第1423話
ザクーニャの名物料理は、川魚を使った鍋料理だった。
レイは日本にいた時も、夏になれば川に入って鮎、ヤマメ、イワナ、カジカといった魚を捕っていたので、川魚にそれ程抵抗はない。
そもそも、海から遠いギルムでは魚と言えば川魚だった。
それだけに川魚を使った料理だと聞かされたレイは少しだけ残念に思ったのだが、実際に出てきた料理はレイが予想していたのとは大きく違う料理だった。
川魚とは思えない程の濃厚な味に驚いたレイが詳しい話を聞くと、この近辺でしか捕れない川魚を使っているらしい。
実際、まだ料理前のその川魚をレイも見せて貰ったが、辺境であるが故に多くの商人が集まるギルムであっても見たことのない魚だった。
寧ろその外見は、サンマのような細長い魚にも見えた。
勿論レイの知っている秋刀魚とは色々と違うところも多かったので、正確にはサンマではないのだろうが。
事実、その味もサンマとは大きく違っていたのだから。
そのサンマに季節の野菜……初夏の野菜をたっぷりと入れた鍋料理は、夏だというのにレイを十二分に満足させた。
……一緒に食っていた村人達は、夏に鍋料理ということで汗を掻いていたのだが……レイの場合はドラゴンローブがあるので、そんな心配もいらない。
(出来れば締めで雑炊を食べたいところだけど……米はないしな)
元日本人であれば、白米に執着してもおかしくはないのだろう。
だが、レイの場合は元々その辺りに強い執着はなかった。
白米がなければパンを食べればいい。そんな感覚だったのだが……そんなレイにとっても、鍋物をした後の雑炊は決して嫌いなものではない。
いや、寧ろ日本にいた時に家で鍋料理を食べた時は、雑炊の為に具材を残しておいて、翌日にはその残りの具材を使って雑炊を食べるというのもよくやったことだった。
しかし、レイが知っている限りではミレアーナ王国で米を見たことはない。
勿論、冒険者としてレイが様々な場所に行っているのは事実だが、それでも行っていない場所の方が圧倒的に多い。
そのような場所では米が主食となっている可能性も、決して否定は出来なかった。
(まぁ、米が米という名前とは限らないけど)
そんな風に思いながら、食後の談笑としてシラーとレギュラが子供の時の話を聞かされていたレイだったが、そんなレイにふとジャズが声を掛ける。
「レイ殿、今回は本当にシラーを助けてくれて感謝する」
「別にそこまで丁寧な言葉遣いじゃなくてもいいぞ。さっきも言ったけど、成り行きだったからな」
「それでも、もしレイ殿がいなければ娘は今頃……あれの母親に頼まれたというのに、合わせる顔がない」
その言葉に、レイは今更ながらジャズの妻にしてシラーの母親の姿がないことに気が付く。
だが、ジャズの妻がどこにいるのかといったことを聞くようなことはしない。
そもそもの話、レイがここに寄ったのは本当に名物料理を堪能するというのが大きな目的なのだ。
その目的を果たした以上、そこまで興味のないことは聞こうとは思えなかった。
恐らくもう死んでいるのだろうという予想は出来たが。
しかし、そんなレイの態度もジャズの近くにいた男の言葉を聞くまでだった。
「落ち着けよ、ここはもうレルダクト伯爵領じゃないんだから」
「……何?」
その男の口から出た言葉は、レイが現在受けている依頼のことを思えば、絶対に聞き逃すことが出来ない単語が含まれている。
「レルダクト伯爵?」
ジャズに話した男も、まさかレイがそんな言葉に反応するとは思わなかったのだろう。
自分の方をじっと見ているレイに、少し驚いた……いや、若干怯えに近い感情を抱きながらも口を開く。
「あ、ああ。ジャズ達は元々レルダクト伯爵領に住んでいたんだ。けど、そこで色々とあってここまで逃げてきたんだよ」
「へぇ。興味深いな。具体的なことを聞いてもいいか?」
「……何故、レイ殿が俺の話にそこまで興味を持つ?」
レイの言葉に、ジャズは疑問を抱きつつ尋ねる。
レルダクト伯爵というのは、貴族の中でも多少強い権力を持ってはいるが、それでも結局は多少といった程度でしかない。
ましてや、貴族派のレルダクト伯爵家に、何故中立派と言われているレイが興味を持つのか。
そんな視線に、レイはどう答えるべきか迷う。
まさか、馬鹿正直にギルムの増築を妨害してきた報復に行くのだ……とまでは言えない。
結局は誤魔化すように小さく咳払いをしてから、口を開く。
「ギルムを拠点にしている俺がこんな場所にいることから分かると思うが、現在ちょっとした依頼でレルダクト伯爵領に用事があってな。それで丁度良くこれから向かう先の名前を聞かされたから、気になったんだよ。情報は幾らあっても困らないし」
「……なるほど」
一応といったように頷くが、ジャズはレイの言葉を完全に信用した訳ではなかった。
レイの言葉が嘘ではないが本当でもない。
そんな風に感じたのは、錆び付いたとはいえジャズの元冒険者としての勘からだろう。
元ランクC冒険者ということは、相応の腕利きと言ってもいい。
ギルムのような例外はともかく、普通の村や街であればトップクラスの冒険者という扱いになってもおかしくはないだけのランクなのだから。
それだけに、ジャズはレイの言葉の裏に何かがあるというのは気が付いたが、だからといってそれを追求するつもりもない。
それどころか、気にしない振りをして更に口を開く。
「レルダクト伯爵領は、かなり税率が厳しい。それこそ生きていけるのがやっと……そんな感じでな。だからこそ、俺もレルダクト伯爵領を出てきたんだが」
「まぁ、そうだろうな」
普通なら生きていくのが精一杯といった暮らしをしたいとは思わないだろう。
だが、それでも自分で住む場所を移す者というのはそれ程に多くはない。
そもそも、一生を生まれた村や街ですごす者も多いのだ。
そのような者達にとっては、自分の住んでいる場所から離れるといった認識は存在しない。
商人や冒険者といった職業になれば、その辺りの常識も覆されるのだが……そのような職に就く者は決して多くはなかった。
ましてや、本当に税金の取り立てが厳しく、生きていけない程であれば何らかの手段を考えるかもしれないが、レルダクト伯爵領の領民達は生きていくのがやっとではあっても、餓死寸前といった風ではないのだ。
この辺り、レルダクトが決して無能ではないということの証だろう。
もっとも、その才能を自分の欲を満たす為だけに使うというのが、レルダクトらしいのだが。
「……うん? ジャズがここに引っ越してきたのは随分と前だったよな? シラーはここで生まれたって言ってたし」
シラーの年齢が二十歳程だと考えれば、ジャズがこのザクーニャにやって来たのはそれよりも前ということになる。
だとすれば、ジャズの知っているレルダクトはレイの標的となっている相手と同一人物だとは思えなかった。
レイがダスカーから聞いた情報によれば、現レルダクトは三十代という話なのだから。
(普通に考えれば、今回の件で報復対象になっているレルダクト伯爵はジャズが知っているレルダクト伯爵の息子か何かだろうな)
勿論息子ではなく年の離れた兄弟、親戚、養子……そのような関係である可能性もあるのだが、それはレイにとっては関係ない。
(いや、貴族派は血筋が自慢らしいから、兄弟や親戚という可能性はあっても養子はないか)
まさか十歳くらいの頃から領主をやっていた訳がないだろう。
そんなレイの予想に、ジャズは頷く。
「ああ、そうらしいな。ただ、商人や吟遊詩人、冒険者といった者達から流れてきた噂によると、変わったのは領主だけで領地の政策は変わってないって話だったが」
レイの言葉に、ジャズがそう呟いて頷く。
領主が変わっても、その政策は変わっていない。
それを聞いた時、ジャズは苛立ちすら覚えていた。
だが、教育の結果そうなのだと考えれば、奇妙に納得もする。
「で、レルダクト伯爵領で何か情報があったら教えてくれないか?」
まさかこんな風に偶然立ち寄った村で自分がこれから行こうとしている場所の情報を得られるとは思わなかったレイが、ジャズにそう尋ねる。
「俺が直接知ってるのは、それこそ二十年以上前の情報だ。レイ殿の役に立つとは思えないのだが」
「そんなことはない。情報の古い新しいはあっても、その情報が全く役に立たないなんてことはないからな」
日本で生きていた者として、レイは当然のように情報の重要性というものを知っていた。
何をするにしても、情報があるのとないのとでは大きく違うのだ。
「分かった。もっとも、そこまで何か他の貴族の領地と違うということはない。税率は厳しいが。他に俺が知っている限りでは、レルダクト伯爵家には腕の立つ騎士団がいる。……腕が立つからといって、かなり好き勝手にやっていたが」
「あー……なるほど」
その言葉に、レイは納得したように頷く。
重税をとっている以上、領主を恨む者が出てくるだろう。
そのような者に対処する為、相応の戦力を用意しておくのは当然だった。
そしてレルダクトに協力するような者である以上、その騎士団が騎士という呼び名に相応しい行為をしているのかと言われれば……普通に考えれば、否だろう。
「名前だけが騎士団で、実質的には私兵に近い奴等か?」
「そうだな。その代わり腕には自信のある奴が多いらしい」
そう言われ、レイの脳裏を過ぎったのは今回の一件の原因となった私兵集団。
(けど、俺が捕らえた奴は何だかんだと結構雇い主に対する忠誠心があったけど……まぁ、ギルムに派遣してくるんだから、その辺りを考えるのは当然か)
一応口の堅い者達を選んだのだろうが、それでもまさかああまであっさりと全員が捕らえられるとは思っていなかったのだろう。
ギルムには、今回実際に動いたレイを抜かしても腕の立つ冒険者は多い。
その辺りの事情を詳しく考えられなかったのは、勢力の小さな中立派として下に見ているからか。
(ギルムのことをしっかりと調べていれば、そんな風に間抜けな真似をするとは思えないんだけどな)
中立派は、最大派閥の国王派やそれに準ずる貴族派と比べると決して大きな勢力ではない。
だが、それでも三大勢力と呼ばれているのは間違いないのだ。
「まぁ、どういう相手がいようとも、こっちはこっちで依頼をこなすだけだけどな」
「そう、か。まぁ、レイ殿がそう言うのであればそれで構わない。……ああ、そうだ。もし向こうで何か知りたいことがあるのであれば、ハズルイという街にいるドストリテという男を訪ねてみてくれ。恐らく力になってくれる筈だ」
「……ドストリテか。誰なのか聞いてもいいか?」
「俺の、弟だ」
そう告げるジャズの表情には、苦い色が浮かんでいる。
自分だけがここで穏やかに暮らしていることに後ろめたい思いがあるのだろう。
もっとも、一人娘がオークに連れ去られるといったことが起こったのを考えれば、穏やかな暮らしと言ってもいいのかどうかは、微妙なところなのだが。
「そうか」
だからこそ、レイは小さくそれだけを返す。
自分が何かを言っても、それがジャズにとって気休めにもならないだろうと知っているのだ。
「……すまない。少し湿っぽくなってしまったな。それで次の話だが、レルダクト伯爵領の中でも特に気をつける必要があるのは、レルダクト伯爵が住んでいるジャーワという街だ」
「まぁ、本拠地だろうしな」
「そうだ。それだけに、兵士や騎士といった者達の数も多い。何かあれば、すぐに捕らえる……んだが、レイ殿にとっては心配する必要もないか」
レイを捕らえようとするのなら、それこそ一人や二人、十人、二十人、百人、二百人であっても足りない。
勿論個人の技量が高い者であれば、その辺りの話は別となるだろうが……貴族派の中でも決して突出した存在ではないレルダクトが、それだけの戦力を持っている筈もなかった。
「一応気をつけるよ。俺だって迂闊に大きな騒ぎを起こしたい訳じゃないし」
実際にはその騒ぎを起こしに行くのだが、今は取りあえずそう告げておく。
何かあった時、もし万が一にもこの村の人々がレイの目的を知っていたとなると、色々と都合が悪い為だ。
(ましてや、この村にはジャズがいる。……ジャズがどこからやって来たのかってのは、ちょっと調べるつもりになれば分かるだろうし)
そうなった時、ジャズやこの村の人々に被害が及ぶのは出来るだけ避けたい。
そう思っての、レイの言葉だった。
「ああ、そうそう。冒険者をやってたんなら、字は書けるんだろ? 弟に出す手紙くらいは運んでやってもいいぞ」
シラーを口説こうとして失敗しているレギュラの様子を眺めながら、何気なくそう告げるのだった。
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