第1424話

「グルルルルルルゥ!」


 セトが鳴き声を上げながら、空を飛ぶ。

 かなり離れた場所にハーピーらしき姿が見えたのだが、セトの鳴き声を聞いたその影は即座にこの場から離れていった。

 先程の鳴き声を聞いただけで、セトという存在に自分達では絶対に勝てないと理解してしまったのだろう。

 ……もっとも、レイはそんなハーピーの様子は全く気にせずに、セトの首の後ろを撫でる。


「機嫌がいいな」

「グルゥ!」


 レイの問いに、セトは嬉しそうに鳴き声を上げる。

 ここまでセトが元気一杯なのは、やはり朝食にたっぷり料理を食べることが出来たからだろう。

 シラーの住んでいる村を発った日の翌日。そろそろ目的地に到着するという頃合いだ。……ただしレルダクトの領地ではなく、その付近にある中立派の貴族が治める領地だが。

 そこで一旦レルダクト伯爵領の情報を入手し、どのような報復手段を執るのかということの検討をする必要がある。

 貴族派の中ではそこまで有力な人物ではなくても、貴族であるというのは変わらない。


「なら、何らかのマジックアイテムを持っている可能性は高い、か。……やりすぎは駄目だろうけど」


 レルダクトが派遣した者達の手により、死人は出ている。

 だがそれでも、レルダクトを殺すというのはダスカーにより禁止されていた。

 もっとも、逆に言えば殺さなければ何をしてもいいということなのだが。


「グルゥ?」


 レイの呟きが聞こえたのだろう。セトがどうしたの? と不思議そうに後ろを向く。

 そんなセトを撫でながら、レイは何でもないと言い……やがて視線の先に一つの街があるのを見つける。

 もっとも、街と言ってもギルムとは比較にならない程に小さい街だが。


(いや、ギルムは街って規模じゃなかったからな。そっちと比べるのは間違いか。……アブエロやサブルスタと比べても小さいのは間違いないけど)


 視線の先の街を見ながらそう考えるレイだったが、そもそもアブエロもサブルスタもギルムに行く者達は必ず寄る街だ。

 そうである以上、普通の街と比べて発展するのは当然だろう。

 だが、ここは特に何かがある訳でもない。

 強いて言えば、草原が広がっているので酪農の類が盛んではあるのだが、レイが聞いた話によると酪農を中心にしているのは街ではなく村が中心にやっているという話だった。

 つまり、今レイの視線の先にあるのは良くも悪くも平凡な街という表現が相応しい街だった。

 もっとも、それが悪いことではない。

 平凡であっても寂れさせることなく健全に街の運営をしているのだから、それは十分に誇るべきことだろう。


「それに、もしかしたら遠くから見てるだけだと分からない何かがあるかもしれないし……行くか、セト。美味い名物料理でも楽しみにして」

「グルルゥ!」


 レイの言葉に、セトはザクーニャで食べた川魚の鍋料理を思い出したのだろう。嬉しそうに鳴き声を上げつつ、翼を羽ばたかせて地上に向かっていく。

 そんなセトの姿に気が付いたのか、街に向かっていた旅人達――商人や冒険者も含む――が、上を見て驚きの声を上げていた。

 だが、レイはそれに構わず街から少し離れた場所にセトを着地させると、そのままセトと共に歩いて正門前に向かう。

 当然そんな真似をすれば非常に目立つのは当然であり、街に向かっていた多くの者達がレイとセトに……より正確にはセトに視線を向ける。

 グリフォンという存在を、初めてみたのだから当然だろう。

 多くの者達の視線を受けながら、レイは街の出入りをチェックしている警備兵に向かって話し掛ける。


「街に入りたいんだけど、手続きをしてくれないか?」

「え? あ? は? え?」


 一番近くにいた警備兵に話したレイだったが、その警備兵はまさか自分が話し掛けられるとは思ってもいなかったのだろう。

 グリフォンのセトを前に、どう反応していいのか迷い、口籠もる。

 そんな同僚を見かねたのだろう。四十代程の熟練の警備兵が代わって前に出る。


「街に入る手続きですね。分かりました。その、身分証をお願い出来ますか?」

「……ああ」


 警備兵の言葉に頷き、レイはギルドカードを取り出す。

 少しだけ驚いた様子で沈黙したのは、セトを連れているにも関わらず警備兵が手続きをしないと言わなかったことや、その警備兵の態度が柔らかなものだったということがある。

 以前にセトを連れて街や村に入ろうとした時は、グリフォンのセトを怖がった警備兵により結局セトだけは街中に入ることが出来なかった……ということが何度かあった。

 そういう意味では、この街の警備兵はレイとセトにとって十分尊敬に値する人物なのは間違いない。


「グルルルゥ? グルゥ!」


 セトもそんなレイの気持ちは分かったのだろう。レイのギルドカードを受け取ろうと手を伸ばした警備兵に、円らな瞳を向け人懐っこい様子で喉を鳴らす。

 そんなセトの様子に、警備兵の方も少しだけ驚く。

 グリフォンというのは、それこそ物語に出てくるような高ランクモンスターだ。

 それだけに、まさかこのように愛らしい仕草を見せるとは思わなかった。

 最初にレイに話し掛けられた警備兵も、セトがグリフォンというだけで恐怖していたのだが、今の様子を見て愛らしい様子に少なくない衝撃を受ける。

 その衝撃を受けたのは、警備兵だけではない。

 街に入る手続きをしていた他の商人や冒険者といった者達までもが、今のセトの様子を見て自分が抱いていたグリフォンのイメージと全く違うことに戸惑いつつ、それでいながら愛らしい様子に目を奪われてしまう。


「グルゥ?」


 そんな周囲の者達に、どうしたの? と小首を傾げるセト。

 そしてセトの様子を見た者達は、突然自分の中に生まれたその暖かい、愛しい、可愛い……そんな思いを認識してしまう。

 セトがグリフォンであるのは事実だが、同時にギルムのマスコット的な存在でもある。

 それは何も伊達ではなく、セトらしさを見れば、多くの者がそんなセトを愛しく思って当然だった。

 ……その上、セトはそんなやり取りを狙ってやっている訳ではなく、素の状態でやっているのだ。

 この辺り、セトの人懐っこい性格がこれ以上ない形で発揮された結果だと言えるだろう。


「あー……その、手続きの方はいいか?」

「……はっ! え、ええ。はい、大丈夫です。すいませんでした、深紅のレイ殿」


 セトを連れているということで、レイが誰なのか予想出来たのか、それともギルドカードを見て理解したのか。

 ともあれ、レイは街の中に入る手続きを終えると、警備兵から従魔の首飾りを受け取る。

 そうして未だにセトに対して視線を集めている者達に一瞬だけ視線を向けると、レイはセトと共に街の中に入っていく。

 そうなればそんなレイとセトを見て、街の中に入る手続きをしていた者達は全員が残念そうな表情を浮かべていた。

 もう少しセトを見ていたかった……というのが、正直なところなのだろう。

 だが、別にレイはセトを見せびらかす為にここに来た訳ではない。

 そうである以上、きちんと自分がやるべき仕事をする必要があった。


「まずは、領主の館だな。……どこだ?」


 ギルムには劣っても、街という規模だ。

 どこに領主の館があるのか分からないレイは、名物料理を探すついでも兼ねて周囲の屋台で食べ物を買いながら情報を集めていく。

 当然のように屋台の店主はセトを見て驚きの声を上げるが、レイが気前よく大量に買い物をしてくれるので、すぐにセトのことを気にしなくなっていった。

 ……また、セトが大人しくしているというのも、店主達をパニックにしなかった大きな理由だろう。

 そして大人しくしているセトを見れば、当然のようにその愛らしさにも気が付き……結局それは正門前で行われた行為の繰り返しとなる。

 セトについて話せば、レイがギルムの冒険者で、深紅の異名を持つ人物だということはすぐに知られる。

 結果として、レイとセトが怖がられることはなくなった。

 レイがこの街の領主ゲイルと同じ中立派の存在であると、そう理解されたのも大きいだろう。

 そんな状況である以上、領主の館がどこにあるのかを探すのは難しい話ではなかった。


(まぁ、これといって特筆すべき料理は見つからなかったけど)


 愚痴りながら、ホットドッグのように細長いパンに薄く焼いた肉を何枚も挟んだ料理を食べながら、レイは若干不満を抱く。

 もっとも、この街の料理自体は決して質が低いという訳ではなく、平均点ではある。

 だが……それでも、最近食べた川魚の鍋料理が美味かっただけに、若干の不満を抱いてしまうのは仕方がなかった。


「グルゥ!」

「ああ、ほら。こっちをやるよ」


 レイと同じホットドッグのようなパン料理を食べていたセトが、もっと頂戴と喉を鳴らす。

 そんなセトに、レイは自分が食べていたものを渡すと、セトはそれも嬉しそうに食べ始めた。


「お前は苦労がなくていいな」

「グルルゥ?」


 レイが何を言っているのか分からないといったように、セトは小首を傾げる。

 ……もっとも、この場合の苦労というのは、今回の依頼の件ではなく食べ物の件なのだが。

 ともあれ、レイとセトはそのまま進んでいき、やがてこの街の領主、ゲイルが住んでいる領主の館が見えてくる。

 領主の館といってレイが想像していたのはギルムにある領主の館だったのだが、そんなレイが想像していた建物よりも大分小さな建物。

 だが、中立派の中心人物にして、ミレアーナ王国唯一の辺境を任されており、財力も裕福なギルムにある領主の館と比べて小さいのは当然だろう。

 それでも、領主の館の門番は、レイとセトを見ても少しだけ驚きの表情を露わにするだけで、動揺して騒ぎ立てたりはしなかった。

 それも当然だろう。何故なら、現在門番を務めている二人はベスティア帝国との戦争に参加しているのだ。

 そこで行われた、まさに天変地異と呼んでもいいような光景をその目にしている。

 当然それだけであればレイとセトを怖がってもおかしくはなかったのだが、幸いと言うべきか、戦争が終わった後でレイが他の皆と接する光景を目にしており、味方の自分達までもが怖がる相手ではないというのは理解していた。

 この二人も、レイは覚えていないがその時に一度会話を交わした相手であった。


「えっと、ここがゲイル子爵の領主の館で間違いない、よな?」

「ええ、そうなります」

「そうか。……なら、取り次ぎを頼む。ラルクス辺境伯からの紹介状を持ってきた」

「すぐに知らせてきますので、もう少々お待ちください」


 レイから渡された紹介状を手に、門番の一人が領主の館の中に向かう。

 それを見送り、もう一人の警備兵はレイに向かって頭を下げた。


「遅く……本当に遅くなりましたが、レイ殿には感謝しています。レイ殿のおかげで、ベスティア帝国との戦争でも無事に生きて戻ることが出来ました。ありがとうございます」


 門番の言葉に、レイは何故先程の者もそうだが、この男も自分に対して丁寧に接するのかというのを理解する。

 あの戦争を経験した者だったのか、と。


「別に、俺は自分の為にやったことであって、感謝されるようなことじゃないんだけど……それでもいいなら、感謝の言葉を貰うよ」


 レイにとっては、その言葉通り自分の為にやったことだ。あの火災旋風にしても、ベスティア帝国に対する意趣返し、報復、仕返し、お礼……そんな理由から行ったものだった。

 それでも、感謝をするというのであれば……と、そう告げるレイに、門番の男はしっかりと頷く。


「その理由がなんであろうと、そのおかげで私達が助かったのは間違いありません。もしレイ殿がいなければ……恐らく生きて故郷に帰れた者はかなり少なくなっていたでしょう。ですから、理由が何であれ、感謝の言葉は受け取ってください」

「……そうか、ならそうさせて貰うよ」

「ええ。それにしても、何故この街に? こう言っては何ですが、ギルムに比べると何もない街ですよ?」


 何もない街。

 そう言いながらも、門番の男の態度に卑屈な様子はない。

 何もない街であっても、自分の住んでいる街を愛しているというのは十分に感じさせる態度。


「ちょっと用事があってな。……ああ、安心してくれ。別にこの街で暴れるようなつもりはないから。少なくても、俺が自分から暴れるってことはない。……な?」

「グルゥ!」


 レイの言葉にセトは当然と鳴き声を上げ……そんなセトの様子に、門番の男は微笑ましそうに目を細める。

 そうして数分の間、レイと門番の男は世間話をし……やがて先程領主の館に入っていったもう一人の門番が戻ってくるまで、穏やかな時間はすぎていくのだった。

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