第1407話

「かんぱーい!」

「おう、姉ちゃん。この肉の串焼き美味いな。もう十本追加だ!」

「あはははははは、あは、あはははは!」

「ええい、そいつを黙らせろ! うるせえったらありゃしねえ!」

「こっちにエールだ、エールをくれ!」


 夕方……酒場では、多くの者達が仕事の疲れを癒す為に騒いでいた。

 増築工事の為に増えた人数により、例年よりも客の入りはかなり多い。

 そろそろ大分暖かく……初夏と表現してもいいような季節になっているだけに、余計に宴は盛り上がる。


「見たか、俺の石細工の凄さ! あの技術を習得する為に、どれだけの年月が必要だったと思う?」

「はっ、そんなら俺の彫り細工だって負けちゃいねえぞ!」


 職人達が自分達の腕を自慢しているかと思えば……


「俺はあの木材を一人で持ったんだ!」

「……まぁ、切断されているとはいえ、あの木材を一人で持ったのは素直に凄いと思うけど、お前より力がある奴って結構いると思うぞ?」

「うっ! ……そ、それでも俺の自慢はこの力だ!」


 木材を始めとして各種資材の運搬を任された者達が自分の力を自慢し……


「ね、ね。あの冒険者の人を見た? 凄く格好良かったわよね? 出来ればお近づきになりたいんだけど」

「あー、あんたは相変わらず美形好きなんだから。けど、ああいう人って女癖が悪いから気をつけた方がいいわよ?」

「そうそう、あのラグナって人にも結局恋人がいたんでしょ?」

「うぐっ、そ、それは……」


 冒険者、職人、商人……といった女達が集まってそれぞれ会話を交わす。

 非常に賑やかになっている酒場だったが、その端の方……あまり人目につかない場所にいる、数人の客は違った。


「どうだった?」

「駄目だな。警戒が厳しい」

「それは当然だろ。街の増築なんて、そうそうある筈がない。その為に……って考えてる奴は結構多いさ」

「けどよ、上からの命令だと……」

「馬鹿、こんな場所でそれを口にする奴があるか」


 一人の男が何かを言おうとしたのを、慌てたように周囲にいた者達のうちの何人かが止める。

 自分達の秘密が知られるのは、絶対に不味い。

 そう思ったからの行動だったのだが……


「安心しろよ。俺達みたいなのが何人集まってると思ってるんだ?」


 口を滑らせた男が、他の者達に余裕を見せるようにそう告げる。

 事実、現在この酒場の中では大勢の客達が飲んで、食べて、騒いでいた。

 とてもではないが、酒場の隅で話しているような雑談が周囲に聞こえるということは考えられなかった。


「馬鹿が、甘く見るな。元々ギルムはその手の能力が低かった訳じゃないが……数年前から、妙に諜報関係の能力が高くなっている」


 ギルムの諜報関係の能力が突出して高くなった理由は、レイの暗躍により草原の狼と呼ばれていた盗賊がダスカーの支配下に入ったのが大きい。

 だが、当然ながらそのようなことは公表される筈もなく、結果として何故か急にギルムの諜報関係の能力が高くなったというのが知られることになった。

 特にこの男達のように、現在何らかの目的があってギルムにやってきている者は決して少なくない。

 元々ギルムは中立派を纏め上げているダスカーが治めているということもあり、貴族派、国王派から注目はされていた。

 ここ近年はどこからともなく現れたレイという冒険者が頭角を現し、ベスティア帝国との戦争で多大な戦果を上げてあっという間に異名持ちとなった。

 また、レイが連れているグリフォンも希少種でランクS相当のモンスターであることが確認されている。

 あくまでもレイは個人なのだが、それだけの能力を持つ人物がギルムにいるということが既に他の派閥にとっては脅威であり、注目に値する事情となる。

 ましてや、そのレイは様々なマジックアイテムを……特にアイテムボックスを持っているというのも大きい。

 荷物を好きなだけ収納出来、しかも中では時間が止まっているので食料の類も腐ることはない。

 そんなアイテムボックスは、戦略的な意味を持つマジックアイテムと言ってもよかった。

 そのような人物がギルムにいて、しかもダスカーに協力的なのだから、注目が集まるのは当然だろう。

 ましてや、今はギルムの増築工事で多くの人間がギルムに集まっている為、後ろ暗いところを持っている者達も紛れ込みやすい。


「増築工事の方は、まだ本格的に始まってないんだろ? なのに、何でここまで警戒が厳しいんだ?」

「そうだな。そこのところは俺も疑問に思っていた。勿論これから本格的に増築工事を始めるんだ。その資材が盗まれたりしないようにするってのは分かるが……それでも警戒が厳しすぎる」


 苛立ちが込められた口調でそう吐き捨てると、男はコップの中に入っていたエールを口に運ぶ。

 正直なところ、何故資材如きにあそこまで警備を厳しくするのかというのが男達には分からない。


「やっぱりあの森……トレントの森だったか? あの森が何か関係してるんじゃないか?」

「考えられるのはそれだろうな。だとすれば、一旦あの森に行って木を取ってくるか?」

「騎士団が守ってるんだろ?」

「それだって、あの大きさの森だ。森の全てに対して完全に目を光らせるような真似はまず出来ないだろ。なら、何とか俺達の手で……」

「無茶を言うな、無茶を。俺達も一応戦闘訓練は受けてるが、だからって本職って訳じゃない」

「だから、別にまともに戦うって言ってる訳じゃないだろ? 何とかこう……」


 そう告げ、トレントの森の木をどうにか入手しようと考える男だったが、何もいい案は浮かばない。

 酒場にいる以上、当然酒を飲んでなければ怪しまれることになる為、男達も多少ではあるが酒を飲んではいた。

 だが、少しであっても時間が経てばその量は決して侮れるものではない。

 また、何より自分達の仕事の進捗具合がよくなく、不満が昂ぶっていたというのもあるのだろう。

 酒を飲みながら、不満を口にしていき……気が付けば、テーブルに座っていた男達の中で一人以外は全員が酔い潰れていた。


「ひっく……あれぇ? どうしたんだよ? この程度の酒で酔い潰れるなんて……ひっく」


 男は酔っ払ったまま、仲間の姿を眺める。

 全員がテーブルに突っ伏しているを見て、不機嫌そうにしながらエールの入ったコップを口に運ぶ。

 もしこの時、男が酔っ払っていなければその異変に気が付けただろう。

 本来の自分達であれば、この程度の酒を飲んだところで酔い潰れる筈がないと。

 だが……酔い潰れる寸前の男には、既にどうしようもなかった。


「おや、どうしたんだい? 随分と気分良く飲んでるじゃないか?」

「うぃ?」


 酔っ払った頭で、仲間をどうするべきか考えていた男は、不意にそんな声を掛けられる。

 声のした方を見ると、そこにいるのはこの酒場で働いている女の店員だった。

 このような酒場で働いているだけに、目の覚めるような美人……といった程ではないが、それでも愛嬌のある笑みを浮かべるような、そんな女。

 その女が、心配そうな、それでいて相手の気分を和らげるような笑みを浮かべ、尋ねる。

 男はそんな女に対し、大袈裟なまでに手を広げ、口を開く。


「そーなんだよ! 全く、こんなに酒に弱ぁいとは思わなかったんだよなぁ……ひっく」

「あらあら、まぁまぁ。じゃあ、どうします? 一応この酒場には酔っ払った人を休ませる為の部屋がありますから、そちらに運びますか?」

「あー……あー、あー、そうだーなー。そうしてくれーよー」


 男も相当酔いが回っているのだろう。

 語尾を伸ばしながら告げる言葉に、女の店員は頷く。


「分かりました、じゃあ人を呼んできますから待ってて下さいね」

「あーいあーあいさー」


 男はそう叫び……その叫びが決定的な一撃となったのか、そのまま他の者達同様にテーブルに倒れ込む。


「……お客さん? あら、大変ね。早速人を呼んでこないと」


 最後にテーブルに突っ伏した男を軽く揺らし、そのことに気が付かない男を一瞥すると、そのまま人を呼ぶ為に厨房に向かう。

 賑やかに宴会を繰り広げている者の多い酒場なので、酔い潰れている者は決して少なくない。

 それだけに、一つのテーブルで飲み食いしていた者達全員が酔い潰れてしまっても、そう不思議ではなかった。

 女は厨房に向かい、店主に向かって口を開く。


「お客さんが酔い潰れてしまいました。酔い覚ましの部屋をお借りしたいのですが」

「ああ、準備はしてある。草原の狼の方々も準備はしている筈だから、すぐに運んでくれ」

「はい」


 店主は、肉を炒めながら女の言葉にそう告げる。

 女の方も店主の言葉に頷くと、すぐに準備を整える為に厨房を出て行く。

 そして店主が出来上がった料理を皿に移し替えていると……


「手間を掛けたな」


 近くでサラダを作っていた男が、そう告げる。


「いえ、皆さんのおかげでこの辺りの治安は問題なくなったんですから」


 少し前……それこそ数年くらい前、この辺りでは冒険者崩れの者達が幅をきかせていた。

 食事を、酒を飲んでも金を支払わず、それどころか自分達が守ってやってるんだから用心棒代を寄越せと逆に金を要求してくる始末。

 店員が何の意味もなく暴力を振るわれたことも、一度や二度ではない。

 先程報告に来た女の店員も、女として酷い目に遭ったことは何度もある。

 警備兵達に知らせようものなら、どのような手段を使ってかすぐに逃げ出す。

 そうして警備兵がいなくなれば戻ってきて、更に乱暴な振る舞いをする。

 そのような事態を解決してくれたのが、店主の側でサラダを作っている人物……正確にはその人物が所属している集団、草原の狼だった。

 サラダを作ってはいるが、別にこの男はこの酒場で働いているという訳ではない。

 ただ、今回の件……ギルムに入り込んでいた、何かを企んでいる者達を拘束する為に酔い潰れるまで時間が掛かり、暇を持て余して何となく手伝っていたというのが正確だ。

 一応酔いが加速するようにと、酔いやすくなる薬を使ったりもしたのだが、それでも予想以上に酔い潰れるまで時間が掛かった。


「そうか、また何か情報があったら知らせてくれ。すぐにこっちで処理をする。勿論、暴れている奴がいた時にもな。特に今は、色んな者達がギルムに入って来ているし。……どうだ?」


 店主に返事をしながら、男は盛りつけの終わったサラダを見せる。


「ありがとうございます、頼りにしていますよ。……それにしても、素晴らしいですね。どうです? うちで働きませんか?」

「馬鹿を言うなよ。お世辞を言わなくても、きちんとこの辺りの見回りはするさ」

「いえ、別にお世辞でも何でもないんですけどね」


 サラダの入った皿を見ながら告げる店主は、真面目な表情でそう断言する。

 サラダを皿に盛りつけるというのは、それ程難しいことではない。

 それこそ、誰でも出来る仕事だ。

 ……そもそも、誰でも出来る仕事だからこそ草原の狼の男は手伝っていたのだから。

 だが、誰でも出来る仕事だからこそ、男のサラダの盛りつけ方はその辺にいる者よりも格段に上だと分かった。

 野菜を適当に混ぜて皿の中に入れるのではなく、きちんと見栄えがいいようにと考えての盛りつけ。

 勿論この酒場は高級レストランの類ではなく、そこまで裕福ではない者達が集まるような場所だ。

 だが……だからこそ、余計にそのサラダの盛りつけには美しさを感じた。

 男も、店主が本気で言っているというのは分かったのだろう。

 やがて満更でもない様子で口を開く。


「そうだな、もしこっちの仕事を辞めなければならなくなって……その時、まだ俺を雇ってくれるのなら喜んで雇って貰うよ。……じゃあ、まずは俺の責務を果たしてくるか」


 色々と後ろ暗い自覚のある男だったが、それでも現在の状況には……エッグの命令に従ってギルムを守るという生活に不満はない。

 全く……完全無欠に何の不満もないという訳ではないのだが、それでもやはり現在の状況は気に入っているのだ。

 だからこそ、厨房で仕事の手伝いをしていた後片付けをすると、酒場の店員が先程酔い潰れた男達を運んだ部屋に向かう。

 そんな男を、店主は残念そうな視線で見送り、またすぐに新しい料理に戻っていく。

 今は非常に忙しい、それこそ一日の中でも忙しさのピークと言ってもいい時間帯だ。

 そうである以上、とにかく料理を作り続ける必要があった。

 幾らギルムにやって来る者が多くなっていても、料理が不味い、酒が不味い、接客態度が悪い……そんな酒場は、どうしても他の酒場に比べて売り上げが低くなってしまう。

 そんなことにならないように、店主はひたすらに料理を作り続ける。

 ……先程酔い潰した男達が、なるべく早く情報を吐いてくれるようにと、少しだけ心の中で考えながら。

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