第1442話

 夏であっても、夜になれば当然のように空は暗くなる。

 勿論夏である以上、空が暗くなるのは冬と比べれば遅い時間だが、それでも午後十時くらいとなれば、当然のように太陽は完全に沈んでいた。

 雲がなく、大きな月から降り注ぐ月光は、そんな夜であっても周囲の様子をある程度把握出来る程度の明るさを地上にもたらす。

 そんな月明かりと、幾つかの明かりのマジックアイテムがマリーナの家の庭を照らしていた。

 また、明るさをもたらしているのはそれだけではない。

 庭に置かれている窯から漏れている光も、多少ではあったが周囲を照らす光となっていた。

 もっとも、正確にはその焼き窯の中ではピザが焼かれているのだが。


「レイも大分慣れてきたみたいね」


 家の中から持ってきたテーブルに肘を突きながら、マリーナがしみじみと呟く。

 視線が向けられているのは、窯の前にいるレイだ。

 この焼き窯を使った回数そのものはそこまで多くはないのだが、それでも使っていれば慣れてくるのか、レイは巨大なヘラを自由に動かして窯の中にあるピザを動かして丁度良く焼けるようにする。

 特に今日は既に何度もピザを焼いているおかげで、手際は非常にスムーズだった。


「レイの手料理……普通に考えれば、かなり凄いんでしょうね」


 チーズがたっぷりと掛かったサラダを口に運び、ヴィヘラが呟く。


『それはそうだろう。異名持ちの冒険者が作った料理だぞ? それこそ、そう簡単に食べられるものではないからな』


 そんなヴィヘラの言葉に答えたのは、テーブルの上にある水晶……対のオーブに映し出されたエレーナだった。

 折角紅蓮の翼の皆が揃って宴会をやるのだからと、エレーナにも連絡を入れてみたらどうかとヴィヘラが提案した形だ。

 レイ達とエレーナは、勿論同じパーティという訳ではない。

 だが、それでも紅蓮の翼とエレーナは色々と深い縁で結ばれており、パーティメンバーではないが深い絆で結ばれた仲間という認識だった。

 ……特にマリーナやヴィヘラにとっては、同じ男を愛する仲間という認識だ。

 また、エレーナにとっても、自然な自分をそのまま出せるという意味ではマリーナやヴィヘラ、ビューネと触れ合うことを嬉しく思っている。

 そんな訳で、対のオーブに映し出されているエレーナは、心の底から嬉しそうな笑みを浮かべており、それがエレーナの美貌をより魅力的に周囲に映し出す。

 ちなみに、今でこそ対のオーブにはエレーナが映っているが、少し前まで対のオーブに映し出されていたのは黒竜の子供のイエロだった。

 そしてレイ達の方からはセトが対のオーブの前におり、いつものようにグルグル、キュウキュウといったやり取りを行っており……そんな二匹の姿を見ながら、レイ達はそれぞれほんわかとした気持ちを抱いていた。

 そんなイエロは、対のオーブ越しではあっても久しぶりにセトと会えたのが嬉しかったのだろう。かなりはしゃぎ、その疲れからか今は眠っている。

 セトもイエロと会えたのが嬉しかったのは間違いないだろうが、それでもイエロよりは大人だということもあってか、そこまで疲れている様子もない。

 この辺りは、魔獣術で生み出されたのが影響しているという可能性もあるのだが。

 ともあれ、現在のセトは庭で横になってゆっくりとしており、ピザが出来るのを待っているビューネに撫でられながら目を瞑っている。


『ふふっ、そちらは楽しそうで羨ましいな』


 対のオーブの向こう側から庭を一瞥してそう告げると、羨ましさを隠すかのように手元にあった紅茶のカップを口に運ぶ。


「そうね。実際こうしているのは楽しいわよ?」


 ふふん、と笑みを浮かべて告げるマリーナ。

 普通であればエレーナに対する嫌味と受け取られてもおかしくはないのだが、マリーナやエレーナとの関係ではそのようなことになる筈もない。


『羨ましいとは思うが、私とレイの間にある絆は、それくらいでどうにもならんぞ?』


 レイが近くにいれば言えないことであっても、こうして女同士であれば言うことも出来る。


「あら、そう? 私やヴィヘラの方がレイの側にいるのよ? だとすれば、その間に愛情も育つんじゃない?」

『なるほど。羨ましい話だ』


 マリーナの言葉に短く答えるエレーナだったが、そんなエレーナの態度は言葉とは裏腹に自信に満ちていた。

 それが、自分とレイの間にある繋がりを信じているからなのか、それとも他に理由があるのか。

 マリーナと、近くでそれを聞いていたヴィヘラは不思議そうな表情を浮かべる。

 だが、そんな二人に対してエレーナは笑みを浮かべるだけで何も答える様子はない。

 そのことに疑問を抱き、ヴィヘラが何かを言おうとするも……


「ピザ、出来たぞ!」


 巨大なヘラを取り出し、レイが叫ぶ。

 その言葉に真っ先に反応したのは、当然のようにビューネだ。

 先程までセトを撫でていたのだが、次の瞬間には既にレイの前にその姿を現していた。

 一瞬、レイも驚きの表情を浮かべるも、自分の作ったピザを楽しみにして貰えるというのは、決して悪い気分ではない。

 ……もっとも、レイが作ったといっても、正確には既に生地は出来ており、レイがやったのは焼いただけなのだが。

 しかし、ピザでは当然のように焼くという調理行程が大きな意味を持つ。

 下手に焼きすぎれば焦げるし、焼く時間が足りなければ生焼けとなってしまう。

 レイが焼いたピザは熟練の……とは言うにはまだまだ甘いのだが、それでも普通に食べるくらいであれば十分な焼き加減だった。

 レイの焼いたピザを既に数枚食べているからこそ、ビューネはピザが焼き終わったと聞いてすぐにレイの前にやって来たのだろう。

 自分の分と、マリーナ、ヴィヘラの分を切り分け、残りをビューネに、そして窯の中で焼いていたもう一枚をセトの前に置く。


「グルルゥ!」


 目の前に置かれたピザに、嬉しそうに喉を鳴らすセト。

 そんなセトを一撫でしてから、レイは庭に置かれたテーブルに向かう。


(精霊魔法って凄いよな)


 周囲の様子を見ながら、レイがしみじみと思う。

 夏の夜、それも明かりのある場所ともなれば、当然のように蚊を始めとして様々な虫がやってきてもおかしくはない。

 だが、マリーナの精霊魔法により、この庭に虫が入ってくるようなことはなかった。

 だからこそ、夏の夜だというのに虫を気にせず庭にいることが出来るのだ。

 そうしてテーブルに戻ってきたレイは、何故かマリーナとヴィヘラ、それと対のオーブの向こう側からエレーナが自分にどこか咎めるような視線を向けているのに気が付く。


「ど、どうしたんだ? ほら、取りあえずピザは焼けたぞ」


 レイの言葉に数秒沈黙が続き……やがて、マリーナが口を開く。


「そうね、じゃあ食べましょうか。折角レイが焼いてくれたんだし」


 そのマリーナの言葉で、周辺に漂っていた不穏な空気――レイにとってはだが――が消え、レイは少しだけ安堵の息を吐く。


「……どうだ?」

「うん、美味しいと思うわよ? レイが焼いてくれたというのも大きいわね」


 ヴィヘラの言葉を聞いて嬉しそうにし、レイもまたピザに手を伸ばす。

 歯応えのいい食感と、チーズの濃厚な旨み、各種野菜やハム、ソーセージが舌を楽しませる。


「うん、俺が焼いただけあって美味いな。いや、自分で焼いたからこそ余計に美味いと思うんだろうけど」

『次に会った時は、私にもその料理……ピザだったか? その料理を作って貰うぞ』


 レイ達が食べている光景を見て、羨ましく思ったのだろう。エレーナは対のオーブの向こうで羨ましそうにしていた。


「そうだな。今度会ったら俺の手料理をご馳走するよ。……まぁ、手料理といっても焼いただけだが」

『約束だぞ。次に会ったら絶対にだ』


 何故か念を押すように告げてくるエレーナを不思議そうに見ながらも、レイは頷く。


「分かったよ」

『ふむ、ならばよろしい。……さて、話は変わるが』


 小さく咳払いし、エレーナは場を改めるように口を開く。


『レルダクト伯爵の件、そちらに迷惑を掛けてしまったらしいな。……すまない』


 頭を下げるエレーナの動きに、その黄金の髪が揺れて対のオーブの向こう側にいる光を反射する。


「随分と情報が早いな。俺がギルムに戻ってきたのは今日なのに」

『うむ。ダスカー殿から情報が回ってきてな。……まさか、貴族派の中からあのような行為をする者がいるとは思わなかった』

「別にエレーナが気にする必要はないんじゃない? そもそも、貴族派の中にも色々な人がいるのは当然でしょうし」


 ヴィヘラがエレーナを励ますように、そう告げる。

 ……いや、それは別に励ますという思いからではなく、純粋に思ったことを口にしただけなのだろう。

 それが分かったからか、対のオーブに映し出されているエレーナは少しだけ口元に笑みを浮かべる。


『そう言って貰えると、こちらとしてもありがたい。だが……それでも、やはり今回の件は貴族派の失態なのだ。父上も、現在貴族派に所属する貴族達に対して、ギルムに余計な真似をしないようにと伝えている筈だ』

「うわぁ」


 そう呟いたのは、マリーナだった。

 元ギルドマスターとして、マリーナは当然ながらケレベル公爵の性格を理解している。

 そんなマリーナだけに、ケレベル公爵が今回の一件をどのように思っているのかは、十分に理解出来た。


「けど、何だかんだと今回の一件でギルムとしての……いや、ラルクス辺境伯としての報復は終わったんだろ? なら、そこまで厳しいことにはならないんじゃないか? ……まぁ、レルダクトは色々な意味で悲惨だったけど」

『……レイ。私が言うのもなんだが、あまり派手にやりすぎないでくれ。今回の件はレルダクト伯爵の自業自得ということで決着がついたが、下手をすれば貴族派から刺客が放たれる危険もある』

「うん? 寧ろ自業自得で決着がついたってのが、少し驚きだな」


 エレーナの言葉に、レイは意表を突かれたような表情を浮かべる。

 てっきり、また貴族派の方から手を出されるのは確実かもしれないと、そう考えていたのだ。

 貴族派に所属する貴族の両腕を肩から切断するといった真似をしたのだから。


『レルダクト伯爵からの要望でな。……それにレルダクト伯爵領も、これから税率の類は見直されるらしい。何でも、貴族としての鷹揚さを示す為に、民衆からの意見を聞くことにしたとか何とか』

「ああ、なるほど」


 その言葉だけで、レイは何が起きたのか大体予想出来た。

 まず、これは当然だろうが、反乱軍にレイが言った通り、レルダクトを殺すといった真似はしなかったのだろう。

 そして民衆からの意見を聞くというレルダクトの言葉は、間違いなく言わされたものなのだろうというのも予想出来た。


(民衆ってのは、多分反乱軍のことだろうし。……それとレルダクト伯爵の後を継ぐ者が必要になってくる筈だけど、そっちはどうなったんだろうな?)


 レイから見た限り、レルダクトはとてもではないが領主としての仕事が出来るような状況ではない。

 両腕がないのは、マジックアイテムの義手を探せば何とかなるのかもしれないが……そもそも、大事な収入源の一つ、鉱山を崩落させられた今のレルダクト伯爵領にそれだけの余裕があるとは思えなかった。

 ましてや、レイはレルダクト伯爵領の首都とも言えるジャーワに突入して結界を破壊し、領主の館で暴れた結果、多くの兵士達がレルダクトの下から逃げ出している。

 当然雇い主や仮にも忠誠を誓った主人を見捨てて逃げ出したような者達が、そのまま戻ってきても再び雇われるとはレイには思えない。

 実際には、レイによって心を完全に折られた状態のレルダクトだったので、戻ればそのまま雇って貰えた可能性は十分にあったが……逃げ出した者達がその事実を知ることは出来ず、結局は全員がジャーワから姿を消した。

 ジャーワに残ろうとしなかったのは、それこそ自分を見捨てて逃げたと思われているレルダクトに見つかれば復讐されると、そう思ったからだろう。


『ともあれ、レルダクト伯爵領の件について問題になることはない。……少なくても表向きは、だが』


 その言葉に、レイは安堵すると同時に反乱軍の方はどうなのかと一瞬思ったが、自分がそこまで構う必要もないだろうと判断し、取りあえず頭の中から忘れる。

 また、ケレベル公爵とは直接会ったことはないが、一角の人物だというくらいはレイも知っている。

 エレーナの父親で、貴族派の貴族を纏めているという時点でその辺に幾らでもいる貴族ではなく、本物なのだということは容易に予想出来た。


「そうか」


 結局レイの口から出たのはその一言だけで、その後は話題を変えて色々と盛り上がるのだった。

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