第1448話
「ふふっ、レイが驚く顔が目に浮かぶな」
そう告げたのは、真夏の日差しそのものが髪に変わったかのような黄金の髪をした女。
縦ロールになっているその髪を掻き上げ、笑みを浮かべながらその女……エレーナは部屋の窓から見える外の光景に目を向ける。
そんなエレーナの様子に、近くに控えていた女は困ったように口を開く。
「エレーナ様、何故レイ殿に連絡を入れなかったのですか? そうすれば、こうしてギルムに到着したらすぐにレイ殿と会えたと思うのですが」
「ふむ、アーラも男女間の機微には疎いと見える」
きっぱりとそう告げられた女……アーラは、背負っているバトルアックスに手を触れ、少しだけ拗ねたような表情を浮かべる。
実際、アーラが男女間の機微に疎いというのは、自分でも理解してたからだ。
元々はエレーナもそちらには疎かったのだが、今のエレーナにはレイという相手がいる。
そういう意味では、アーラもそろそろ決まった相手がいてもおかしくはない……いや、十代半ばで結婚する者も多いこのエルジィンでは、嫁ぎ遅れと言われてもおかしくはない年齢だった。
特にアーラはエレーナの側近という立場ではあるが、同時にスカーレイ伯爵家の三女でもある。
にも関わらず、結婚をしていないどころか婚約者の存在すらない。
……もっとも、それはあくまでもアーラの人気がないという訳でない。
寧ろ人気という一点で見れば、アーラは間違いなく多くの貴族に求婚されてもおかしくはなかった。
スカーレイ伯爵家は、貴族派の中でもそれなりに高い影響力を持っている。
それこそ、つい最近レイに攻められたレルダクト伯爵家とは、同じ爵位であっても持っている影響力は比べものにならない。
にも関わらず、未だにアーラに婚約者や恋人の類がいないのは、アーラがエレーナと共にいることを望んでいるからだろう。
エレーナに対して心酔しているアーラにとって、自分の恋愛や……ましてや結婚というのは、多少興味がないでもないが、結局はその程度の興味でしかない。
これでアーラがスカーレイ伯爵家唯一の子供であったり、もしくは長女であったりすれば、多少話は変わったのかもしれないが。
幸いなことに、アーラは三女だ。
スカーレイ伯爵家の家督を継ぐということは、兄がいるので考えなくてもいいし、政略結婚の類も現在のスカーレイ伯爵家では心配しなくてもいい。
寧ろ、エレーナの側にアーラを置いておく方が、余程スカーレイ伯爵家の利益になる……そんな理由から、父親と娘の利害が一致し、現在の状況になっていた。
もっとも、アーラはエレーナ護衛騎士団の団長という重職を担っているということもあり、そう簡単に嫁に行く訳にもいかないのだが。
ともあれ、本人が色恋に興味がないというのが最大の理由とはいえ、それ以外にも様々な理由からアーラが男女間の機微に疎いというのは間違いのない事実だった。
「そういうエレーナ様も、何だかんだとレイ殿との仲は具体的に進展してないらしいですが?」
せめてもの反撃といった様子で、アーラはエレーナにそう言葉を返す。
その反撃は、エレーナにとっては致命的……とまではいかないが、大きなダメージであるのは間違いなかった。
実際、レイとは毎日のようにとはいかないものの、それなりに対のオーブで話をしている。
だが、結局対のオーブで出来るのは、話をするだけであり……愛しい相手と触れあうといったことは出来ないのだ。
特にレイの周囲には、現在エレーナが知ってるだけでもマリーナやヴィヘラといった女の姿がある。
三人でレイに嫁ぐ……という話はしているのだが、それでも自分だけが離れた場所にいるというのは、どうしても思うところがない訳がなかった。
「……だから、こうしてギルムまでやって来たのではないか」
そう告げ、テーブルの上にある紅茶に手を伸ばし、一口、二口と楽しみ……やがてエレーナは視線を部屋の扉に向ける。
それが何を意味しているのか十分以上に理解しているアーラは、自分の中にあるスイッチを切り替え、エレーナの幼馴染みとしてのアーラから、エレーナ護衛騎士団団長としてのアーラになる。
そうして十数秒後……扉がノックされ、中に入るようにエレーナが促すと、ダスカーが姿を現す。
普通であれば、ダスカーがやってくるということをここまで早く察知するというのは不可能だろう。
だが、エンシェントドラゴンの魔石を継承し、人間以上の存在に階位を上げたエレーナにとって、そのくらいは難しい話ではない。
「エレーナ殿、待たせてしまってすまん。出来ればもう少し早く来たかったのだが……色々と急な仕事が多くてな」
書類仕事の類は決して得意なようには見えない、それこそ戦士や騎士と評するのが相応しいダスカーだったが、これでもギルムの領主として……そして中立派の中心人物としてはそれなりにこなしてきている人物だ。
寧ろ、見かけとは裏腹にその類の仕事も決して苦手な訳ではないというのはエレーナも知っていた。
そのダスカーにして、ギルムの増築が本格的に始まった現在は全ての仕事をこなすのが厳しくなってきていた。
エレーナも、それを理解しているからこそ、特に気にしていないと首を横に振る。
「ダスカー殿が忙しいのは、私も分かっている。寧ろ、この時期にこうしてやってきたのが悪いと思っているくらいだからな」
「……いや、こちらとしては大歓迎だよ。エレーナ殿がギルムにいるとなれば、馬鹿な真似をしてケレベル公爵家の顔を潰すような真似をする者もいなくなるだろうし」
レルダクト伯爵家との一件が、今回のエレーナの派遣に繋がった。
もっとも、正確には貴族派からレルダクト伯爵家の件の謝罪も含めて、他の貴族派が余計な手出しをしないようにと誰かを派遣するという話になった時、エレーナが自分から立候補したのだが。
それこそ、他にも何人かギルムに行ってみたいと考えている者はそれなりにいたのだが、その全員がエレーナの様子を見てすぐに自分の要望を収める形になった程の勢いで。
勿論エレーナがそのような強引な方法でギルムに行くことに立候補したのは、最近良い関係を築きつつあった貴族派と中立派の関係悪化を防ぐ為……というのもあるが、より大きな理由はやはりレイにあるだろう。
レイとエレーナの関係は、既に貴族派でも公然の秘密に近いものがある。
そのことに苦い思いを抱いている者は多いが、そもそもエレーナは今まで何人、何十人、何百人……下手をすれば千人以上の求婚者を袖にしてきた女だ。
今更自分や……もしくは兄弟息子といった者達をエレーナと近づけようとしても、それが叶うことはないだろうという思いが、貴族達の中にはあった。
勿論、だからといってエレーナとレイの関係を認めるような者ばかりでもないのだが。
いや、寧ろ貴族派の中でそちらを認めている者の方が少数だろう。
「そう言って貰えると、こちらとしても助かる。……これは、父上からの手紙です」
そう言い、エレーナはダスカーにケレベル公爵家の封蝋が押された手紙を渡す。
それを受け取ったダスカーは、封筒を開け、手紙に目を通していく。
そのまま数分。やがて手紙を読み終わったダスカーは、珍しく驚きの表情を隠しきれないままエレーナに向けて口を開く。
「その、手紙は読んだが……本当にいいのか? いや、勿論ギルムの領主としては喜ぶべきことなのだが……」
「無論。私も自分でそれを望んでやって来たのだから、何も文句はありません」
ダスカーの言葉に、エレーナは全く問題はないと頷きを返す。
「そもそも、今回のような問題が起きた理由は、ギルムにいる貴族派の貴族達がきちんと仕事をしていなかったから。であれば、それをどうにかする為には、私がその役目を負うのはおかしな話ではないと思いますが?」
「……今も言ったように、こっちとしては何も文句はない。姫将軍の監視下で妙な真似をするような相手がいるのなら、寧ろそいつは褒めてやってもいいくらいだしな」
現在、ギルムには貴族派の貴族の手の者がそれなりに多くいる。
もっとも、その殆どは当主の親族であったり、部下であったりする。
そうである以上、情報収集に関しては問題がなくても、実際に暴走した者の行動を防ぐ……というのは、色々と難しい。
そう考えれば、姫将軍の異名を持つエレーナがいるのは、抑止力としてこれ以上ないだけの力だ。
「では、そういうことで」
「……分かった。よろしく頼む。それで、泊まる場所はどうする? 出来れば夕暮れの小麦亭に部屋を取ってやりたいが、今の状況ではそれも難しい。よければ、ここに泊まってくれるか? 幸い、部屋は幾らでも余ってるからな」
夕暮れの小麦亭の部屋を取るのは無理だと最初に告げる辺り、ダスカーにもエレーナがギルムにやって来た最大の目的をしっかりと理解しているのだろう。
「ふむ……そうだな。貴族派の貴族の屋敷に泊めて貰うよりは、そちらの方が中立派に協力しているといった感じで分かりやすいか。……アーラ、どう思う?」
「問題はないと思いますよ。ただ、エレーナ様がここに泊まっていることが周囲に知られれば、ダスカー様に色々と迷惑が掛かるかと」
そう告げるアーラが何を心配しているのかは、ダスカーにも理解出来た。
だが、ダスカーはそんなアーラに問題はないと首を横に振る。
「今の状況でも商人とかそういう連中が多く集まってきてるんだ。そこに貴族が集まってきても、特に変わりはないだろ。いや、寧ろ商人を相手にするより、貴族を相手にする方が楽かもしれないな」
冗談めかして告げるダスカーだったが、その言葉は半ば本気だった。
そもそも、既に絶対に必要な商人には話を通しており、現在やってきている商人達はダスカーを含むギルム上層部に弾かれた者達だ。
そうである以上、絶対に必要という訳ではないのだが……それでもダスカーが商人達と会っているのは、まだダスカー達が知らない、それでいて有能な商人を見つけられるかもしれないという思いや、何か思いも寄らなかった提案をされるかも……という期待からだ。
そのような相手をするよりも、貴族を相手にした方がまだやりやすい。
正直に、ダスカーはそう思ってしまう。
「それで、エレーナ殿。早速だが……残念ながら、今日はエレーナ殿に頼むような用事はない。そこで、どうだろう。折角今のギルムにやって来たのだから、街の様子を見て回っては。特に……そうだな、現在壁をつくろうとしている場所は見応えがある」
「……壁を作る場所?」
何故そこが勧められるのかが分からず、エレーナは首を傾げる。
そんなエレーナの隣では、アーラもまた不思議そうに首を傾げていた。
「その、何故壁に?」
アーラの不思議そうな言葉に、しかしダスカーは口元に笑みを浮かべるだけで答える様子はない。
「ふむ、どうやら行けば分かると……アーラ、行くぞ。ダスカー殿、何を企んでいるのかは分からんが、楽しませて貰おう」
「ああ、じっくりと楽しんでくれ」
そう言葉を交わすと、エレーナは座っていたソファから立ち上がる。
基本的に貴族というよりも騎士や戦士といたように戦場に立つ者と自分を認識している為か、エレーナとダスカーの相性はいい。
(このような男ばかりであれば、私も色々とやりやすいのだがな)
自分に言い寄ってくる相手、擦り寄ってくる相手、それらの顔を思い出しながら、エレーナは小さく溜息を吐く。
それでも今はギルムにいるのだから、と。気分を切り替えるとダスカーに挨拶をして、アーラと共に部屋を出る。
「馬車で移動しますか?」
「いや、うちの馬車は色々と目立つからな。それに久しぶりのギルムだから、歩いてみたい」
エレーナが使っている馬車は、中身はともかく、一見すれば普通の馬車とそう変わらない代物だ。
だが、多少なりとも見る目がある者が見れば、すぐに普通の馬車ではないことが理解出来るだろうし、何より馬車を引く馬は特別に育てられた馬だ。
そして領主の館の前にいるのは、商人達。
そうなれば、間違いなく面倒なことになるのは間違いなかった。
アーラもエレーナの言葉でそれを理解したのか、特に異論は口にせずメイドに頼んで表からではなく裏口から出ていく。
馬車で移動するのでなければ、人目につかないように裏口から出るのも難しい話ではない。
もっとも、太陽そのものが形を変えたような黄金の髪、絶世のという言葉が相応しい……もしくはそれでも足りない程の美貌、女として非常に魅惑的な曲線を描く身体と、普通に歩いているだけでエレーナは非常に目立っていたのだが。
それでも、マリーナやヴィヘラ、それ以外にも多くの美人がいる影響か、向けられる視線の少なさに笑みを浮かべながら、エレーナは新しい壁を作っている方に向かって進むのだった。
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