第1421話

 既に辺境と呼ばれる場所からは大きく離れ、サブルスタまで馬車で数日掛かってもおかしくないだろう場所。

 夏らしく力一杯輝いていた太陽が、昼間の行動で疲れて力を失ったかのように西に沈んでいっている。

 そんな太陽が最後の力を振り絞って放つ西日に嫌そうな表情を浮かべながら、レイは捌き終わったオークの素材や魔石、討伐証明部位……そして最大の目的の肉をミスティリングに収納し、セトの待っている場所に向かう。

 いつもであればレイと一緒にいたがるセトだったが、今回に限ってレイと一緒に来なかったのは、オークに捕らえられていた女の護衛を頼んだ為だ。

 女の側でオークの解体をしてもよかったのだが、オークに連れ去られたのだろう女の目が覚めた時、近くにオークの死体を解体している奴がいては激しい衝撃を受けるだろうと、そう思っての行為だった。

 もっとも、セトに慣れているレイにとっては最善の選択肢だという認識で、実際にそれは間違いなかったのだが、何も知らない者にしてみれば、気がつけば自分のすぐ側にグリフォンがいるのだ。

 普通であれば、オークがいるよりも余程に驚くだろう。

 だが……幸いなことにと言うべきか、レイが戻った時、まだ女は目を覚ました様子はなかった。

 ……もし目を覚ましていたとしても、近くにグリフォンがいるというのを知れば、そのまま気絶した振りを続ける可能性もあったが。


「セト、異常はなかったか?」

「グルゥ!」


 レイの言葉に、草の上で寝転がっていたセトが勿論、と鳴く。

 実際、こうしてセトがその身を晒しているのであれば、ある程度知能の高いモンスターであれば自分から近寄ってくることはない。

 ゴブリンのような例外はいるが。


「そうか、なら起きた時にすぐに何か腹に入れられるように、食事の準備でもするか?」

「グルルルゥ!」


 食事というのが嬉しかったのだろう。

 セトは嬉しそうに鳴き……


「ん……んん……」


 そんなセトの声が、気絶していた女を目覚めさせる。

 女の口から出た声に、レイは改めて女に視線を向けた。

 女の寝顔を見るというのは不作法だというのは、レイも知っている。

 だが、女の正体が分からない以上、レイもそう簡単に気を許す訳にはいかない。


(実は暗殺者で、目が覚めた瞬間周囲を巻き込んで自爆……とか、そういう可能性もないって訳じゃないだろうし。……いや、ないか)


 自分で考えたことを、すぐに否定する。

 そもそも、レイがここを通るというのは今日偶然決まったことだ。

 ダスカーから貴族派の貴族に対する報復の依頼を受けていなければここを通ることもなかったし、セトの飛ぶコースによってもオーク達に出会わない可能性も十分にあった。

 だとすれば、これは仕組まれたものではなく、完全に偶然だということになるだろう。


「見たところ、二十歳くらいか?」


 レイの目で見た印象では、そのくらいの年齢に見えた。

 勿論世の中には実年齢と外見が大きく違う者も決して少なくはない。

 特にエルフやダークエルフといった長命な種族はそれが顕著な例だろう。

 また、外見年齢という意味では、レイも同様だった。

 エレーナはエンシェント・ドラゴンの魔石を継承して寿命は桁外れに延びたし、ヴィヘラもアンブリスを吸収したことにより生物的に人間以上の存在になった。


(あれ? そうなると紅蓮の翼でまともな人間なのって、実はビューネだけか? ……まぁ、あの小さな身体にも関わらず、俺と同じくらい食うって点で普通じゃないけど)


 レイも身体の大きさに見合わず食うのだが、それはビューネも同様だった。

 そんな風に考えていると、やがて目を覚ました女が周囲の様子を見回しながら、上半身を起こす。

 その際に、夏であっても一応冷えたら大変だからと女の身体に掛かっていたシーツが落ちる。

 本来なら毛布でも掛けるところなのだろうが、今は夏だ。

 まだ真夏ではないが、それでも日中には暑いと感じることも多いくらいの気温。

 そんな状況で毛布を掛けるというのは、半ば嫌がらせだろう。

 だからこそ、レイは薄いシーツを掛けたのだ。

 もっとも、本当に女のことを思うのであればマジックテントの中で休ませればよかったのだが……レイも、まだそこまで女を信用してはいなかった。


「えっと……私は何でこんな場所で眠っていたのか……し……ら……」


 女は自分の現状が分からなかったらしく、近くにいたレイに向かって尋ねようとする。

 だが、その言葉が途中で止まったのは、少し離れた場所に寝転がっているグリフォンの姿が目に入ったからだろう。


「安心しろ。セトはそっちが何か危害を加えようとしなければ大人しいから」

「……その、本当に大丈夫なの?」

「ああ」

「そう? でも……あ、グリフォン? ちょっと待って。もしかして、あんたが深紅のレイ?」

「知ってたのか」


 女の口から出た言葉に、レイは少しだけ驚く。

 レイの目から見た女は、鎧の類も着ていない……それこそ一般人と呼ぶのが相応しい相手だったからだ。

 異名持ちとなったことで、自分の名前が広まっているのはレイも知っている。

 だが、それはあくまでも冒険者や軍人、傭兵といった荒事を好む者の間で顕著な例で、こんな田舎の者にも知られているとは思わなかったのだ。

 これがギルムの周辺のアブエロやサブルスタであれば、一般人が知っていてもおかしくはなかったのだが……


「ええ、吟遊詩人がベスティア帝国との戦争の様子を歌にしてるもの」

「……そ、そうか」


 人伝の噂ではなく、まさか吟遊詩人が出てくるとは思わなかったレイだったが、それでも情報源が明らかとなり、納得しながらも何とも言えない微妙な表情を浮かべる。

 吟遊詩人というのは、酒場や広場、食堂……様々な場所で歌を歌い、生活の糧を得る者達のことだ。

 そして吟遊詩人というのは、様々な出来事を歌にする為にこの時代の情報伝達手段のような役割を持ってもいる。

 対のオーブのようなものが一般的ではない以上、ある程度の地位にある者以外が世の中の情報を得る手段の中でも大きな役割を果たしているのが吟遊詩人なのだ。

 もっとも、吟遊詩人も歌で生活している以上、金を稼がなければならない。

 結果として、歌の内容が本来のものよりも派手なことになるというのは、珍しい話ではなかった。

 レイもそれを知っている為に、吟遊詩人から自分の話を聞いたと言われて納得しながらも微妙な表情をうかべたのだろう。


「ね、ね。それで一人でベスティア帝国軍の全員を倒したって本当」

「嘘だ」


 やっぱりか。

 そう言いたげなレイは、溜息を吐きながら女の言葉を否定する。

 そんなレイに女は再び口を開きかけるも、機先を制するような形でレイは口を開く。


「それより、何でこんな場所にいたんだ? ここは近くの村や街からもそれなりに距離があるぞ」

「え? そう言えば……っ!? そうよ、思い出した! 近くの林に木の実を採りに行ったら、そこで誰かに殴られて……そして気がついたら今よ」

「……なるほど。運がよかったというか、悪かったというか。微妙なところだな」


 恐らく木の実を採るのに夢中になっていたところを、オークに殴られて気を失ったのだろう。

 レイはそう判断し、それでいながらどこか呆れた視線を女に向ける。


「木の実採りに夢中になるのはいいけど、だからってオークに気がつかないってのは正直どうなんだ?」

「う……そ、そ、それは……しょうがないじゃない! 友達からも、一つのことに集中すると周りが見えなくなるって言われるけど、性格なんだから!」

「いや、分かってたら治せよ。もしくは、一人で来ないで何人かで纏まってくるとか。一番いいのは冒険者を護衛に雇うことだな」

「それこそ無茶を言わないで。木の実を採る度に護衛を雇えると思ってるの?」

「まぁ、無理だろうな」


 レイも、それは分かっていた。

 だが、それでも無防備に一人だけで森や林に出掛けるというのは、それこそ自殺行為でしかない。

 ここは辺境ではなくても、モンスターが皆無という訳ではない。

 また、辺境にはいない盗賊も、辺境ではないこの辺りであれば普通にいてもおかしくはなかった。

 そんな危険があるのに、自分だけで木の実を採るというのは、自殺行為以外のなにものでもない。


「お前の場合、捕まったのがオーク達でよかったな。いや、オークにも色々な性格の者がいるのを考えると、あのオーク達でよかったと言うべきだろうな」

「……どういう意味?」


 レイが何を言いたいのか分からないといった様子で女が呟く。


「簡単な話だ。盗賊だったりしたら、それこそお前を捕まえたその場で手を出していてもおかしくはない。……それを考えると、さっきのオーク達はその場でお前に手を出すようなことはせず、住処かどこかに連れて行ってから手を出そうとしてたみたいだからな」


 そう言われ、女の顔は真っ青に変わる。

 手を出されるというのが、具体的にどのような行為を示しているのか想像出来たのだろう。


「分かったみたいだな」


 確認の意味を込めて尋ねられた言葉に、女は小さく頷く。

 そんな女を見て、あまり驚かせてもどうかと思ったのだろう。レイはミスティリングの中から取り出した果実水の入ったコップを女に渡す。


「ま、結局無事だったんだ。今回は運がよかったと思って、次からは気をつけるんだな。ほら、これでも飲んで落ち着け」

「あ、ありがとう。……え? これ、冷たい!?」


 レイから渡されたコップに口をつけた瞬間、女は驚いたように叫ぶ。

 当然だろう。冬であるのならまだしも、今は夏だ。

 山の川でならともかく、こんな場所でこれ程冷たい飲み物を飲めるとは思っていなかったのだろう。

 レイがそれをどこから出したのか……ミスティリングの存在には全く気がつかないまま、女は改めてレイを見る。


「どこから出したの!?」

「ま、異名持ちの冒険者ならこれくらいは普通に出来てもおかしくないだろ」


 もし他の異名持ちの冒険者……それこそ雷神の斧の異名を持つエルクが聞けば、間違いなく怒り出すだろうことを平然と言い放ったレイはそのまま自分も冷たい果実水を飲み、セト用の深めの皿にも果実水を入れてやる。

 それを嬉しそうに飲んでいるセトを眺めながら、レイは改めて女に向かって口を開く。


「それで、お前はこれからどうするんだ?」

「どうするって言われても……」


 女は困ったように周囲を見回す。

 当然ながら、ここは女がオーク達に捕まった場所ではない。

 見覚えのない場所に、女は困ったようにレイに視線を向ける。


「その、もしよかったら……私の村まで送ってくれない? お礼はあまり出来ないけど……」


 女も冒険者を雇うには金が必要だというのは知っているのか、どこか力なくレイに頼み込む。

 また、レイは異名持ちの高ランク冒険者だけあって、雇うには相応の……それこそ女が考えている以上の金が必要なのは間違いなかった。

 レイもそんな女の気持ちは分かってしまう。

 実際、こんな原っぱで女を一人置いていけば、それこそモンスターなり盗賊なりに改めて襲われるだけだろう。

 不幸なことに、女はそれなりに顔立ちが整っている。

 盗賊達にとっては、これ以上ない程の獲物なのだ。


「そうだな……お前の村に何か美味い料理でもあれば……」

「あ、ある! いや、美味しいかどうかは分からないけど、私の村の名物料理ならあるわよ」

「……へぇ」


 女の口から出た、思いもよらなかったその情報に、レイは少しだけ嬉しそうな表情を浮かべる。

 本来であれば、レイはダスカーに頼まれた依頼をこなす必要がある。

 だが、セトの移動速度を考えれば、少しくらい寄り道をしても構わないというのも事実だ。

 もう夕方で、そう遠くないうちに太陽も完全に隠れ、月が姿を現すだろう。

 ダスカーも、まさか徹夜でレイに移動しろとは言わない筈だった。

 勿論ダスカーにとっては可能な限り急いで欲しいのだから、可能であれば徹夜をして移動して欲しいというのが正直なところだろう。

 ビストルの一件の糸を裏で引いていたレルダクト伯爵がどのような手段で情報を得ようとしているのかが分からない以上、出来るだけ急いで欲しいのだから。

 レイも本当に急ぐ必要が……それこそ一刻を争う事態なら、徹夜で移動もするだろう。

 しかし、今回の件はそこまで急ぐことはないと判断しており……女の誘いはレイにとって丁度よかった。


「じゃあ、その名物料理に免じて送っていってやるよ。……それで、お前の村は何て名前の村なんだ?」

「村の名前はザクーニャよ。それと私はシラー。短い間だけど、よろしくね」


 女……シラーは笑みを浮かべながら、レイにそう告げるのだった。

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