出てても、多分こっちに来ないぞ?」


 実際、現在のギルムは仕事なら幾らでもある。

 増築工事以外にも、素材の採取や商人や旅人達の護衛といったように。

 最悪、ギルムの中で出来る雑用の仕事も多い。

 モンスターを倒して素材や魔石、討伐証明部位を売るといったことも出来るが、こちらはギルムが辺境であり、思いも寄らない高ランクモンスターが普通に街の外にいることも多いので、一定以上の実力がない者には難しいだろう。


「うーん、そう言われるとそうかもしれないわね。けど、じゃあああいう人達をどうするかってなると……どうするの?」

「どうしようもないってのが、正直なところだろうな」


 仕事をするつもりがあるのであれば、それこそ今のギルムには幾らでも仕事がある。

 特需と言ってもいい程に、だ。

 だが、そもそも仕事をするつもりがないのであれば、こちらもどうしようもない。

 そう告げるレイに、他の面々は残念そうにしながらも、結局その言葉には頷くしかないのだった。

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