第1440話

「えっと……こういうのを何て言うんだったかな。既視感?」


 目の前に立つ男を眺めながら、レイは溜息と共に呟く。

 そんなレイの後ろでは、ヴィヘラがレイの言葉に苦笑を浮かべ、ビューネは相変わらず無表情で、マリーナはどこか困ったような笑みを浮かべていた。

 そしてレイの前には、巨漢と呼ぶに相応しい身体と筋肉を持っている男が、拳を握りしめてレイを睨み付けている。


「おい、ダンザ。止めろって。相手はレイだぞ!?」


 レイの前に立っている男……ダンザと呼ばれた男の背後にいる男達が、何とかダンザに馬鹿な真似は止めさせようとして声を上げる。

 だが、ダンザはそんな仲間の言葉に全く耳を傾けることなく、口を開く。


「お前がマリーナとパーティを組んでるだって? はっ、身の程知らずってのはこのことだな」


 挑発する為に叫んだダンザだったが、レイはそんなダンザの言葉を綺麗に無視して、後ろのマリーナに尋ねる。


「……あんな樵はいたか?」

「昨日ギルムに来たらしいわ」

「あー……なるほど。まぁ、樵は幾らいても多すぎるってことはないしな」


 トレントの森の広さを考えれば、ギルムにいる樵だけでそれを全て伐採するというのは難しい。

 それでも伐採した木を乾かす手間がない為に、普通の木を伐採する時に比べればそれなりに楽ではあるのだが……それでも、トレントの森は広すぎた。

 それをどうにかする為に、他から樵を回して貰うのはギルムとして当然だったのだろう。

 そして現在レイの前にたって拳を握りしめているダンザという男も、そんな樵の一人だった。


(俺がギルムにいなかったのは、そんなに長い間じゃないんだけどな。……まぁ、今のギルムだとしょうがないか)


 溜息を吐きながら、レイは男に対して拳を構える。


「へっ、てめえみてえなチビがマリーナみたいないい女を独り占めしてるってのは、間違ってるよな? 身の程って奴を教えてやるぜ」

「あー……うん。分かった。だからさっさと来い」


 メランの時とは違い、自分に対する悪意を発している男が相手であるのを見て取ると、レイは溜息を吐きながらそのまま前に出る。

 ゆっくりとした動きに、ダンザは一瞬驚きの表情を浮かべるも、それが自分を侮っているのだと、そう理解したのだろう。

 額に青筋を浮かべると、自分に近づいてくるレイに向かって思い切りその拳を振り下ろそうとして……


「馬鹿が」


 次の瞬間、ゆっくりとした動きから一瞬でダンザの前に移動してきたレイが拳を振るい、ダンザの顎を掠めるように殴る。

 その一撃を食らったダンザが、数歩後ろに下がるも……自分に今の攻撃は全く効果がなかったと笑みを浮かべ、だが次の瞬間にはそのまま意識を失って地面に崩れ落ちる。


「ま、素人と本職の違いだろうな」

「でしょうね」


 レイの言葉にヴィヘラがそう呟き、マリーナも同意するように頷く。

 素人の場合、人を殴る時には少しでも勢いを付けようと手を一旦後ろに振りかぶろうとする。

 だが、人を殴るという行為に慣れている者であれば、それが大きな隙になるというのはよく分かる。

 振りかぶってから実際に殴るまでに一秒か、それに満たないだけの隙が出来……そしてレイにとっては、それだけの時間があれば行動に移すのは十分だった。

 いや、それは別にレイだけに限った話ではない。ある程度の技量を持つ冒険者であれば、殆どの者が可能だろう。


「さて、取り合えず面倒は片付いたし……ここでマリーナに出会ったのも丁度いいから、酒場じゃなくてマリーナの家に行ってもいいか?」

「え? 別に構わないけど。何で?」

「色々とプレゼントがあるんだよ」

「あら」


 そんなレイの言葉に反応したのは、マリーナ……ではなく、ヴィヘラ。


「プレゼントって、マリーナにだけ?」

「……まぁ、ヴィヘラが欲しいのならやってもいいけど、多分いらないって言うと思うぞ?」


 レイから見て、ヴィヘラが芸術品の類のマジックアイテムを欲しがるとは、とてもではないが思えなかった。


「取りあえず詳しい話は家に帰ってからにしましょ。レイ達は先に行っててちょうだい。私はギルドに報告してからそっちに向かうわ」


 そう告げ、マリーナは男を蕩けさせるような笑みをレイに向け、レイ達がやってきた方に向かう。


「あいつ、置いて行かれたけど良かったのか?」


 ふと、レイは意識を失って地面に倒れているダンザに気が付いてそう呟くが、すぐに興味を失う。

 何人かの冒険者と思しき者達が、日陰に連れて行っているのを見たというのも大きいだろう。


「それより、行き先変更ね。マリーナの家で待ってましょ」


 ヴィヘラの言葉に頷き、レイはセト、ビューネ達と共にマリーナの屋敷に向かうのだった。






「……意外と物々しいな」


 貴族街に入ったレイが感じたのは、そこの見回りをしている冒険者や私兵達が予想外に神経質になっていることだった。

 最初に人影が見えたと思えば緊張し、それが自分達にとって見覚えのある人物……レイであると知ると、安堵する。

 自分を見て安堵の表情を浮かべられるということに少し驚きながらレイが呟くと、ヴィヘラは何かに気が付いたように口を開く。


「あら、レイは知らなかったの? 今回の増築工事でギルムにやって来ている人達の中には、色々と素行が悪いのもいるみたいよ」


 素行の悪い? と少しだけ疑問を抱いたレイだったが、すぐに納得する。

 人が大勢このギルムにやって来ているということは、当然のように見知らぬ相手も多くなる。

 それを利用して盗みを働こうとする者がいても、不思議ではないだろうと。

 勿論そんな真似をして、ギルムの裏の組織に知られれば制裁されることもあるだろうが。


「で、そういうのが貴族街に入ってきてるのか?」

「ええ。幸い、実際に貴族の家に侵入するよりも前に捕らえられてるけど……さて、どこまでが真実なんでしょうね」

「だろうな」


 ヴィヘラが何を言いたいのかは、レイにも理解出来る。

 屋敷に侵入される前に捕らえたのであれば、自分の屋敷の警備がどれだけの実力を持っているのかを示すのに丁度いいが、もし屋敷に忍び込まれて、何か盗まれ、逃げられてしまえば、それは大きな恥だ。

 わざわざその恥を公表するような者は、そういないだろう。

 勿論そのような真似をされたのであれば、忍び込んだ者を密かに追うような真似はしてるだろうが。


「そんな訳で、今は貴族街の方でも色々と神経質になってるのよ。警備している冒険者達も、貴族街に侵入されれば雇い主からは怒られるし、ギルドの方でも評価が低くなるらしいし」

「ん」


 ヴィヘラの言葉に、ビューネが頷く。

 いつもは無表情なその顔が、微かにではあっても嫌そうに見えたのは決してレイの気のせいではないだろう。

 自分がいない時に何かあったのだろうというのは、レイにも想像出来た。


「人が集まるってのも、決していいことだけって訳じゃないんだな」

「そうね。集まった人が全員礼儀正しい……とまでは言わないけど、積極的に悪事を働かなければ、色々と楽でしょうね」


 だが、実際にはそんな簡単にはいかない。

 増築による人が増えたことに目を付け、最初から犯罪を目当てにギルムにやって来る者というのは決して少なくない。

 特にギルムはミレアーナ王国唯一の辺境であり、多くの富がある分、一発逆転としてそれを狙う者が多かった。

 当然のようにそのような者達はギルムの警備兵や見回りをしているヴィヘラのような冒険者、または縄張りを侵され、いらない騒動を起こすことを嫌った裏社会の人間によって排除されることが殆どだ。

 ……殆どであって、全員ではないところに現在の警備の者達を悩ませている原因があった。

 殆どの者が捕まる中、本当に能力、もしくは才能や運に恵まれた者だけが盗みを始めとした犯罪行為に成功する。


「ま、それでもマリーナの家に忍び込むのは無理だろうけど」


 マリーナの家に施されているセキュリティ……精霊魔法による防犯能力とでも呼ぶべきものを思い出しながら、レイが呟く。

 するとヴィヘラとビューネがそれに同意するように頷いた。

 セトは歩きながらレイに撫でられるのが嬉しいのか、特に気にした様子はなかったが。


「マリーナの家に忍び込むような恐れ知らずは、マリーナの恐怖を身体に……いえ、心に刻み込まれるでしょうね」

「あら、随分な言いようね。それだと、まるで私が悪いみたいじゃない」


 いつの間にそこにいたのか、そこには先程ギルドに向かうと言って別れた筈のマリーナの姿があった。

 マリーナらしい、女の艶を凝縮したような艶然とした笑みを浮かべているのだが、同じパーティメンバーのレイやヴィヘラは少しだけ瞳に悪戯っぽい光が宿っていることに気が付く。


「……随分と早かったわね。てっきりもう少し時間が掛かると思ってたんだけど」


 一瞬驚いたヴィヘラだったが、すぐにそれを消してそう告げる。


「レイが帰ってきたんですもの。早めに顔を出すのは当然でしょう?」


 何でもないかのように告げるマリーナの言葉に、ヴィヘラは仕方がないなといった笑みを浮かべてから、口を開く。


「それで、トレントの森の方はどうだったの?」

「いつも通りね。特に問題は起きなかったわ」


 そう告げるマリーナだったが、先程レイに叩きのめされた樵の件を考えれば、本当に問題がなかったと言われても信じることは出来なかった。

 もっとも、マリーナも、そしてヴィヘラも男に言い寄られるのは慣れている。

 同時にそのあしらい方も、既に熟練の域だ。

 ……マリーナはともかく、ヴィヘラの場合は自分より弱い相手に興味はないと告げ、自分を口説きたいのなら戦って勝ってみろという、かなり乱暴な方法なのだが。


「それで、レイの方はどうだったの?」

「あー、そうだな。実は……」


 レルダクト伯爵領で起きた件を説明しようとしたレイだったが、自分達が進んでいる方から見覚えのある顔がやってきたことで言葉を止める。

 同時に向こうもレイの存在に気が付いたのだろう。

 人影が見えたというところで一瞬緊張し……だが、それがセトを連れたレイだと知ると、嬉しそうな笑みを浮かべ声を上げ、レイに向かって近づいていく。


「レイ隊長! お久しぶりです!」

「……だから、もう隊長じゃないだろ。遊撃隊だったのはもう大分前なんだから、いい加減に慣れろよ」


 溜息と共にレイはそう告げる。

 目の前にいるのは、レイがベスティア帝国の内乱に参加した時に遊撃部隊として一緒に行動した者達だ。

 その内乱が終わった後レイと一緒にギルムに来て、冒険者として活動している。

 ……ギルムに来た理由はそれぞれだが、それでも全員に共通しているのは絶対にレイと敵対したくないということだった。

 内乱におけるレイの戦いを間近で見ただけに、レイの所属しているミレアーナ王国と長年敵対してきたベスティア帝国にいるのは危険だと感じたのだろう。

 勿論それ以外にも、レイを慕っているといった理由もあるのだが。


「ヴィヘラ様もお元気なようで何よりです」


 レイと同時に、ヴィヘラにも挨拶をする冒険者達。

 ベスティア帝国出身だけに、国民からの人気が高かったヴィヘラと話せるということは嬉しいのだろう。

 冒険者達はヴィヘラと話せる興奮に頬を赤く染めながら、そう挨拶をする。


「そう言えば、今日はお前達だけか? ヨハンナの姿がないようだけど」


 セトを可愛がるという意味では、灼熱の風のミレイヌに負けないだけの愛情を持っているヨハンナの姿がない。

 真っ先にセトに向かってくる者がいなかったことに気が付き、レイは他の面々に対してそう尋ねる。


「え? あ、はい。ヨハンナは壁の方で仕事を引き受けています」


 元遊撃隊の面々の数は数人といったものではない。

 何十人という規模だ。

 当然そうなれば、全員が一つのパーティとして活動出来る筈もない。

 結果として、元遊撃隊の面々は幾つものパーティに別れて行動していた。

 勿論ギルムに来てからそれなりに時間が経っているので、元遊撃隊以外のパーティに参加している者も多い。

 そんな中で、こうして現在レイの前にいるのは、全員が元遊撃隊の面々だった。


「そうか。それで、お前達は貴族街の見回りか?」

「はい。……その、こう見えても結構俺達優秀なんですよ?」

「だろうな。ここの見回りを希望しても、誰もが出来る訳じゃないし」


 貴族街という場所の見回りを任されるのだから、それは当然のように信用に足る人物でなければならない。

 迂闊に妙な考えを抱いているような相手を雇って、その人物が盗みを働いたり、貴族に暴行したり……といった真似をするのはギルドとしても絶対に避けるべきことなのだから。


「レイさんにそう言って貰えると、嬉しいですね」


 心の底から嬉しそうに言い、元遊撃隊の面々とレイ達は暫くの間、会話に花を咲かせるのだった。

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