第1439話

「……何でこんなことになってるんだろうな」


 レイは溜息を吐き、自分の前にいる男に視線を向ける。

 そこにいるのは、怒りで顔を真っ赤に染めた二十代程の男。

 長剣を手に、怒気混じりの視線をレイに向けている。

 怒気は混じっていても殺気が混じっていないのは、せめてもの救いなのか。

 視線を横に逸らしたレイは、困ったような表情を浮かべているヴィヘラと、相変わらず無表情なビューネの姿を視界に入れる。

 レイが現在のような状況になっているのは、そう難しい話ではなかった。


「いいな! 俺が勝ったら、もう二度とヴィヘラさんにちょっかいを出すなよ!」


 男が長剣の切っ先をレイに向け、そう叫ぶ。

 ことの起こりは、レイがワーカーとの話を終え、レノラやケニーとも言葉を交わしてギルドを出てきた時のことだった。

 それこそ、ちょうどタイミングを計っていたかのような感じで、ギルムの警邏を終えたヴィヘラとビューネがギルドに戻ってきたのだ。

 ……ただ、その警邏を行っていたのはヴィヘラとビューネだけではない。

 警備兵の数が足りずに冒険者に街の警邏を依頼しているのだが、それは何人かのグループで行われていた。

 そうしてヴィヘラと一緒のグループにいた男は、思い込みが激しかったのか、女に対する耐性がまるでなかったのか……ともあれ、ちょっとやそっとでは見ることが出来ない美女のヴィヘラに、完全にのぼせ上がっていた。

 別にヴィヘラが男に対して何か気を持たせるようなことをした訳ではない。

 ただ、ヴィヘラを見た瞬間に一目惚れしてしまったのだ。

 中途半端に自分の腕に自信があったのが、余計に自分がヴィヘラに相応しい男であると、そう認識してしまった。

 そうして猛烈にアタックを開始したのだが、当然ヴィヘラが男を相手にする筈もなく……そんな時、レイの顔を見て満面の笑みを浮かべたヴィヘラを前にして、半ば暴走してしまった形だ。


「あー……本気で俺と戦うつもりか?」


 ヴィヘラと一緒に行動していたのは、今レイの前にいる男だけではない。

 それこそ、前からギルムで冒険者として活動していた者もおり、そのような者達は当然のようにレイの実力を知っている。

 だからこそ男を何とか止めようとしたのだが、ヴィヘラに対する恋心と、レイに対する嫉妬で考える能力を半ば失ってしまった状態の今の男は、そんな忠告を聞くことはなかった。


「ヴィヘラ」


 最後の頼みとヴィヘラに視線を向けるレイだったが、それに返ってきたのは首を横に振るという行為。

 ヴィヘラも男に言い寄られる度に何度も断っているのだ。

 だが、それをどのように曲解したのか、男はヴィヘラはレイによって騙されているのだと、そう判断してしまった。

 そしてヴィヘラに近づくレイを許せないと、そう判断し……現在の状況となる。


「どうした! 臆したのか! 正々堂々、このメラン・キャニングと戦って見せろ!」


 叫ぶ男……いや、メランの名乗りに、レイは少しだけ驚く。

 今、目の前の男はメラン・キャニングと……そう名乗った。

 そう、名字を名乗ったのだ。

 この世界で名字を持つというのは、非常に珍しい。

 それこそ一介の冒険者が名乗れるようなものではなかった。


(貴族か? それとも、何らかの偉業を達成したとかか?)


 一瞬そう考えるも、その辺りを自分が考える必要はないだろうと判断する。

 結局これは一種の決闘であり、既に自分の勝利は決まっている戦いなのだろうと。


「ああ、もう面倒臭いな。……分かった。お前の考えはとにかく分かった。なら、さっさと片付けよう」


 そう告げ、レイは構える。

 ただし、レイが構えたのはデスサイズでも、黄昏の槍でも、茨の槍でもなく……拳だ。


「おい、それは何の真似だ」


 自分が長剣を構えているというのに、レイは特に武器らしい武器を構えていない。

 拳を軽く握って顔の前に持ってきているだけだ。

 メランにとっては、自分を侮っているとしか思えない。

 周囲にいる者達は、そんなメランの言葉に思わずといった様子で天を仰ぐ。

 レイが本気で戦わないだけ幸運なのだが、それをまるで分かっていないメランの様子に思わず……といったところだろう。


「お前を相手にするのに、武器を使う必要はないってことだよ。……それに、こう見えて俺は素手の戦いも結構得意だしな」


 その言葉は決して間違ってはいない。

 それに、武器を使えば誤って相手を殺してしまう可能性があったが、素手であればそんな心配は殆どいらない。

 ……殆どとしたのは、レイの身体能力があれば普通に素手で相手を殺すことが出来るからだ。


「っ!? その傲慢、負けてから後悔しろ!」


 そう言いながら、メランは一気にレイとの距離を詰めて長剣を振り下ろす。

 ……それでも刃の部分ではなく、刀身の中程にある部分をレイに当てようとしたのは、決闘を挑んだものの、レイを殺すつもりは一切なかったことの証だろう。


(へぇ、頭に血が上っているように見えたけど、意外と考えているんだな)


 自分に向かって振り下ろされた長剣の腹を見ながら、レイは一歩後ろに下がる。

 レイの目の前を、長剣が通りすぎていく。

 地面にぶつかりそうになった長剣を男が止めたのを横目に、そのまま前に出る。

 渾身の一撃が外されて動きが一瞬止まってしまったメランに、レイは拳を突き出す。

 瞬間、周囲に響いたのは、とてもではないが人が何かを殴ったのとは思えないような音。

 メランはレザーアーマーを着ていたのだが、それが全く意味をなさない程の衝撃によって浮遊感を感じたかと思った瞬間に意識を失う。

 この場合、意識を失ったメランは寧ろ運が良かったのだろう。

 自分の身体が数m吹き飛び、そのまま地面に身体を擦りつけたまま更に数m地面を転がるといった体験をしないで済んだのだから。


「お、おい。……あのレザーアーマー見てみろよ。あれってもしかして拳の跡だったりするのか?」


 周囲で見物していた者の一人が呟く。

 その言葉を聞いていた者達がメランの鎧に視線を向けると、そこでは男が口にしたように拳の跡と思われるものがメランのレザーアーマーにしっかりと残っている。

 普通であれば、レザーアーマーを殴ってもあそこまで綺麗に跡がつくようなことはないだろう。

 それは、レイの放った一撃がどれだけの威力を持っているかの証だった。


「また、強引な真似をするわね」


 周囲の者達が驚愕の表情でメランのレザーアーマーに残された拳の跡を見ている中で、ヴィヘラだけは呆れた様子で自分の方に近づいてくるレイを見ていた。

 レイが何をしたのかというのは、ヴィヘラには分かった。……いや、ヴィヘラだからこそ分かったのだろう。

 ヴィヘラの持つスキルに、相手に触れると同時に魔力による衝撃を用いて相手の体内に直接衝撃を与える浸魔掌というものがある。

 ……もっとも、アンブリスを吸収した今のヴィヘラの浸魔掌は、相手に触れるだけで魔力を送り込み、内部から爆発させるという凶悪なスキルに変化しているのだが。

 そしてレイがやったのは、浸魔掌と似ているようで違う。

 相手の体内に衝撃を与えるという意味では同じなのだが、その方法はレザーアーマーを殴って力ずくで衝撃を与えたのだ。

 その威力は、レイがかなり手加減していてもメランが派手に吹き飛ぶだけのもの。


「そうか? まぁ、死なないように手加減はしたつもりだし、命に別状はないだろ。骨も折れてないと思う」

「……レイにしては珍しく手加減をしたわね?」

「いや、俺だっていつも本気で相手を叩きのめしてる訳じゃないぞ?」


 そう告げるレイだったが、ヴィヘラは信用していないという表情でレイを見る。


「今までのレイの行動を思えば、ちょっと信じる事は出来ないんだけど?」


 そう言われれば、レイも自分がこれまでやって来た行動を思い出さざるを得ない、


「まぁ、私の為に戦ってくれたんだと考えれば、女として嬉しいんだけどね」


 言葉通り、本当に嬉しそうに笑みを浮かべるヴィヘラ。

 そんなヴィヘラの近くで、ビューネはどこか呆れたような視線をヴィヘラに向けているようにレイには思えた。

 いつものように表情は変わっていないのだが、雰囲気が違うと言うべきか。

 ともあれ、そんなビューネの視線に気が付いたのか、ヴィヘラは話題を変える。


「それで、レイが戻ってきたってことは、あっちの件は片付いたのよね?」

「ああ、そっちの方は終わった。ただ、いよいよ壁を壊すんだって?」

「そうらしいわね。私はそっちにはあまり手を出してないけど」


 基本的に警備兵の手助けといった感じの仕事をしているヴィヘラだけに、あまりそちらには関与していないのだろう。


「そうか。マリーナの方は今日もトレントの森か?」

「ええ。精霊魔法で色々と助かってるそうよ? 聞いた話によると、樵の士気が天井知らずに上がってるとか」

「……まぁ、男所帯だしな」


 例外もあるが、基本的に樵というのは男が多い。

 少なくても、レイが知っているギルムの樵というのは男だけしかいなかった。

 そんな中でマリーナのような妖艶な美女が一緒に仕事をしているのであれば、当然いいところを見せようと思う者は多くなるだろう。

 それだけではなく、マリーナの場合は精霊魔法がある。

 夏という暑い季節に樵の仕事をするというのはかなりの重労働だ。

 木を切るということで、一応木陰で仕事をすることもあるのだが、それは気休め程度にしかならない。

 だが……そこに精霊魔法の使い手がいれば、どうなるか。

 マリーナが得意としている水と風の精霊は特にその手の効果が得意となっている。

 つまり、樵達は夏にも関わらず非常に涼しい環境の中で仕事が出来るのだ。

 夏の暑さの中で快適に仕事が出来るのだから、マリーナが樵達から人気が出るのは当然だった。


「でも、そろそろ戻ってきてもいい時間でしょうし……どうする? 夕暮れの小麦亭に戻る?」

「あー……そうだな。俺もマリーナに用事はあったけど、それは別に夜でもいいか」

「あら、用事があるのはマリーナだけ?」

「いや、別にそういう訳じゃないんだけどな」


 レルダクトの屋敷から奪ってきたマジックアイテムは、自分はいらないからマリーナの家にでも飾ってくれ。

 そんなことを、こうして人目の集まっている場所で言える筈もなく、レイはそう誤魔化す。

 レイの様子を見て、何か事情があるというのは理解したのだろう。

 ヴィヘラもそれ以上はレイを追求したりはせず、小さく頷く。


「じゃあ、私はギルドに仕事の報告をしてくるから、ちょっと待っててくれる?」

「俺は別にいいけど……あいつはどうするんだ?」


 ヴィヘラに一目惚れし、勘違いをしてレイに絡んできたのだが、一撃で意識を失ってしまったメランを見ながらレイが尋ねる。


「そうね。……じゃあ、誰か適当に彼を日陰にでも運んでおいてくれる? まさか夏の日差しの下に寝かせておく訳にもいかないし」


 ヴィヘラの言葉に、一緒に行動していた何人かが頷いてメランを日陰に引っ張っていく。


(しっかりと仲間を把握してるってことか)


 メラン程ではないにしろ、ヴィヘラに魅了されている者は多いのだろう。


「じゃあ、俺はセトと遊んでるから」

「ええ、すぐに戻ってくるわ」


 そう告げ、ヴィヘラはビューネや他の面々を引き連れてギルドに入っていく。

 それを見送ったレイは、ギルドの側で寝転んでいるセトのいる場所に向かう。

 セトも当然のように先程の決闘――と呼ぶには一方的だったが――を見てはいたのだが、明らかに力量が違うというのを見て取ったのだろう。

 寝転がったまま、レイとメランの決闘に手出しをするような真似はしなかった。

 ……もしくは、誰かが置いていってくれたサンドイッチに意識を集中していたのかもしれないが。


「グルルルゥ」


 レイを見て、寝転がりながら食べていたサンドイッチをそのままにして、喉を鳴らすセト。

 そんなセトの様子に、レイは小さく笑みを浮かべる。


「全く、少しは俺を心配してもいいんじゃないか?」

「グルゥ?」


 心配する必要があったの? と、喉を鳴らすセトの頭を、レイはそっと撫でる。

 冬であればセトの身体と体毛は暖かいのだが、今は夏だ。

 だからこそ、いつものようにセトを撫でる為に大勢が集まってくることはないのだろう。

 もっとも、中にはそんなのは関係ないと、夏でも関係なくセトに抱きつく者達もいるのだが。

 セトが食べているサンドイッチを見て小腹が空いたレイは、自分もミスティリングの中からサンドイッチを取りだし、食べ始める。


「グルルルルゥ」


 するとレイが食べているサンドイッチが美味そうに見えたのだろう。セトが自分も欲しいと喉を鳴らす。

 何だかんだとセトに甘いレイは、そんなセトにサンドイッチを分けてやりながらヴィヘラとビューネが出てくるのを待つのだった。

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