第1409話

 午後四時をすぎ、太陽が傾いているのが目に見えて分かり、それでいてまだ夕日にはなっていない空を、セトは飛んでいた。

 ただし、少し飛びにくそうにしているのは、現在のセトの状況が関係しているのだろう。

 レイが背中に乗っているのはいつも通りで何も問題がなく、前足に掴まっているヴィヘラとマリーナも問題はない。

 だが、今回に限っては後ろ足にビューネが掴まっている為か、飛んでいる最中微妙にバランスが崩れるのだ。

 勿論自分より巨大な熊を平気で掴んで飛ぶことが出来るセトだ。

 力という意味では何も問題がないのだが、後ろ足の片方だけにビューネが掴まっている状況では、思うように飛ぶことが出来ない。

 ……もっとも、思うようにというのはあくまでもセトにとっての思うようにだ。

 何も知らない者が見れば、特に何の影響もなく飛んでいるように思えるだろう。

 セトと一心同体……というのは多少言いすぎであっても、その心の内が理解出来るレイは、セトの感じている窮屈さを理解していたが。


(この辺り、どうにかしないとな。……セトが足で持って移動する為の籠でも作って貰うか? けど、そうすると地上とかからでも見つかったり、攻撃されたりしやすくなってしまいそうなんだよな。……まぁ、セトの飛んでる高度まで攻撃出来るかどうかは別として)


 今のように高度百mくらいまで上がっていれば、地上から攻撃されても余程のことでもなければ届かないだろう。

 投石機の類な攻城兵器を使えば、もしかしたら届くかもしれないが、石くらいであればセトは容易に回避することが出来るし、何よりレイとマリーナがいれば迎撃は容易い。


「ねぇ、レイ。あそこじゃない!?」


 セトの前足にぶら下がっているマリーナの言葉に、レイは地上を見る。

 そこでは、街道から少し外れた場所に馬車の残骸が打ち棄てられていた。

 盗賊から逃げている時に街道から外れたのか、それとも少しでも向こうの足を鈍らせようとして自分から外れたのか。

 そのどちらが理由なのかはレイにも分からなかったが、ともあれ資材を運んでいた馬車の中の一台が破壊された場所という情報通りの場所であるのは間違いない。

 また、資材の護衛をしていた冒険者と思しき存在や、盗賊の死体も周囲には転がっている。


「セト、頼む」

「グルゥッ!」


 ギルムを飛び立ってから数分掛かったかどうかといった程度の時間だったが、セトはすぐに地面に向かって下りていく。

 ビューネも入れて三人がセトの足にそれぞれ掴まっているので、セトも翼を羽ばたかせながらバランスをとる。


「ヴィヘラの部屋に着替えを置いていて良かったわね」


 セトが降りようとしている場所から少し離れた場所に何人かの冒険者と思しき存在がいるのを見たマリーナが、しみじみと呟く。

 普段からパーティドレスを着ているマリーナだったが、もし今もパーティドレスを着ていれば、地上からスカートの中が丸見えになっていただろう。

 勿論この高さで、しかも光源の太陽はマリーナよりも上にあることを考えれば、スカートの中を覗かれる心配は基本的にない。

 だが、それはあくまでも普通ならばだ。

 普通の人間よりも五感……つまり視覚も鋭い獣人もいるし、エルフやダークエルフは種族的に視力が高い。

 そのような能力のない人間も、魔力を持っている以上は魔法やスキルで視力を強化するのは珍しくない。

 そのような状況でパーティドレスのまま空を飛ぶというのは、色々な意味で精神的に厳しかった。


(レイならともかく、他の人に下着を見せる趣味はないしね)


 マリーナがそんなことを考えている間にも、セトは地上に向かって降下していく。

 そうしてマリーナ、ヴィヘラ、ビューネの三人は、セトが地面に近付くのを見計らって手を離す。

 草原が柔らかくマリーナ達の体重を支えるが、ビューネのみは他の二人と違って地面に着地した時に若干バランスを崩す。

 この辺り、ビューネと他の二人との技量の差が如実に出ている形だろう。

 レイは当然のようにセトの背から飛び降り、地面に着地してもバランスを崩すようなことはない。


「ん……」


 それを見ていたのだろう。ビューネは少しだけ悔しそうに呟く。

 だが、レイはそれに気が付かず、馬車の残骸に視線を向ける。


「見事なまでに壊れているな。……資材を奪っていったって話だったけど、資材を運んでいた馬車を破壊して、どうやって資材を運んだんだ?」

「……盗賊の方でも輸送手段を用意していたとか? そうなると、偶発的にこの資材を運んでいた商人達を狙ったという訳ではないのかしら」


 レイの疑問に、ヴィヘラがそう呟く。

 だが、マリーナが首を横に振る。


「ギルムは増築の件で毎日のように大量の資材が運び込まれているのよ。それを狙っていたのなら、別に特定の集団を狙ったとは限らないわ。……それより、レイ。死んだ冒険者と盗賊達を」


 マリーナが何を希望しているのかは、レイも分かっている。

 だが、盗賊の死体も焼くのは若干だが思うところがあった。

 それでも、この季節だ。

 早く死体を処理しなければ、アンデッドになったり、血の臭いでモンスターを呼び寄せたり、最悪疫病が広がる可能性もある。

 特にこの場所は街道から見てもそう離れていないのだから、死体があることの被害は非常に大きい。

 しょうがないか、と溜息を一つ吐くと、レイは魔法を使って死体を焼く。

 冒険者と思しき者からは、一応形見ということでギルドカードや装備品の類を貰っておく。

 後でギルドに提出し、この冒険者の家族や恋人がやってきたら渡す為だ。

 ……ギルドカードはともかく、持ち物の方はもしそのような者達が来なければレイが自分の物にするつもりだが。

 もっとも、あくまでも形見代わりなので、冒険者達が着ていたレザーアーマーの類はそのままにしてあるが。

 レイも、さすがに死体から着ている鎧の類を剥ぎ取るような真似はしたくなかったのだろう。

 周囲に焦げ臭い臭いが漂う。

 特にレイは人より五感が鋭いし、セトはそのレイよりも更に五感が鋭い。

 それだけに、どうしてもいい気分にはなれなかった。

 マリーナやヴィヘラもそんなレイの雰囲気を感じ取ったのか、特に無理に何かを口にしたりはしない。

 ビューネは、そんなレイの様子には構わずに盗賊が逃げていった方向を調べていた。

 ただし、ここは草原だ。

 盗まれた資材がどれだけの量だったのかは分からないが、それでも相当の重量なのは間違いない。

 そうである以上、地面にその痕跡が残るのは確実だろう。

 一般の人間にはその痕跡を把握することは出来ずとも、盗賊のビューネであればそれくらいは容易だった。

 ……最近は盗賊ではなく戦士寄りになっていただけに、ビューネ本人も自分を盗賊だということを示しておきたかったというのもあるのだろう。

 そうして黙祷……という訳ではないが、馬車を守って死んだ冒険者を悼んだ後で、レイ達は次にやるべきことを行う。


「ビューネ、後を追えるか?」

「ん!」


 レイの言葉に、自信に満ちた表情で頷くビューネ。

 余程、後を追うことに自信があるのだろう。


「じゃあ、頼む。セト、ここからは静かにな」

「グルゥ」


 レイの言葉に、セトは任せろと喉を鳴らす。

 体長三mを超えたセトだけに、少し身動きをするだけでも、どうしても音を立ててしまう。

 ましてや、山や森といった場所を移動すれば、茂みや木々の枝に触れないというのは難しい。


(まぁ、資材を運び込んでいるんだから、相応の広さはある場所だろうけど)


 そう考えながら、レイはセトを撫でつつ自分達を先導するビューネの後を追う。


「どう思う?」


 歩いていると、不意にマリーナがレイに向かってそう尋ねてくる。


「何がだ?」

「今回の件よ。色々な意味で怪しいと思わない?」

「ああ、それは私も思ったわ」


 レイとマリーナの会話に割り込んできたのは、周囲の様子を警戒していながらも、どこか暇そうな様子を見せていたヴィヘラだ。

 そもそも周囲の警戒という意味では、セトがいれば他には基本的にいらない。

 それでもヴィヘラが周囲を警戒していたのは、単純に暇だったからというのもあるのだろう。

 実際何が起きても自分達ならどうにでも出来るという自信がヴィヘラにはあったし、それはレイやマリーナといった面々も同様だった。


「ギルムの増築をするために商人が多くなってるのは事実だけど……」

「ああ、その件か」


 レノラと話していた時の話を、レイは思い出す。

 実際、今回の件は色々な意味で怪しいとしか言えないのだ。

 ギルムに持ってくる資材が目当てなら、別にわざわざギルムの近くで襲う必要はない。

 それこそ、アブエロやサブルスタといった街の周辺で襲えば、辺境のモンスターに襲われる危険を考えなくてもいい。


「まぁ、何かあるのは確かだろうな。……出来れば、逃げてきたって商人やその護衛にも話を聞いてはみたかったけど」

「何かを知ってるにしても、それは商人の方じゃない? 護衛の冒険者は……」


 一旦言葉を切ったヴィヘラが、後方に視線を向ける。

 レイの炎で燃やされた、死体が灰となった場所を眺めながら。


「そうだな。あそこで死んでた奴がいる以上、もし何かを企んでいた奴がいたとしても、それを全員が知っているとは限らないだろ。……まぁ、この辺はあくまでも想像だけど」

「そうね。戻ったらワーカーに少し話をしておいた方がいいのかもしれないわね。ここを通る商人の馬車が続けて襲われるなんてことになれば、色々と問題が出てくるし」

「ん!」


 レイ達が話している間にも、ビューネの案内で進んでいたのだが、不意にビューネが短く告げる。

 その視線の先にあるのは、林。

 それこそ、盗賊達がアジトを構えるには絶好の場所だ。……ここが辺境でなければ、だが。


「モンスターの対策とかどうしてるのかしらね。林だと、夜になればモンスターが幾らでも出てくるでしょうに」


 そう、ここが辺境である以上、当然のように多くのモンスターが存在している。

 そして夜になれば、多くのモンスターは活発に動き出す。

 周囲が暗い状況で、明かりは焚き火の明かりくらい。月明かりもあるだろうが、林の中にアジトを構えているのであれば、それには期待出来ないだろう。

 そんな状況の中、一晩中いつモンスターに襲われるかもしれないと周囲を警戒しながらすごすのだから、肉体的にも精神的にも疲労するのは間違いない。

 高ランク冒険者であっても、技量そのものより精神的な疲れの方でギルムの外での野営は遠慮したいと思うだろう。

 勿論依頼の関係で野営しなければならなくなった時には、そんなことも言ってられないのだが。

 少なくても、自分から進んで野営をしたいと思う者はそう多くはない。


(まぁ、モンスターが襲ってくるって意味だと、戦いを好むヴィヘラはそんなに嫌いではないのかもしれないな)


 もっとも、そう尋ねられればヴィヘラは難しい顔をするだろう。

 モンスターとの戦いは好むのだが、それだって一定以上の強さを持つようなモンスターに限っての話だ。

 それこそ、ゴブリンが大量に襲ってきても、ヴィヘラにとっては全く嬉しくない。


「何か、そうするだけの理由があるんだろうな。……これでますます、ただの盗賊という線は消えたけど」

「そうね。まぁ、取りあえず盗賊を倒してしまえば、その辺りははっきりとするんじゃない?」


 ヴィヘラがレイの言葉に同意するようにそう呟く。

 実際、何か裏がある盗賊団の仕業であるのなら、そこに所属している者を捕らえて話を聞いた方が手っ取り早いのは間違いのない事実だった。


「そうだな。……じゃあ、行くか。資材を取り戻す為には、しっかりと向こうの居場所を突き止める必要があるしな。……ビューネ、頼めるか?」

「ん!」


 レイの問いに、ビューネは大丈夫だと頷きを返す。

 もし無理なようならセトに頼もうかとも思っていたレイだったが、自信に満ちた表情で頷くのであればと、任せることにする。

 まだ太陽は夕日になる前だが、それでもかなり傾いてきている。

 そもそも、ギルムを出たのが午後四時くらいだったのだから、それも当然だろう。

 ……ギルムを出てから襲撃場所に到着するまでは、ほんの数分だったのだが。

 寧ろ夕暮れの小麦亭からギルムを出るのに掛かった時間の方がかなり長くなっている。

 襲撃場所からこの林に到着するまでの方が、それよりも更に長かったのだが。


(ギルムの増築だし、ミスティリングを使っての輸送はともかく、戦闘という意味で俺の出番とかは殆どないと思ったけど……予想以上に色んな騒動が起きそうだな)


 そんな風に考えながら、レイは林に中に入っていくのだった。

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