第1408話
「レイさん、いますか!」
夕暮れの小麦亭の食堂で少し早めの夕食を楽しんでいたレイは、視線を食堂の出入り口に向ける。
尚、まだ少し早い時間……四時くらいということもあって、食堂の中に客の姿は殆どない。
これがもう一時間か二時間経った後であれば、夕食の為に多くの者達がこの食堂にやってくるだろう。
……尚、街の大規模な増設ということで常になく多くの者達が集まっているギルムだが、この夕暮れの小麦亭に泊まっている者の数は以前とそれ程変わっていない。
当然だろう。ここはギルムの中でも高級宿として知られている宿であり、それこそその日暮らしをしなければならないような者達では、とてもではないが泊まることは出来ないのだから。
また、食堂も他の店に比べると若干ではあるが割高で、更に宿の方針として食事を楽しむのに必要な程度の酒しか出さないということもあり、肉体労働を主としている者達はその殆どが飲んで騒げる酒場に向かう。
勿論全員がそうだとは限らず、何人かはこの食堂に来ることもあるのだが。
ともあれ、そのような理由から基本的に夕暮れの小麦亭は今の増築ラッシュとでも呼ぶべき期間にも関わらず、基本的には普段とそう変わらなかった。
「レノラ? どうしたの?」
食堂に姿を現した人物……レイにとって顔馴染みのギルドの受付嬢に、ピザに手を伸ばそうとしていたマリーナが声を掛ける。
ギルムで広まったピザは、当然のように夕暮れの小麦亭でも食堂で出されている。
ただ、ギルムの立地上仕方がないのだが、シーフードピザの類はメニューにはない。
レイのミスティリングにある魚介類を提供すれば、作ってもくれるのだが。
「あ、マリーナ様もこちらにいらしたんですね。……実は、レイさんに緊急の依頼がありまして」
「だろうな」
今までにも、ギルドからレイを探しにこの宿まで人が来た時は何度かあった。
その度に毎回緊急の依頼を引き受けてきたのだから、レイにとっては既にこれはパターン化した行動だと言ってもいい。
もっとも、その依頼を引き受けて得られる報酬が美味しいということもあり、決して緊急の依頼を嫌っている訳ではないのだが。
「で、依頼は?」
「はい。実は増築工事に使う資材を運んでいた商隊が襲われて、その資材を全て奪われてしまったらしいです。商人と護衛の生き残りの人達が先程ギルムにやってきて判明したんですが」
「……資材を? いや、そもそも辺境で盗賊をやってる奴がいるってのが驚きだけど」
辺境ということは、当然のように様々なモンスターが……それも普通の場所では出てこないようなモンスターが姿を現す。
そんなモンスターにとって、盗賊も商人も同じ人でしかない。
襲う相手であり、同時に食料でもある。そんな対象だ。
そうである以上、そう簡単に辺境で盗賊が活動することは出来ない。
ましてや、ギルムという腕の立つ冒険者が集まる街の近くであるということを考えても、とてもではないが盗賊が活動出来るとは思えなかった。
もっとも、それだけに実入りがいいというのも間違いはないのだが。
「その盗賊が商隊を狙い撃ちした……って訳じゃないのよね?」
「だと思います」
マリーナの疑問に、レノラが答える。
それは、一応は確認という意味でしかなかったのだろう。
そもそも、特定の商隊を狙うのであればギルムの近くで襲撃する必要はない。
ギルムから離れたアブエロ、サブルスタの近くで襲えば、ギルムの冒険者を相手にしたりしなくてすむ。
「……そうなると、やっぱりギルムの周辺で活動していた盗賊団? ちょっと分からないわね」
「まぁ、どのみち今はその辺を話していても仕方がないだろ。で? 俺達に頼むってのは盗賊の討伐でいいんだよな?」
「はい。ですが、今回に限っては盗賊が奪った資材の奪還を主にして欲しいと」
「なるほど。まぁ、そうだろうな」
基本的に盗賊を倒した時、その盗賊が所有しているお宝の類は全て討伐者が所有権を得るのが一般的だ。
勿論その盗賊が何らかの家宝の類を持っており、それを取り戻した後でその家宝を持っていた家が買い取りたいと交渉をしてきて、それに応じる応じないというのは、冒険者に委ねられるが。
だが、今回の依頼はその資材の確保だ。
本来なら自分の物になる資材だけに……と普通なら言うのだろうが、レイの場合は特に問題はない。
そもそも、資材を大量に自分の物にしてもどうしろと? というのが正直な気持ちだった。
夕暮れの小麦亭に泊まっている以上、別にレイは家を建てたいとは思わない。
金に困ってる訳でもないので、その資材を売って金にしようとも思わない。
ミスティリングが収容出来る容量は半ば無限に近いので、貰えるのなら取りあえず貰っておこう……とは思うかもしれないが。
「ま、事情は分かった。ギルムの増築が遅れるのは、俺としてもあまり嬉しくないしな」
今回の増築の件でレイも色々と動いているのだが、これだけ人数が多ければ当然のようにレイに絡んでくる者も出てくる。
深紅の異名がそれなりに広まっているので、セトがいれば絡んでくる者もいないのだが……大抵一緒に行動しているとはいえ、レイとセトは四六時中一緒にいるという訳ではない。
その上で、更にマリーナやヴィヘラといった普通なら一生に一度見ることが出来るかどうかといった美人を連れていれば、ギルムに来たばかりでその事情を知らないような者が絡むことが多くなるのは当然だった。
勿論ギルムの住人がそれを見れば止めようともするのだが、それで止まるような者ばかりではない。
寧ろ、庇われているということで苛立ちを露わにすることも多い。
そんな状況を一刻も早く解決する為には、やはりギルムの増築を出来るだけ早く終わらせる方がいいのは確実だろう。
……もっとも、ギルムを現在の状況から五割増しの広さにするという工事はそれこそ数日、数十日、数ヶ月といった程度で終わるものではない。数年掛かるのはほぼ間違いないと予想されている。
いや、人によっては十年以上掛かると公言している者すらいた。
それだけに、レイがここで多少頑張ってもそう影響はしないのだが……それでも少しであっても期間を短縮出来るのは、レイにとって幸運だった。
「じゃあ、お願い出来ますか!?」
「ああ、それは構わない。けど……手掛かりか何かないのか? 正直なところ、何も手掛かりがないままだと盗賊を見つけるのは難しいぞ」
向こうが呑気に何もない場所を歩いているなり、そこで野営をしているなりしていれば話は別だが、まさかギルムの周辺で盗賊行為をしているような者達がそのような間の抜けた行為をする筈もない。
山や森、林……もしくは洞窟。
そのような場所にアジトを構えているのは間違いないだろう。
「一応報告してきた商人から、盗賊達が去っていった方向は確認しています。それでどうにか出来ませんか?」
「……いや、さすがにそれだと……臭いを追うにも、少し難しいだろうし。いや、襲撃場所からなら追えるか?」
「ん!」
少し迷っている様子のレイだったが、そんなレイに対して今までレノラの話を聞かず口一杯に料理を詰め込んでいたビューネが、そう声を上げる。
「ほら、口の中の物を全部呑み込んでからにしなさい」
そして、即座にヴィヘラによって注意された。
「で? ビューネは何て言ってるんだ?」
ビューネと完全に意思疎通出来るのは、ヴィヘラのみだ。
だからこそ、レイはいつものようにヴィヘラに向かってそう尋ねる。
「言わなくても大体は予想出来ると思うけど。……ビューネがその盗賊達の行方を捜すって」
「なるほど。ビューネも最近はそっちが出来るようになってたのか」
冬の間は延々と戦闘訓練のみを行い続け、その戦闘力はちょっとしたものになっていた。……勿論、紅蓮の翼の他の面々には遠く及ばないのだが。
だが、ビューネの本職はあくまでも盗賊だ。
そうである以上、探索や罠の発見、偵察といった技量が本来は重要視されるのだ。
(そう考えると、今のビューネって実は盗賊じゃなくて戦士に近いんだよな。……まぁ、戦闘力はあるに越したことはないからいいんだけど)
少し考え、セトもいるんだしビューネが多少ミスをしてもどうにかなるかと判断する。
「分かった、じゃあ最初はビューネに任せて、それでどうしようもなくなったらセトに任せるか」
こうしてレイが若干ではあっても余裕があるのは、盗まれたのが資材だからだというのが大きい。
食べ物の類を盗まれたのであれば、それこそ食べられればなくなってしまう。
だが、資材の類であればすぐになくなるということは有り得ない。
勿論ある程度時間が経てばどこかに売り払われるという可能性があるので、そこまで余裕がある訳ではないのだが。
(にしても、何だって盗賊が資材を狙うんだ? 売るにしても……うん)
考え、ふと疑問に思ったレイはレノラに尋ねる。
「奪われた資材ってのは……具体的にどのくらいの量なんだ?」
「馬車で五台分とのことです」
「それなりに多いけど、際だって多いって訳でもないな」
それだけの資材の量ならば、売ろうと思えば足が付かないように売れるのではないか。
あるいは、売るにしても別に一気に全てを売る必要はない。
少しずつ分けて、そうやって売っていけばいいのだ。
「そうなると、どちらにしろ捌くのにそれなりに時間が掛かるな」
「そうですね。ですが、商人の方からは出来るだけ早く資材を取り戻して欲しいという依頼ですから」
「……うん? ギルドや騎士団とかそっちじゃなくて、商人からの依頼なの?」
レイとレノラの話を聞いていたマリーナが、少しだけ不思議そうに尋ねる。
そんなマリーナの疑問に、レノラは頷く。
「はい。まだ資材を引き渡す前だったので……」
「ああ、なるほど。そういう契約なのね」
レノラの言葉だけで、マリーナは納得したように頷く。
レイはそんなレノラの様子に少し疑問を抱いたが、自分が特に何か言う必要もないだろうと判断し、早速出発の準備をする……前に、テーブルの上の料理を素早く腹の中に収めていく。
マリーナやヴィヘラは、そんなレイの態度にいつものことだと小さく笑みを浮かべるだけだ。
ビューネもレイに協力したおかげで、数分と経たずにテーブルの上にあった料理は全てが消える。
出来ればもっと味わって食べたかったと思いつつ、支払いを済ませる。
マリーナはいつものようにパーティドレス姿だったので、レイが支払いを済ませている間にヴィヘラの部屋に置いてある服で着替えを済ませた。
「襲撃された場所は、さっき聞いた場所でいいのよね?」
「はい」
レイとビューネが料理を片付けている間に、マリーナはレノラから盗賊に襲撃された場所を聞いていたのか、その場所で間違いはないのかと尋ねる。
それに頷くレノラを見て、四人はそのまま厩舎のセトを連れて街に出る。
既に午後四時くらいと、仕事が終わっている者も出る頃だ。
初夏ということもあり、日はまだ高いが……それでも、やはり長時間働いた疲れを顔に出している者の姿は多い。
特に肉体労働者としてギルムにやって来た者達は、途中休憩を挟んだとはいえ、一日中肉体を酷使していたのだから、その疲れもかなりのものがあるのだろう。
勿論、街中にいるのは疲れている者だけではない。
夕食の準備をする為に買い物に来ている者達は、賑やかに値引き交渉を行ったりもしている。
「こうして見ると、賑やかよね」
「そうね」
マリーナとヴィヘラがそれぞれ言葉を交わしているのを聞きながら、レイはセトと共に周囲の様子を眺める。
「グルルルゥ」
流れてくる料理のいい匂いに、セトがお腹減ったと喉を鳴らす。
レイ達は夕暮れの小麦亭で食事をしたのだが、残念ながらセトはまだ食事をしていなかった。
そう考えれば、セトがお腹が減ったと主張するのも当然だろう。
「あー……そうだな。あのサンドイッチでも買うか? 盗賊の件が解決したら、たっぷりと食べさせてやるから、もう少し我慢してくれ」
「グルゥ……」
レイの言葉に、セトは悲しそうに喉を鳴らす。
もっとも、サンドイッチを買ってセトに渡せば、すぐに嬉しそうに喉を鳴らすのだが。
そうしてセトが少し落ち着いたのを見てから、レイは再び正門の方に向かう。
まだ四時くらいということもあり、正門が閉まる心配はしなくてもいい。
また、現在はギルムの増築でやって来る者が多く、正門が閉まる時間が大幅に遅くなっているということもある。
……こうしてレイ達がギルムから出ようとする時も、まだギルムに入る為の手続きをしている者の姿が見えた。
「ん? ああ、レイか。話は聞いてる。盗賊退治だって? 気をつけろよ」
ギルドからか……それとも増築工事に関係するということで領主の館の方から話が通っていたのか、ともあれ手続きが必要ないレイ以外の面々は素早く手続きを終えてギルムの外に出るのだった。
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