第1422話
田舎に……それこそどこにでもあるような村、ザクーニャ。
人口五十人程度の小さな村なのだが、現在その村の中では色々と騒ぎになっていた。
「どいてくれ、父さん! シラーを探しに行かなきゃ!」
「駄目じゃ! もう日も暮れておるんじゃぞ! こんな中で夜に村から出れば、間違いなく危険な目に遭うじゃろう。それを考えろ!」
「けど、シラーが!」
男は今にも村を出てシラーを……木の実を採りに行くと言って出て行ったきり戻ってこない想い人を探す為に家を飛び出ようとする。
それを男の父親は必死に止めようとしているのだが、年齢の差もあって男は父親を引きずりながら家から飛び出て……
「落ち着け、馬鹿もんが」
そんな言葉と共に、男の脳天に拳が振り下ろされる。
「がっ!」
目の前に火花が散ったような痛みに、男はそのまましゃがみ込む。
火花を作った人物……家の前で男を待ち受けていた人物は、しゃがみ込んでいる男を見て呆れたように口を開く。
「あの馬鹿娘の為に、お前が命を懸ける必要はない」
「何だよ、自分の娘なのにそんな言い方ってないだろ!」
「自分の娘だからだ。……探しに行くのは、別にお前じゃなくてもいいだろう。俺が行く」
「……え?」
頭を抱えていた男は、何を言われたのかと改めて男に……シラーの父親に視線を向ける。
だが、シラーの父親がモンスターの革で作ったレザーアーマーを身につけ、手に巨大な長剣、グレートソードを持っているのを見れば、その言葉の真意を理解しない訳にはいかない。
昔は冒険者をやっていたという話を聞いたことはあったが、それでもここまで冒険者らしい姿を見たことはなかった。
だからこそ、男は叫ぶ。
「膝は大丈夫なのかよ!」
そんな男の言葉に、シラーの父親は不敵な笑みを浮かべて口を開く。
「ふん、構わん。長時間の戦闘には耐えられないだろうが、それでも将来の義理の息子を死なせるよりはいい」
「なっ!? ぎ、義理の息子って……」
それが何を意味しているのかは、明らかだった。
つまり、目の前にいる男は自分をシラーの夫として認めているということだろう。
……もっとも、半ば天然気味のシラーだ。男の好意を理解させ、受け入れて貰えるまでにはまだ時間が掛かるだろうが。
だからこそシラーは十代半ばで結婚することも多いこの村で行き遅れと言われるような二十歳をすぎたにも関わらず、誰ともそういう関係にはなっていなかったのだが。
それは男にとっても嬉しいことだったが、猛烈なアピールをしてもその殆どが受け流されてしまうという意味では決していいことばかりではない。
それでも、こうしてシラーの父親には男の気持ちが伝わっていたのだから、全てが完全に無駄という訳ではなかったのだろうが。
「待ってろ、シラーの奴は俺が探して連れ戻して……」
くる。
そう言い切ろうとしたシラーの父親だったが、その言葉を最後まで口にするよりも前に誰かが走ってこの場に姿を現す。
既に冒険者モードとでも呼ぶ状態になっていたシラーの父親は、敵かと手に持つグレートソードを動かそうとしたが、走ってきたのは顔見知りの人物だった。
この村は小さい村だ。
それだけに、村人全員が知り合いだと言ってもいい。
そんな村だけに、走ってきた人物がこの村の住人であると理解するのは難しくなかった。
「おい、シラーちゃんが戻ってきたぞ! 無事だ! 安心しろ、レギュラ、ジャズ!」
レギュラと呼ばれたのは、シラーに対して好意を抱いている男。
ジャズと呼ばれたのは、シラーの父親。
そんな二人が、ここまで走ってきた村人の言葉に目を大きく見開く。
そこにあるのは嬉しさが最も多かったが、同時に困惑の色も少なくない。
この時間……夏にも関わらず日が沈み、完全に夜と呼ぶべき時間になっているこの時間にシラーが戻ってきたということに疑問を抱いたのだ。
勿論シラーが戻ってきてくれたのは嬉しいが、それでも何故このような時間にも関わらず無事に戻ってくることが出来たのか、と。
「シラーに何か妙な様子はなかったか?」
確認するようにジャズが尋ねると、シラーが戻ってきたと報告に来た男は戸惑ったように頷きを返す。
「あ、ああ。実はその、冒険者が一緒らしい。何でもオークに連れ去られたのを助けたって……」
「オークッ!?」
オークという言葉に、レギュラが声を引き攣らせたように叫ぶ。
女がオークに連れ去られるということが、何を意味しているのかは当然知っている。
それだけに、自分が好意を抱いている相手がそのような目に遭ったのかと、そう思ってしまったのだろう。
「そっちの心配はいらないみたいだぞ。冒険者がオークを倒して、シラーに何かされる前に助けたって話だったし」
その言葉に、レギュラだけではなくシラーの父親のジャズも安堵の息を吐く。
娘に万が一のことがあっては、と。そう思っていたのだろう。
「それで、その冒険者は? 娘を助けられたんだから、礼をする必要があるだろう」
「あー……その、それが……」
何故か口籠もる村人の様子に、その話を聞いていた者達……レギュラ、ジャズ、レギュラの父親の三人は疑問を抱く。
何かがあったのは確実なのだが、その何かが分からない。
もしシラーが誰かの人質にでもなっているのであれば、知らせに来てくれた男はもっと深刻そうにしているだろう。
それがないということは、決して何か致命的に悪い出来事ではないのは、間違いないのだが……
「分かった、俺が行こう」
何が起こったのかは分からない。
だが、取りあえず元ランクC冒険者のジャズなら、何があっても大抵のことであれば対処出来る。
ジャズの判断はそうしたものからの行為だった。
そして村で最強のジャズであれば、と。レギュラやその父親も納得する。
……シラーが無事に戻ってきたという知らせを持ってきた男が、微妙な表情をしていたことには気がつかず。
三人が急いでその場を去ったのを見、男は口を開く。
「幾らジャズが強くても、グリフォンを相手にどうにか出来るとは思えないんだけどな」
その言葉は、夜の闇の中にそっと消えていくのだった。
「シラー! 無事……で……」
村の入り口でシラーを見つけたレギュラがそう声を掛けるも、その言葉は途中で止まってしまう。
何故なら、レギュラの視線の先ではシラーが巨大なグリフォンの身体を撫でて嬉しそうにしていたのだから。
周囲に集まっている村人達も、現状をどう考えればいいのか迷っているのかシラーに話し掛けることが出来ていない。
「えっと……え? 何がどうなってるんだ? シラー?」
「あ、レギュラ? そんなに慌ててどうしたの? お父さんまで。膝を痛めてるんだから、無理しちゃ駄目でしょ。そんな冒険者時代の武器まで持ちだして」
シラーの口から出てきたのは、安堵の声でもなく、再会出来た喜びの声でもなかった。
レギュラは、寧ろそのことに安堵してしまう。
これだ。これが、シラーなのだと思えて。
そうして安堵しながらも、とにかく今は事情を聞く必要があるだろうと判断し、視線をシラーが撫でているグリフォンに向け……そこで初めて、シラーとグリフォン以外の人物を見つける。
勿論その人物、レイは最初からその場にいた。
だが、いなくなったと思っていたシラーと、それを遙かに上回る衝撃を見る者に与えるセト。
そんな一人と一匹を前にすれば、レイのことに気が付かなくても仕方がなかった。
……もっとも、レイがドラゴンローブのフードを脱いでいる状態であれば、その女顔に驚きもしただろうが。
ともあれ、ジャズ、レギュラ、レギュラの父親は三人共がシラーが無事なことに安堵する。
そうなると次に気になってくるのは、当然ながらレイとセトだろう。
「シラー、その……そっちの人とそのグリフォンは何だ?」
父親からの問いに、シラーは満面の笑みを浮かべて口を開く。
「ほら、前に吟遊詩人の人が来た時に歌ってたでしょ? ベスティア帝国との戦争で活躍したっていう冒険者。その時の功績で深紅の異名をつけられたっていう。それがこの子なのよ」
この子、と。レイを相手に子供呼ばわりするシラーだったが、レイはそれに対して特に何も言うことはない。
勿論自分を侮る目的でそのような態度を取られれば、レイも相手に対して相応の態度を取るだろう。
だが、シラーの場合は特に悪意がある訳でもなく、平気でレイに向かってそんな態度を取っているのだ。
……それが面白いか面白くないかで言えば、やはり微妙に面白くはないのだが。
「そうか。あの深紅に娘が助けられるとはな。シラーの父親のジャズだ。娘を助けてくれたことに礼を言わせてくれ。ありがとう」
ジャズが深々と頭を下げる。
そんなジャズに続いてレギュラも頭を下げる。
何故自分の父親だけではなくレギュラまでもが頭を下げるのかと不思議そうにしていたシラーだったが、友人だったら当然かと思い直す。
「ちょっと、何よそんなに皆で。そりゃあオークに連れ去られたのは悪かったと思うけど」
「そうだ! 大体、何で一人で村から出てるんだよ。いつも出る時は複数でって言われてるだろ!」
シラーの言葉に、顔を上げたレギュラが叫ぶ。
レギュラにとっては、シラーを心配したあまりの言葉だったのだが、それがシラーには分からなかった。
不服そうに頬を膨らませる。
「しょうがないじゃない。皆忙しかったんだから」
「いや、忙しいって言ってもだな。……ったく。とにかく、無事でよかった。ジャズさんなんか、今にも村の外にシラーを探しに行こうとしてたんだからな」
自分が村の外に出ようとしているのをジャズに止められたということは口にせず、レギュラがそう告げる。
お前が言うのか? と、レギュラの性格を知っている何人かが視線を向けるが、その視線を向けられた本人は全く気にした様子もない。
いや、シラーの無事を見て安堵しているのと同時に、そのシラーの現在の全く気にした様子もない態度を見て苛立ちを覚えるという複雑な状況に陥っているレギュラは、そんな視線に気が付くような余裕がないというのが正しかった。
「ごめんなさい。でも、レイ君に助けて貰ったから安心してよ。それより、レイ君を村の中に入れたいんだけど、いい?」
「ふむ、構わんじゃろ」
そう答えたのは、少し前からこの場にやってきてシラーとレギュラのやりとりを眺めていた老人だ。
「村長」
村人の中の誰かが呟く。
これだけ大勢村人が集まっているのだから、村長がやって来てもおかしくはない。
「うむ。……レイ殿と仰ったか。うちの村の者を助けていただいて感謝させて欲しい。この通りじゃ」
先程のジャズやレギュラと同様に、深々と頭を下げる。
「いや、気にしないで欲しい。こっちも偶然だったし、オークは俺にとっても文字通りの意味で美味しい獲物だしな」
「そ、そうか。……じゃが、シラーを助けてくれた礼はせねばなるまい。しかし、見ての通りこのザクーニャは小さな村。異名持ちの冒険者のレイ殿に相応しい品があるとは……」
「ああ、俺が欲しいのはもう決まってる」
そう告げたレイに、村長は顔に出さないようにしながら緊張する。
何を欲するのか、それが分からなかった為だ。
本人も口にしたように、ザクーニャというのは五十人程度の小さな村でしかない。
レイのような高名な冒険者が欲する何かがあるとすれば、それは……
何を想像したのか、村長の視線はシラーに向けられる。
多少年をとってはいるが、それでもシラーは平均以上の顔立ちをしていた。
もしシラーの身体を望むのであれば……そう思ってしまったのは、これまで村長が会った冒険者が色々と素行の悪い者達だったからだろう。
……シラーの父親のジャズも冒険者なのだが、それは数少ない例外と認識されていたのだろう。
そんな村長の視線の意味を即座に理解したのは、レギュラ。
シラーに対して恋心を抱いているだけに、その手の視線には非常に敏感だった。
「なっ! 村長!?」
頭に血が上ったレギュラが何かを言おうとするも、それよりも前にレイが口を開く。
「何でも、この村には名物料理があるんだろう? それを俺とセトに腹一杯食わせてくれるって話だな」
『え?』
レイの口から出たのが完全に予想外の言葉だったのか、村長やレギュラ、ジャズだけではなく、その話を聞いていた村人達全員が思わずといったように声を揃えて呟く。
異名持ちのランクB冒険者。
そんな人物を働かせて、その報酬が料理でいいのかと、そう思った為だ。
だが、村長に視線を向けているレイは、決して冗談でも何でもなく……本気でそう言っていた。
それが分かった村長は、やがて大きな笑い声を上げながら村の中にレイとセトを招き入れるのだった。
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