第1443話

 レイがギルムに戻ってきて、パーティを行った日から数日……ますます夏の暑さが本格的なものとなり、日中に動けば大量に汗が流れ出すようになった日……レイの姿は、ギルムの中にあった。

 勿論、レイだけではなくマリーナ、ヴィヘラ、ビューネ、セトといったように紅蓮の翼の面々が勢揃いしている。

 もっとも、ギルムと言ってもその中は広い。

 レイがいるのは、これから壁を破壊する予定の場所だった。

 最初にレイが姿を見せた時、ギルムに詳しくない職人の何人かが不満そうな表情を浮かべていたのだが、レイがどのような存在なのかを周囲の者達に教えられ……そして何より、セトを間近で見たことにより、レイに対して不満を口にする者はいなくなる。

 少なくても表向きは、だが。


「では、壁の破壊を始めます! 壁を破壊すれば、いつモンスターがやってくるか分かりません。冒険者の方はすぐにそちらに対応出来るようにお願いします。それと瓦礫の撤去も出来るだけ急いでください!」


 説明役を押しつけられた職人の一人が、壁の近くにいる者達全員に向かって叫ぶ。

 その言葉に、レイ以外にも大勢集まっている冒険者達が叫ぶ。

 冒険者達の仕事は、職人の男が叫んだように壁を破壊したことによって近づいてくるかもしれないモンスターへの対処と、瓦礫の処理だ。

 どちらかが重要なのではなく、どちらも重要な仕事なのだ。

 瓦礫を素早く片付けなければ、街や壁の増築作業を行うのに余計に時間が掛かるし、かと言ってモンスターの対策を緩める訳にもいかない。


「では、お願いします!」


 職員がそう叫ぶと同時に、いよいよ壁の破壊が始まった。

 ドワーフの職人が何らかの動きをすると、それに合わせるように壁から発する音が周囲に響く。

 腹に直接響くようなその音は、次第に高くなっていき……やがて、壁に無数の割れ目が生み出される。

 ギルムの壁の中でもかなりの部分に割れ目が生み出され、壁から聞こえてくる音も時間が経つに連れて大きくなっていく。

 そうして、次の瞬間……ギルム中に響き渡るかのような音と共に、壁の崩壊が始まった。

 どのような手段を使ってこのような真似をしたのか、レイには分からない。

 だが、それでも現在レイが見ている光景は、かなりの迫力だった。

 最初は上の方から壁が一欠片地面に落ち、やがて他の場所からも崩れていく。

 壁が砕けて地面に落ちていく……それもかなり広範囲においてだ。

 だからこそ、その光景はレイを脅かすには十分な衝撃を持っている。

 最初は少しずつ、だが、次の瞬間には壁は加速度的に崩壊していき、まさに岩による雪崩、土砂崩れ、そのようにしか思えない光景。


「うわ……」


 レイの耳にそんな声が入ってきたが、誰がそのような声を発したのかは分からなかった。

 いや、寧ろその声が聞こえた者の方が少なかっただろう。

 周囲には、壁が破壊……否、自壊していく轟音が響き渡っていたのだから。

 ギルムにいる全ての者がその音を聞いたのではないかと思える程の轟音。

 レイの周囲にいる者の中には、あまりにうるさい為だろう。耳を押さえている者もいる。

 ウサギの獣人――ただし男――の冒険者は、頭から伸びている耳を折り曲げるようにしてさえいた。


(痛くないのか?)


 何となくウサギの獣人の男を見てそんな風に思ったレイだったが、すぐに再び壁の方に視線を向ける。

 壁が壊れて生まれた瓦礫は、不思議なことに一切ギルム側に落ちてきている様子はない。

 その全てが、ギルムの外側に落ちていた。

 この破壊を行った者達の綿密な計算、もしくは職人としての長年の経験や勘により生み出された光景と言ってもいい。

 壁が崩壊している時間は、実際にはどれくらいだったのか……それを見ていたレイは、数秒にも、数十秒にも、数分にも感じられた。

 そうしてギルムを覆っていた壁の一部が……いや、かなり広範囲に渡って無事に崩壊したのを確認すると、皆が呆然としている中で一人のドワーフが声を上げる。


「おらぁっ! 壁は壊れた! とっとと自分の仕事をしやがれぇっ!」


 背は低いが、身体についている筋肉はそのドワーフをとてもではないが小さく見せない。

 寧ろ、その辺の身体だけが立派な冒険者よりも余程屈強な身体を持っているようにすら見えた。

 そんなドワーフの、壁が崩れた時の轟音に決して引けを取らない大声に、ようやく周囲の者達は我に返る。


「おい、行くぞ! 早いところ瓦礫を運び出すんだ! それと、防衛戦の警戒を任されている者はすぐに自分の担当区域に向かえ!」

「ラルダ、ゼビィ、行くぞ! 瓦礫を運び出せば、それだけ俺達の儲けは増える!」

「皆、行くわよ! 今は昼間だけど、あれだけの音が周囲に響いたんだから、モンスターが来る可能性が高いわ! くれぐれも無茶はしないようにして」


 様々な声が周囲に響く中、レイは近くにいるパーティメンバーに声を掛ける。


「さて、じゃあ俺達も行くか。それぞれ、やるべきことは分かってるよな?」


 尋ねるレイの言葉に、マリーナ、ヴィヘラ、ビューネがそれぞれ頷きを返し、セトが喉を鳴らす。

 レイが真っ先にやるのは、ギルムの外に向かうのに邪魔になる巨大な瓦礫の収納。その後、職人達の指示通りに地面を上下させて新たな壁を建築する為の下準備をしていく。

 ……尚、当然ながら地面を整えていくのはレイだけではない。

 周囲を見回したレイは、何人もの魔法使いと思しき存在を見つけることが出来る。

 また、マリーナを始めとして精霊魔法使いの姿も幾人かあった。


「……レイ?」


 そんな精霊魔法使いの一人が、レイと目が合い、驚いたように呟く。

 そしてレイも、その精霊魔法使いが誰なのかは理解していた。


「フィールマか?」


 それでも確認するように尋ねたのは、一応……といったことからなのだろう。

 弓と精霊魔法を主な武器とするエルフで、以前レイが初めてのランクアップ試験を受けた時の同期だ。

 エルフで、精霊魔法を使い、弓を武器とする。

 戦闘スタイルから考え、マリーナと非常に類似していた。

 違いは、フィールマはエルフで、マリーナはダークエルフだということか。


「ええ、久しぶりね」

「ああ。……色々と話をしたいところだが、今はそんな時間がないからな。今日の仕事が終わったら、一緒に食事でもどうだ?」


 レイにとっては、純粋にフィールマと話をしたかった為に口にした言葉。

 実際、一緒にランクアップ試験を受けたキュロット、アロガン、スコラの三人とはそれなりに顔を合わせてはいたが、エルフのフィールマと……そしてもう一人、剣士のスペルビアとは全く顔を合わせるようなことはなかった。

 だからこそ、久しぶりに旧交を温めたいと思っての言葉。

 数年前のことである以上、正確にはまだ旧交とは呼べないのかもしれないが、レイ達は冒険者だ。

 危険と隣り合わせの職業である以上、数年どころか数ヶ月……下手をすれば数日で知り合いが死んでしまうことも珍しくない。

 そんな中でランクアップ試験が終わってから殆ど噂を聞かなかった同期に再会したのだから、レイが食事でも……と誘うのは珍しくはないだろう。

 だが、それを知らない者にとってはレイがフィールマを口説いているようにしか見えず……


「ふーん」


 少しだけ不満そうな様子で口を開いたのは、ヴィヘラだ。

 元ギルドマスターのマリーナは、レイと一緒にランクアップ試験を受けたフィールマを知っていた為か、特に不満は抱いていない。

 勿論普通であればランクアップ試験を受ける者全員を覚えているといったことはないのだが、フィールマの場合はギルムでもそれなりに珍しいエルフで、何よりレイと一緒に試験を受けたというのが印象深かった。

 だからこそ、マリーナはフィールマについてどのような人物なのかを理解していた。


「と、とにかく今は仕事をする方が先でしょ。今日の夜にでも話しましょ」


 ヴィヘラの視線が怖かったというのもあるが、実際に周囲の状況を見ればそれだけでそう言ってる訳ではないことは明らかだ。

 何人、何十人……百人を超える冒険者や職人、それ以外にも日雇いの仕事をする者達が壁の外に向かって移動している。

 そんな中で、レイ達のように止まっていれば、邪魔になるのは当然だろう。

 実際壁の外に向かっている者の中で何人かは、レイ達に対して邪魔だといった視線を送っている者もいる。


「そうだな、じゃあ取りあえず仕事をするか。ああ、俺は夕暮れの小麦亭に泊まってるから、良かったら夜に顔を出してくれ」

「まだあの宿に泊まってたのね。羨ましいわ」


 しみじみとそう告げたのは、やはりフィールマにとって夕暮れの小麦亭は泊まるのを躊躇するような値段の高級宿だからだろう。

 レイはギルムに来た時に泊まってそのまま定宿にしているが、それはあくまでもレイだからこそ出来ることだ。

 ある程度自分の技量に自信があっても、普通ならそう簡単にランクアップをすることは出来ない。

 もっとも、その辺りはあくまでもレイが特別であって、フィールマのランクアップの速度が遅いという訳ではないのだが。

 ともあれ、レイと約束をするとそのままフィールマはレイの前から去っていく。


「さて、じゃあ俺達も行動に移るか」

「……色々と聞きたいことがあるけど、その辺は後回しにしておいてあげるわ」


 ヴィヘラはそう告げ、ビューネと共に街の外に向かう。

 敵との戦いを好むヴィヘラと盗賊のビューネは、当然ながら外でモンスターの警戒をするグループに入っていた。

 もっとも、今は昼間だ。

 強力なモンスターが姿を現すのは、やはり夜の方が可能性は高いのだが。


「じゃ、私達も行きましょ」

「そうだな」

「グルゥ」


 ヴィヘラとビューネが立ち去ると、残りの二人……セトを入れると二人と一匹もその場から去っていく。

 崩れた壁から外に出ると、そこでは既に大勢の者達がそれぞれ働いている。

 その中でも、やはり一番多いのは壁が崩れたことによって生み出された瓦礫を運んでいる者達か。

 木の籠に入れて運んでいる者、一人な為か手で運んでいる者、革袋に入れて運んでいる者……中には、馬車を用意している者達の姿もそれなりに多い。


(まぁ、馬車が通れるようになるにはもう少し掛かるだろうけど)


 今は大小様々な瓦礫が無数にあるので、とてもではないが馬車で通ることは出来ないが、かなり広範囲に渡って壁が破壊されており、しかもその瓦礫も次々に片付けられている。

 荷台に瓦礫を集めている間に、馬車の一台や二台は通れるようになるのは間違いないだろう。


「ま、あの辺の瓦礫を片付ければ、馬車の行き来は出来るだろうけどな」

「そっちは頑張ってね。じゃあ、私は地面の調整に回るから」

「グルルルルゥ!」


 レイの言葉に、マリーナはそう言って壁を越えて行き、セトもその後に続く。

 もっとも、セトは土を均すといった行為をする訳ではなく、空から周囲の警戒にあたる。

 空を飛ぶ敵というのは非常に厄介な相手である以上、セトには否応なくかなりの期待が掛かっていた。

 ……もっとも、セトにとってはいつものように空を飛んでいるという認識しかないのだが。


「頑張れよ」


 そんな一人と一匹に声を掛けると、レイもかつて壁があった場所を越えてギルムの外に出る。


(警備兵とか、依頼を受けた冒険者は……色々と大変そうだよな)


 近くにある直径四m程の瓦礫に触れてミスティリングに収納しながら、レイはこれから始まるだろう警備兵と冒険者達の大変さに思いを馳せる。

 壁が壊れた以上、ギルムに対して魅力を感じている者はそこに目を付けるのは当然だろう。

 正式な手続きをしないでギルムに入るということは、犯罪という行為に限って言えばかなり大きなアドバンテージとなる。


(ま、貴族派のことは心配しなくてもいいけど……国王派が出てくる可能性はあるのか)


 レルダクトの件により、今回の増築の件で貴族派が出てくるという可能性はほぼなくなった……そうレイは認識していた。

 だが、三大派閥の中でも最大派閥の国王派がどう出るのかは、レイにも分からない。

 そちらから手を出してきた場合、壁の建設予定地で何らかの騒動が起きるのは確実だった。


「あ、レイさん、すいませんけどあそこの瓦礫を処理して貰えませんか?」


 近くにいる冒険者に頼まれ、かなり大きめの……六mはあろうかという瓦礫に視線を向ける。

 基本的にはある程度小さく破壊されるようにしていたのだが、それでもやはりどうしても例外というものは出てきてしまう。

 そもそも、レイが大きな瓦礫を片付けるように頼まれたのは、その辺りの事情もあってのことだ。


「ああ、分かった。すぐに片付ける」


 そう告げ、ミスティリングに収納するという……本当にすぐに片付けると、レイは次の瓦礫をミスティリングに収納すべく動くのだった。

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