第1449話

「これは……なるほどな」


 ダスカーからの勧めにより、増築工事をしている場所にやってきたエレーナは、かつて壁だった場所から外に出ると納得の表情を浮かべる。

 何故ダスカーがここを見に行ってみるといいと勧めたのか、その理由が明らかになったからだ。

 工事が行われている場所には、現在大勢の者達の姿がある。

 それこそ、見回す限りでは数百人近いだけの人数……下手をすれば千人を超えているだろう人数が作業をしている光景が見えた。

 だが……その中で、明らかに目立っている者の姿があった。

 そして、エレーナにとってその人物は、誰よりも大事な相手だけに、ここにやってきて最初に視線が引き寄せられたのは、ある意味当然だったのだろう。


「あれは……レイ殿?」


 エレーナの側で、アーラもまたレイの姿を見て驚きの声を上げる。

 いや、レイを見ただけで驚きの声を上げた訳ではない。

 レイの姿を見ただけであれば、今まで何度も会ってきているのだから。

 だが……レイの象徴の一つ、デスサイズの石突きを地面に突き刺した瞬間、大地が蠢く光景を見れば、驚きの声の一つでも上げたくなって当然だろう。

 アーラが知っているレイは、勿論凄腕の……いや、凄腕という言葉で片付けるのは無理な程の技量を持つ魔法使いだった。

 だが、それでもアーラが知っているレイが使う魔法というのは、炎の魔法というイメージしかない。

 勿論風の魔法――飛斬――を始めとして色々な魔法を使っている光景を見たことはあったが、それでもやはり炎の魔法の派手さには及ばなかった。

 しかし、今のレイが使った魔法は、土魔法であっても非常に派手だった。

 大地そのものが蠢く……そんな魔法を使えるというのは、アーラも知らなかった。

 もっとも、別にレイはアーラに対して全ての手札を晒している訳でもないのだから、それはおかしな話でもないのだが。


「エレーナ? エレーナよね?」


 レイが地面を沈下させている光景を見ていたエレーナだったが、聞き覚えのある声が聞こえ、そちらに視線を向ける。

 そこにいたのは、増築工事の現場にいるというのに、他の者達とは違って胸元と背中が大きく露出したパーティドレスを着ているマリーナの姿だ。

 ……もっとも、増築工事をしている者は本職の職員、日雇いの一般人、冒険者……と、様々な者達が集まっており、全員が統一した服装をしている訳ではないのだが。


「うむ。久しぶり……という程ではないか? 何度も対のオーブで話しているしな」


 笑みを浮かべ、近づいてくるマリーナにそう告げるエレーナ。

 だが、マリーナの方は、何故ここにエレーナがいるのかといった様子で驚愕の表情を浮かべていた。


「来るなら来るって言えばいいのに。……でも、エレーナがここにいるということは、ここ何日か対のオーブに映っていたのは……」

「馬車の中だな」


 普通であれば、対のオーブに馬車の内部が映し出されていれば、それに気が付くだろう。

 だが、エレーナの馬車は空間魔法により内部はその辺の宿屋よりしっかりとした部屋になっており、それこそ貴族が……公爵家の者が使ってもおかしくない部屋となっている。

 それだけに、対のオーブに多少部屋が映っても特に違和感はなかったのだろう。


「ふふっ」


 驚いているマリーナを見て、してやったりといった笑みを浮かべるエレーナ。

 そんなエレーナの横で、アーラは申し訳なさそうな顔で下を向いていた。


「……まぁ、いいわ。それよりレイに顔を見せてあげなさい。きっと喜ぶから」

「うむ。そうさせて貰おう……うん?」


 マリーナの言葉に頷いたエレーナだったが、ふとレイの方に視線を向けて小首を傾げる。

 その際に黄金の髪が夏の日差しを反射し、周囲でエレーナやマリーナに見惚れていた者達は眩しそうに目を瞑っていたのだが、それをやった本人は全く気にした様子がない。

 レイの側にいる、興奮した老人の姿に目を奪われていた為だ。


「マリーナ、あの者は一体?」

「え? ……ああ」


 エレーナの視線を追ったマリーナだったが、興奮してレイに話し掛けているマルツの姿を見て、すぐに納得する。


「ああ、マルツね。一応土魔法の権威……とまではいかないけど、土魔法の使い手としてこの辺りでも有名な魔法使いよ。見ての通り好奇心旺盛でね」

「……珍しいですね」


 マリーナの言葉にそう呟いたのは、エレーナではなくアーラだった。

 基本的に、レイは人付き合いが下手だ。

 それだけに、どうしても敵対する相手というのは多くなり、味方と呼ぶべき相手はそれ程いない。

 勿論アーラ達を始めとして、皆無という訳ではないのだが。

 それでも、レイと初対面に近い状況で仲良くなるといった者はかなり希だ。


「レイの使う魔法を見て、一目で気に入ったらしいわね」


 正確にはレイが使っている地形操作は、魔法ではなくデスサイズのスキルだ。

 だが、それを知っているのは、この場ではエレーナとマリーナの二人だけであり、エレーナの親友にして側近のアーラですら知らない秘密だ。

 それだけに、マリーナはレイが使っているのは魔法だと誤魔化す。

 そんなマリーナに一瞬だけ視線を戻したエレーナだったが、マリーナの態度に特に異論はないのか、改めてマルツの方に……いや、正確にはそのマルツに話し掛けられているレイの方に視線を向ける。

 エレーナがじっとレイを見つめること、十秒程。

 不意に、マルツと話していたレイが視線を上げ……エレーナと視線が交わる。

 最初は夢でも見ているのかといった様子でエレーナと見つめ合っていたレイだったが、そのまま数秒が経ち、やがてドラゴンローブのフードの下で、目を大きく見開く。

 そこにいるのが本物のエレーナだと、そう理解したのだろう。

 マルツが話し掛けているのにも気が付かないまま、レイは一歩、二歩と歩き出す。

 そのまま数歩程歩き続け、やがてその歩きが早歩きになり、走るという行為になるまで時間は掛からなかった。

 瞬く間に近づいてくるレイの姿を見たアーラは、数歩後ろに下がる。

 エレーナとレイの再会を邪魔したくないと、そう判断した為だ。


「エレーナ!」


 レイはそう言いながら、エレーナの前で止まり、そのままエレーナの身体を引き寄せ、抱きしめる。

 エレーナもまた、そんなレイの身体を抱きしめ返す。

 公爵令嬢として……そして姫将軍の異名を持つ貴族派の重要人物としては、明らかに間違っていると分かっている行為。

 だが、レイを愛する女としては、これ以上の正解はないだろう行為。


「レイ……」


 久しぶりに会うレイの姿に、エレーナもそれだけしか言葉を口に出来ず、そこに本当にレイがいるのだと確認するかのように抱きしめた。

 まさに、光り輝く絶世の美女と呼ぶのが相応しいエレーナが男と抱き合っているのだから、当然その姿は目立つ。

 ましてや、姫将軍の異名はかなり有名だ。

 当然その姿を戦場や、それ以外の場所で見たこともある者も多い。

 特に現在ギルムには、普段よりも多くの者達が集まってきているのだから。


「お、おい。なぁ。……俺の見間違いじゃなければ、あのレイと抱き合っているのって、姫将軍に見えるんだけど」

「……だよな。この暑さで幻覚でも見えてるんじゃないかと思ったんだけど、どうやら俺の気のせいって訳じゃないみたいだ」

「レイと姫将軍? どんな関係だよ?」

「いや、どんな関係って、それはああしてるのを見れば分かるだろ?」

「それは……そうだけど……」

「素敵ね」

「素敵なのかもしれないけど、これって私達が見てもいいものなの? もしかしたら、色々と不味いんじゃない?」


 不味い。

 そう言った女の周囲にいた者達は、皆がその不味いという言葉に頷く。

 姫将軍と言えば、貴族派の象徴と言ってもいい。

 そんな姫将軍が一介の冒険者と……ましてや、中立派のダスカーの懐刀と噂されているレイと抱き合っているのだ。

 とてもではないが、公に出来ることではない。

 だが……公に出来ることではないが、公の場で抱き合っているのは間違いのない事実だ。

 この件がそのうち噂として広がるのは、確実だろう。

 面白半分で噂を広げる者、レイに対して悪意を抱き、ねじ曲げて噂を広げる者、情報を集める為にこの場におり、それを雇い主に報告する者……理由やそれを行う者は様々だろうが、噂が広まるのはまちがいなかった。

 特にレイはその性格や……何よりマリーナやヴィヘラといった、タイプこそ違えどエレーナと同等の絶世の美女を独り占めしているという点で、嫉みを覚えている者は決して少なくない。

 そんな周囲の空気を読んだ訳でもないだろうが、やがてしっかりと抱きしめ合い、二人だけの世界を作っているレイとエレーナに、マリーナが近づいていく。

 マリーナとしては、出来れば少し放っておいてやりたかったのだが、このままでは盛り上がって、抱きしめ合うだけではなくキスすらしかねない。

 ただでさえ抱きしめ合って注目を浴びているのだから、これ以上は止めた方がいいだろうと、そう判断したのだ。


(まぁ、二人の時間をすごすのなら、それこそ私の家でもいいしね)


 そう考え、二人の世界に浸っているレイとエレーナの注意を引く為に軽く手を叩く。

 その音で我に返ったのだろう。やがてエレーナは自分がどのような状況なのかを理解すると、頬を赤くしながらレイから離れる。


「そ、その……これは、ちょっと気分が高まってしまったからであって、その……」

「はいはい、分かってるからその辺にしておきなさい。二人の時間は、後できちんと作ってあげるから。……とにかく、今は仕事中なのだから、少し待って頂戴」


 空に視線を向けるマリーナは、太陽の位置を確認する。

 まだ午前の仕事中ではあるが、昼食の休憩まではそう遠くない。

 仕事を一段落させ、昼にゆっくりと話をすればいいと、そう告げる。

 レイも別に仕事を途中で止めるつもりはなかったので、エレーナとの時間が取れないのを残念に思いながらも、マリーナの言葉に頷く。

 ……尚、そんなマリーナの言葉に一番喜んでいたのは、作業を強制的に止められてしまった職人達……ではなく、レイの持つ魔法やデスサイズに強い興味を抱いているマルツだった。


「レイ殿、次をお願いします!」


 遠くから叫ばれたマルツの言葉に、レイは仕方がないなといったような小さな笑みを浮かべてその場を立ち去ろうとし……ふと、気になることがあり、一旦足を止める。


「なぁ、エレーナ。イエロはどうしたんだ?」


 そう、レイの気になったのは、エレーナの使い魔のイエロだ。

 いつもエレーナと一緒にいる筈のイエロの姿がどこにもないことに疑問を抱いて尋ねたレイだったが、エレーナはそんなレイに向かって空を見上げて笑みを浮かべる。


「ダスカー殿の屋敷に向かっている途中で、空に向かって飛んでいったよ」

「あー……なるほど」


 それだけで、レイは何となくイエロがどこにいるのかが分かった。

 現在ギルムの上空には、セトが飛んでいる。

 壁を壊した影響で、結界が殆ど効果がなくなっている為、空を飛ぶモンスターを警戒しているのだ。

 そんなセトの姿をイエロが見つけたのか、それともセトの魔力を感じたのか……その理由はともあれ、イエロはセトが上空にいるというのを察してそちらに向かったのだろう。


「イエロはそのうち戻ってくるだろうから、気にする必要はない」


 そう告げるエレーナの言葉に、レイはそうか? と首を傾げる。


「久しぶりにセトと会ったんだから、寧ろいつまででも二匹で遊んでいそうな気がするけど……」

「それは……」


 言われてみれば、と。レイの言葉にエレーナは言葉に詰まり、イエロとセトの仲の良さを知っているアーラやマリーナも、それに同意する。


「あー……まぁ、それでもセトは一応年上なんだし、イエロをしっかりと連れてきてくれることを期待しよう。それに、腹が減れば戻ってくるだろうし」


 出来ればそうなって欲しいと、そう呟くレイの言葉に、周囲にいた者達も同意する。


「とにかく、もうちょっとで昼だからそれまで待っててくれ。俺も今は色々とやることがあってな」

「うむ。私はここでレイが働くところを見せて貰うとしよう。幸い……という言い方はどうかと思うが、今日はやるべきことがないしな」


 実際にはエレーナがギルムにやって来たと知れば、それこそ面会を求めてくる者は幾らでもいるだろう。

 だが、エレーナにとってはそのような者達と接するよりも、レイが仕事をしているのを見ている方が何倍も、何十倍も、何百倍も……あるいは比べられない程に重要だった。

 勿論何か重要な用件があるというのであれば、エレーナもそちらを優先するつもりではあったが。


(地形操作、か。このような工事にも使えるし、素早く砦の類を作るのにも有効であろうな)


 ……レイを見ながら考えることは、必ずしも愛する人を想うことだけではなかったが。

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