第1450話

 エレーナとアーラが増築工事を行っている現場にやって来てから、一時間程。

 昼休みになり、早速話そう……と思ったのだが、当然のようにエレーナは周囲の者達の注目を集めた。

 貴族派の象徴とも呼べる人物であると知られているのだから、それも当然だろう。

 そして、レイとエレーナが抱き合っている光景すらも目にしているのだから、気にするなという方が無理だった。

 それでも直接誰もエレーナに話し掛けるような真似をしなかったのは、皆がそれぞれに牽制し、誰かが自分より前に話し掛けるのを待っていたというのもあるし、何よりエレーナという人物の持つ、威とでも呼ぶべきものを感じていたのが大きい。

 勿論ギルムにいる冒険者の中には、同じような威を発する者もいる。

 異名持ちや高ランク冒険者であれば、多かれ少なかれそのような空気、もしくは雰囲気は持っているのだから。

 特にギルムを治めているダスカーは、その典型だろう。

 ともあれ、そのような理由から誰もが話し掛けるのを躊躇ってる間に、レイとマリーナがエレーナと共にその場を後にした。


「……私も、ちょっと話してみたかったんだけどな」


 多少なりともレイと親しいフィールマが、少しだけ残念そうに呟く声を何人かが聞くことになる。

 そして工事現場を後にしたレイ達は、少し離れた場所にある食堂の個室で昼食を食べていた。

 食堂ではあっても、それこそ安くて早いといったことを売りにしている食堂ではなく、ゆっくりと時間を掛けて食事をするような、一種の高級店。

 普段であれば、レイもマリーナも食事はその辺で適当に買って済ませる。

 それは、屋台の類で売っている料理でも十分に美味いからというのもあるが、気楽に食べるという行為を好んでいるからでもあった。

 そんなレイやマリーナが、今日に限ってこのような高級店で食事をしているのは、当然ながらエレーナとアーラの二人が理由だ。

 ……尚、セトとイエロは結局この場に姿を現すことはなかった。

 もっとも、一食くらいであればセトもイエロも抜いても死ぬようなことはないだろうが。

 それに、空腹になればセトならその辺のモンスターや動物を狩って腹を満たすことが出来るのだから、レイは……そしてセトとイエロの仲の良さを知っているエレーナも、心配はしていなかった。


「じゃあ……久しぶりの再会に、乾杯!」

『乾杯!』


 レイの言葉に、エレーナ、マリーナ、アーラの三人がそれぞれ持っていたコップを軽くぶつける。

 もっとも乾杯はしているものの、レイのコップに入っているのは冷えた果実水で、他の三人も冷たい水で薄めたワインなのだが。

 レイがアルコールを好まないのはともかく、それ以外の面子は午後からのことを考えれば、ここで夕食の時のようにアルコールを飲む訳にもいかなかった。


「まぁ、正式な歓迎会は夜でしょうね。……ヴィヘラもきっとエレーナの顔を見れば喜ぶと思うし」

「喜ぶのは間違いないだろうが……それは、好敵手が現れたからではないか?」


 ヴィヘラの戦闘を好む嗜好を知っているエレーナの言葉に、それを聞いていた全員が思わず納得してしまう。

 マリーナも戦闘という意味ではかなりの実力を持っているのだが、基本的には弓と精霊魔法を使っての遠距離攻撃を主としている。

 その点、連接剣ミラージュを武器とするエレーナは、近接戦闘を得意としているヴィヘラとは相性がいい。

 ……戦闘的な相性という意味で最も良好なのはアーラなのだが、残念ながらアーラの場合は純粋に実力がヴィヘラに遠く及ばない。


「そうでしょうね。一応レイとも朝の訓練で戦ったりはしてるみたいだけど……」


 早速オーク肉のシチューを味わっているレイに視線を向けてマリーナが呟くが、言われた方は大きな肉の塊……それでも肉の繊維があっさりと切れる感触に舌鼓を打っていた。

 その口の中の肉を飲み込み、レイは口を開く。


「俺がやってるのは、あくまでも訓練だからな。ヴィヘラも本気でって訳にはいかないから、何だかんだで運動不足だったり、不満だったりはしてると思うぞ」

「ふむ、そうなるとやはり私がヴィヘラと戦うことになりそうだな」


 エレーナの口調には、特に面倒そうだという思いはない。

 いや、寧ろ軽い喜びすらあった。

 元々エレーナの強さに敵う相手は殆どいなかったというのに、エンシェントドラゴンの魔石を継承したことにより、更に一段……あるいは二段、強さの階段を上がってしまったエレーナには、模擬戦の相手がそう見つからなかった。

 勿論、全くいないという訳ではない。

 だが、それでも以前より少なくなったのは間違いない。

 アーラも基礎的な訓練ならともかく、模擬戦となるとどうしても物足りなくなってしまっている。

 基本的にその剛力を活かした戦闘を得意とするアーラと、速度と技量を重視する戦い方をするエレーナでは、その相性が良すぎた。……いや、この場合は悪すぎたと表現するべきか。

 ともあれ、そのようなエレーナにとって、ヴィヘラとの模擬戦は寧ろ望むところといってもよかった。

 暫くはこの場にいないヴィヘラについての話をしていたレイ達だったが、やがて話題は別のことに移っていく。


「エレーナがギルムにやって来たのは、やっぱりレルダクトの一件が原因なのか?」

「それもある。……だが、それ以上に……」


 レイの言葉を聞きながら、頬を薄らと赤くして不満を表すエレーナ。

 そんなエレーナの態度を見れば、レイも自分の言葉が失敗したことに気づかざるを得なかった。


「あー……そう言えば、イエロはどこにいったんだろうな」

「セトと一緒に遊んでるって言ったのは、レイでしょ」


 誤魔化すように呟くレイに、マリーナが呆れが多分に混ざった様子で告げる。


「レイ殿、少し見ない間に成長した……と思ったのですが……」


 アーラも、レイとエレーナのやり取りに呆れながらそう呟く。


「……悪かったな」


 結局レイに出来るのは、そうやって素直に謝るだけだった。


「気にするな。その、レイに会いに来たというのは間違いないし、レルダクトの件も関係しているが、それ以外に用事がないという訳ではないからな。貴族派と中立派の間にある不信を少しでも減らす為に」

「……なるほど」


 エレーナの言葉に頷きつつも、レイはそれはちょっと難しいのでは? という思いもあった。

 いや、寧ろその思いの方が強いと言ってもいいだろう。

 貴族派というのは、非常に高いプライドを持っている者達だ。

 レイから見れば、プライドと傲慢を勘違いしている者も多かったが。

 ともあれ、そのような貴族にとって中立派との間で友好的な関係を築くのは面白くないと思う者は多いだろう。

 ましてや、その為に貴族派の象徴、姫将軍の異名を持つエレーナをギルムに派遣するなどという真似をすれば、不信を減らすよりも不満を高める者の方が多くなるのは当然だった。


(いや、寧ろそれが狙いとか?)


 貴族派を率いるケレベル公爵にとって、勢力が大きいというのは歓迎すべきことだが、レルダクトのように自分の勝手な判断で暴走しがちな者というのは、寧ろ害しかない。

 そのような相手を炙り出すという目的なのではないか? 一瞬そう思ったレイだったが、結局その疑問を口にするようなことはない。


「それで、エレーナはいつまでギルムにいられるんだ?」

「しっかりとは決まっていないが、それなりに長期間になる予定……だな。もっとも、何か大きな動きが起きれば、そちらに手を出す必要はあるが」

「そうか!」


 エレーナが長期間ギルムにいると聞き、レイの口から嬉しそうな声が上がる。

 今までもかなりの頻度で対のオーブを使って会話をしていたが、やはりこうして実際に会えるというのは大きいのだろう。


「ふーん……随分と嬉しそうね」


 レイの喜ぶ様子を見て、マリーナが少し羨ましそうに告げる。

 基本的にレイと一緒に行動しているマリーナだけに、こうして久しぶりにレイと会う……という嬉しさが羨ましいのだろう。

 もっとも、エレーナにとっては普段からレイと一緒に行動しているマリーナやヴィヘラが羨ましいのだが。


「そうだな。嬉しいか嬉しくないかで言われれば、嬉しいさ」


 堂々と自分と会うのが嬉しいと言われたエレーナは嬉しそうにし、それを見たマリーナは小さく溜息を吐く。


「そ……それにしても、紅蓮の翼か。パーティ名はいかにもレイらしいな」


 照れたエレーナが慌てたように話題を変える。

 そんなエレーナの様子を見て、マリーナの機嫌も直ったのだろう。皿の上にある魚の干物を手元に取ると、解してからパンの上にのせて口に運ぶ。


「ああ、いいパーティだとは俺も思う。……出来れば、そのパーティメンバーの中にエレーナもいてくれれば良かったんだけどな」

「ふふっ、無理を言わないでくれ」


 照れで頬を赤くしていたエレーナだったが、レイの言葉で我に返ったのか、笑みを……残念そうな笑みを浮かべ、そう告げる。

 エレーナも、出来ればレイ達と一緒に冒険者として活動したいとは思う。

 だが、今の自分の立場でそのような真似が出来る筈もない。

 姫将軍というのは、貴族派の象徴でもあるのだから。

 だが……いつかは。

 エレーナの中には、当然のようにそのような思いがあった。

 普通なら貴族派の貴族が冒険者として活動するという真似は到底不可能だろう。

 だが、エレーナはエンシェントドラゴンの魔石を継承したことにより、寿命も伸びている。

 そしてレイ、マリーナ、ヴィヘラの三人も普通の人間よりも長い寿命を持つ。

 ……唯一ビューネだけが普通の人間だが、元々ビューネが紅蓮の翼に所属しているのは臨時のものであり、そう遠くないうちに紅蓮の翼から抜けることは確定している。

 その辺りの事情を考えれば、今は無理でも将来的には紅蓮の翼の一員として活動することは十分に出来る可能性があった。


「そう言えば、エレーナとアーラはどこに泊まるの? 今はどこの宿も、そう簡単に部屋を取れないでしょ?」


 ギルムの増築で多くの人間が流れ込んできており、安い宿の大半はもう空き部屋はなく、中堅どころの宿でもそれは同様だ。

 それらの者達に押し出されるように、普段であればそこそこの宿に泊まる者達はより高級な宿屋に泊まることになるといった具合になっていた。

 中には要領よく、ギルムの住人と仲良くなってその家に転がり込んでいる者達もいるのだが……そのような者達は、当然そこまで数は多くない。

 もしくはギルムに元からの知り合いがいれば、その家を宿とすることも出来るだろう。

 だが、エレーナの場合は迂闊に貴族派の屋敷に泊まるような真似をすれば色々な意味で面倒なことになるのは確実だった。

 エレーナとの面会希望者が続出するのは、目に見えている。


「領主の館に泊まるように言われてる」

「あら、ダスカーの所に? ……なら、私の家に来ない?」

「……マリーナの家にか?」

「ええ。貴族街の端の方に住んでるんだけど、私だけだと家は広いしね」


 マリーナの家は、貴族街にある他の貴族の家に比べれば小さい方だろう。

 だが、他の貴族の家……いや、屋敷は、その屋敷の主の他にメイドや執事を始めとして各種使用人が……場合によっては私兵までもが住んでいる。

 それに比べると、マリーナの家は住んでいるのはマリーナだけだ。

 家の管理も、マリーナが精霊魔法で行っているので特にこれといって他の人手は必要ではない。

 結果として、マリーナの家はそれなりに部屋が余っている。

 少なくても、アーラとエレーナが泊まるくらいなら、問題はない。

 マリーナからその辺りの説明を聞くと、エレーナもその気になったのか、持っていたパンを皿の上に置いてアーラに視線を向ける。


「アーラ」


 その一言だけでエレーナが何を言いたいのか分かるのは、付き合いの長さ故だろう。


「そうですね、問題はないと思います。……いえ、ダスカー様に負担を掛けないという意味では、寧ろ助かるんじゃないでしょうか」

「あー……そうね。ダスカーも色々と忙しいから」


 数日前にちょっとした用事で領主の館に行った時、そこに集まっていた商人達のことを思い出したのだろう。しみじみとマリーナが呟く。


「ふむ、ならば何も問題はないか。では、食事を終えたらマリーナの家に泊まることになったと言ってこよう。ああ、そう言えば私は馬車でギルムまで来てるのだが、その辺は大丈夫か?」

「ええ、一応厩舎もあるわ。……ただ、暫く使ってないから、使う前に掃除をする必要があるでしょうね」


 ここで普通なら人手が必要になるのだが、マリーナの場合は精霊魔法であっという間に済ませてしまう。


(それこそ、もしかしてここからでも精霊魔法で厩舎の掃除が出来るんじゃないか?)


 串焼きを食べながら、ふとレイはそんなことを思ったが……何故かマリーナが笑みを浮かべて自分を見てきたので、貝の如く口を閉じるのだった。

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