第1441話

 元遊撃隊の面々との話を楽しんでいたレイ達だったが、見回りという依頼を受けて行動している以上、そう長い時間話をしていられる訳もない。

 ましてや、現在は夏の日中ということで降り注ぐ日光により、外にいるだけで汗を掻く。

 レイ達はともかく、元遊撃隊の面々に炎天下でずっと話をさせるのは酷だと判断し、レイは元遊撃隊の面々にミスティリングから取り出した冷たい果実を幾つか分けてやり、その場で別れた。

 ……うだるような暑さの中で冷たい果実というのは、まさに銀貨……いや、金貨を出してでも欲しいと思うような代物だ。

 そのことに元遊撃隊の面々は喜び、見回りを続ける為の気力を取り戻して去っていった。

 それを見送ったレイ達は、マリーナの家に向かう。

 幸いにも……いや、もしくはそれが当然というべきか、レイ達はそれ以後は特に何らかのトラブルに巻き込まれることもないまま、マリーナの家に到着する。


(何となく、何かあるかもって思ってたんだけどな。まさか、何もないとは……)


 常々トラブルに巻き込まれることの多いレイだけに、貴族街で悪さをしようとしている者がいると聞かされれば、てっきりそのような者達と遭遇するのかも? と、そう思っていたのだが……結局そのような者達には遭遇しないままだった。


「さ、入ってちょうだい。……そう言えばレイが私の家に来るのは久しぶりね」

「うん? ヴィヘラは違うのか?」

「ええ。ちょっと夕暮れの小麦亭に面倒な相手がいるということで、レイがいなくなってからは何度かここに集まっていたわ」

「……夕暮れの小麦亭に?」


 レイの口調が少しだけ意外そうだったのは、夕暮れの小麦亭がどのような宿なのかを知っているからこそだろう。

 ギルムの中でも高級な宿の夕暮れの小麦亭は、当然のように宿泊料は高い。

 だが、それに見合うだけのサービスを受けられるということもあって、いつも繁盛している。

 特にエアコンに近い効果を持つマジックアイテムがあるということもあり、真夏や真冬には非常にすごしやすい。

 ましてや、今は増築工事で多くの者達が集まってきている。

 当然のように夕暮れの小麦亭の客室は全て埋まってしまう。

 ……もっとも、元々夕暮れの小麦亭を定宿にしている者により、空き部屋は少ないのだが。

 そんな訳で、友人や知人……という訳ではないが、顔見知りの相手はヴィヘラにとってもそれなりに多い。

 にも関わらず、そのような面倒になるのかと首を傾げたレイに、マリーナは溜息を吐く。

 そんな行為ですら男を誘うような仕草に見えるのは、マリーナがマリーナたる証だろう。


「ほら、部屋はもう一杯だけど、食堂は基本的に解放してるでしょ? で、美味しい料理を食べられるのであれば、当然のようにそこには人が集まってくる訳で……そこに、メランだったっけ? その人が来るのよ。ついでに、昨日からは……」


 言葉を濁すが、何を言いたいのかはレイにも理解出来た。

 メランはヴィヘラに一目惚れをして言い寄っていた男で、マリーナが言葉を濁したのは昨日ギルムに来たというダンザ。

 そのような者達であっても、当然のように夕暮れの小麦亭の食堂に入ることは出来る。


「あー……なるほど。ご苦労さんだったな」

「そういう意味では、レイが今日帰ってきてくれたのは嬉しいけど……」


 マリーナが言葉を濁すのは、他にも自分に言い寄ってくる相手がいるからだろう。

 元からギルムにいる者達であれば、マリーナやヴィヘラが誰と一緒のパーティを組んでいるのかというのは知っているし、多少なりとも情報収集する者もそれは知ることが出来るだろう。

 だが、それが出来ない……もしくはしない者にとっては、マリーナやヴィヘラのような一生に一度見ることが出来るかどうかといった美人を見つければ、即座に口説こうとしてもおかしくはない。

 マリーナやヴィヘラを狙って夕暮れの小麦亭に入ったのか、それとも夕暮れの小麦亭に偶然入ってマリーナやヴィヘラを見つけたのか。

 ともあれ、二人が迷惑に思っているのは間違いなかった。

 ……いや、二人だけではなくビューネもそんな相手は迷惑に思っている。

 折角食事を楽しんでいるのに、それを邪魔するかのように話し掛けてくる相手がいるのだ。

 また、中には特殊な趣味を持っている者もおり、マリーナやヴィヘラではなくビューネを口説こうと考える者も少数ながらいる。


「俺が虫除けになるのはいいけど、そうなると今度は俺に絡んでくるような奴が出てきそうだな。……実際出てきたけど」


 レイがギルムに戻ってきてから、まだそれ程時間は経っていない。

 にも関わらず、既に二人に絡まれているのだ。

 とてもではないが、この先も安全にすごすことが出来るとは思えなかった。


「けど、レイに絡もうとすれば、多少でも事情を知ってる人なら止めたりするだろうし、一人か二人に実力を見せれば、余程のことがない限り、安全だと思うけどね」


 そう告げるヴィヘラの言葉に、マリーナやビューネも同意するように頷く。

 レイが見た目にそぐわない実力を持っているのは、多くの者が知っている。

 その辺りの事情を考えれば、やはり迂闊にレイに喧嘩を売ろうと考える者はそう多くはないだろう。


「ま、その辺りの事情はともかくとして……まずは久しぶりに皆が揃ったんだし、ゆっくりとしましょう」


 ちょうどマリーナの家に到着したこともあり、マリーナは笑みを浮かべてそう告げてくる。

 精霊魔法を使って素早く自分がいなかった間に何か異常がなかったのかを確認し、そのまま家の中に入っていく。

 セトは何も言わなくてもレイ達と別れ、庭に向かう。

 家の中は扉や窓を閉め切っていた為に、茹だるような暑さが広がっていたが、マリーナの精霊魔法であっという間に家の中は涼しくなる。

 夕暮れの小麦亭ではマジックアイテムによって宿の中をすごしやすい気温にしているが、マリーナはマジックアイテムを使わなくても精霊魔法であっさりと同じ状況にすることが出来た。


「ふぅ、待たせたわね。……何か飲む?」

「いや、それくらいは俺が出すよ」


 通されたリビングで、庭で横になっているセトを眺めながら、レイはミスティリングの中から冷たい果実水を取り出す。


「……美味しいわね」


 一口、二口と果実水を飲み、ヴィヘラがしみじみと呟く。

 酸味と甘みが冷たい水で上手く纏められ、幾らでも飲めるのではないかと、そう思えるような美味さ。

 実際、ビューネは既に飲み干しており、もっと欲しいとレイに向かってコップを差し出していた。

 そんなビューネにもう一杯果実水を渡し、レイは改めて口を開く。


「俺の方の依頼は、無事に完了した。……ただ、レルダクト伯爵領で奪ってきたマジックアイテムが、あまり俺の好みじゃない奴でな」


 本題を口にしたレイは、ミスティリングから幾つかのマジックアイテムを取り出す。

 絵画や宝石箱、彫刻……そんな芸術品と呼ぶのに相応しいマジックアイテムだ。

 見る者が見れば、それこそ大金を支払ってでも欲しいと思うだろう代物だったが、レイにとってはあっても特に意味はない物でしかない。


「あら、随分といい品ね」


 ギルドマスターとして、その手の審美眼が優れているマリーナの目から見ても、テーブルの上に広げられた物は高い価値を持っていると判断したのだろう。

 感心したように呟く。


「こういうのは俺の趣味じゃないしな。俺が持ってもそのままミスティリングの中で死蔵するだけだし、ならマリーナの家にでも飾っておけばどうかと思って」

「……ああ、プレゼントってこれなのね」


 レイとマリーナのやり取りを見ていたヴィヘラが、再会した時にレイが言っていた意味を理解する。

 マリーナだけにプレゼントをやるというのが少し気になっていたのだが、そのプレゼントがこのような芸術品の類であると知れば納得も出来る。


「私がこの類のプレゼントを貰っても、置く場所がないものね。まさか宿の部屋に置いておく訳にもいかないでしょうし」


 高級宿の夕暮れの小麦亭は、当然その辺に幾らでもある安宿に比べれば防犯設備は整っている。

 だがそれでも、結局のところはただの宿であって、貴族の屋敷でも何でもない。

 本当に能力のある盗賊であれば、侵入するのは不可能ではない。

 そのような場所にレイから貰ったプレゼントを置いておくというのは、寧ろヴィヘラにとっては心臓に悪いとすら言えるだろう。


「だろ? まぁ、あの時は周りに色々と人がいたから、プレゼントが何かとか言うことは出来なかったけど」

「それって、正確にはプレゼントじゃなくて余分な物を押しつけてるだけじゃないの?」


 少しだけ呆れた様子でマリーナがそう告げるが、実際にそれは間違っている訳ではない。

 そのことに、若干思うところがあったのだろう。レイはそっと視線を逸らす。

 だが、そんなレイの様子をじっと見ていたマリーナは、やがて笑みを浮かべる。


「いいわよ、それくらい。レイからのプレゼントですもの。そうとなったら、しっかりと飾っておかないといけないわね。大抵この手のマジックアイテムには周囲の環境で劣化しないような効果が含まれてるんだけど……」


 一旦言葉を止めたマリーナは、テーブルの上にある絵画にそっと手を伸ばして触れる。

 そのまま数秒、やがて小さく頷くと口を開く。


「やっぱりその手の効果はあるみたいね。勿論正確な効果は分からないから、しっかりと調べるには錬金術師に見て貰う必要があるけど」

「あー……その辺りの事情は聞くのを忘れたな。色々と忙しかったし」


 レルダクトのことを思い出しながら、レイは自分が経験してきたことを説明していく。

 予想通り、川魚の鍋のことを聞いたビューネが反応したが、それは予想済みだったので気にしない。

 勿論、後でビューネにミスティリングの中の鍋を出して食べさせることになるのは確実だろうが。


「ふーん……それにしても鉱山を潰すなんて無茶な真似をしたわね」

「そうでもないぞ。夜で周囲に人の姿はなかったし、怪我人も死人も、多分いない筈だ」


 正確には鉱山の周囲に見えないように隠れていた者がいた場合、鉱山の崩落に巻き込まれた可能性は十分にある。

 だが、レイが知っている情報でそのようなものはなかった以上、取りあえずその辺は気にしても仕方がないと判断していた。


「とにかく、久しぶり……って程じゃないけど、それでもこうして紅蓮の翼が集合したんだから、今日は宴会したいわね。……どう?」

「ん!」


 ヴィヘラの言葉に真っ先に賛成の声を上げたのは、美味い料理を食べることが出来ると考えたビューネだった。

 だが、マリーナは少し迷ったように口を開く。


「宴会をやるのはいいけど、知っての通り今は大勢ギルムに来ている人がいるわ。当然どのお店も毎日のように忙しい筈よ。そんな中で宴会をやるとなると……」


 マリーナは庭で寝転がっているセトを見ながら、残念そうに呟く。

 レイ、マリーナ、ヴィヘラ、ビューネの四人だけであれば、どこの店でも普通に飲み食い出来るだろう。

 だが、そこにセトが混ざると、途端に難しくなってしまう。

 セトがレイ達と一緒に店で騒ぐとなると、相当なスペースが必要になってしまうからだ。

 また、ギルムに来たばかりの者が酔っ払い、グリフォンの素材目当てに絡んでくるということも十分に考えられる。

 そのようなことになれば、ただでさえ人が多くてトラブルが頻発しているというのに、警備兵や見回りをしている冒険者達が余計な仕事を引き受けることになってしまう。

 そうならない為には……とレイが視線を向けたのは、セトが横になっている庭。


「別にわざわざ店で宴会をやる必要はないだろ。この庭なら、セトも問題なく宴会に参加することが出来るし、他の連中に邪魔されるようなこともないし」

「……ま、それが一番いいでしょうね」


 自分の家だけに、マリーナもレイのアイディアについては納得出来ていたのだろう。

 小さく頷きを返して、ヴィヘラとマリーナに視線を向ける。


「どう? 二人が良ければここで宴会しない? 料理は買ってきてもいいし……」


 言葉を止めたマリーナが視線を向けたのは、レイ。

 そう、ミスティリングに大量の料理や食材が収納されているのだから、わざわざ料理を買いに行く必要もないのだ。

 その視線の意味を悟ったレイは、頷きを返す。


「分かった、俺はそれで構わない。それに……窯もあるしな」


 マジックアイテムの窯で作る料理……特にピザが美味いというのは、以前に食べたビューネは知っていた。


「ん!」


 だからこそ、ビューネは即座に了承の声を発する。

 ヴィヘラも同様に美味い料理を自分達で作って食べるのは楽しみだったらしく、すぐに頷き……早速料理の準備に入るのだった。

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